湯川憲比古 江田事務所から 3月後半 戻るホーム湯川目次前へ次へ


2000/03/22(水) 1週間ブランクのお詫び

3月15日から1週間、書き込みしなかったことをお詫びします。菅直人氏には、とにかく少しでもいいから毎日本人が書き込みをしなければだめだ、今年はまぎれもなく「IT革命元年」なんだから、と強くすすめました。彼は今のところ実行しています。江田議員も毎日実行しています。

言い訳をいえば、この1週間はたいへんでした。3月13日が参議院行政監視委員会の質問(警察行政について、40分)、14日が法務委員会の質問(法務大臣との”大臣討論”、55分)、17日が予算委員会の締め括り総括質疑(ドコモ株問題と警察問題について、片道20分・実質60分)。質問の前の日はほとんど徹夜になります。

17日の夜に車で東京を発って岡山県邑久町へ向かいました。16日に地元の山本県議から邑久町長選挙についてSOSが出ていたのですが、江田議員日程が既に県外日程で固まってしまっていたからです。18日午前11時頃に邑久町に到着。あとは19日朝の江田事務所会議をのぞいて、邑久町長の選挙事務所につめました。この選挙は会心の勝利でしたが、詳細は別項に書きます。

20日の夕方岡山を車で発って、21日の午前3時に東京の自宅に着きました。やっと通常のペースに戻りましたので、これからたまっていた分をまとめて書き込んでいきたいと思います。



2000/03/22(水) 邑久町長選挙について

岡山県邑久郡邑久町は、以前O157の学校給食食中毒事件で有名になった岡山市の東の郊外、瀬戸内海に面した人口約2万人の町です。牡蠣の産地でもあり、ハンセン病の療養施設の長島愛生園と邑久光明園の所在地としても有名です。

邑久郡は邑久町のほかに長船町(「備前長船」で有名)と牛窓町(「日本のエーゲ海」)の3町からなり、昨年4月と5年前の4月の県議会議員選挙で「死闘」がありました。わが方の主役は山本秀一現岡山県議(現在38才)、相手方の主役は元浜貫一自民党岡山県連幹事長(選挙当時)。5年前は1000票たらずの差で山本君が敗れました。

敗れた後、山本君は文字通りはいつくばって1軒1軒訪問活動を重ねて、昨年4月ついに485票差でリベンジをはたしました(彼は無所属・民主党推薦候補で県議会では民主党と一緒に民主・県民クラブに所属)。相手の元浜氏は連続9期当選で自民党県連幹事長、元浜組という土建会社の実質オーナーで、当時の自民党岡山県連の最大の実力者でした。

昨年4月の県議選の最終日には橋本龍太郎前総理がやってきて、邑久町、長船町、牛窓町でそれぞれ数百人規模の街頭演説会を行って、強力なてこ入れをしましたが及ばず、山本君の大金星になりました。ちなみに、現大阪府知事の太田房江氏は、当時岡山県副知事で、公務時間中でありながら再三再四、元浜氏の応援をしたので、民主党岡山県連ではたいへん評判が悪いのです。

邑久郡では長く元浜氏による自民党ボス支配が続いたのですが、江田五月の岡山県知事選挙から流れが変わりました。江田票が3町すべてでトップだったのです。そして2年前の牛窓町長選挙で産廃反対派の町長が誕生し、元浜派の町長が敗れました。1年前の長船町長選挙でも元浜派の現職町長(吉永町産廃問題の張本人)が敗れました。今回の邑久町長選挙は元浜支配に完全に終止符を打つ仕上げの選挙だったのです。

しかし1月16日の邑久町長選挙では元浜派の最大実力者の松本氏(邑久町議会議長)に、わが方の立岡脩二氏が約1400票差で完敗しました。自民党支配の流れが復活したのです。ところが驚いたことに松本新町長が就任直後に急死して、3月19日投票の再選挙ということになりました。(この項つづく)



2000/03/22(水) 邑久町長選挙について(つづき)

今回の邑久町長選挙に自民党が立ててきた候補者は武久あきなり君という31才の現職町議会議員でした。彼は4年前の町議選で1000票をこえる得票でトップ当選をしました。私たちもよく知っている人物で、いずれ山本秀一県議のライバルになる人だと思っていました。

この選挙は当初立岡脩二候補(60才)がリードしていたと思います。しかし選挙本番にはいってから、熊代昭彦衆議院議員が自分の選挙と同様の力を入れたことなどもあって、武久候補が追い上げて17日の総決起集会(定員550人の会場に760人集めた、萩原誠司岡山市長も応援に来た)で逆転したのではないかと思います。

その流れを察知して、山本県議がSOSを出したのですが、おそらく18日と19日の運動(19日は投票日で選挙運動はできないので、投票に行ったかどうか確認する)では相手を上回って、再逆転したのではないかと思います。江田名簿1585名中720本を含めて約3000本の電話をかけました。結果は5867票対5588票の279票差で立岡新町長が誕生しました。

今回の選挙は私にとっても会心の勝利で、江田グループ、民主党、山本県議にとっても大きな意義のある勝利でした。岡山県知事選挙、岡山市長選挙と首長選挙を連敗しているので、一町長選挙といえども大きい勝利です。4月には笠岡市長選挙、倉敷市長選挙がありますが、これらにも勝利したいと思います。また現在の岡山県の政治情勢では、78市町村のほとんどすべてで首長選挙を互角にたたかえる可能性があるので、積極的にとりくんでいきたいと思います(今年秋の県知事選が例外になる可能性あり)。

もちろん今回敗れた武久君が4年前の山本君と同じように、リベンジを誓って3年後の県議選、4年後の町長選に挑戦してくることはほぼ確実ですから、私たちとしても山本県議や立岡新町長と緊密に連携して、自民党体制の復活を許さない迎撃体制を今からつくらなければならないと思います。



2000/03/23(木) 福岡・沖縄調査報告(4)

今回の調査の2番目の収穫は「沖縄空港ターミナルビル疑惑」、3番目の収穫は「小渕派沖縄利権疑惑」です。

一般的に、空港のターミナルビルの管理は運輸省の認可による一社が一元的に管理するのだそうですが、沖縄の場合は現在は「那覇空港ビル(株)」が管理しているそうです。以前は「那覇空港ターミナル(株)」という会社が管理していました。前者の略称を「ナブコ」、後者の略称を「ナトコ」というそうです。沖縄独特の略称で、前者はビルのBをとって「ナブコ」、後者はターミナルのTをとって「ナトコ」だそうです。

「ナブコ」は沖縄県も出資した第3セクターで新しくできた会社です。どういう理由かわかりませんが、「ナトコ」から「ナブコ」に移行する時にいろいろと問題が起こったようです。「ナトコ」という会社は数百億円ともいわれる資産をもった会社で、その株式の13%を持つ実質的な支配者は、宜保俊夫という人物で、この人は暴力団「東声会」のドンだそうです。

この宜保俊夫は76,7才だそうですが、沖縄の政財界に大きな影響力を持っているそうです。この宜保俊夫が支配する「ナトコ」は「ナブコ」に対して、営業補償や役員の過半数と社長を「ナトコ」側から出すことなどを要求したそうです。特にこの営業補償について、「ナトコ」の意をうけて「ナブコ」の社長になろうとした翁長元沖縄県副知事が、3年前に小渕恵三氏(当時外務大臣?)を通して運輸大臣に働きかけをしたのではないか、という話を聞きました。

「ナトコ」と「ナブコ」の暗闘は現在も続いており、「ナトコ」は現在でも国際線のターミナルビルを管理しているという話もあります。宜保俊夫は、太田県政から稲嶺県政に変わったので、いずれ「ナブコ」を支配すると豪語しているそうです。

今回の調査では、いたるところで鈴木宗男(元沖縄開発庁長官)と下地幹郎(沖縄県選出衆議院議員、前沖縄開発庁政務次官、宜保俊夫の息子の宜保勝は下地のブレーン)の利権あさりの話を聞きました。小渕恵三氏も野中広務氏も沖縄開発庁長官経験者です。現在の沖縄開発庁長官は青木幹雄官房長官。ここにあげた政治家はすべて小渕派です。

小渕総理にとって沖縄は学生時代以来の思い出の土地というだけではない。小渕総理と小渕派にとって、沖縄は「利権の島」であるという印象を強く持ちました。



2000/03/23(木) 福岡・沖縄調査報告(5)

4番目の収穫は名護市の辺野古の海とキャンプシュワブを見学したことです。

私たちを案内してくれた玉城県議は海江田万里氏の学生時代以来の友人で、総評につとめたこともある人です。彼はかつて沖縄での米兵による少女暴行事件に抗議して開かれた10万人の大集会の事務局長をつとめ、名護市長選挙にも立候補(惜敗)したこともあります。

その玉城県議は現在無所属ですが、民主党に対して切なる要望を出されました。民主党に安保条約に反対してほしいとは言わないから、せめて環境問題として辺野古の海上ヘリポートに反対してほしい、と。私はなるほどと思いました。

今は民主党の沖縄政策を明確にするチャンスかもしれません。ジュゴンの海を破壊する海上ヘリポートには反対する。普天間基地移転問題は民主党中心の政権ができたら一から考え直す。沖縄の米軍基地はアメリカとよく話し合って、10年後までに半分以下にする。それに伴って、沖縄を情報・金融・物流サービスの島、「国連の島」にする。

さっそく民主党環境・農水ネクスト大臣の佐藤謙一郎氏に話してみました。彼は沖縄に行きたいので条件整備をしてほしいとのことでした。佐藤氏の沖縄訪問と鳩山代表の沖縄訪問がなんとか実現できればよいと思います。



2000/03/24(金) 福岡・沖縄調査報告(6)

5番目の収穫は沖縄県の民主党の状況です。

民主党は現在のところ沖縄県第2区の島尻昇氏と第3区現職の上原康助氏が公認候補者で、第1区の公認だけがまだ決まっていません。自民党の方は、ちょうど私たちが沖縄に行く直前に、現職の下地幹郎氏を比例区にまわして、第1区は公明党の白保台一氏に選挙協力することを、野中広務自民党幹事長代理が決めたようです(ついでに石垣島の空港建設地も決めたという話もあります)。

沖縄では全国にさきがけて自自公体制、いわば1999年体制ができあがったと言えるかもしれません。したがって沖縄では今後の県知事選、市町村長選の構図が従来とは一変するかもしれません。この自自公1999年体制に対して、従来の「革新統一」体制はどうなるのか、はっきりしていないように思われます。

ただ沖縄の自民党は中心的リーダーが不在で(だから小渕・野中・鈴木・下地などが好き勝手ができる)、いろいろなところで分裂状態になっている。たとえば第3区では公認の嘉数氏に対して非公認の西田氏が無所属で立つ構えを見せ、近々に行われる予定の那覇市長選では自民党県連の会長と幹事長が争っているようです。

来年の参議院選挙の沖縄県選挙区では現職の照屋寛徳氏が健在ですから(将来の沖縄県知事という声もありました)、今のうちに1999年体制に対抗する体制をつくる必要がある。そのためにまず必要なことは沖縄県第1区に若い将来性のある民主党の公認候補者を立てることだと思います。今回の沖縄のみなさんとの話し合いの中でも3人くらいの若い有望な人の名前が挙がりました。すばらしい候補者が決まることを期待したいと思います。(「福岡・沖縄調査報告」おわり)



2000/03/25(土) 第3回「小渕総理・株疑惑解明プロジェクトチーム」

3月23日午後5時15分から6時15分まで、久しぶりにPTの全体会議を行いました。出席者は江田五月(参・座長)、海江田万里(衆・事務局長)、小川敏夫(参・事務局長代理)、桜井充(参・事務局次長)、生方幸夫(衆)、北村哲男(衆)、横路孝弘(衆)、峰崎直樹(参)、菅直人(衆)、他にスタッフ4名です。

各委員会での質問の報告、ドコモ本社の調査報告、福岡・沖縄の調査報告、石井夫人の民事訴訟、収集した資料の報告、などをまず行いました。特に、江田質問で小渕氏が実兄の光平氏と古川氏が問題の株を持っていることを、国会で問題になって(1998年9月末)はじめて知ったと答弁したこと(真っ赤な嘘)、ドコモ株以外も含めて小渕氏の錬金術の「手口」が見えてきたこと、平成3年2月のNTTと郵政省の決定前後が重要であること、などが話題になりました。

今後の方針としては、まず群馬県に調査に行くことと郵政省からPTとして正式にヒアリングを行うことを決めました。さらに衆議院規則にある衆議院議員40名で要求できる「予備調査」(国政調査権の一つ)を衆議院逓信委員会を通して行うこと、ドコモ本社に再度調査に行くことも決めました。

小渕総理は自分に疑惑がかけられているという客観的事実ですらいまだに認めようとしません。たいへんな頑張りぶりですが、この問題はあっさり解決してしまっては、かえっておもしろくありません。PTとしては解散総選挙までじっくりと真実を解明していく方針です。26日のサンデープロジェクトでは田原総一朗氏が小渕総理にインタビューするそうですが、ドコモ株問題も聞くようです。沖縄サミットへ向けての「沖縄疑惑」も含めて、自民党の利権政治に終止符を打つ作業を続けていきたいと思います。



2000/03/25(土) 江田議員の質問準備の方法について

3月13日には行政監視委員会、14日は法務委員会、17日には予算委員会の締めくくり質疑と、このところ質問が続きました。3月28日には法務委員会で裁判所の定員法改正案について質問することになりました。

ここで江田議員の質問の準備のやり方について紹介しておきたいと思います。質問の予定が決まったら、まず議員と私で質問項目の打ち合わせをします。たいていは議員の方からこれとこれをやりたいということが示されますが、私の方から意見を言うこともあります。

質問項目が決まったら、質問の前々日くらいに質問対象の官庁などからのヒアリングをセットします。ヒアリングでは、議員と私が同席して資料の説明を受け、こちらの方から質問もします。ここでのやりとりがだいたい質問の内容になることが多いと思います。

質問の前日の午後くらいに質問する相手(要求省庁という)を特定し、内容の概略を、質問する委員会の委員部という事務方に通告します。すると「要求省庁」の国会連絡室から「質問レク」(いわゆる”質問とり”)の要請がきます。そこで前日の夕方に「質問レク」をセットします。最近多くなった「追及型」の質問の場合は質問レクは適当にやりますが、江田議員本来の「提案型」の質問の場合は少しでも良い答弁になるように、詳細に行います。

質問の当日の朝までに私が質問原稿をつくります。もちろん江田議員は原稿がなくても十分質問できるわけですが、やはりベースに原稿があって、その上で臨機応変、自在に質問した方がやりやすいようです。したがって質問は原稿通りということはまずありません。

私の役目はドラマのシナリオのように、質問の構成と流れや言い回しを工夫することです。予算委員会などでテレビ中継がある場合は、パネルを用意します。江田質問では、専属のデザイン事務所があって、フルカラー・両面張りを使います(昨年の中村法相辞任にはパネル効果があったかもしれません)。

江田議員本来の「提案型」の質問の方法はかなり完成度が高いのではないかと思っていますが、「好きでも得意でもない」「追及型」の質問には、特に時間配分などで、まだまだ工夫をしなければならないことが多いと思います。(湯川)



2000/03/27(月) 今日の出来事

午前6時6分岡山駅発の「のぞみ」で9時24分に東京駅に着きました。そのまま議員会館に直行。午前中小川敏夫議員と群馬調査の打ち合わせ。これは角田義一議員の仲介作業待ちの状態。全司法労働組合に家庭裁判所調査官の研修統合問題について電話で意見を聞く。

NTT本社の国会連絡室の美崎氏に、以前から要請していた地域ドコモ各社の現在の株主数(法人何社と個人何人か)の資料の要請をする。返事が来てFAXが1枚送られてきたが、法人と個人の合計数だけだった。ドコモ九州では法人50社と個人13人の合計63という数字をドコモ本社と相談のうえ出したのだから、出してほしいと再度美崎氏に言ったら、それは出せないとドコモが言っているので、これ以上はドコモに直接言ってほしいとのこと。ドコモの担当部長の羽生氏と担当課長の有賀氏のどちらも不在だったので、明日に継続。

26日のサンデープロジェクトでは最後の最後でドコモ株問題が登場。江田事務所提供の資料も生かされていた。小渕氏の表情がそれまでとは変わったこと、「NTTドコモ株疑惑」というタイトル文字が画面に出たことを評価しよう。とにかくあらゆるメディアに参加してもらわなければ。週刊ポストの武富氏来訪。週刊ポストには民主党や江田議員が週刊ポストの記事の後追いの質問をしているかのようなニュアンスの部分がありますが、そんなことはありません。むしろ逆です。

警察庁の国会連絡室に「沖縄空港ターミナルビル疑惑」に関して、「ナトコ」(那覇空港ターミナル(株))の取締役の宜保俊夫という人物が暴力団「東声会」の大幹部だという情報があるので、「東声会」と宜保俊夫の資料を請求。この「ナトコ」が小渕恵三氏の政治団体に献金しているのは確認済み。明日は運輸省の航空局から「ナトコ」と「ナブコ」(那覇空港ビル(株))の暗闘の話を聞くことになっている。

夕方は明日の質問レク。その間、菅直人事務所の松田氏から小渕恵三氏の政治団体と政治資金についての大量のFAXが送られてきた。連休明けの国会は「ドコモ」と「警察」と「沖縄」になる可能性も出てきたので、ネタを十分に仕込んでおかなければならない。



2000/03/29(水) 3月28日・29日の出来事

3月27日に書いたことの続報。ドコモ疑惑PTの群馬調査は仲介役の角田義一議員の作業がもう少し時間がかかるということで延期。ドコモ疑惑PTの次の日程は4月4日(火)午後5時30分から7時まで、郵政省ヒアリングを行うことになった。来てもらうのは郵政省電気通信局電気通信事業部の事業政策課長と業務課長。

この電気通信局の事業政策課長というのは、第一種電気通信事業者の認可をするところで、NTT民営化前後から現在までの歴代事業政策課長は、その後事務次官、郵政審議官(ナンバー2)などになり、現在の郵務局長、貯金局長、通信政策局長なども事業政策課長経験者。

地域ドコモ各社の現在の法人・個人の株主数についてドコモ本社の羽生総務担当部長に28日に電話。ドコモとしてはその数字は出せないと明確な拒絶。ドコモ九州ではドコモ本社と相談の上、法人50社・個人13名と明らかにしたと私が言うと、その時は私がいなかったから、と彼。なぜだめなのかと再度問うと、個人の中には会社の代表者として株主になった方もいるので、そういう曖昧模糊(この言葉を使った)とした情報は出せない、とのこと。名義上、法人と個人の違いは明確で、きわめて奇怪なリクツ。どうもとんでもない人物にあたってしまったようだ。

28日午後2時に運輸省航空局飛行場管理課長の内波氏来訪。こちらからお呼びしたわけではなく、沖縄の那覇空港のターミナルビルについて問い合わせをしたら、内波氏の方からぜひ説明したいと言われたのだ。例の「ナトコ」と「ナブコ」の争いの話を一通り聞く。新情報としては、現在も国際線ターミナルビルは「ナトコ」(那覇空港ターミナル(株))が無許可のかたちで営業を続けており、もし「ナトコ」が国際線ターミナルビルの構内営業許可の申請をしてきたら、運輸省は許可する方針だという。

しかし「ナトコ」の実質的支配者は宜保俊夫という暴力団「東声会」のボスだと言われている。それが本当なら「ナトコ」は巨大フロント企業ということになる。そんな会社に営業許可を出していいんですか、と私。もしそれが事実なら、現在調整役をやっている沖縄県に戻して、やり直してもらう、と内波氏。

29日午後に、警察庁国会連絡室から回答がきた。東声会は指定暴力団ではない。宜保俊夫なる人物はかつて沖縄東声会の幹部だった人物のようであるが、現在も構成員であるかどうかは個人のプライバシーで答えられない。ただし運輸省から問い合わせがあれば、裁判に耐えられる裏づけのある情報を公益の観点から運輸省に提供する、とのこと。

そうこうしているうちに、4月3日(月)午後に参議院行政監視委員会で40分の江田質問が決まりそうな展開になってきた。江田議員は特殊法人の情報公開問題と警察問題をやりたいようだ。(湯川)


2000/03/31(金) 自由党の連立離脱について

自由党の小沢党首の決断は当然だと思います。座して死を待つより討って出る。確かに状況は厳しいですがそれしかありません。今回のハイライトは30日午後の自民党森幹事長と自由党藤井幹事長の会談だったと思います。わずか5分。自民党から自由党に選挙協力の協議の打ち切りを通告したのです。両者の冷え切った関係をよく表している。

自由党は離脱自由党と残留自由党に分裂します。これは昨年8月と12月の離脱騒ぎの時からの必然です。今回のポイントは何故この時期なのかです。小沢党首は任期満了選挙を想定して、6ヶ月間選挙対策に没頭して活路を開こうということだと思います(したがって今回の離脱はサミット前解散の可能性を少し高めます)。

場合によっては自民党現職に対して新たな新人候補を擁立して自民党を脅す。反創価学会の宗教団体の受け皿をめざす。石原慎太郎流の政策を打ち出して改革者イメージをつくる。大義名分は実質自公政権批判票の受け皿を民主、共産、社民ではなく保守政党で、というところでしょう。

小沢党首の改革者イメージも大分汚れており、小沢党首の目論見が功を奏す可能性が大きいとは言えませんが、私は政略家・軍略家小沢一郎をあなどってはならないと思います。むしろ民主党はこの際一段とパワーアップしなければならないと思います。

何よりもまずするべきなのは、3月末現在で225名しか決まっていない小選挙区の候補者を300名きっちりと決めることです。現状ではせいぜい比較第一党をめざせるだけで、すぐ共産党と連立を組むんですかなどと質問されて旗印がおかしくなってしまう。300名きっちり立てれば民主党単独政権をめざすと旗印が明確になる。後は選挙の結果、有権者の意志を確認して政権をつくればいい。

300名擁立できれば、共産党は別として(共産党は無党派の受け皿としては限界があることは、大阪と京都の選挙で証明されたと思う)、自由党、社民党とは全く別の、政権担当政党として有権者への訴えに迫力が出てくると思います。

あと2つ、改革実現能力のあるリーダーとして菅直人を再生させて鳩山由紀夫と二枚看板にすることと、具体的かつ迫力のある政権政策がどうしても必要ですが、長くなりすぎるので、別項にします。


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