第二章 遊びと友達と勉強と | 目次/前へ/ 次「生徒会活動」 |
ボランティア活動
水泳の経験はボランティア活動を考える上に役立つと思っている。政治も大きな部分をボランティア活動に頼らなければならない。最近のボランティア活動は、何かお上品なものになりつつあると、私は思っている。無報酬だから、余暇だけさいてチョコチョコとやれは良いというわけだろう。しかし無報酬である反面、何かの目的に情熱を持って打ち込むというのもボランティアなのだ。情熱の側面が忘れ去られているのではないか。
情熱だけを強調し「全生活をつぎ込め」というわけではない。たとえば学生の場合、勉強の時間を最小限にしぼって、ボランティア活動に最大限のものを注ぎ込む―― これでこそ青春の燃焼ではないか。デートもやり、スポーツもやり、何か趣味も持って、ボランティアはその余った時間でというのでは、現代青年のアクセサリーの一つにすぎないような気がする。私のひがみかも知れないが。
私は水泳で心も身体も鍛えられた。風邪を引いても、腹が痛くても、中耳炎になってさえ「泳げば治る」という無茶な一面もあった。だが歯を食いしばって泳いでいるうちに、なんとかなったものだ。こういう経験は自信につながる。最近相ついで手術をしたし、外見上もひ弱に見えるかもしれないが、芯は丈夫だと思っている。
この水泳教室は、今あちこちのプールを借りながら細々とやっている。生活排水による汚染のため、旭川が全面遊泳禁止になってしまったからだ。プールを建設すればよかったのかもしれないが、その資金もなかった。もっとも専用プールがあったとしても、伝統的な古式泳法が、そのころの勢いで続いていけたかどうか。いささかスタイルとしては現代的といい難いだけに、疑問もあろう。いずれにしても、私が青春時代にあれだけ熱中したものがさびれているのは残念だ。
奈良県天理市で毎年、日本泳法大会が開かれる。中学三年から高校三年まで四回出場した。年齢別競技だったが、中三の時には十位以内の好成績だった。この大会で、京都の稲水会、大阪の浜寺水練学校など、全国各地の人たちと顔を合わせ、話をするのも楽しみだった。当時シンクロナイズド・スウィミンクが始まったばかりで、大会にゲストとして来ていたこともあった。日焼けした顔ばかりの中で、グラマーな美女たちが化粧していると、ものすごく目立って、都会の女性の色気にびっくりしたこともある。
競泳もやった。中学では自由形長距離を目指し、四百メートル、千五百メートルなど泳いだ。どうしても記録が良くならないので、高校では平泳ぎに変え、県新人戦で二位になったこともある。結局そこまでが限界だったが、高校三年生まで練習だけは良くやった。スタートの練習で、一日中飛び込みを続け、胸が真っ赤になったこと、九月上句に誰もいないプールで、一人で泳いでいたことも思い出す。水泳などをやっていたため、私は中学、高校時代にいろんな友人と交際できた。優等生グループからは変な男とみられたかもしれない。少しはみ出した生徒たちとのつき合いの方が多かっただろう。不良グループが学校の先生を襲うというぶっそうな情報も、あらかじめよく私の耳に入った。先生に告げ口するという仁義破りはしない。むしろ都合がつけば、見物に行きたいところだ。私が先生に知らせ、それで先生が逃げたって、問題はちっとも解決しない。先生がそういう事態に直面し、解決の道を探ることが、どうしても必要なのだ、と思っていた。
第二章 遊びと友達と勉強と | 目次/前へ/ 次「生徒会活動」 |