1990/03/28

戻るホーム主張目次会議録目次


118 衆議院・農林水産委員会

酪農ヘルパー制度について


○江田委員 農水行政についての一般質疑を行いますが、農水大臣、御就任おめでとうございます。私は、山本農水大臣とは実は参議院同じときに当選をいたしまして、年齢は大分大臣の方が先輩ですけれども、同じように、さあこれから国政で頑張るぞという志を抱いて国会に上ってきて、当選直後何度かいろいろなお話をしたことを思い出しております。本当におめでとうございます。この大変なときに農水大臣という重要なポストにつかれて、ぜひ頑張っていただきたいと思うのですが、それにしても、同じとき国会に出て、片やもう大臣は天下の農水大臣で、私どもの方はまだ野党でくすぶっているわけでありまして、どうもざんきにたえぬところであります。実は、私は今とかくの批判を浴びております二世議員でございまして、私の父は戦前の農民運動から政治活動に飛び込んだ。戦後最初に参議院議員を二期務めまして、その間に農水委員長も務めて畜産振興にも随分力を注いでいたわけでありまして、その後を引き継いだ私ですから農水行政には研さんを積まなければならぬ立場なのですが、十三年国会議員をやっておりますが初めて農水委員会で質問いたしますので、どうも素人の質問ということになるかと思いますが、しかも短い時間ですが、張り切って質問したいと思います。

 まず大臣に伺っておきます。
 日本の農業の現状というものを一体どう見るかということでございますが、今国民の中に大変な農政不信というものがありますね。その農政不信はゆえなしともしないわけで、現に農村へ行ってみますと、田んぼの三割程度に草が生えているとか、あるいはまた現に稲が生育しているところでも、昔だったら見られないような稲の真ん中にヒエやアワがどんどん出てきているような、そんな田んぼまであるというような状態になっておる。農家の皆さんは、一体農業を自分たちにやれというのかやめるというのかどっちなんだ、農業の先行きはどうなんだ、大変心配を抱いている。自民党の農政に対する農家を初め国民の皆さんの不信が渦巻いて、例えば去年の参議院選挙では、これは愛媛県ですが、愛媛のミカンを守れという候補者に自民党の農水大臣までやった方が敗れるというようなことも起きたわけでございます。私どもも自民党農政を批判はしても、それじゃおまえたちはどうするのだということになりますと、これはなかなか簡単でないので、自民党の批判だけでいいとはもとより思いません。思いませんが、今の日本の農村の状況、農業の状況というのは、これはある意味では危機的な状況になっている。ゆゆしき状態になっている。田園まさに荒れなんとす、そういう状態になっているというこの危機意識というのを、大臣、我々と共有できるのかどうか、ここをまず伺っておきたいと思います。

○山本国務大臣 答弁の前に一言だけ。先ほどお話がございまして、本当に私も懐かしい気持ちでいっぱいでございます。江田先生の政治家としてのお人柄、御見識はいつも私尊敬しておりまして、今後ともどうぞよろしくお願いをいたしたいと思っております。

 今御指摘の点でございますけれども、私、この基本的な気持ちは同じでございます。田園まさに荒れんとすという言葉がありましたけれども、農政不信などという言葉が横行しちゃいかぬ。私は常々繰り返し申し上げておりますが、農は国のもとだ、こういうことが先行しなければうそだ、こう思っております。どんな時代にも日本の場合には農業が基本だ。明治であろうが大正であろうが、昭和であろうが平成であろうが、二十一世紀になろうが同じだ、こういう気持ちでございます。ただ、さてそうではありますけれども、農政不信という言葉ほどこから出てきたのだろう、あるいはそれが政治や選挙になぜこれだけ大きな影響を与えているのだろう、政治家としてもはたと考えざるを得ないのでございます。農水省へ行ってみまして、私は、歴代農林大臣はもう随分苦労、苦心をし、そしてお役人の皆さんも日本農政を守るために随分苦労したのだな、血のにじむ思いをしたのだなということを肌身で感じるにつけましても、なぜこれだけやってきて農政不信などという言葉が出るのだろうかと思うわけでございます。

 思い当たることは、やはり時代が変わってきた。日本の国内だけを見ていく時代、これだけ世界が日本に接近をした時代、時代が変わってきた。日本の国土はちっとも大きくはならない、あるいは平たんにはならない、にもかかわらず外からの波はどんどん押し寄せてくる。例えば国土一つとってもアメリカと日本の対比は二十七倍、二十七分の一だ。最初からスクラッチでは勝負にならないのですね。ハンディがあるというふうなことを考えますと、これはよほど性根を据えてやっていかなければならぬ。歴代大臣の業績を引き継ぎつつ、新しい時代に即応して、そして農政には、農民を守っていこうということには与党も野党もないのですから、どうかこの委員会などでもせっかく御論議を願いまして、我々を叱咤激励して、私どもいつでも腹切る覚悟で頑張りますから、一緒にやってまいりたい。

 さらに大事なのは、若い人です。若い人が暗い気持ちになったらおしまいです、これは。ですから、農業後継者、若い担い手に絶対に希望を捨てさせないように、むしろ持たせるようにあらゆる施策を展開してまいりたい。微力でございますが、その先頭に立ってまいりますので、どうぞよろしくお願いをいたしたいと思っております。

○江田委員 基本的な見解をお伺いしましたが、農は国のもと、確かに私は大臣のおっしゃるお気持ちはよくわかります。農は国のもとという。では一体どうすれば国のもとになるのかということが実は政策であり、政治であり、行政であるわけですね。そこがどうもはっきりしない。

 今時代が大きく変わってきたとおっしゃいました。私もその言葉に集約されるのだろうと思います。国際社会も大きく変わってくる。国際経済のあり方も変わってくる。日本の経済なり産業なりのあり方も大きく変わってくる中で、農業がそういう時代の大きな流れに本当に追いつくような発展をしてきたのかということですね。では、農業というのはそういう時代の大きな流れに追いつけないものだとして、農業はそれでも大切なのだからひたすら補助金をつぎ込んで何とか底支えをしようということなのか。それともそうではなくて、時代が大きく流れていく中で農業自体も変わっていく。技術的な変化もあるでしょう。農家戸数あるいは農業経営形態の変化もあるでしょう。昔の農地についてのいろいろな法規制がそのまま今でも通用するのかといった問題もあるでしょう。あるいは食管の問題だって、これは昔のままのことで一体時代の趨勢に追いついていけるのかといったこともあるでしょう。そういう新しい時代の変化に農業なり農業政策なりというものが追いつき、そして単に底支えで補助金、補助金で、補助金づけなどという悪口もあるわけですけれども、そう言われかねないような状態を乗り越えて、国際競争力も十分ではなくてもそれなりにある産業として自立できる農業、あるいは農業だけではなくていろいろな産業をきちんと張りつけて、本当に人間がそこできちんと住んでいけるという農村地域をちゃんとつくる、そういう姿勢があるかどうかというところにかかっているのじゃないかと私は思うのです。私は、決して農業というのはこういう時代がどんどん進んだらおくれていって、あとは補助金でどこかから支えていなければしょうがないというものではない。農業というものは、やり方次第では幾らでも未来に開けていくのだ、そういう気持ちを持つことが大切だし、持ち得ると思うのですが、その点、大臣いかがですか。

○山本国務大臣 全く同感でございます。ただ、先生今補助金が、御承知でおっしゃっているのでしょうけれども、補助金がいかにも悪いというふうなことでございますが、私はそうは思っておらないのです。むだな補助金はいかぬと思います。しかし、赤ん坊が大きくなっていくのにやはり母親のおっぱいは必要なんですね。そして厚い庇護の中で、将来たくましい骨を持ち、肉を持ち、頭を持つ人間が成長していくのだと思うのです。こういうことを考えますと、その都度ただ何とかばらまきだ何だなんとよく言いますけれども、そうじゃなくて、タイミングのいい補助手段というものは絶対必要だと思うのです。それは農は国のもとだからなのだ、むしろ国内のほかの業に携わる人にも外国の方にもよくわかってもらわなければいかぬ。さっき、最初からハンディがある、それは、だって国土のハンディというものはどうしようもないのですから。そういうことを考えつつ、しかし有効に適切に金を使うように考えていかなければならないというふうに考えております。

○江田委員 私は、補助金もいろいろな種類のものがあるだろうと思うのですね。率直に言って、農業というものがこういう時代の変化にきちんと追いついていけるためには、やはり農業も随分変わっていかなければならぬだろう。ところが、変わっていくにはそれなりに痛みも確かに伴うわけで、そこでその痛みをどうぞひとつ何とか乗り越えてくださいよ、そのかわりこういう補助金で何とかそこは国の方で援助いたしますから頑張ってくださいという、いわば前向きの形のそういう補助金もあるでしょう。あるいはこういう方向に農業のやり方を誘導していく、そのための補助金もあるでしょう。しかし、数ある補助金の中には、過去のいろいろなやり方にいわばしがみついて、これを心ならずも温存してしまって、逆に日本の農業の国際競争力をますます落としてしまうようなことになってきた、そういう補助金も実はあったのではないかという気がしておりまして、今どの補助金がどうというところは申しませんが、ひとつ、そのあたりのことは大胆に未来を展望しながら、積極的な前向きのものをどんどんやっていただきたいと思うわけです。

 そういう中で、とりわけきょうは畜産関係ですけれども、特に酪農の関係で、もう既に多くの皆さんが質問をしたところですけれども、私も聞きたいのは、酪農ヘルパー、これはどうしても日本に定着をさせていかなければならぬと思います。

 今、例えば雇用労働者について言えば週休二日をどうするかという時代ですね。時短という時代、時間短縮。もうヨーロッパ各国とも年間の労働時間が千何百時間という時代になっているのに、日本は依然として二千時間を超えるような長時間労働で、これではいかぬとやっているわけですね。それが世界の、あるいは日本の大きな流れになっているのに、酪農家はもうお話ございました周年労働。とにかく牛は生きているわけですから、正月にはえさをやらないとか、お盆は乳を搾らないというわけにはいかない。しかし酪農家にもそれなりに休日も必要じゃないかというようなことを考えたら、どうしてもそこにこのヘルパー制度というものが必要で、しかもこのヘルパーは今随分各地で工夫をしてやっているわけです。もっとやりたいという皆さんがたくさんおられるわけです。ところが、なかなかそこまでいかない。

 一方で、もう既に審議官の方からお話ありましたが、酪農というものがやはり随分変わってきた。一方では酪農家の戸数が減るということがある。あるいは、牛を飼う飼い方といいますか搾乳の仕方といいますか、限度いっぱいで、私もきょう聞いてびっくりしたのですけれども、牛を例えば三十頭なら三十頭飼っておると、一頭一頭、この牛にはこういう飼料を与える、この牛にはこういう飼料を与える、全部別だというのですね。あるいは搾り方も、この牛はここまで搾れる、この牛はここまで、ところがある牛に至っては搾ってみたけれどもこれだけ残っている。そういうのも一頭一頭について全部別々の飼い方、搾乳の化方をしなければならぬ。しかも、えさを与える、搾乳をする、そういう器具も随分開発され、高度なものになってきている。そうすると、隣のおじさんにちょっと頼みますよというようなヘルパーじゃだめなわけで、ヘルパーというものをひとつ専門的に育てていかなければならぬという時代になってきておるというわけですね。

 ちょっと困ったときにというのじゃなくて、きちんと酪農家にもある程度の休日を保障し、しかもそういう高度なヘルパーを提供していくということのために、例えばヘルパーについて研修の制度をちゃんとつくろう、あるいは広域的なヘルパー運用をつくっていこう、そういうものにきちっとした底支えをしていくためには、とても年間千四百万円の国費なんかじゃどうしようもないので、もっとどおんと国の補助をやっていくためには、基金というようなものをつくって、この運用でヘルパーをちゃんと底支えしていくということが必要だと思いますが、そうしたことについて大臣の覚悟を聞いておきたいと思います。

○山本国務大臣 先ほど来藤田先生からも小平先生かららもヘルパー制度の問題については御質問もあった。審議官からお答えをいたしましたが、覚悟のほどを聞かせろ、こういう先生のお話でございますから覚悟のほどを申し上げますが、今検討しております。これはやはり酪農も日進月歩ですし、相当技術も高くなっているのですね。それを助けようというのですからそれなりの準備も必要だというふうなことでございまして、今いろいろ検討しておりますので、その検討の結果、またある方向が出てまいりましたら御相談をさしていただきたい、こう思っております。

○江田委員 終わります。


1990/03/28

戻るホーム主張目次会議録目次