1993/11/16 |
○茂木委員 今度は、連立与党の内閣を構成する各党首の皆さん、そして今回政治改革法案を担当してこられた山花担当大臣、佐藤自治大臣にお聞きいたします。 言うまでもなく、この内閣はまずもって政治改革を実現する、このことを使命に成立した内閣であります。振り返って、前回の第百二十六国会での政治改革関連法案の審議や衆議院の解散・総選挙、そして連立内閣の誕生から今日に至るまでの過程は、各党内そして各議員間にさまざまな意見の違いがあり、よくここまでまとまってきたという思いが強くしてなりません。 そこで、各党首、担当大臣の皆さんに、各党内でのここに至るまでの経緯や御苦労、そして政治改革の最終局面に立っての御感想、御決意を改めて一言ずつお伺いしたいと思います。 ○山花国務大臣 今総理お話しのとおり、細川内閣の最重要課題である政治改革について、特命相としての任務を担いました。その意味におきましては、何よりも、今御指摘のとおりの長時間にわたる審議を真摯に取り組んでくださった与野党の委員の皆さんに心から敬意を表する次第でございます。 これまた総理お話しのとおり、最重点の課題であるとともに、これからの我が国のあり方を考えた場合には、まず政治改革がスタートである、こうした認識を持ってきたところでございます。現在、党首という立場にはございませんけれども、私が党首の時代、そうした気持ちで政治改革についての国民の期待にこたえたい、こう思っておりましたし、私、今日でもその気持ちは変わりません。総理が責任を明確にしている、年内成立に向けて全力を尽くしたい、こういう決意でございます。 ○羽田国務大臣 六十三年、リクルート問題が起こりました。そのときから政治と金の問題、そしてこの問題を追及していく間に、いわゆる国会で今内外の問題に対して対応する、そういったときにはやはり複数であるために本当に責任ある議論もできないということの中から、小選挙区比例並立制というのを、自由民主党時代、海部内閣でこれをつくり上げたということでありました。しかし当時は、定数是正、あるいはある党は比例、また比例併用ということまで言ってくださった政党もありました。 しかし、なかなかそれ以上は出なかったわけでありますけれども、前回の宮澤内閣のときの経過を踏みながら、今日、細川総理そして河野総裁と深夜にこうやってお話し合いされて、これはまとまることが残念ですけれどもできなかったのですけれども、しかし小選挙区比例代表並立制、これの枠は一緒になったということでありまして、私は、これができることによって党も変わっていくし候補者も変わっていくという中で、政治と金の問題ですとか、そういったものに対してこたえることができるでしょうし、また本当の議論というのが私はそこから起こっていくということで、内外の山積した問題に対してきちんとした対応ができるようになるのじゃなかろうか、このことを期待しておりまして、衆議院そして参議院で一日も早くこれが可決されるように、そして先ほど総理からお話があったように、やはり何といっても一番の土台は政治改革であって、行政改革だとかあるいは経済改革、社会構造の改革、いろいろな問題の土台になるものであろう。まずこれをなし遂げることが重要であろう。 一歩大きく前進したことに対して、今私も感慨深いものを持っております。 ○石田国務大臣 お答えを申し上げます。 私としましては、前国会の政治改革論議というものが大変印象深く残っておるわけでございます。今もお話がございましたように、六十三年リクルート問題以来政治改革が強く叫ばれながら、なかなか改革が結実をしないというような状況が続きました。そして、本格的な議論になったのは、まさに宮澤政権のときの百二十六回国会の議論であったと思うのでございます。 そして、その百二十六回の終盤に至るまでの経過を考えてみますと、当時与党でありました自民党の中にも大変数多くの改革論議がございました。野党の中にも併用制を含めてさまざまな議論の経過がありまして、そしてあのような状態になったのでございますけれども、そのことによって、最終的には要するに解散になりましたけれども、その解散・総選挙の中で、やはり各党は国民の皆さんにまさに政治改革をお約束申し上げたわけでございますので、その選挙の結果また新しい政権が誕生したという経過、そういったものを考えてみますと、やはり私は、今国会におきまして、国民の皆さん方に、どうしても政治不信に対する答えとして、この政治改革を成立させなければならないという強い念願を抱きながら、今日まで皆さんの御論議を伺っておったわけでございます。 今この局面に来まして、政治が国民に対して一定の責任を果たすことができるのではないかという大きな期待の中に、今その結実を迎えようとしているわけでございますが、大変感慨深いものがございます。 ○大内国務大臣 昭和六十三年のリクルート事件から、昨今の金丸・佐川急便事件そして数々の首長をめぐる汚職事件に直面いたしまして、腐敗政治との決別という問題は時代の大きな要請であったと思います。この間、海部内閣、宮澤内閣が政治改革問題に挑戦いたしましたが、これに失敗をいたしまして、国民は政治不信の極に今あると存じております。 したがいまして、この政治腐敗との決別のために、各党はそれぞれの意見、政策、持論というものを持ちながらも、それぞれがそれに固執することなく、その意見の一致を見ることによって政治改革を達成するということが、政党としても、政治家としても、国会としても大きな責任になってきたと思うのでございます。したがって、私ども、自分たちの立場としてのいろいろな利害損得はございますけれども、それを超越して、何とか皆さんと合意ができるような、そして後世の民主政治を開花さしていくことができるような、そういう政治改革を実現しなければならぬ、そういう気持ちでこの問題に取り組んでまいりました。 今日ここに、曲がりなりにも一定の結論を得ようとしていることは非常に感慨深いものがございますし、昨日来総理も、真剣にお互いの最高指導者同士で胸襟を開いて話し合いまして、その結果合意を得ることができなかったことは本当に残念なことではございますが、にもかかわりませず、本日こうして自民党の皆さんも出席して、整々粛々とこの問題について結論を出そうとしていることはまことに感慨深いものがございます。 ○江田国務大臣 政治改革論議の発端になったリクルート事件、これは私たち社民連があるいは火をつけたのかなと思ったりしておりまして、火をつけた以上、この政治改革はどうしてもやり遂げなきゃならぬというのが私たちの思いでございました。 いろいろな点から考えてみて、選挙制度も変えなきゃいかぬ、中選挙区制度を変えなきゃいかぬという、そういう思いでいっぱいで、私どもは併用制を当時主張いたしました。海部内閣のときに、政府は並立制を提案し、私も政治改革特別委員会の委員の一人になりまして、海部総理と議論をいたしました。 並立制、併用制といいますけれども、選ぶ側、国民の側から見たら、一つは一人だけ選ぶ選挙区で一票を行使する、もう一つは政党に票を投じて比例で議員を選ぶ、これは変わらないわけですね。あとは、どうやって議員が選ばれていくかの、その手順だけですから。それならば、国民から見たら、並立、併用は水と油だという議論もなじまないんじゃないか。だから、これはローマ法王を決めるときでもコンクラーベでとにかく必死で話し合うわけですから、必死で話し合えば必ずどこか結論は得られるはずじゃないか、こういう議論をいたしました。今、ずっとそれから数年かかりまして、きのう細川総理と河野総裁で、本当に二時間以上にわたる大変な、白刃を交えるような議論を行ってくれた。コンクラーベというものをやっていただいた感銘深いものがございます。 今やっと政治改革、ここまで来たわけですが、百里を行くに九十九里をもって半ばとすという言葉もあります。まだまだ半ばというつもりで、最後まで仕上げなきゃならぬ。同時に、この選挙制度の改革も含む政治改革をやり遂げましたら、これに中身を与えていかなきゃいけないわけで、そのためには政党もまた大きくこの制度のもとで生まれ変わっていかなきゃいかぬ。ますます努力をしなきゃいかぬと身を引き締めているところでございます。 |
1993/11/16 |