1984/07/20 |
101 衆議院・文教委員会
国立大学における物品購入をめぐる不祥事件について
○江田委員 大分時間が超過をしておりますので、簡単に端的に伺いたいと思いますが、まさに起こるべからざることが起きているわけでありまして、金権列島の我が日本でありますけれども、文部省にまでこれが波及をした。破天荒のことであります。
起こるべからざることが起きた。しかし一方では、どうも起こるべくして起きたという感じも実はあるわけでありまして、一体なぜこういうことになっていくのか、これを考えていく際に恐らく三つくらいな視点があるだろう。一つは、行政のシステム、特に予算の執行のシステムが一体今のシステムでいいのか。特にこの留保予算という制度の問題ですね。もう一つは、人事管理のシステム、人事行政のシステムが今の状態でいいのか。そして、システムの問題もいろいろあるけれども、やはり個人の倫理観の問題も恐らくないわけじゃないでしょう。個人の倫理観となりますと、一人一人の公務員の皆さんの責任感ということになってしまうのかもしれませんが、そこにやはり一人一人の問題というよりも、むしろもっと広く社会全体、日本の国全体の倫理観の欠如、国の政治システム、社会システムが一体これでいいのだろうかという問題につながってくる。
そこで、一つずつ聞いていきたいのですが、どうも時間が余りありませんので、留保予算の制度のことはもう既に皆さんが伺っておりますから今伺いません。ひとつこれは十分検討していただきたい。文部省が各大学をコントロールするためのまことに都合のいい制度にはなっているわけで、私もその制度の合理性をまるっきり否定してしまうわけじゃありませんけれども、やはり今のようなことで本当にいいのかという問題を深く突っ込んで検討していただきたいと思います。
二つ目の、人事管理の問題ですけれども、会計畑というのが俗にありますね。この会計関係は、文部省なら文部事務官で入る。しかし、会計というところに入って、会計の中でどこどこの会計、大学の会計、文部省にまた戻って、あるいはどこかの研究所へ行ってと、ずっと会計の中で動いていく。そういうことによって、一つの仲間意識といいますか会計一家みたいなことができる。今回だって、これはきっと同僚の皆さん方の中でまるっきりだれも気がつかなかったというようなことはないのじゃないか、さっきも中野先生の質問の中で話がありましたけれども。やはりそれなりに、何かどうもおかしいぞとか、あいつ羽ぶりがいいなとか、いろいろなことがあったのじゃないかと思うのですね。ところが、そういうものが出てこないということの中には、何か持ちつ持たれつ、お互いに隠し合ってというようなものがある。会計畑というこのあり方がいいかどうかですね。
もしこれ、契約の締結にしても積算にしても、専門的な知識が必要だということになるならば、文部省の会計畑、建設省の会計畑、どこどこの会計畑というようなことにしてしまうのじゃなくて、この会計を扱う人間を全部集めてしまう。その間に省庁全部通じて人事交流をしていく。さらに、その会計を扱う人たちの倫理観をきちんと維持していくために、これはきょうは会計検査院に尋ねるつもりありませんけれども、ひょっとしたら会計検査院まで含めて、一つの会計を扱っていく、金を握っていく人間を、きちっとそれなりにまとめて全部を人事管理していくというような、そういう人事行政のシステムをあるいは一遍検討してみる必要があるのかなという、そんな気がするのですが、いかがですか。
○西崎政府委員 ただいま先生御指摘の、人事管理上の問題として、予算会計に関する特殊な集団としての認識ではなくて、もっと少し考慮すべき点があるのではないかという御指摘でございますが、予算会計、専門技術的なところでかなり勉強が必要であることは事実でございますし、それから、今回の事件で、大変残念でございますが、多くの会計経理の職員は予算の編成なり予算査定なり、日常においても超過勤務を多くやりまして一生懸命仕事をしておるということは、先生にもぜひ御理解をいただきたいわけでございまして、そういう意味においての、一生懸命やっておる会計職員の実情を我々認識した上で、さらに、先生御指摘のような、会計関係における職員のいろいろな配置その他、考慮すべき点を今後考えるべきではないかという点は検討いたしたいと思います。
各省関係の交流という点は、なかなかこれは文部省関係だけでの処理は困難でございます。ただ、大蔵省主催で会計職員研修というのが各省共通で行われておりまして、私どもの職員もその研修会には毎年参加させておるという現状はございます。
○江田委員 今の、各省間を通じた予算会計の担当者の人事行政を一度洗い直してみるべきじゃないかという点について、総務庁お見えだと思います、答弁してください。
○上吉原説明員 ただいま御質問の、各省庁間の会計事務職員等につきまして人事交流を行うべきではないかという点にお答えをいたしたいと思います。
まず初めに、公務員というのは、国民全体の奉仕者といたしまして、職務の公正な執行に対しまして国民に不信の念を抱かせることのないように厳正な規律を保持しなければなうないということは当然のことなわけでございまして、この観点から、政府全体といたしまして綱紀の粛正に従来から積極的に取り組んできているところでございます。
特に、予算執行等の事務につきましては、ある職員が長年同一の職におるというような場合には綱紀の緩みが生じやすいというようなことにかんがみまして、従来から、官房長等の会議申し合わせにおきまして、そのようなことを防止するために、一つの方策といたしまして、同じ省庁内の人事の配置の適正化を図ってきたところでございますけれども、この点につきましては、今後ともその趣旨の徹底に努めてまいりたいというふうに考えるわけでございます。
ただいま先生御指摘の、各省庁間の人事の交流でございますけれども、ただいまお話ありましたように、貴重な御意見でございますので、その辺を参考にさせていただきまして、現実問題として特定の事務につきましてこういった各省庁間の人事交流が可能なのかどうかという点も含めまして、今後検討させていただきたいと考えておるところでございます。
○江田委員 大いに検討していただきたいと思いますが、三番目の個人の倫理の問題。しかし、個人の倫理といっても、これは一人一人の問題じゃなくて、やはり社会全体のシステムの問題もあるわけですね。今、例えば業者の方で言えば、どうやってうまく経理を握っている役人に接触していくか、これをどうやって自分の上手に左右できるようなところに誘い込んでいくかということ、これを何か営業努力という名のもとに行うのが当然だ、営業努力をどんどんやっていかなければならぬ、そういう感じを業者は持って一生懸命やっている。それに対して、今度は受ける方の役人の側は、何かこう予算を扱うということになると、その予算を扱う裁量権というのが自分の権限のように思って、自分の地位が上がった、何か自分個人の力のように思ってしまう。裁量権なんというのは権利じゃないんで、公務員にとってみたら正しい裁量をしていく義務なんですね。そういう感じが全くなくなっていく。それがどうも社会全体に広がってしまっている。
私はもう前から思っているのですが、ある国が物が乏しいからといって滅びるようなことはないんです。心の貧しさが国を滅ぼしてしまうということはしょっちゅうある、十分ある。日本はどうなっていくのかという感じがつくづくするのです。その一番の責任はだれが負っているのか。政治家じゃないでしょうか。政治家がいろいろとくだらぬことをやって、ちょっと道路をつけた、橋をつけたというと、自分がやった、自分がやったと言う。別に自分が金を出してやったわけじゃないのに、あるいは、政治家というのはそれほど大した立派な人生でもないのに、ちょっと大臣になったら、それでもう政治家の役割が終わったかのような、ちょっと一期、二期大臣をやるために妙なお金に手を出している。その最たるものはだれか、一番象徴的なものはだれか、言うまでもないと思いますが、そういう政治の責任というものを、大臣、一体どういうふうにお考えですか。簡単で結構ですが、もう時間がありませんので、お答えを伺って、私の質問を終わります。
○森国務大臣 一生懸命公務員の道を歩んでおりました者が、今先生からお話がありましたように、いわゆる社会の病魔に侵されているというのを見ておりますだけでも断腸の思いであります。本人をかばい立てするつもりはありませんが、本当にお気の毒だなあという気持ちもございます。
しかし、倫理の面では、確かに、政治家でなければ、政治家がやるべきだとか、公務員だとか先生だとか言うべきではなくて、すべての者が気持ちをしっかり持ち、少なくとも人様に後ろ指を指されないということが自分への戒めでなければならぬと考えております。とりわけ、国民の代表であるという政治家においては、なおそのことが強調されることは言うまでもないことである、そのように考えております。
○江田委員 終わります。
1984/07/20 |