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  闘う自治会の再建

 委員長就任直後「東大駒場新聞」に「闘う自治会の再建を!」と題して、以下のような文章を寄稿した。

 第二十五期自治委員長の任に就くに当たって、僕が自治会について日頃考えている事を書いてみよう。

 駒場には、自治会、学友会と学生組織が二つ存在している。機能からすれは、自治会は政治上の問題、学友会は学生の厚生面という事になるのだろうが、やはりこの二つを機械的に分離させて考えるのはおかしいのではあるまいか。現代においては政治は経済体制と密接に結びついており、学生の厚生面ですら、政治との関連なしには語れなくなっている。政治が国民生活の隈々まで規制し、しかもその政治は、経済体制を握っている部分によって動かされているとすれば、我々の日々の生活と日韓会談なり政暴法なりの政治上の問題は密接不可分に結合して来ざるを得ないのである。我々がより良き学生生活を望もうとすれは当然そこには政治上の障害が立ち現われ、しかもそれを取り除く事なしには、我々の未来を希望を持って語る事はできない。これが、国家独占資本主義段階という現代の特質なのだ。

 自治会はより良き学生生活を目ざすためには、当然政治上の問題を取り扱わねばならない。政治の問題を回避して象牙の塔にこもる事はできない。政治に鋭い目を向け、我々の未来を真剣に追求する事をおこたってはならない。我々の学問の成果が逆に我々自身を縛る事をなくす為には、政治に取り組まざるをえないのであり、まさにその為の組織として、自治会は機能せねばならぬと考える。前期自治会の空白の後をうけて我々が先ず努力せねはならない事は自治会機能の復活であると僕は言ってきたが、機能の復活とは、まさにこういった政治問題で断固たる闘いを組む事のできる自治会を指すのであり、決して形式上の機能復活で満足できるものではない。

 ところが、僕一人で「闘いよ起これ」といくら叫んだところで、それによって闘いが起こるわけではない。もしそうなら、その組織は死滅していると言って良いであろう。安保闘争においては、一人の指導者がいたから闘いが起こったのではなく、まさにクラスから、サークルから続々と闘争のエネルギーが出て来て、数え切れぬ「指導者」がいたからこそ、あれだけの闘争が組み得たのであろう。組織というものは大なり小なり疎外を伴うものである。この組織内部の自己矛盾を、明確にする事なく、無葛藤理論を弄んでいては、組織の躍動は期待できない。矛盾は発展の原動力である事を忘れてはならない。自治会においても、躍動し闘う自治会となる為には、各クラス、サークルのエネルギーが十分汲み尽される為には、常に、旧い指導層は新らしい指導層によって乗り越えられる必要があり、いやしくも、大衆の創意性、自然発生性を阻害する様な事があってはならない。一般学生なる者の自然発生性、創意性をいかに発揮させるか、いかに汲み尽すかというのが、いわゆる「活動家」最大の仕務であり、そうした活動家も、新しい層によって次々と乗り越えられねはならない。こうしてこそ、真の闘いは起こされ、高められ、発展するのである。自治会は、常に新しく甦えらなければならない。まさに生きた有機体の如く、常に新たにされてこそ、はじめて躍動があるのであり、それなくしては、自治会の機能復活は語れない。

 僕が何も語る事のできない、ハニワの様な存在にすぎなくなり、そして投げ捨てられる時、僕の希望は初めて達成されるのであり、その時、僕は再び、時の「指導者」を乗り越えて前進するために下から立ち上がるであろう。

 この文章でもわかるとおり、当時は学生運動そのものが沈滞期に入っていた。政暴法が廃案になって以後、それほど大きな闘争課題もなかった。時々、問題を見つけては集会、デモを組織するのだが、各大学あわせても百人、二百人というような小規模なものばかりで「どうにもならない」と頭を抱えていたのが、委員長一期目の状況だった。

 たぶんキューバ問題か、核実験の問題だと思うが、アメリカ大使館に抗議デモをしたことがある。規模は大きくないのだが、一人一人がアメリカ大使館あての抗議文を書いて手に持ち、できれば大使館職員に手渡そうという計画だった。しかし当然予想されたことだが、機動隊はそんな行動を許さず、厚い璧を作って阻止する。

 私は「我々がアメリカ政府に抗議の意思を伝えようとしているのに、日本の警察がそれを阻むとは何事か。学友諸君、この機動隊の壁を突破して、抗議の意思表示を貫こうではないか」という主旨のアジテーションをやった。

 そうすると駒場の学生たちは、機動隊と衝突覚悟で、その通りに動き出すではないか。私のアジは、どうせ機動隊を突破できるはずがないということを見越して、ちょっと威勢のいい事を言ってみたという、ある意味では無責任なものだった。だが素直に言葉通りそれに従っていこうとする学生がいる。委員長というポストについたら、慎重に一語一語考えて発言しなければならないんだなと、強く反省した。幸い混乱は起こらずに済んだ。しかしもし負傷者、逮捕者が出るような混乱になったら、私の無責任な発言が引き金になったと、悩まなければならなかっただろう。

 目立った行動はなくても、委員長のポストについている以上、結構忙しい。何かデモを一つ組織するについても、まず社青同の会議で方針を決め、社学同、構改派の諸君と相談する。そのうえで自治委員会用の議案を作る。会議ばかりが、やたらに多かったような気がする。もっとも委員長になってからマージャンをすることも多くなった。私にマージャンを教えてくれたのも、ひんぴんと誘ってくれたのも学生運動の活動家だった。


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