2003/04/16 |
156 参院・憲法調査会 基本的人権について自由討議
平成十五年四月十六日(水曜日) >>会議録全文
○江田五月君 私は、特に強調したい幾つかのポイントについてだけ意見を述べます。
まず、基本的人権の考察には人類史や世界史の視点が不可欠です。人権保障はそれぞれの国の中で憲法に基づく保障措置として発展してきたことは間違いありませんが、その保障の在り方は国境を越えて相互に影響し合い、しかも保障の強化という方向性を持って、世界全体に広がって発展してきました。特に、第二次世界大戦の後は、国連憲章や世界人権宣言の採択により、人権は、個々の国や地域に特有のものではなく、世界的な広がりを持った普遍的なものとなりました。つまり、人として生まれた以上、地球上のどの国や地域に生まれても、肌の色がどうであろうとも、人として尊ばれなければならないということが地球上の普遍的原理となったのです。
したがって、アジアの人権と欧米の人権の違いなどという人権に地域による違いがあるような議論は、それ自体が成立しません。また、日本における人権保障を日本社会の特徴から演繹することも妥当ではありません。人類の到達点としての普遍的人権の日本における実現という視点が大切です。
そこで、私は、人権以外のテーマでも同じですが、人権についても地球市民に普遍的に保障される人権を具体化した地球憲法を構想し、これと整合性のある日本の憲法はどういう姿になるかを論じ合うべきだと考えています。そのことにより、私たちが直面している憲法論議はずっと実りの多いものとなるでしょう。また、各国での人権保障の最先端の動きは注目しておくべきです。
世界史の視点から人権概念の展開を見ると、十七、十八世紀に欧米で採択された人権保障の基本文書が人権の礎を築きました。しかし、自由、平等、博愛を基本とするこれらの文書は現在では古典的文書となっています。行政機能が権力行政中心だった時代には、権力の不当な侵害から個人を守ることが人権保障の主たる機能でした。しかし、その後の行政機能の変化は著しく、現在では給付行政が膨大な量となっています。複雑化した現代社会で、私たちは給付行政によって提供される基礎的サービス抜きには生活することはできません。そこでは人権保障は権力から個人を守ることにとどまらず、行政サービス施策の基本的指針となってきたと言えます。
こうした人権保障は、二十世紀になって社会権を含むことになりました。社会権は単なるプログラム規定ではなく、場合によっては立派に規範としての機能を有するものと考えるべきです。つまり、成熟度の高い社会では、給付行政によって維持する最低限度の生活水準が余りにも低過ぎると、人権保障規定に反し、個人に請求権を認め得ると考えるべきです。
さらに、社会権の今後の展開も大切です。環境権はその中で重要な位置を占めると考えられます。個人の行政に対する請求権というよりも、個人も行政もともに受忍すべき未来に対する義務という性格を帯びるのではないでしょうか。
自己決定権が人権概念の中で占める位置は、これまでになく重要になってきたと思います。現在では、人権概念の中核だと考えてもいいと私は思っています。自己決定権によって基本的人権と民主主義とが結び付きます。個人として尊重される主権者が自己決定をする機能が民主主義です。生活共同体としての地域の運営については地方自治体で、より大きい場面では国家で、さらに地球規模では国際機関で自己決定をします。個人的自己決定もあります。個人の自己決定で重要なのがインフォームドコンセントです。十分な情報提供を受け、決定に対し参加の機会が与えられることが必要です。
自己決定権の延長として市民自治があり、情報提供と参加の機会はこのような集団での自己決定の場合にも当然必要です。行政情報の公開は合意形成にとってはますます重要となっています。最近の司法制度改革でのリアルタイム公開は注目しておかなければなりません。参政権は国家の意思形成機能の面もさることながら、個人の自己決定の集合的処理方法でもあり、在日外国人の地方参政権はこの観点から根拠付けられます。また、国際社会での自己決定機能の展開は、二十一世紀の重要なテーマです。
人は、極めて未成熟な状態で生をうけ、複雑な過程を経て成長していく点で他の動物と大きく異なっています。個人が人格完成に向けて発展する権利は、人権保障上で重要さを、重要性を増してきています。教育権は、義務教育だけにとどまらず、社会の変貌過程で転職を余儀なくされる場合の職業能力の養成なども人権保障の内容を成すことになります。
人権保障は、実体面で規定されるだけでは絵にかいたもちとなります。特に日本の場合は、憲法の規定と現実とのギャップや日本の人権状況と国際基準とのギャップが大きな問題で、性差別はその顕著な例です。
そこで、手続面での保障が不可欠で、他のすべての国家機関から十分に独立した人権擁護機関を設置することが必要です。現在、人権擁護法制が国会のテーマとなっていますが、名古屋刑務所事件などに見られるように、法務省の下での人権委員会は十分ではありません。内閣府に設置すべきです。また、既存の行政府の下でなく、これを憲法上の機関として設置することも将来の重要な検討課題です。
さらに、国際的人権の充実が二十一世紀の重要な課題です。国際刑事裁判所条約による裁判機構は既にスタートしています。その他、拷問禁止条約とその選択議定書、国際人権規約と個人通報制度、国連の人権委員会などの機能の充実など、多くの課題があります。
北朝鮮による日本人拉致問題も、国際社会での取組を通じた解決方法も構想すべきです。例えば、国連人権委員会の仲介により拉致被害者と家族が対面して話し合い、帰国を実現させる、その一方で国連の機関を通じての人道的な食糧援助を行うことも考えるべきだと思います。
また、人権保障の中核となる個人の自己決定に際し、個人が依拠する価値や信条については多様性を最大限尊重しなければなりません。
地球憲法は、単一の価値や信条を前提としてはなりません。また、ある価値や信条が時間の経過や経験の積み重ねで変化していくことを認めなければなりません。特定の個人や国家の価値観や信条に基づき、価値観の異なる他の国家を崩壊させるようなことは地球憲法の認めるものではありません。民主主義の定着は息の長い寛容のプロセスを経て行われるもので、そのプロセスを経ない民主主義の押し付けは長期的に見るとかえって犠牲が大きいものです。イラク戦争とその後の復興の過程で間違いが起こることを懸念します。
参議院憲法調査会の次のテーマは安全保障です。人間の安全保障という考え方や、イラク、北朝鮮問題でも明らかなように、人権問題と安全保障問題は密接に関連があります。私は、人権と安全保障について、国連を中心とする国際機関の実効的措置や、そのための組織や機関の強化について日本は積極的に提案し、行動し、参加していくべきだと思います。
現在の日本政府はアメリカに気兼ねをして非常に消極的になっていますが、そんなことではいけません。国際刑事裁判所を始めとして、最終的には国連軍や国連警察軍の創設に至るまで日本は積極的に発言し行動すべきであることを最後に申し上げて、私の発言を終わります。
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