1985/06/27 |
102 衆議院・文教委員会
○江田委員 お忙しいところ、お三方には当委員会のためにお時間をお割きくださいまして、ありがとうございます。十二時までというお約束を当委員会としてやっておるのだと思いますけれども、私の時間が本当にわずかになりましたが、お許しください。
前に「審議経過の概要(その2)」の発表のあった日に、やはり当委員会に会長、会長代理がお見えくださいまして、質疑をさせていただきましたが、その際、私は、ひとつ衆参の文教委員と、こういう形でなくてお茶とお菓子ぐらいでいろいろ議論ができたらいいがなということを注文しました。その後、文教委員ではありませんが、政党単位でいろいろなお話を、非公式ですか、聞いていただきまして、また聞かせていただきまして、ありがとうございました。
しかし、それにもかかわらず、十分に国民の議論を起こし、国民の声に耳を傾けて第一次答申に至ったという感じがどうもしない。拙速であって、答申の日を決めてとにかくそれに間に合わせた、そういう感じがぬぐえなくて、これはまことに遺憾であります。そして、同時に、これを読ませていただきましたが、そういう手順が十分でないことが恐らく反映をしておるのだと思いますが、今の教育の現状についての認識がどうも浅いような気がして仕方がない。さらさらっと過ぎるのですね。教育の現状に本当に悩んでいる親も教師もあるいは社会も、国民みんなの心に何か響くものがないのは単に表現力の乏しさだけではないような気がしまして、拙速主義に対する反省を求めたいと思うのです。
それでも、私は、中身が全部悪いと言っているわけじゃありませんで、第一部、第二部ともに、項目も妥当であって、また、個性重視の原則ということも必要なことだと思いますし、目指す方向は基本的に了解できる。改革の提言も、やや散発的にあれこれちょろちょろと出てきたという感じはありますが、そしてまた、同時に、六年制の中等学校にしても、単位制教育にしても、それぞれ落とし穴もあるかと思いますが、一つ提言ではあろうと思います。しかし、どういう方法で教育改革をやろうとされておるのか、その方法論について、私はどうも問題があるような気がして仕方がないのです。
例えば、今の個性重視の原則。個性主義ということで議論をされた。そして皆さんが集まって、それはちょっと言葉が適当でない、個性尊重、いやいや、というので、個性重視の原則に落ちついたということですが、そうやって、お集まりの皆さんはそれぞれに教育について深い見識をお持ちの方々で、経験もある、だから、これが集まって議論をすればそれで必ずいい答えが書けるのだと、そういうおつもりなのか。それとも、そうじゃなくて、今の教育の改革というのは、まさに「はじめに」というところでお書きですね。「今次教育改革の成否は、第一に政府の対応いかんによるがこその後「ひとりひとりの教師、ひとりひとりの親、すべての教育機関および学ぶ者自身を含めて教育に関係する者と全国民の改革への意志、子どもや孫たちへの愛情と責任感にまつところが大きい。二十一世紀を目指す教育改革の成功のため国民各位の深い御理解と御協力を訴えたい。」こうお書きの、この「全国民の改革への意志、子どもや孫たちへの愛情と責任感」というのは一体どうつくり出していくのかという方法がなければ、単に集まって答えを書きました、さあ後はという、それでは教育改革はできないのだという感じがして仕方がないのですが、この点はどうお考えでしょうか。
○岡本参考人 先生の言葉のとおり、私は、この臨教審の初めから、教育の改革というものは現場から出て現場へ帰る、現場をしっかり認識して、しっかり審議して、現場で実行されなかったら意味がないのだからという意味で、あの臨教審のメンバーにも、できるだけどこへでも行って自分の考えをしっかり述べて、そして信頼されるようにしてもらいたいというようなことを申しております。その意味で、おっしゃるとおり、十分現場の意見を聞き、現場へ帰って定着するように努力を重ねたいと思っております。
それから、こうして御意見をお聞きすることでございますけれども、これは決して私がいい格好をして物を言っているのではございませんので、どこでも申しておりますことは、こういうところへ出ましてお話をお聞きすることも大変有益でございまして、このものについては全部整理しまして、事務局で、今度の答申のどこの部分にどうこたえたのだということは整理させております。それから、このことは各団体からの意見もございますし、公聴会の意見も同じように全部箇条書きで整理いたしまして、それにこたえるような努力はいたしておるつもりでございます。
○江田委員 例えば個性重視の原則ですが、個性とは一体何か。いろいろお書きです。恐らくその答案としてはこういう答案なんでしょう。だけれども、今実はそう簡単に答案が書ける状態にないというのが今の教育の現状なんじゃありませんか。私は政治家になる前に裁判官というちょっと借越な仕事をやっておりまして、そのときにつくづく感じたのですが、紛争があって、判決を書いたらそれは紛争の解決なんですが、しかし、判決を書いて解決するような人間の紛争というのは実に少ないのですね。判決を書いたらそれでますます紛争がこじれるなんていうのはいっぱいあるわけで、そのときに解決を目指す者は一体何をするかというと、やはり当事者と一緒になって悩んだり論じたり祈ったり一緒に歩んでいく、そういうことが必要なんで、個性というものの答えをこうして文章でお書きになる前に、なぜ一体具体的な事例に即し、具体的な問題に即し、例えばいじめの問題でも、あるいは非行の問題でも、落ちこぼれの問題でも、先ほどのエリートの問題でも、個性ということは一体何だろうかということをもっともっと国民みんなで掘り下げていくような、そして具体的事例に即して一緒に悩んでいくような――いじめの問題なんか個性とぶつかって大変な悩みがあるわけですね。そういう手順というのが、そういう方法が臨教審でもしとられれば、これは随分いろいろなことができるのだと思うのです。答えを書くことが大切なんじゃないのだ、一緒に悩んだり一緒に祈ったりすることが大切なんだという気がして仕方がないのですが、いかがでしょう。
○岡本参考人 おっしゃいますように、こういう提言の内容を実行するということが大事でございますので、それは極めて現場に即したデテールなことが要るわけですね。ですから、どの問題、提言のどれに対しましても、直ちにそれに対して議論をしてもらう機関を早急につくるように、これは共通テストに対してもどれに対しても、そういうことを希望しております。したがってまた、それと同時に、やはりここで議論しておりますようなことが広く国民の間に議論されまして、そういうものに国民が大きな関心を持って、その方向に全体に動いていくというような効果も意識しております。
○江田委員 いろいろな方法があると思いますが、一つ、二つ具体的に伺いますと、国民の中にある各種の団体や有志の教育改革論議がいろいろあります。それは学校長の会というようなこともあるでしょうが、同時に、教職員の団体も議論をしておりますね。それから、そうじゃなくて有志の皆さんの、例えば都留重大先生を中心とするお集まりであるとか、あるいは俵萌子さんを中心とするお集まりであるとか、そういうようないろいろな議論がありますが、そういう皆さんと立場を超えてひとつ臨教審は大いに議論をされるようなおつもりがありますか。
○岡本参考人 各種教育団体につきましては、既に御承知のとおりヒアリングをやってまいりまして、できるだけ御意見を伺うようにしております。最近もぜひアンケートに答えてもらいたいというようなこともございまして、できるだけそういうものには答えるように努力してまいるつもりです。
○江田委員 ああいう皆さんのいろいろな意見をヒアリングで集めるということをもう少し超えて、何か運動的に国民の教育改革の論議と運動とをいろいろなところでたくさんたくさん起こしていって、それがぶつぶつぶつぶつと煮えたぎっていく、そういうものをお考え願いたいということをひとつお願いをして、質問を終わります。
1985/06/27 |