1984/06/27 |
101 衆議院・文教委員会
日本育英会法案参考人質疑
○江田委員 参考人の先生方には、きょうは午前午後一日、我々のためにお時間をお割きくださいまして、本当にありがとうございます。
もう皆さんからいろいろなお話を伺っておるので、それほど伺うこともないかと思いますが、最初に、どうも世間一般に奨学金というのはもう余り意味がなくなったのだという受け取られ方があるいはあるのじゃないかと心配しておるのですが、私どもよりずっと学生諸君に日ごろ身近に接していらっしゃる皆さんから、数字というよりもむしろ実感をお伺いしたいのです。
先ほどのレジャーランドですか、何か学生が随分遊び回っている、大学へ入ったらあとは遊ぶばかりで、アルバイトでどんどん金は入ってくるし、親からの仕送りもどんどんあるしで、いい車を乗り回して女の子をひっかけ回してというようなことで、こんな奨学金なんてもう要らぬのだという空気もあるのじゃないかと思うのですが、果たして本当にそんなものなのか。あるいは私どもが今の学生諸君について、若干ひがみでそんなふうに思っているのか、それともやはり世の中が大分変わってきたからある程度はレジャーということも必要なので、そう度外れたものにはなっていないのか、あるいはまたそういう学生もおるけれども、同時に奨学金を必要としている学生、そして奨学金があれば国家有為というのですか、何というのですか、世の中に役に立っていく者に必ず育っていく、しかし奨学金がなければ学問を続けることができないという学生もちゃんとおるということなのか、実感としての御意見を伺いたいと思いますが、順次お願いいたします。
○黒羽参考人 学生の気持ちは私以外の三先生方の方が詳しいと思いますが、私は、今先生がおっしゃったようなことが何となく社会にはあるから結局あの臨調のようなことになるということじゃないかと思うのです。
それともう一つ、我が国では、奨学金とか人から助けてもらうより親がお金を出して子供を学校にやるという機運が非常に強い。その二つの要素によりまして――日本の経済力からいったら、今育英会と民間と合わせて千五百億円ないわけですから、アメリカの上兆五千億はともかくとしまして、西ドイツの四千億や五千億ぐらいの奨学事業の規模になり得るわけなのです。それがなぜならないのかというと、これはポリシーの問題ということもあるかもしれませんけれども、それと同時に、奨学金というものに対する国民の受け取り方の問題というものがあるのではないかと思います。したがいまして、急速にこの額がこれから大きくなっていくとは期待できませんけれども、困っている学生さんもあることだと思いますし、私は漸進的に充実させていって、そのうちにだんだんと学費観――学費はだれが持つのか、日本の場合は親が持つべきだという気持ちが非常に強いと思うのですが、こういうものも変わらないのか変わるのか、そういう推移を見ていくというようなことで、余り大きな奨学金政策の変動はここでしたくない。
それで、今度のローンの導入程度はそれほど大きな変換ではなくて、むしろ各国のそういう奨学金政策のスタンダードに近づくことじゃないかなというふうな感じでおります。
○稲葉参考人 幾つか数字なども持っておりますが、余り時間もございませんので省かせていただきますが、奨学金の変質というようなことで、一つは、先ほどもちょっと触れましたレジャーセンター化していってアルバイトでというような、その中で、じゃ奨学金がどうだという問題と、私自身がいわゆるエリート大学にいて感じますのは、エリート大学に来る父母あるいは保護者とでもいいますか、その年収が次第に上がってきていて、そこでは余り奨学金の持っている奨学という意味が発揮できない、むしろ非常に高負担低サービスと言われているところで勉強していらっしゃる方のところに奨学金が必要になってきているのじゃないか。そういう意味では、今の選考方法も変えなければいかぬだろうというようなことも思うわけであります。
それから、今の黒羽さんの御発言でもちょっと感じるわけですが、例えば私が今から三十数年前に初めて奨学金を取ると言ったときに、私の父なんかが、ある意味では泣いてと言うとちょっと大げさですけれども、何とかやめてくれ、おれは石にかじりついてでもおまえは学校にやるからと言うのだけれども、どうにも払えなくなって、もらうわけです。子供の教育費は親が負担すべきだ、そういう考え方から、教育というのは社会全体の営みだから社会が負担するのだ。これも池田先生おっしゃったように、そこに使命感を感じて子供たちが、社会がおれを育ててくれるのかということで一生懸命勉強するというようなふうにしていくのが非常にいいのじゃないかと考えております。
○木宮参考人 江田先生がおっしゃるようなものじゃございませんで、今の大学生は非常にまじめでございます。
ただ、アルバイトをするというのは事実でございますが、これは目的を持ってみんなやっています。男の子は大体車を買いたいと言うのですね。女の子は衣料を買いたい、自分のおしゃれをしたいと言う。レジャーといいましても、ふしだらなレジャーじゃなくて、車が欲しいだあるいは衣装が欲しいだということで、それは親にも求められないし奨学金にも求められないということで一生懸命アルバイトをやるというのが、中には例外はたくさんございますが、平均的にはそういうものじゃないかと私は思います。
それから、奨学金はやはり所得制限でサラリーマンに非常に過酷でございまして、四百万ちょっとになりますともらえないというところで、実感と制度とがやや、欲しい人がもらえないというのが現状のような気がいたします。
○三輪参考人 奨学金に関する国民の意識あるいはそれに関する学生の実態でございますが、一つは、関心が低い理由は、奨学金の貸与人数やそれから額が余りにも低くて国民の全般的な関心になり得ないということで、これはもっと国民的な関心事になるように拡大していく必要があるだろうというふうに思うのです。
それから、一部の学生は確かに裕福でございます。また、例えば東京の学生などは裕福でなければ自宅外から通学できない。地方から出てきて私学なり国立なりに学べるような学生は、つまり全国大学と言われる各地から集まってくる学生は、そういう親でないと学生の保障ができないということがございますね。例えば文部省の学生生活調査でも平均が百二十三万円という学生生活費ですが、東京で下宿をすると百六十七万円必要だというように、首都圏とか大都市では、家庭的に相当裕福な者でないと学生になり得ないということになっている面がございます。
それから、現在サラ金地獄に象徴されるようにあらゆる面にローン化が進行しまして、そういう中で奨学金問題というのは、貸与であっても何かむしろ積極的に評価するという空気がございますね。ですから、逆に三%の利子でも安いではないかというような反応も出てくるかと思います。
それからもう一つは、諸外国にも例を見ない教育費の受益者負担主義の中で、教育、特に大学教育とはそもそも受益者が経費を負担するものだという風潮がございまして、そういうことの中で一種あきらめの空気になっているというところもあろうかと思います。
しかし、一口に大学生と言いましても大変さまざまでございまして、私の大学の門のところには、「交通安全」と書いた下に「ローンクラブ 学生の方へ 学生証だけで即融資いたします」という学生ローンの看板が出ておりまして、そして困った学生を相手に商売がはやっているわけですけれども、そういうことに頼らなければならない学生も結構いるわけです。
そして、国民の諸階層を五段階に分けてみますと、例えば私立学校に行ける者は、第一の階層では進学率が二九%で第五の階層の者が五三%というように、現に大学生の中でも相当所得に差があるわけです。そういうところに行けない学生やその親たちにとって奨学金はまだなお救いの手になっていないということで、まだまだ国民の関心になっていないということは、だから奨学金は局所的な改善でいいということではなくて、むしろもっともっと国民の教育を受ける権利の保障にたえ得るような、そういう条件整備の課題として拡充していかなければならないだろうと私は思います。
○江田委員 ありがとうございました。
先生方、とりわけお三人が皆さん、今の学生はそんなに言われるほどふしだらなわけじゃないので、まじめにやっているんだということをおっしゃってくださいまして、安心しました。女子大生などというと最近はやたら週刊誌などに出てきまして、いわゆるおじんクラスというのは心臓がどきどきというような感じになっておりますが、決してそういうことじゃない。学生諸君はまじめにちゃんとやっているし、そういう皆さんに本当に必要な手を差し伸べていかなければならぬという実態というのは変わってないんだと思うのです。
それにもかかわらず臨調が、今黒羽先生おっしゃったとおりに、臨調が全部悪いとか全部いいとかいう議論じゃなくて、個々にずっととってみますと、とりわけこの奨学金のことについては「外部資金の導入による有利子制度への転換こという、今の無利子制度はやめて外部資金を導入して有利子制度に変われということを言ったわけですね。私は、外部資金を導入したら有利子制度に必ずしなければならないのかどうか、これも一つ疑問があるんで、財投を入れたからといって有利子にしなければならぬというものではないだろうと思うのですが、まあその点はおいても、一体奨学金というようなことは一般会計マターなのか、それとも一般会計マターの時代はもう過ぎたと言えるのか、過ぎたのであって財投マターだ、つまり、いろいろなことで国にお金があって、それをなるべく財投の運用としても有利で、しかも社会に役に立つようなことに運用していけばいいんだという程度のことになってしまったと言えるのだろうか、こういう疑問があるわけです。やはりこれは少なくとも根幹は一般会計マターじゃないのか、国の行政の一番重要な、国としての課題なんだということじゃないかと思うのですが、これを簡単で結構ですが、恐らく皆さんイエスということだろうと思いますけれども、お聞かせ願いたいと思います。
○黒羽参考人 しかし、なかなか難しい問題はあると思いますね。
先ほどGNPと公財政教育費の支出の問題がありましたけれども、その話をするならば、国民の税負担率の違いの話までしなければならないわけですね。そうしますと、やはり今主体は、多くは一般会計マターで処理すべきだと思いますけれども、一般会計だけでは育英奨学事業の伸びは期待できないのじゃないかと私は思うのです。それは国民の税負担感から何から全部にかかってくる問題になってくるのじゃないかと思います。
○稲葉参考人 どうも余り技術的なところになるとわかりませんけれども、とにかく次の世代を育てるという仕事はもう国の基本的な仕事なんだという認識をお持ちになった上で、財源をどこから取ってきてくださるのか、それもできるだけたくさんいろいろなところからかき集めていただくのも結構かと思います。
○木宮参考人 一般会計だけでは限界があると思うんで、やはり学生がこれだけふえてまいりましたし、普及してまいりますと、どうしても大勢の人がそれにかかわれるようにした方がいいというのが私の持論でございまして、できるだけ大勢の学生が借りられるためには、財投といわず、民間の資金まで導入してでも欲しい者には貸してあげるという配慮があっていいのではないかと私は思っております。
○三輪参考人 私は、この法案にございます、第二十六条の「業務に要する資金」として「借入金、寄附金等をもって充てるものとする。」こうなっておりまして、原則が借入金、寄附金となっていることが一つの問題点だろうというふうに思います。
そして、四十一条の補助金規定は、「政府は、毎年度予算の範囲内において、」「経費の一部を補助することができる。」として、一般会計からの支出がごく部分的な財政援助にとどまっているという点、これはやはり本末転倒でして、もっと一般会計からの経常支出を基本的な財源にして、若干何らかの融資に必要な場合には財投を利用するというような関係がノーマルではないか、それが奨学事業というものにかける政府の熱意のあらわれてはないかというふうに思います。
○江田委員 先ほどから皆さんのお話を伺っていておよそわかるのですが、奨学金というのが、教育を受けたい、勉強したい、だけれども経済的な理由でそれが続けられない、そういう学生に対してこれを助ける、これはもちろん基本ですけれども、奨学金制度と教育とのかかわりというのは、国の財政がそういう教育を受けたい者を助けるというだけじゃなくて、奨学金自体あるいは奨学金制度自体が持つ教育的機能といいますか、受ける学生に対する教育的機能もある。あるいは奨学金制度がこれだけ社会に存在していることによって社会全体の教育についての認識を深める、あるいはみんなが教育についてもっと熱を入れようというようなことになってくる、そういう社会を教育していくというか、そういう側面も無視できないんだろうと思うのですね。
そういうことを考えた場合に、あるいは有利子貸与で借りたものは返すのが当たり前、しかも利子つけて返すのが当たり前ということを教えるのが非常に教育的だというような話もちょろっとあったり、そういう向きもあるかと思いますけれども、しかし、教育というのはそういう個人のことじゃないんで、奨学金というのは、国と奨学生との間の契約の中身のことだけじゃ済まない問題があるので、やはり給与制度あるいは少なくとも無利子貸与で、国がこういうふうに君たちに期待しているんだぞということが大きな機能を果たす、教育的な機能を果たすのじゃないかという気がしておって、そういう点から、今の有利子貸与制度がちょろっと制度としてのぞいてきたということに危惧を感じておる一人なんですが、だからといって、それじゃ今の財政のもとで全然ふえなくてもいいのか、それも困るので悩みなんですがね。臨調の言うように、もう全部有利子への転換となってしまうと問題。しかし、やはり有利子は少なくともピンチヒッターで、財政がちゃんとなればまたそういうものは姿を消すという――臨調も財投の関係のところで、新しい制度を財投で行うときには慎重にやって、しかもサンセットぐらいのことは考えておかなければならないということも言っているわけですね。そうすると、今ちょっと安易に有利子に入ろうとしているような感じがして、いろいろお伺いしたわけです。
最後に、奨学金制度全体として、先ほど三輪先生がおっしゃっていましたけれども、日本の奨学金制度全体としてやはりお粗末だ、国の制度はこれ自体もお粗末だけれども、そのほかに、地方公共団体あるいは民間が十分でない、諸外国と比べるとこんなものじゃまだまだ足りないという、数字を挙げていろいろなお話がございまして、その中に、例えば、地方団体に対する補助金ももっとふやすべきだとか、あるいは民間の場合はお話に出てこなかったと思いますが、税制上もっと、今も多少ないわけじゃないけれども、もっといろいろな優遇措置があって、民間奨学金の制度をもっとふやすべきだとか、そうやって奨学金全体を、国だけじゃなくて民間も地方公共団体も含めて豊かなものにしていくべきだという提案が三輪先生の方から出されておりましたが、その提案に対するほかのお三方の御意見を伺って、質問を終わります。
○黒羽参考人 私が冒頭に申し上げましたように、民間の奨学事業は非常に数が多いのですが、合わせて三百億前後というような状況ですね。これはやはり育英会に匹敵するぐらいの千億ぐらいになってくれるということは、大変ありがたいと思います。そして、それはまさに育英資金を通じての学生への教育であると同時に、そういうお金を出す個人なり法人なりが社会に参加していく非常にいい方法だと思いますけれども、なかなか日本の社会がそこに行かない。行かなくて、それを待っていられないから、やはり育英会の規模を縮小するわけにはいかないといようなことで、財投の金でも借りてというようなローンの方が、ローンの方は本来、準国の機関である育英会というようなところでなくてもいいのでしょうけれども、やらざるを得なくなったのではないかと観測しております。
○稲葉参考人 現実として、日本にはいろいろなファウンデーションというような形での奨学活動というのが貧弱である。そういう意味では、江田先生おっしゃったように、いわば社会を教育していく一つのショック療法というような意味でも、今の育英会を抜本的にといいますか、大々的に発展させて、じゃ国なんかに任せておけぬぞというような機運もつくっていかなければいかぬのじゃないか。そういう意味では、ここで財投からちょっと借りてきて、二万人有利子化でふやすとかいうようなことじゃなくて、今の育英会を大きく発展させることが日本全体の奨学金制度あるいは教育の機会均等を保障する制度の発展につながるのじゃないか、こういうように考えて、先生の御意見にほとんど賛成でございます。
○木宮参考人 私も、有利子がいいのでぜひそうしたいと言うのじゃございませんので、その辺は誤解のないようにしていただかないと……。私は決して、金を取るのを喜んでいるわけじゃございません。決してそんなことはありません。絶対にないのですから。もう一回、決してありません。絶対にないのです。ただ、私が思うには、現実論として、むしろ義務教育には現在奨学生なんか一人もありませんよ、中学生、小学生。全額、国なり地方団体が負担するのですから。ですから、大学も、私立も含めてこれは全部負担していただければ、日本育英会は解散してしかるべきだと思うのです。しかし現実は、やはり大学というものは授業料を取ってやる、またそれが半分ずつは国も大いに助成するし、また本人もやはり一生懸命努力して出すというので、その出せない人をいかに救済するかというのが日本育英会の使命だと私は理解をしております。
ただ、私学と国立との差は非常に大きいのです。年々ふえておると思います。ですから、私学に厚くしていただきたい。私学の生徒だって日本人でございます。同時にまた、私学のお父さん、お母さんが税金の面で、私学で行ってそこの授業料を払った納入金は、税金の中から何とか控除するというような制度をいち早くつくっていただく方が、私はむしろ育英資金をかれこれするよりもはるかに理想的だとは思います。ぜひお願いしたいと思います。
○江田委員 ありがとうございました。
1984/06/27 |