2004年4月7日 | >>発言原稿 |
159 参院・憲法調査会
安全保障につき自由討議。私が民主党の一番手として、12分ほど、民主党の考え方を述べました。現憲法の平和主義と国際協調主義の内容を、法規範としてしっかりと把握し、これを真に規範として機能するように、規定し直そうというものです。
○会長(上杉光弘君) 江田五月君。
○江田五月君 私は、かつて本憲法調査会の審議の始まりに当たり、私たち民主党・新緑風会の憲法論議に対する論憲との態度を明らかにしました。護憲とか改憲とかをあらかじめ定めずに自由に憲法の論議をしてみたい、みようというものであります。その後、党内でも論憲を進め、昨年の総選挙で発表したマニフェストでは創憲への発展を掲げました。今、党の憲法調査会で新しい日本を構想する新しい憲法に向けて議論を進めている最中であり、私はその事務局長です。
審議の初めにもう一つ、現憲法が占領権力によって押し付けられたものだから改正すべきだという立場は取らないと、このことも明らかにしました。その際にはそれ以上述べませんでしたが、この際、憲法制定過程についての評価を若干述べておきたいと思います。
占領下の現憲法制定に占領権力の関与があったことは事実です。そのことを日本国家の屈辱ととらえ、これを払拭するための憲法改正が必要だという意見もあります。しかし、憲法は主権国家の基本法ですが、いかなる主権国家も国際社会と無関係に自国の歴史を歩んでいるのではなく、世界とともに歩んでいることを忘れてはなりません。しかも、世界の歴史は、自由、平和、民主主義、人権、共生といった共通の価値の実現に向けて、つまり理想に向けて歩んでいます。もちろん、ジグザグコースをたどったり価値の内容が変わったりはします。日本は第二次大戦の過程でこの世界の歩みから外れていったのであり、敗戦と戦後改革は元の道に戻る過程だったと言えます。しかも、現憲法は世界が共有している諸価値を高く掲げているのですから、世界の歴史の流れに正に沿ったものになっていると評価できます。だから国民もこれを心から受け入れたわけです。
ここで、本日のテーマに即して現憲法の平和主義の原理を見ると、現憲法が世界の歴史の流れと正に軌を一にしていることに気付きます。
国民国家の成立以来、何とかして国際社会をルールの下に置こうという人類の努力が積み重ねられ、一九〇七年のハーグ条約、一九二八年の不戦条約で侵略戦争を違法としました。しかし、第二次大戦が勃発し、戦争の性格は無差別殺りくへと変化をしました。核兵器はその最たるものです。
この惨禍を乗り越えた世界は、国際社会の連帯強化を図り、個別の国家による武力の行使は原則的に違法とし、これを国際社会の連帯組織である国際連合に一元化しようとしました。これが集団安全保障という概念です。現憲法の平和主義は、正にこの国連の平和主義のルールと表裏一体のものとなっているわけです。
国連は、冷戦期には活動が大変に困難でした。しかし、冷戦が終わった今こそ国連の時代となっているのです。一国主義の行動が国連の活動に困難を与えていますが、戦争の違法化や国際社会のルール化に逆行するこの動きは世界史の流れにも逆行しているのであって、私たちはこの流れにさお差してはなりません。
以上述べたところからお分かりいただけると思いますが、私たちは、現憲法の平和主義の原則は、一国による武力行使の放棄と国連主導の集団安全保障への積極関与、この二点だと理解をしております。この二点は、武力衝突事案に対し、個別の国家による武力行使を禁止し、解決を国連の安全保障措置に一元化するという構想にのっとっているので、実は表裏一体のものです。そして、この構想は、憲法制定後、色あせるどころかますます光を増してきていると思います。
言うまでもないことですが、国連憲章も自衛権を認めています。しかし、それは緊急やむを得ないものであり、かつ、これに対する国連の集団安全保障活動が作動する間に限定されたものであります。すなわち、主権国家の自衛行動による対処を、国際安全保障構想の中で例外的位置を占めるものとして、個別的であれ集団的であれ、自衛権を認めているのです。その範囲において自衛隊は合憲であると言えます。もちろん、自衛の域を超えて戦争を行うことは当然違憲ですし、そのような能力を持つことも認められません。したがって、専守防衛その他の防衛力整備に当たっての原則は憲法上の強い制約を持っています。
現憲法は、この二原則を、これを制定した時代の制約の中で表現しました。時代の制約とは、一言で言えば日本が敗戦によって戦後の国際社会の構築にかかわる地位を失っていたということです。具体的には、第九条で国際紛争解決の手段としての武力行使の放棄と、その能力の不保持を規定したものの、国際社会へのかかわりについては前文で幾分抽象的表現があるのみということにとどまってしまったということです。
しかし、その後、日本は独立し、冷戦時代を経てこれが終了し、二十一世紀になりました。今では敗戦後という時代の制約はもうありません。いや、むしろ冷戦終了後という時代に私たちはいるのです。冷戦を第三次世界大戦と考えてみてください。第二次世界大戦終了後の国際社会の構築は、日本はかかわることはできませんでしたが、第三次世界大戦終了後の国際社会の構築には、日本はかかわらなければなりません。その責任を負った、そういう国になっているのです。
ところで、二十一世紀の世界と日本の状況の中で平和主義の二原則を遵守するためには、今の憲法の表現ぶりが有効なのでしょうか。
私たちは現状でのイラクに対する自衛隊の派遣に強く反対しました。それは、法の支配を無視するがごとく、国連の決議や国連憲章の規定をないがしろにして、憲法が禁止する単独主義的な武力の行使を断行したからであります。それと同時に、私は、現憲法の規定は、今日生じている新しい問題に対処するには補うべき点が少なからずあるのではないかと考えています。
第九条を文字どおり理解すると、イラクどころか、自衛隊の保持自体も怪しくなり、絶え間ない神学論争に陥ってしまいます。その上、いったんその保持を認めると、第九条ではその活動に何の歯止めもできず、活動地域は世界に広がってしまいます。日米安保の極東条項さえ今や有効に機能しないと、していないという始末です。このままでは第九条は規範としての機能を失ってしまいます。
そこで、現憲法の平和主義の二原則を堅持しながら、表現ぶりにおいても、国民の意識の面でも、規範としての機能を持つように新しい表現を採用することを大胆に検討すべきではないかと考えます。
集団安全保障に積極的に関与するということは、国連の実力部隊の行動に参加するということです。国連には憲章に規定された国連軍がまだできていません。それどころか、近い将来できるという見通しはありません。しかし、国際社会における軍事的な実力の行使は国連の警察的機能に一元化し、すべて国連の意思決定に従って行うようにするという理想を失ってはいけません。もちろん、国連の改革は当然の課題です。
そこで、私たちは、日本は、平和構築に対し積極的にかかわる機能まで持つに至ったPKOにしても、国連の意思決定に裏打ちされた多国籍軍の行動にしても、これに責任を持って積極的に参加すべきであると考えます。その際、日本がこのような活動に参加するための部隊としては、日本の主権の行使に携わる自衛隊ではなく、国連待機部隊とすることを私たちは今検討しています。両組織、自衛隊と待機部隊との関係についての細かな議論は省略しますが、機能的な連携が必要なことは言うまでもありません。無駄を省くことも大切です。ここで肝要なのは、国威発揚的発想からの脱却です。
自衛隊は、自衛権の行使に当たります。集団的自衛権についての議論があります。現憲法の解釈変更でこの行使を認めることは民主党は考えていません。いずれにせよ、個別的でも集団的でも、平和主義の精神からすれば、行使は抑制的に、必要最小限にすべきことは当然です。
集団的自衛権の定義を内閣法制局のとおりだとすると、集団的自衛権の行使を認めることによって、日本の平和と安全から極めて遠い地域にまで自衛権行使の範囲を及ぼすことになります。個別的であれ集団的であれ、自衛権そのものを国連憲章の規定に従って位置付け、同時にその限界を示す規定を憲法の中に明記することを検討すべきではないかと考えます。
国連安保の地域版として、地域安全保障システムを構築する必要があります、創憲ではここまで視野に入れるべきだと考えますが、今日は時間の制約上、問題点の指摘にとどめます。
二十一世紀には、ますます国際協調が進み、主権国家の制約は強まり、確立された国際法秩序の下で、地球上のいかなる紛争の解決についても法の支配に基づく行動が求められるようになるだろうと思います。いずれにしても、私たちは今、地球憲法を構想する、そんな時代を迎えているのだろうと思います。
私は、国連創設のときに世界が共有した理想の旗を決して下ろしてはならないと思います。逆に、今こそこれを高く掲げる時代だと思います。理想の旗は、下ろすと、一度下ろすと、次に掲げるのは容易なことではありません。むしろ、今こそ、国際社会に法の支配をあまねく及ぼすために、例えば国際刑事裁判所条約を早く批准をするとか、課題がたくさんあります。
このような地球憲法を構想するといったスケールの大きな視野が今求められているということを改めて強調して、私の発言を終わります。
以上です。
2004年4月7日 |