1983/03/18 |
98 参議院・予算委員会
校内暴力 子を持つ親の悲鳴に耳を!
江田五月議員は、今国会から新たに予算委員としても活躍していますが、去る三月一八日、参議院予算委員会で総括質問に立ち、教育、憲法、政治倫理、外交・軍縮、財政、政治におけるりーダーシップの問題などをとりあげました。この、主として中曽根首相との一時間半にわたる白熱した論戦の模様は、一部始終、ラジオ、テレビを通じて全国に報道されました。
マンモス校なくせ
江田議員は先ず、全国民の心を痛めている教育問題、とくに、校内暴力の問題で「校内暴力には多くの原因があるが、なかでも学校の規模が大き過ぎることが問題だ」と、校内暴力の発生にマンモス校が多いことを指摘し、政府の姿勢をただしました。
折しもこの日、六〇名の警官に立ち合われて卒業式を迎えた東京・町田市の忠生中学は、生徒数一四三七名で三六学級。
「義務教育国庫負担法』の定める学校規模は二四学級が基準。江田議員の質問によって、現状は、法の基準に反し、三七学級を越えないと、学校の分離・新設が検討されていないことが明らかになりました。そして瀬戸山文部大臣は「今後は、分離して適性基準に近づけるよう改善する」と約束しました。
さらに江田議員は中曽根首相に対し「P3C一機が百三〇億円。それを七機計上しているが、学校一つの新設費は一七〜八億円。教育予算が切られ過ぎているのではないか」「中曽根さんは、お茶の間直結の政治と言うが、子供を持った親の悲鳴に耳を貸す気持はないのか」と迫りました。これには、とかく口かずの多い中曽根さんもダンマリ。
憲法の理想の実現を
次に憲法問題について、改憲論者の中曽根首相に「老人、医療、障害者、教育問題などをみても、憲法の理想を実現するために、政治家はもっと頑張らなくてはならない。憲法改正など考えている暇はない筈だ。中曽根内閣の閣僚は憲法改正を口にすべきではない」と主張。中曽根首相は「閣僚にはそのことを徹底した。憲法改正を政治日程にのせることはない」と答弁しました。
政治倫理の問題で江田議員は「中曽根さんは、タブーをなくしてオープンに議論しようと言われるが、政治倫理、田中元首相の問題では、自らタブーをつくって、固く口を閉ざしているのはどういうわけか」と追及し、田中元首相辞職勧告決議案に対する考えなどをただしたところ「今は何も言えません」「江田さんは元名裁判官。誘導尋問は困りますねェ」などとひたすら逃げの一手。
政治家はエリを正せ
江田議員は、こうした中曽根首相の姿勢に対し、満身の怒りをこめて糾弾――、「もし裁判官が、自らふしだらなことで起訴されていながら、そのまま人を裁き続けたら、人はその裁きに従うか。警察官が自ら収賄で起訴されながらそのまま人を取調べたら、誰がその取調べを受けますか。同様に、政治家が地位を利用して賄賂を受けたとして起訴されているのに、国会に居座って法律や予算を決める。国民に法を守れ、税金を払えと言う。これではマジメなものはバカらしくなる。これで、国民の政治に対する信頼が保てると思うのですか!」。江田議員の、もともと太い声が委員会室に炸裂。
江田議員の国会質問は、ときには大声を張りあげることもありますが、全般に、派手な爆弾質問で相手を攻撃、吊るし上げるというよりも、じっくり議論をつめていくスタイル。国民にわかり易く聞かせ、国政を前向きに動かしていこうという姿勢に好感が持たれています。今回の質問でも、自民党・中曽根内閣の誤った行き方、政策が浮き彫りになり、国民の痛切な声を代弁してくれた、との声が多数寄せられました。
○江田五月君 私は、新政クラブを代表しまして、総理並びに関係の閣僚の皆さんに質問いたします。長丁場になりましてどうも大変ですが、総括質問第一巡目の最後ですので、どうぞよろしくお願いします。
最初に、総理の政治姿勢といいますか政治の手法についていろいろお伺いをしたいんですが、総理は、まだ総理になられる前、総裁になられました後の記者会見で、中曽根政治の特色を、まあわかりやすい政治、国民に語りかける政治とかお茶の間直結と言われているようですが――ということをおっしゃいましたですね。このことをもう少し敷衍して説明をしていただけますか。
○国務大臣(中曽根康弘君) 私は昔、首相公選論というのを唱えたことがございます。それで、そのときにスローガンとして、恋人と首相は自分で選ぶと、そういうようなスローガンを言ったことがあります。まあそれはやはり直接民主制に近い発想を持っておりまして、総理大臣のようなものはやはり国民が自分で選ぶ方がより安定的になるんじゃないか、また民心がそれで導通するんではないか、そういうように考えて言った。まあそういう基本的な考えは私にいまでもあるわけです。特にいまのようなこういうむずかしい、外国との関係が非常にむずかしくなってきた、あるいは国内におきましてもいろんな問題が出てきた、こういうときには国民の皆さんのお力をおかりしなければ、こういう重大な時局はとても乗り切れるものじゃありません。国民の皆さんのお力をおかりするにはどうしたらいいかといえば、国民の皆さんにわかっていただいて、そうして強力に支持していただく以外にない。
そういう観点から、まずわかりやすい政治ということで国民の皆さんにわかっていただこうと。そうして、よく理解した上で判断をしていただいて、そうして応援していただこうと、そういう考えに立ちまして「わかりやすい政治」ということを申し上げ、まあそういう考えに立って努力しているという次第でございます。
○江田五月君 大変結構だと思うんですけれども、そこで、各閣僚のテレビの、国の施策のPRなどにもひとつ今度は総理が御自身でどんどんお出になってお茶の間に入っていって、お得意の語り口でお茶の間の皆さんと直結しようという、そういうことになられるわけですか。
○国務大臣(中曽根康弘君) 私はそういう考えを持っておるんです。できるだけ国のトップリーダーはテレビやそういうところへ出て、ラジオにも出ていって、できるだけ国民の皆さんの声を直接聞いたり、また、自分の考えを聞いていただく機会を設けたい。もとより国会は大事であります。代議政治でありますから、議会、国会というものは非常に大事なところであると思いますが、また一面において、その国会を生み出している基礎である、主権者である国民の皆様というものと、この政治のリーダーというものが直結して話し合う、あるいは意見を聞くということもまた非常に重要である。両方重要視してそのように申し上げておる次第であります。
○江田五月君 しかし、どうもそこまでの話は結構なんですが、総理からお茶の間へというこの通行はどんどんやっていかれると。だけれども、一方で、お茶の間から総理へという方は一体どうなるのか。お茶の間直結ということになると、総理からお茶の間へもどんどん行くかもしれないけれども、お茶の間から総理というのもなければいけないし、特にいまおっしゃったいろいろな問題がある、自分の考えをわかってほしいと言われるならば、国民の方だっていろんな問題をいま抱えておるわけですから、国民がいま抱えておる問題を総理が一生懸命に聞くという態度も必要だと思いますが、そちらの方が欠けているんじゃないかという気がしますが、いかがですか。
○国務大臣(中曽根康弘君) 江田さんも大臣や総理大臣はおなりになってやってみるとおわかりだと思いますが、やっぱりテレビやなにか、あるいはテレビの座談会等で言った言葉は非常に全国の皆さんよく聞いておられるようです。それで非常に手紙が参りますし、あるいは電話をかけてくる方々も多いんです。恐らく閣僚の皆さんもテレビやなにかへ出た場合には非常に反応のある手紙や電話が多いと思います。それぐらい国民の皆さんはいま知識程度は高くなっておりますし、これだけ情報化した社会で、日本ぐらい情報が国民の茶の間のところへ多量に入っている社会はないと思います。それぐらい高度の成熟した社会になっておりますから、私らがここで申し上げたことは、すぐびりびりっと全国に響いて、われわれが考える以上に反応が強い、それがやはり一種の対話をつくっておると私考えております。
世論調査を見ましても、中曽根の場合は賛成か反対かが非常に明確に出てきて、真ん中のよくわからないというのは減ってますね。これはやっぱりそういう直結してきている影響じゃないかと思っております。
○江田五月君 大分直結してきているようで、国民の反対の声が強くて、中曽根さんの政治もかなり変わっておられる、変わってこられたというように理解したいんですが、本当に国民の声が届いているかどうか、いろいろこれから聞いていきたいと思うんですね。
いま非常に残念なことに、きのう、きょう、あすあたり卒業式のシーズン。本来なら卒業式というのは非常にうれしい、華やいだ、まあある意味では悲しい別れでもありますけれども、儀式なんですが、最近ずいぶん違いますね。中学校、特に暴力、この学校内暴力の現状というのを総理はどう認識されておりますか。
○国務大臣(中曽根康弘君) 非常に残念なことでございまして、学校の、特に中学校の状況を見ますと、悲しみにたえないというのが私の心情であります。
しかし、どうしてこういうふうになったかということを考えますと、これは学校だけの責任でもないし、先生だけの責任でもないし、また、いわんや子供の責任でもない。やはり時代の流れあるいは戦後三十数年にわたる間のいろんなものの蓄積の上に今日のこういう問題はできている。そういう意味において非常に根は深いぞと、この深い根をどういうふうに改革していくかという非常に謙虚な姿勢でこの問題に取り組んでいかなければならぬ、そう考えております。
しかし、目前に迫っておる卒業式に対する暴力やなにかが起こることは、これは予防しなけりゃなりませんから、全国の教育委員会におきまして、いま必要なそれぞれの措置を講ずるように、この間文部省は連絡迎給したところでもございます。
○江田五月君 私ども、どうもこの総括質疑というのは初めて立つものですから、多少緊張しまして、けさ、ずいぶんまだ暗いうちから目が覚めまして、中学生なんですが娘がおりまして、お父さん「積木くずし」という本読みなさい、こう言われて、朝早く起きて読んだのですが、総理はこの「積木くずし」という本を御存じですか。
○国務大臣(中曽根康弘君) その本の名前は最近聞さました。おまえも読めと言われておる本であります。
○江田五月君 これは、どのくらい国民にいま売れているか御存じですか。
○国務大臣(中曽根康弘君) その辺までは、まだ調査が行き届いておりません。
○江田五月君 二百五十万部というんですね、けさ、私、本屋に電話して聞いてみたんですが。つまり、国民の中に大変にいま非行の問題について関心が深い。木当に皆悩んでおる。一体どうしてこういう非行が起きてくるのか。みんな自分の――私も子供がおる、総理はお孫さんですか、いらっしゃると思いますが、本当にしつけと言われますけれども、どうやってしつけていいかわからないというのがいま親の本当の悩みになっているんだと思うんですね。
忠生中学の事件というのは、一体総理はどうごらんになりますか。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 忠生中学だけでなしに、残念ながら最近特に、以前は高校の問題がありましたけれども、中学、低学年に移っておるということでございまして、これは先ほど総理もお話がありましたし、世間でもいろいろ言われておりますように、原因が非常に複雑になっておる。個別に言いますと、やはり全部の子供がそうであるわけじゃないんですから、本人の資質といいましょうか、にもよる。それから家庭の問題、家庭のしつけといいますか、家庭教育という面に欠ける家庭環境が、経済発展の裏に残念ながら御指摘のように核家族その他の問題がある。それから学校の教師の面にも、学校教育の面に欠けるところがある。社会全般も戦後の経済発展の裏で、それからもう一つ、自山といいますか、権利といいますか、自我意識だけ大きく発展して、他人に対する思いやりがない風潮がだんだん広がってきておる。こういう問題が錯綜しておりますから、忠生中学だけの問題じゃありませんが、そういうことが学校でみんなが、使命感を持って子供を教育するところが足らなかったというところも指摘されておりますが、こういう問題を細かく分析して、一挙にというわけにはいきませんけれども、逐次、これはもう学校あるいは家庭ということでなしに、全国民がこの状態について反省すべきは反省し、力を合わせて進まなければ将来非常に心配がされる、かように考えておるわけでございます。
○江田五月君 学校が荒れていると、これは結果ですね。子供が学校の中でいろいろ暴力をふるう、それが学校が荒れる原因になっているかもしれませんが、子供が学校の中で暴れることもこれまた結果なんですね。子供が悪いとかなんとか言ってみたって、子供に責任をなすりつけるわけにいかない。現に起こっていることに対して厳しく対応するとか、これはもう幾らでもありますし、私自身も前に少年事件を裁いておったときに本当に厳しい――ちょっとしたことで少年院に送るようなことをやったこともありますが、厳しくやることは幾ら厳しくやっても、しかし子供がけしからぬと言ってみても実は始まらない。それも一つの結果で、子供は親のかがみですから。
そこで、いろいろな原因が積み重なってここにきているんですが、ひとつ学校の規模ですね、学校がどのくらい大きいかということと、学校がどれほど荒れているかということの間に関係がありはしないかなという気がするんですが、学校の規模別の、学校内暴力がどのくらい起こっているかというようなこと、これは明らかにできませんか。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 規模別の統計等はもし調査があれば事務当局からお答えいたしますが、学校の規模が大きいということは必ずしも適当でないと思っておるんです。ただし、学校の規模が大きいから、これが全部そうなるというわけにもまいらない。たとえばいま問題になっております忠生中学校、これは千二百名ぐらいの生徒ということだそうでございますが、私はたまたまほかの用で先般広島県に行きまして、府中町でございますが、府中中学校の状況を聞きました。これは千四百名、少し大き過ぎるなという話をしたんです。あそこは東洋工業という大きな、御承知の工業があるところです。やはり学校というのは私はせいぜい七、八百人、小中学校ともそのくらいなのが一番理想じゃないかと思いますが、残念ながら人口集中地帯等では分散して学校をつくる場所がない。どうしても土地の問題その他で、集まる生徒を収容する施設をしなきゃならない。よし悪しの問題でなしに、そういう日本における特別の制約がある。しかし、それは一つの現象でありまして、できるだけ学校は適当規模、企業にも適正規模というのがありますが、そういうことに努めていく必要があると、かように考えておるわけです。
○江田五月君 忠生中学の場合はどのくらいの規模ですか。
○政府委員(鈴木勲君) 忠生中学校は学級数が三十四学級、教員の数が六十四名、生徒数が千四百四十九名でございます。
○江田五月君 学級の基準というものは、これは行政上どのくらいの基準になっているんですか。
○政府委員(阿部充夫君) お答えいたします。
学校の適正規模につきましては、学校教育法施行規則の規定がございまして、小中学校の場合「十二学級以上十八学級以下を標準とする。」ということになっております。
○江田五月君 そんな基準が守られておりますか。
○政府委員(阿部充夫君) 標準でございますので、これが望ましいという姿であろうかと思います。これがかなり大きくなってまいりますと、分離をするように文部省としても指導をしておるわけでございます。
○江田五月君 法令上は、一体どの程度の学級数になったら分離ということになるんですか。
○政府委員(阿部充夫君) 法令の規定は格別ないわけでございますけれども、一般的には三十学級を超えるところで分けるというのが実態として多いと思っております。
○江田五月君 三十学級程度で分離していますか。
○政府委員(阿部充夫君) 実態といたしましては、先ほど大臣からもお答えいたしましたように、いろいろ土地の確保の問題あるいは位置をどうするか、学区をどうするかといったようなことで、地域住民との関係等いろいろ問題がございますので、必ずしも円滑に進んでいない面があるかと思っております。
○江田五月君 三十七学級を超えるぐらいになって初めて分離だとかいうような話になっていると聞いているんですが、そんなことはありませんか。
○政府委員(阿部充夫君) 文部省といたしましては、各市町村からの計画を尊重いたしまして、分離に係る校舎の整備につきましては優先的に一〇〇%補助採択をいたしておるわけでございまして、そういう方向で努力をしておるわけでございます。
○江田五月君 それは何学級以上ですか。
○政府委員(阿部充夫君) これにつきましては何学級以上ということを決めておりませんので、標準規模を超える学校が標準規模に近づけるように改善をしたいというものについては全部対応したいと考えております。
○江田五月君 いずれにしても、先生一人が把握できる生徒の数というのは、これはそんなに多くはないんですね。考え方によると、恐らく教師一人に全校生徒三百人から四百人ぐらいが限度じゃないか、学校というのはそんなに大きかったらいけないんだと。それは、先生一人一人が皆、この子はこういう子供で、この子の家庭はこうで、地域はこうなっていてと、そういうことがわかって初めてその子とのいろいろなつながりができてくるわけです。それがわからないと、とんでもないことでとんでもないことを言って子供を傷つけるというようなことがごろごろあるんですね。
私は何も、子供を甘やかすという意味で言っているわけじゃないけれども、子供は選挙権も被選挙権もないですから、どうもこういうようになりますと、子供の意見というものはまるっきり入れられないので、やはり若い政治家として子供の意見も言わなきゃならぬと思いますが、大変な大きさになってしまった学校を分離するのに大体どのくらいお金がかかるんでしょうね。
○政府委員(阿部充夫君) 中学校のケースで申し上げますと、標準規模の中学校十八学級といたしまして、それをつくる場合の、これは試算でございますけれども、経費といたしましては、校舎の建設に約六億円でございますが、その校舎本体のほかに、屋体でございますとかあるいは柔剣道場、プール等も逐次つくっていくというのが通常でございます。さらには用地費、用地を新たに取得する必要がある場合には用地費の手当てが必要ということになりますので、校舎のほかに用地費まで含めた総額といたしましては中学校一校で十七億から十八億ぐらいの金額が必要であろうと、こう考えております。
○江田五月君 やはりそう安い額ではないんで、なかなか大変であることは確かなんですが、しかし、総理、この総括の中で防衛の問題もずいぶん議論になりましたけれども、私も防衛の問題を決して軽んずるつもりはありませんが、しかし子供たちがこんな状態で、これで一体日本という国はどうなるんだということを考えなきゃならぬ。私は、総理はどうも大蔵省がせっかくつくった原案をいろいろと鉄砲、大砲のところだけはふやして教育の方は削るというようなことをやられたわけですが、やっぱりP3C一機百三十億円七機要求、ちょっと教育の方が切られ過ぎているんじゃないかという気がしますが、いかがですか。
○国務大臣(中曽根康弘君) 国会の委員会におきまして福祉や教育の問題が真剣に論ぜられることは大変結構なことであると、私も歓迎する次第でございます。防衛費の問題と福祉や教育の費用の問題というのは、要するに国政上の選択の問題でありバランスの問題であります。日本がいままで三十数年たどってきたいろいろな政策の中で、国際的に見ましても防衛面が非常におくれておる。そういう意味において日本はEC、ヨーロッパからもあるいはアメリカからも孤立しかねまじき危ない情勢にきておったのであります。そこで、ある程度防衛面にも力を入れて自由世界における国際的孤立を防ぐ、そういう面もございましてある程度力を入れたということは事実でありますが、これによって日本の国際的孤立が防がれて、ある程度小康状態を呈して、そしていま世界的に自由世界からそう非難の声がなくなってきたということは、これは皆さんもお認めいただけるだろうと思います。そういう考えでやったということを御承知願いたいと思います。
○江田五月君 総理はアメリカへ行かれていろいろと言われたので大変だったとは思いますが、しかし、お茶の間直結と言われるなら、お茶の間ではいま子供を持った親が父親も母親も、子供自身も悲鳴を上げているんです。その声をどうぞ忘れないでいただきたい。
次に、総理のもう一つの政治手法といいますか、リーダーシップということをずいぶん強調されるといいますか、これは総裁選で勝利をおさめたときの記者会見でリーダーシップということを発言され、アメリカへ行かれたときの、私もちょっと読ませていただいたんですが、ワシントン・ポストの記事の中では、なかなか、リーダーシップを持ってこれからやっていくんだ、いままでと違うんだというような、ある意味で気負いのようなものが見られるんですが、このリーダーシップの政治ということについてどういうお考えをお持ちですか。
○国務大臣(中曽根康弘君) 民主政治というものは、リーダーシップなくしては私は円満に、うまくいかないと思っております。つまり、リーダーシップを生む方法をみんなでやるというのが民主政治におけるやり方なのでありまして、万人が万人の敵であるとか、あるいはカオスの状態で民主政治はうまくいくはずがない、秩序整然としてそういう指導力を生んでいくというやり方だと思います。これはイギリスにおいてもサッチャーさん、あるいはアメリカにおいてもレーガンさん、つまり民主主義国家においては、やはり行政の上に立つ方々はそれなりの見識やら、あるいは指導力を持っておる、しかしそれはその党内あるいは国民というものの関係における理解と協力の上にそれができている、これが独裁と違うところであります。民主的意味におけるリーダーシップはやはり必要なんだと私は思っております。
○江田五月君 レーガンさんとサッチャーさんしか例が挙がってこないので、その辺も問題だという気はするんですが、しかしいずれにしてもいまの日本の政治の中で、これまでの政治の中でリーダーシップということがちょっと欠けていたという点は確かにあると思うんですね。
ただ、それじゃ総理のとられるリーダーシップというのはどっちの方向なのかということについて、国民はリーダーシップを望んでいない、総理がリーダーシップをどんどん発揮されるから総理の人気がどんどん下がっちゃった、そうじゃないと思うんですね。何かのリーダーシップは国民は望んでいるんだ、だけれども総理のリーダーシップを持って引っ張っていく方向は嫌だよというのが最近の世論調査の傾向じゃないかという気がしますが、いかがですか。
○国務大臣(中曽根康弘君) ある程度むずかしい問題を解決するときには、毀誉褒貶にとらわれないで、そして虚心坦懐にやるということも必要だと思うんです。余り毀誉褒貶ばかり考えていると正義が実現されないということもあり得る。もちろん民主政治でありますから、国民世論の動向、国民の皆さんは何を欲しているか、そういう点はよく考えてやらなきゃならぬ、これはもうイロハのイの字に当たる問題ですね。そうであると思いますよ。
しかし、非常に問題が山積してむずかしいという、そういうときにはある程度政治家が決断をして、そしてそれを国民の皆さんによくわかっていただいて、御協力をいただきながら政治家が先頭に立って進むということが必要ではないかと思うんです。
私のやり方がそれに値するかどうかは、これはまだわかりませんが、ある程度毀誉褒貶を超越して、そして自分が正しいと思ったことをやるということは、やはりこういう危機的様相を呈するとか、非常に混乱が激しいというときにはある程度必要ではないかと思っております。
○江田五月君 それにしては何か発言の中身がずいぶんお変わりになったんではないかという気がするんですが、たとえば憲法、総理の憲法観というものは何かいろいろ変わったような気がしますが、いま最近の憲法観というのはどういうことになっているんですか。
○国務大臣(中曽根康弘君) 私の憲法観は一貫して変わっておりません。
○江田五月君 変わっていないというのは、この予算委員会、参議院の予算委員会総括質問の二番手でしたか、嶋崎先生の質問でお答えになったああいう憲法観ですか。
○国務大臣(中曽根康弘君) そのとおりです。それは昭和三十七、八年ごろ憲法調査会の委員として私が発言した総括の部分を読んでいただけばああいうことが言われておるんで、私は一貫してそういう考えを持っておる。ただ、新聞やテレビはいわゆる私のタカ派の部分しか報道しない。本当の中曽根を報道してませんよ。本当の中曽根を見ていただけば、この間申し上げたようなことが根底にあるのである。そういうことをよく御認識願いたい、江田さんもよく読んでいただきたいと思います。
○江田五月君 私は、中曽根さんは、いまの憲法は貴重であると、すばらしいと、しかし完全無欠の法令というのはないのだから憲法改正のことを一生懸命勉強するのはいいのだと、これが中曽根さんの考え方だと理解しておったんですが、違いますか。
○国務大臣(中曽根康弘君) それは私は私なりにいいところと悪いところは、悪いと言っておるとちょっと弊害がありますが、欠陥のあるところはちゃんとよく知っております。それはいま内閣総理大臣であるから、しかも中曽根内閣は憲法改正問題を政治日程にのせないと言っておるんですから、それに誤解を与えるようなことは慎んでおるので、私は申しません。しかし、私なりに個人としてはいろんな考えも持っておる。しかし、その中でいままで誤解を与えているような印象が報道に流れている、それは直しておかなきゃいかぬと、自分の真実の声はこういうことなんだと、こういう憲法調査会の私の総括発言にもちゃんと載っておると、その点をこの間は申し上げて、そういう間違った印象を直そうと、そういうことで申し上げたのであります。いいところもあればまた考えるべき点はあるというのは、人間の制度一般としてどこにもあることであります。
○江田五月君 総理は、いま日本国憲法が考えているような姿が日本の現実の中に実現されていると思われますか、なかなかそうもなっていない、まだまだ大変だと思われますか。
たとえば憲法二十五条ですね、先ほども前島さんの質問なんかいろいろありましたが、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」、権利義務ということで考えるのはいやだという方もいらっしゃるかもしれませんが、これはプログラム規定ということで、日本国というのはそういう国になっていくようにみんなで努力をしていくんだという、そういう意味の規定ですね。それがいま現実に実現をしておるのか、まだまだがんばらなければならぬということなのか、どうでしょうか。
○国務大臣(中曽根康弘君) 私はいまの憲法を非常に評価しているということは前から申し上げておる。戦争前の日本と戦争後の日本が非常にはっきりと変わったと、それはどこで変わったかと言えば、やはり憲法の力が大きいと、基本的人権の尊重とか、平和主義とか、あるいは自由主義、民主主義、それから国際協調主義、それから福祉国家の理念、こういうことをいつも私は挙げて申し上げておる。福祉国家の理念にいまの点は当たる点でしょう。これは非常にりっぱなものであると、私は前から申し上げておるわけであります。
○江田五月君 私が聞いたのは、その理念はいまの日本に完全に実現しているんでしょうか、まだまだやらなければならぬことがたくさんあるんでしょうか、どちらでしょうかということ。
○国務大臣(中曽根康弘君) まだまだやらなければならぬことがたくさんあると思っています。
○江田五月君 私どももいかなる法令も完全無欠というようなものは、それはないのだと、いまの憲法もそれは完全無欠、もう未来永劫絶対変わらないという、そういうものかと言われると、それはそうじゃないでしょうと。しかしいまの憲法の貴重な点、すばらしい点がたくさんあって、この憲法の理想を日本の現実につくるために政治家というのはがんばらなければならぬのだと。
たとえば老人の問題を見ても、病気の問題を見ても、障害者の問題を見ても、教育の問題を見ても、何を見てももっともっと憲法の理想を日本に実現するために、いまこの時代に生きている政治家はがんばらなければならぬのだと、憲法改正のことなんて考えている暇はない、これがいまの政治家の役割りだと思いますが、いかがですか。
○国務大臣(中曽根康弘君) 江田さんの御見識として承っておきます。
○江田五月君 総理はそういう見識はお持ちくださいませんか、私と共有されませんか。
○国務大臣(中曽根康弘君) 私はさっき申し上げましたように、この憲法の非常な長所についてはっきりした認識を持っておるんです。したがって、そういう長所についてはあくまでこれを実現するように努力すべきであるし、またこれは維持すべきである、発展さすべきである、そういうふうに考えておるのであります。したがいまして、いまあなたがおっしゃったようなそういう長所に国を近づけていく、さらに努力していくということは正しいことであると思っております。
○江田五月君 中曽根内閣は憲法改正を考えない、これはおっしゃいましたですね。
○国務大臣(中曽根康弘君) 正式に申し上げると、憲法問題を政治日程にのせることはいたしませんということですが、簡単に言えばあなたのおっしゃるようなことです。
○江田五月君 そうしますと、いま私が申しましたような憲法改正など考える暇はないんだ、一生懸命政治家がんばらなきゃならぬ、仕事が山ほどあるんだ、こういうことは御理解くださっているんだと思うんですが、それならば閣僚の皆さん方の中で憲法改正というようなことを言うのはもう許さないぞというような、そういう決意を示していただきたいと思うんですがね。
○国務大臣(中曽根康弘君) 閣僚である間は私が申し上げたような線に沿って発言してほしい、そういうことは申し上げてあります。
○江田五月君 リーダーシップが、誤解か正解かわかりませんが、国民にこのリーダーシップはちょっと変な方向だぞというように受け取られて、総理も御自身のお考えになっていることをさらに正確にということで御努力されているんだと思います。
次に政治倫理についてのリーダーシップ、これをちょっと伺いたいんですが、いまたとえば私どもに対しても、あなた方も政治家を商売でやっているんだろう、余りきれいごとばかり言わずに少しはだれかさんのまねでもしたらどうか、こういうようなことをいろいろ言われる人がおるんですね。総理、これ、そういうことを言われてどうお感じになりますか。
○国務大臣(中曽根康弘君) 何を意味しているかよくわかりませんが、正しいことをやれ、悪いことはやるな、正々堂々として政治家の道を歩め、もしそういう意味であるならば、私はそれはりっぱな言葉であると思います。
○江田五月君 政治家というのもどうせ――まあ普通に人がいろいろと生活を立てるために仕事をしますね。商売やる人は商売します、お勤めの人は勤めてそこで働きます。政治家というのも自分の生活を維持するために政治家の仕事をやっているんだから、せいぜい余りきれいごと言わずにもうけたらどうですかということを言う人がたくさんおるんですよ、いま。
○国務大臣(中曽根康弘君) 江田さんも名裁判官であった由ですが、誘導尋問はどうも困りますね。
○江田五月君 誘導尋問ではなくて、――敵性証人には誘導尋問が許されるんですよ。いや敵性というのはちょっと言い過ぎですが、ちょっと言いたいことは理解してほしいんですね。
いま政治家に対する国民の信頼というのはずいぶん下がっているという現実を一体どう認識されていますか。そういうことはないとお思いですか。
○国務大臣(中曽根康弘君) いつ、いかなるときにおきましても民主政治は国民の信頼の上に成り立つものでありますから、信用をいやが上にも増すように努力しなければならぬと思っております。
○江田五月君 私は、いま本当に国民の中に政治家に対する不信というものが非常に強い。このことはもう日本にとって大変な問題だと思うんですね。日本というのは、これはもう私が何も言う必要もないんで、貿易によって立っている国、ちょっと何かがあればこの日本の経済だってどうなるかわからない。何か起こったときに国民の皆さんに自制を説き、倹約を説き、がまんしてくださいということを言うのはやはり政治家でしょう。そういうときに政治家が何か言えば、どうせあいつらは自分らでもうけているんだから、どうせ彼らの都合で言っているんだからということになってごらんなさい、これは国がむちゃくちゃになるわけですね。そういう意味で、政治家に対する国民の信頼、信用、これはもう日本にとっては最も重要な課題だと思いますが、いかがですか。
○国務大臣(中曽根康弘君) そのようにも思います。また、その信用の上に政治家が適切な政策を行う、そうして国利民福を図っていくと、そういう点について研さんすることもまた政治家としては期待されているところだと思います。
○江田五月君 どうもこの点になりますと総理、タブーはないんだと言いながらなかなかタブーのようになってしまう感じがあるんですがね。
田中元総理に対する辞職勧告決議がいま衆議院でこれから議論になっていくということですが、これはどういうふうに取り組まれますか。自民党総裁としてお答えください。
○国務大臣(中曽根康弘君) この問題は衆議院の議院運営委員会のもうすでに議題に上っておりまして、各党が所見をみんな発表して、そして政治的なアイテムになっておるわけです。政治日程に上っておる案件になっておるわけです。自由民主党といたしましては、自由民主党の代表が先般議院運営委員会においてその所見を申し上げたとおりであります。私は自由民主党の総裁でありまして、その自由民主党員の考え方を支持しておると。いま各党間のそういう案件に登場しておる段階でございますから、各党の間でこの問題がどういうふうに取り扱われていくか注目して見ておるところであります。
○江田五月君 政治倫理の問題は、第一に、第一義的に政治家個人の課題であるということをおっしゃいましたね。それはちょっと誘導尋問ですがどうですか。
○国務大臣(中曽根康弘君) それは発生原因はそうですから、また政治家個人の倫理性というものは議会を支えていく基礎でもありますから、そういう意味においてはそうですけれども、国会の議院運営委員会という委員会の政治的案件として登場したというこういう段階になりますと、これは政党間のいろいろな交渉あるいは取り扱いというものによってこれは動かされていくものでありまして、それを注目しておるということであります。
○江田五月君 政治倫理の問題がまず第一に一義的に政治家その一人一人の個人の問題であると。
それならばですね、その各党間の交渉とかなんとかということでなくて、この政治倫理の問題、田中元総理の辞職勧告決議の問題については、党議の拘束を解いて、つまり政党でこう決めたからその構成員はこういうふうに行動しなさいということをやめて、一人一人の議員の自由な判断に任せるということにしてはいかがでしょうか。
○国務大臣(中曽根康弘君) 各政党はおのおのの因縁があってできておりまして、おのおのの政策を持っていらっしゃる。自由民主党は自由民主党としての歴史を持ち、また政策を持っておるわけであります。そういう意味におきましてこれは自由民主党の主権の範囲内のことであるというふうにお考え願いたい。
○江田五月君 どうも主権を侵害しまして。
しかしですね、しかし、これほど政治家が国民から信頼をされていない事態というのは、私はこれは自民党だ、社会党だ、何党だ、保守だ、革新だというような問題を超えた問題だと思うんですね。そういう小さなことでなくて、もっと大きな目で考えなきゃいけないんじゃないか。
いま、とにかく(「おれなんか信頼されてるぞ」と呼ぶ者あり)田中元総理のこの事件で本当に国民の政治家に対する信頼は――あるいは信頼されてる人もいるでしょうけども、全体としては落ちてますよ。それは、政治家というのは、国会議員というのは、国会の中で予算を決めて、国民の皆さんにこれだけ税金払ってくれと言うわけですね。法律を決めて、こういう法律を守れと言うわけですね。裁判官が妙なことをやって、女性と一緒にどっかへ行って起訴されて、自分の事件はまだ裁判が済んでないからといってそのまま裁判をやってごらんなさい、だれがその裁判に従うか。警察官が賄賂を取って起訴されて、自分の裁判はまだ解決ついてないからといってそのまま取り調べをやってごらんなさい、だれがその取り調べに従うか。
国会議員が、いやしくも国会議員の――まああの場合は総理ですかね、地位を利用して賄賂を取ったということで起訴されて最高刑の求刑を受けている。その後も国会の中にいて法律を決める、予算を決める、国民に税金を払えと言う、法律を守れと言う。こういうことだから、税金なんというのはなるべくごまかした方がよろしい、法律なんというのはなるべくくぐった方がよろしい、見つかればもともとという、そういう風潮になっているんじゃありませんか。
○国務大臣(中曽根康弘君) 議員が一人一人自粛自戒して国民の皆さんの信頼を高めなければならぬということはもとより基本的な命題であると思います。しかし、私はいまの国会議員の皆さんが全般的にそう信用を失墜しているばかりとは考えておりません。りっぱな議員で一生懸命国家的な政策を研さんして、また議会で発表している方もおりますし、また選挙区におきまして営々と選挙区のために奉仕している、そういう政治家もございますし、それはみんな政治家おのおのが長所を持っておるわけでございますから、その上に議会、議会政治というものは成り立っておるわけであります。だから、そう卑下されていま政治の信用ががた落ちでゼロだというふうに私は絶望的には考えていないんです。われわれが努力して、よりよきものへいつも努力していくと、そういう考えに立っております。しかし、われわれとしてはやはり何といっても国民の信頼、そういうものが民主政治の基礎にあるということは寝ても覚めても考えてやっていかなければならぬと、そういうことであると思っております。
○江田五月君 田中元総理には政治的、道義的責任はあるんですかないんですか。
○国務大臣(中曽根康弘君) その問題がいま議院運営委員会を中心にして問われていることでございますので、私は個人的意見は差し控えたいと思っております。
○江田五月君 昭和五十一年十一月二日ですね、衆議院のロッキード問題特別委員会で、田中元総理も灰色高官というので名前を報告された。これは政治的、道義的責任があるからじゃなかったんでしょうか。
○国務大臣(中曽根康弘君) すべていま申し上げましたように、議院運営委員会の案件に上っておるという状態でございますから、その問題については発言を差し控えさしていただきます。
○江田五月君 どうもやはりタブーになられるようで困ったものだと思うのですが、こういうふうにさっぱり煮え切らない、タブーになってしまう、はっきりしたことが出てこない。これが私はこのままでいけば、それこそ一〇〇%さっき総理がおっしゃったように国民の政治家に対する信頼というのはなくなってしまうんじゃないかと思う、心配をしますが、国民の中から政治倫理をもうこうなったら自分たちの手でひとつ確立をしていかなきゃならないというような動きがいろんなところで起こってまいりましたね。堺市の倫理条例、これは御存じかどうかだけ総理に伺っておきます。
○国務大臣(中曽根康弘君) 新聞で見ております。
○江田五月君 この倫理条例、自治大臣、これは条例の範囲を逸脱しているとかなんとかいうことでこれに干渉されるようなことはないでしょうね。
○国務大臣(山本幸雄君) この条例はいろいろ紆余曲折を経た末に制定にこぎつけたという条例でありまして、その実施に当たってはまだまだ私は問題点もあるのかなと、こう思うのでありまして、今後これを見守っていきたいと、こう思っております。
○江田五月君 総理はこういう地方住民の条例制定の直接請求、署名がたくさん集まったと、そして地方議会がそれを無視できなくてということで条例ができてくる、こういう動きについては基本的にどうお考えになりますか。
○国務大臣(中曽根康弘君) まさにそれは自治の行為であると思います。
○江田五月君 こういう住民からの政治参加によっていわば自由と民主主義というのは活性化していくわけで、自由民主党だけが自由と民主主義を守るわけではない、国民みんなの努力だということだと思いますが、そのことはひとつ認識をしておいていただきたいと思うんですが。
さて、政治倫理に関連して政治家の資産公開という――総理大臣の資産公開、これを前に何人かの総理大臣がなさっておりますが、中曽根総理はどういうお考えですか。
○国務大臣(中曽根康弘君) 私も総理大臣に任命されましたときに、新聞記者の前で資産公開をいたしまして、たしか一部新聞に報道されたと思います。
○江田五月君 長島さんのお宅をお借りしているとかというような記事ですね。もうちょっと――あの限度ですか。もっと公開できませんか。
○国務大臣(中曽根康弘君) 一切合財はたいて、あの程度でございます。
○江田五月君 そうですか。まあいろんな方がいろいろおたたきになるんだろうと思いますが、制度として政治家の、国会議員の資産の公開というようなことをつくることはどうお考えになりますか。韓国などはこれ始めたわけですね、ことしから。いかがですか。
○国務大臣(中曽根康弘君) 国によってみんな社会制度や社会思想というのは違いますから、一概にほかの国のことが全部いいとは言えません。その国その国の自由があって、自主的におやりになることであると思います。しかし、一般的に見て公職にある、しかも高度の地位にある人が資産公開をするということは、私個人としては好ましいことであると思います。
しかし、これは議会制度の中に行われていることで、各党各派でそういうような考えがどういうふうに調整されるか、そういう問題もあると思って、ひとりよがりはいけない、そういうふうに思います。
○江田五月君 アメリカでも例のウォーターゲート事件の後、政府倫理法というので資産公開といいますか、あの場合はフローにむしろ重点を置いた公開の制度をつくりましたね。どうも日本はロッキード事件の教訓を十分生かしていないじゃないかということもずいぶん言われるんですがね。ひとりよがりとおっしゃいますが、それぞれの国にいろいろそれぞれの事情があるにしても、あることは当然なんですが、日本もそういうものにもっと積極的な姿勢を持っていく必要があるんじゃありませんか。
○国務大臣(中曽根康弘君) 私は個人的意見はここでは差し控えますけれども、アメリカなんかに比べると日本の議員の財産というのは余りないんじゃないでしょうかね。特に野党の皆さんはそうじゃないかと、自民党もそんなあるわけじゃありませんけれども、比較的に見たらそういうことじゃないかと思います。
○江田五月君 さあ、どうも野党がなめられたと言うべきなのか、よく認識していただいていると言うべきなのか、よくわかりませんが。
さて、田中元総理が一体どうなるのかというのはわりにこれ国民皆関心を持っておりまして、まあミーハー的関心もあるのかもしれませんが、その中で、皇室典範を改めて、皇位の継承を天皇の生前退位によってもできるようにして、そして恩赦を適用して何とか救おうというようなことがいろいろ世上取りざたされておりますが、まず皇室典範、これは国会で改正することができるものであるのかどうかということを、これは法制局になりますか、伺います。
○国務大臣(中曽根康弘君) いま皇室典範を改正して云々という言葉がありましたが、私はそういうデマに政治家がだまかされてはいかぬと思います。それは非常に不謹慎なデマだと思うのです。事皇室、日本の象徴である皇室に関することについて、いまのようなことを結びつけるということは私は非常に心外であります。そのことだけをまず申し上げて法制局長官から答弁させます。
○江田五月君 いいです。デマであるということをはっきりさせていただければそれで結構です。
さて、中曽根総理の外交についての姿勢ですね。これはどうも、一体どういうビジョンを持って外交をやろうとされるのか、日本が一体どういう方向にこの国際関係の中で進んでいくのかということがなかなかこうよくわからないんですが、簡単に言いますとどういうことになるのか教えてくださいますか。
○国務大臣(中曽根康弘君) 基本的には平和を維持して、そして日本の国益を守り、日本を国際的に名誉ある地位を占めるような国にしていく、それが基本です。
平和を守るということは、わが国の外交の基本の中の基本であると思っています。それは憲法の命ずるところでもございますし、歴代自民党内閣がやってきたところでもあります。
つまり、いかにして戦争を予防して、戦争を起こさせないかと、特に米ソ二大陣営というものが言われていますが、米ソ間において戦争を起こさせない、いわゆる第三次世界大戦がごときものは絶対起こさせない、日本を戦場にしない、日本を戦争の中へ介入させない、もし起きた場合に。それがやはりわれわれの外交の一番の生命線であると思います。その上に立って、国際的にも貢献をして、世界でも名誉ある地位を占める国にしていくというのが外交の基本であると思っています。
その平和を維持していくというやり方について、野党の皆さんとわれわれのやり方は違うわけであります。われわれのやり方は、やはり戦争を起こさせないというためには、まことに残念だけれども、戦後の歴史を見ても真空地帯には力が侵入する、朝鮮半島の例でもあるいはカンボジアの例でも、アフガニスタンの例でももう枚挙にいとまがない。そういうような情勢から真空地帯をつくらない、いわゆる抑止力によって手をかけることを防ぐ、欲望を起こさせないようにしておく、そういう抑止力の理論、均衡の理論、そういう形によって人類の平和は遺憾ながら保たれている、そういうふうに考えておりまして、その抑止力の中にはアメリカの核兵器の力も含まれておる、そう考えています。そういう意味において、日米安保条約を結んでその抑止力をつくって、そうして戦争を起こさせない力をわれわれは培養している、そういう基本的な考えに立っているわけです。
それと同時に、実際いま世界の現実を見ますと、遺憾ながら東西の対立というものは現実的には否定できない。そこで、自由民主主義を奉ずるわれわれといたしましては、自由民主主義社会と手をつないで、そしてその連帯の中にわれわれのそういう力もある意味においてはつくりながら戦争を起こさせない力をつくっていこうと、そういう考えに立っています。
ただし、わが国は個別的自衛権のみを考えておって、そして集団的自衛権は憲法で禁止している、そういうたてまえに立って自由世界と緊密な連携を保ちながら戦争を防止していく、そうしてお互いに繁栄していく、そういう考え方を持っておるわけです。
それと同時に、発展途上国に対するわれわれの貢献ということも日本の大きな使命として取り上げていくべきである。日本が世界に対する貢献というものは軍事力によるにあらずして、発展途上国に対する経済的、文化的貢献によって、われわれは日本の大きな世界的役割りを果たしていく、そういうことをはっきり考えておるわけであります。
○江田五月君 この戦争を起こさせない力――戦争を起こさせない力というのは、戦争をする力ですか。
○国務大臣(中曽根康弘君) いわゆる軍事力あるいは防衛力というものが一つでありましょう。しかし、そのほかに外交とかあるいは国際世論を醸成して戦争を起こさせない心をつくっていくということも大事であります。そういう総合的な、いわゆる総合的安全保障という立場に立ってあらゆる手段を使って戦争を起こさせないということを考うべきであると思っています。
○江田五月君 そこは、総理のやり方を見ますと、戦争を起こさせない力のうち、戦争をする力の方にずいぶん力点がかかっておって、そのほかの、戦争をしないような気持ちにみんなをさせていこうというようなことがどうも乏しいんではないかという印象、どうも印象の批判で申しわけないんですが、そういうように国民は受け取っておるんですがね、いま。
○国務大臣(中曽根康弘君) 私が内閣総理大臣を拝命しましたときの状況は、日本は自由世界の中において孤立しようとしておったわけです。安保条約を結んでいる相手方のアメリカ自体が日本に対する不信感を持っていたのではないか。だから、アメリカの上院において防衛問題に関する決議が満場一致で通るというような情勢であり、また、ヨーロッパの国々も日本に対して防衛努力を強く要請しておったという状態でありまして、日本は非常に国際的に孤立する危険性にあったわけであります。
また、経済問題でも、経済摩擦でアメリカ及びヨーロッパとの間では一触即発ぐらいな情勢にあったことは江田さんも御存じのとおりです。こういうものを放置しておけば、日本は貿易的にも挫折して、その結果は日本に大不景気が来る。いま程度の失業どころじゃない。アメリカとの関係がうまくいかなくて、仮にいま百八十六万台自動車をアメリカに売っていますが、これ十万台、二十万台減らされたらどうなるか。太平洋に捨てるわけにはいかないです。結局、日本の鉄鋼業も自動車産業も衰微して何十万という失業が出てくるわけです。そういうことも考えてみれば、そういうことを起こさせないようにするために速やかに手を打つ必要があった。
貿易摩擦にいたしましても、ヨーロッパでも同じでありました。ポワチェというところで、フランス人は、日本のビデオテープレコーダーの輸入を阻止するというねらいから、彼らは税関を移動して、田舎町に持っていって、そして日本のビデオテープレコーダーの輸入を阻止すると言われておった。そういうことすら起きている現状は国民の皆さんよく御存じだったと思います。
そういう意味において、対外関係の摩擦や不安定な情勢を解消しようというのはあの当時の政治では喫緊の課題であったと思うんです。そのためにアメリカにも行き、またヨーロッパ共同体の担当者を日本にも呼んで、カナダ及びアメリカのブロックさんも来てもらって、四極で通商摩擦解消の話もしたりして、そして大体アメリカ、ヨーロッパの関係は落ちついた状態にひとまずなりました。まだくすぶっているものはあります。が、しかし、安全保障面においても、あるいは経済摩擦の面におきましても、ひとまずまず抑えたという感じでおります。それは非常に大事なことであったんではないかと思うのであります。あれ何にもしないでいまでもくすぶっている状態があったならば、これはもっとひどい危険な状態が出てきたんではないかと思うんです。そういう意味において、私は私なりに一生懸命そういう国際関係を調節して、日本の国益を守るために一生懸命やったと考えておるのであります。
○江田五月君 しかし、恐らくこの経済摩擦というのは、これはまだまだ、とにかく一遍こう静まったかに見えているだけで、まだまだこれから出てくることではないのかなという気がするし、一方で軍事的な問題というのは、何だかやけに重い荷物だけを背負ってしまったと。アメリカだってこれはいろんな意見があるわけですね、アメリカの中に。日本と軍事的な関係について非常に緊張関係をつくり出す意見もあるけれども、そうではないんだ、日本のやり方に対して一つの敬意を払い、日本のやり方を大切に、これまでのやり方をですよ、大切にしていかなきゃなりませんよという意見もある。
レーガン・アドミニステレーションの中だっていろんな意見があって、ときどき人がやめたりしているわけですから、どうもレーガンの行政のある一部をそのまま受け入れてしまったんではないか。まあ後で中曽根さんは軍縮の問題についてもレーガンと話をされたということをおっしゃいましたが、あの軍縮問題についてレーガンと話をして、意外にレーガンが軍縮に熱心であったということを以前おっしゃって、ついこの間は意外ではなくてまさにもう意気投合したんだということをおっしゃったようですが、これはどちらが本当なんですか。
○国務大臣(中曽根康弘君) 日本に対する防衛上の問題について、アメリカはもう全員一致という状況でありました。現に、アメリカの外交は上院が監督してやっていますが、アメリカの上院が満場一致で、民主党も共和党もみんな満場一致であの決議を通したという事実。それに、ホワイトハウスは大体議会によって動かされていると言われておる。そういう状況を見れば、アメリカはほとんどもう全アメリカを挙げて日本に対して一致して要望していったということは、烱眼なる江田さんならおわかりいただけると思うんです。それから、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストやあるいはロサンゼルス・タイムズやあるいはへラルド・トリビューンとか、あらゆる論説を見ましても、日本に対して上院と同じような傾向の論説を書いておったわけです。いまでもこの点については与野党一致しておるはずであります。これが崩れているという情報、われわれのところに入ってきておりません。ヨーロッパにおきましても一応はいま静まっておるけれども、状況によってはまた何が燃え出すかわからぬと、そういう情勢であるのであります。
レーガンさんについては、いわゆるタカ派タカ派と言われておりまして、私は、しかしレーガンさんはある戦略であれをやっていると思っておりました。いまでも思っております。つまり、米ソの間の妥協をつくるためにはアメリカ側が落ちた力を回復しなければだめだと。落ちた力を回復するという姿勢を示して、これをどんどん進めることによってソ連側が妥協の線に出てくる可能性が生まれてくる、そういうことを承知の上でやっているんだろうと私は思っておった。いまでも思っています。そういう意味において、ある適当なときが来たらレーガンさんとアンドロポフさんが会談をして、くだらぬ軍拡競争をお互いにやめる方が一番いいと、そう思っておりました。そういう意味で、レーガンさんにそういう趣旨の考えを持って話をしたわけです。アンドロポフさん困っているのだし、実際困っていると思いますよ。アメリカの方だって相当な赤字があるわけですから、財政赤字が。そういう点を考えればチャンスを見つけてやったらどうですかと、アンドロポフ・レーガン会談を。そういう話をしましたら、レーガンさんはまずソ連側が本当に応じてくるかという実証性を見たい、それでジュネーブにおける戦略兵器制限交渉の成り行きを見て、ソ連が本当に誠実にやるかどうかを証拠を見たい、それからINFの問題、そういうものでわれわれが確信を持ったら、外務大臣相互の会談をやらしたい、その準備をした上で自分はアンドロポフさんに会っていいと、そういうことを私に言いました。私それを聞きまして、やっぱり考えているんだなと、そういう気がいたしまして、両方ともそういうチャンスを模索し合っていることを実は祈っておる次第であります。
○江田五月君 大分、二カ月ほどたってからそういうお話が総理の口から出てくるわけで、国民は戸惑うんだと思うんですがね。確かにどういう戦略かそれは別として、レーガンさんも恐らく軍拡一本やりじゃないんだろうと。いろんな悩みがあるし、いろいろやってるのだろうと。アンドロポフさんも新しい任務につかれて非常に悩んでおるときではないか。アメリカだってソ連だってこれ困っているわけですからね、いま。困っているときに日本が、その困っている両巨頭の肩を怒らして意地を張っている方を、がんばれがんばれと言うんじゃだめなんで、やっぱり困っているときに、お困りでしょうと、日本がひとつ両方の心の中をそんたくして軍縮の方向を、日本が何かのお役に立って軍縮の方向を世界に実現していこうじゃないですかということをやらなきゃならぬ、これが日本の名誉ある地位ということじゃないかと思うわけですが、中曽根さん、レーガンさんとそういう話をされてこられたということですから、それは結構なことなんですがね。もっと現実の外交の中でそういう軍縮のことを進められてはいかがですか。何かどうも弱いんじゃないかと思いますがね。
○国務大臣(中曽根康弘君) そういうチャンスをできるだけ見つけ合ってお互いが友好国として相談し合い、あるいは助言し合うということは好ましいことであると思っています。しかし、お互いがお互いの立場をある程度推測してのみ込んだ場合には、お互いが何をしているかということを知っていて、そしてそれが実るように協力するということも大事だと思うのです。ポーカーゲームをやっているときにしゃしゃり出たらゲームが崩れるということもありますね。これが本当の玄人の外交官の考え方だと思いますよ。一般論から言えば、それはしゃしゃり出ていろいろやるというのはいかにも平和外交をやっているようで見場はきれいですけれども、しかし、物を成就させようというようなことを考えたらお互いは恐らく軍縮をやり、あるいはSALTをやっておる、STARTの戦略兵器削減交渉をやっている第一線の人たちは夜も寝ないで命がけで交渉していると思いますよ。現にアレクシス・ジョンソンさんがその代表でやっていたときの話を私に聞かしてくれましたが、非常に感銘した。われわれが酒飲んで酔っぱらって寝ているときに、あの人たちは人類の運命をかけて真剣にやっているんだということがわかったんです。それはソ連もそれぐらい真剣にやっておったんですから。そういう話を聞いてみると、並み大抵なことではないんだなと、人の苦労もよく知ってやる必要があると、そう思った次第なんであります。
○江田五月君 私も何も中曽根さんを批判するためにここにおるわけじゃないんで、中曽根さんの苦労も理解していきたいと思います。それは本当にそう思います。ただ、やはり私どもの心配もひとつ聞いていただきたい、危惧も聞いてもらいたいと思っているわけです。
それにしても不沈空母とか、海峡封鎖とかずいぶんおっしゃったものだという気はするんですが、この点はこれどういうことになるわけですか、いまのお話と。
○国務大臣(中曽根康弘君) これは年のせいもありまして、何しろ戦前派ですからボキャブラリーが、そういう戦前のボキャブラリーしかないので、そういう形容詞や比喩が必ずしも適切でなかったと思っております。
○江田五月君 しかし、海峡封鎖というのは、何かこの間、海峡のコントロールなんだと、そしてここを通航する対象となる艦船の三〇%程度に打撃を与えることができればそれでいいんだとおっしゃったという、そういうふうに理解してよろしいですか。
○国務大臣(中曽根康弘君) 海峡封鎖という言葉は私は使わなかったんだと。いまでも余り使っていません。海峡のコントロールということを言ってきました。確かに英語でコントロールと言ってきたんですから。ですからコントロールという言葉で理解していただきたい。
それからどの程度で有効なのかという御質問がございました。私が昔専門家に聞いたときの話では、海峡をコントロールするというような場合には、百隻来るものを百隻沈めなくてもいいんだと、大体三〇%ぐらいがもう行ったらやられるということ、確率が出てくればもうあきらめる、それは三隻に一隻やられるということが確実だというところまで水準が上っていけばこれは人命を守りますし、危険性がそれだけ伴うわけですから、それであきらめさせることができると、それが大体三〇%だと、そういう話を私聞いたことがあるんです。何なら防衛庁の専門家、政府委員に説明させますから、どうぞお聞きくださいませ。
○江田五月君 コントロールという言葉を英語で言われたと。その前のフル・アンド・コンプリートというのも、これも英語で言われたんですか。
○国務大臣(中曽根康弘君) 英語でそれは言いません。それは恐らくだれかがそういう言葉をつくったんじゃないでしょうか。
○江田五月君 しかし、ワシントン・ポストにはコンプリート・アンド・フル・コントロールと、こう書いてあるんですがね。これはおっしゃらないんですか。そこの部分はどういう日本語の訳になるんですか。
○国務大臣(中曽根康弘君) そのところは、十分にコントロールする力を持つ、そういうことを言ったんです。十分にという言葉を使ったんです。それがフル・アンド・コンプリートというのは、向こうの人はそういうふうに書いたんじゃないでしょうかね。
○江田五月君 いまのコンプリート・アンド・フル・コントロール、そこはなし。十分にコントロールですか、十分なコントロールという、それが三〇%程度の打撃力と。しかし、総理は、防衛庁長官をなさっておった当時、ずいぶん前のことにはなりますが、昭和四十五年九月の九日から二十日まで防衛庁長官としてアメリカをお訪ねになって、レアード国防長官とお話をされた際に、レーク・オブ・ジャパン、つまりシー・オブ・ジャパンをレーク・オブ・ジャパンにしたいんだ、日本海を日本湖にしたいんだと。三〇%どころじゃない、湖ですからね、というようなことをおっしゃっておりませんか。
○国務大臣(中曽根康弘君) 私はよく記憶しておりませんが、そのころ私の頭にあったのは、最近は日本海はソ連海みたいになったと、やはり、われわれが昔子供で教えられたとおり日本海にしてみたいもんだと、そういう意味のことが頭にあったと私は思います。
○江田五月君 その訪米のときの報告書を提出してくださいということを防衛庁にお願いしてありますが、いかがですか。
○国務大臣(中曽根康弘君) 共産党の方がよくそのことを言うんですけれども、そういう報告書はないんです。何か、中曽根康弘の名前で報告書があったという文書らしきものを私見せていただきましたが、私はそんな文書を書いたことはなし、私の名前でそんなものを出したということは、私全然知りません。恐らく、長官として行ったんですから、秘書官あるいは随行がメモで、こういう話ししたとかああだということは、それはあるでしょう。しかし、それは私が目を通してみた中曽根報告書というようなものではない。一緒に同行した者がそのときのメモとして個々的に書いたものがあったと、そういうことはあり得ると思っております。
○江田五月君 こういう外交の行動のときに報告書みたいなものは何も記録に残らないんですか。
○国務大臣(中曽根康弘君) 私の場合は、そういう文書による報告書というものは残してありません。私自体がそういうことは見たことがないんですから。
○江田五月君 これ、自民党政治がずっと続くならいいんですが、野党が政権をとることも、これ、私などは政権をとりたいと思っているわけでして、そういうときに、前の人がアメリカへ行って何話してきたかなんていう記録も何もないというのでは非常に困りますね。これはいいんですかね、こういう政治システムで。
○国務大臣(中曽根康弘君) どうぞ早くおとりになるようにお願いいたします。
そういう報告書はございません。
○江田五月君 これは写しですが、ここにあるんですが、防衛庁長官中曽根康弘と書いてあるんです。タイプですから、署名じゃないからこれはわからないと言えばわからないですが、宍戸元防衛庁防衛局長、松金久知さん、桃井さん、池田さんなどが御一緒されて、ずっといろいろ書いてあるんですけれども、これは違いますか。どういうものですか。
○国務大臣(中曽根康弘君) 私がそういう報告書をつくったことはありません。また、そういう報告書に目を通したこともありません。
○江田五月君 そうすると、これはまるっきりの、何といいますか、関係ないものだということになるのか。それとも、防衛庁長官である中曽根さんが御存じはない、あるいは目を通したことはない、自分でお書きになったことはないけれども、しかし随行の方のだれかが後々の記録のためにつくったということになるんでしょうか。
○国務大臣(中曽根康弘君) 一緒に行った者はメモで自分たちの記憶やらあるいは聞いたことを書くということはあり得るでしょう。しかし、私の名前で、中曽根康弘の名前で報告書をつくったり、出したということはないのであります。私もその話を共産党の人に聞いて見せられまして、そんなものは初めて見ましたから驚いたのであります。
○江田五月君 ないと言われても、それはないことの証明というのはなかなかむずかしいわけですけれども、現にここにあるわけですから。これは、総理は知らぬとおっしゃるかもしれませんけれども、そういうものはないということはおっしゃれないんじゃないですか。
○国務大臣(中曽根康弘君) 中曽根康弘がその名前においてつくった報告書というものは公式にも私的にもないのであって、それは権威のないものである、私が責任を負うべきものではないと思っています。
○江田五月君 それならこれだれがつくったかということはこれはっきりさしてもらわないと、中になかなか重要なことがこう書いてあるんですがね。これ後ほど理事会ででも協議をしていただきたいと思いますが、いかがですか。
○国務大臣(中曽根康弘君) その文書は共産党の方がときどき出して、私もそういう場所ではるかに見ておっておるんで、何回も同じようなことを聞かれ、同じような答弁をしておるので、ないものは実際ないんですから、その点は御信用願いたいと思うんです。
○江田五月君 どうも、私ども小会派ですから、もうこれ以上何ともできませんが、もう時間もほとんどありませんが、財政について、この要調整額、これ、一体どうするんだということですね。結局、増税もしない、赤字国債も出さないで歳出削減が一体どこまでできるのかということになると、大幅な制度改革ということしかない。行政改革も、もっともっと徹底した行政改革しかない。補助金の単なる切り込みとかなんとかは問題を困難にするだけで、もっと、たとえば補助金にしてもその他にしても、大きな制度改革しかないと思いますが、いかがですか。
○委員長(土屋義彦君) 江田君、残念ですが時間になりました。
○国務大臣(竹下登君) お答えいたします。
いまおっしゃった議論は、ある意味においては私どもの申しております財政改革、なかんずく歳出構造の見直し、すなわち現行施策、制度が始まったその淵源にさかのぼって、そして法律の改正、すべてをも含めて抜本的な対応をしなきゃならぬ、そういう意味において江田さんのこの発言を受けとめるならば、まさに財政改革の基本をついていらっしゃるというふうに理解をいたします。
○江田五月君 どうもありがとうございました。
1983/03/18 |