丸山ゼミで
私はこれまで、いかに勉強しないかを工夫するということで生活を組み立ててきた。小学校から大学まで、普段はできるだけ勉強以外のことをする。学校内の試験にしろ入試にしろ、試験直前に勉強して、とにかく落第点だけは取らないというのが、私の生活だった。
高校に入ったときには「中学の勉強をしっかりやっていないのに大丈夫かな」と不安を持った。大学へ入ったときにも、幸運に恵まれたという気がしていて「高校の勉強ができていないのに」と思ったものだ。入学後も勉強はお付合い程度だった。復学し、父の選挙を終わって「とにかく勉強するならこれが最後」と思った。
もう一つ、学生運動の世界では、あまり勉強もせずに相手を批判することが平気で行われていた。どんな権威であろうと「宇野弘蔵なんてのは……」「丸山真男なんてのは……」と、一刀両断である。そう言っている人間が、それほど深く著書を読んでいるわけでもないのだから、乱暴なものだ。ひとまとめに「東大法学部なんてのは……」ということにもなる。こういう乱暴な批判の姿勢にも疑問を持っていた。
とにかく一芸にひいでているということは尊敬すべきだ。あまり社会的意義のない一芸でもそうなのだろうから、学問の世界で優れているということは大変なことだ。日本のアカデミズムの頂点にあるといわれる東大法学部の諸先生を、たとえ批判するにしても、まず謙虚にその学問に接する必要がある。こんな理由で、自分の納得できるまで勉強しようと心に決めた。
講義に出席することはもちろん、できるだけ前の列に座ってノートを取り、家に帰るとノートを整理する。教科書、参考書があれば予習、復習し、プリントを渡されればきちんと読む。こんな生活をしていると結構忙しい。そのかわり試験の時には、そのノートを読み返すだけでだいたい頭に入っているという状態で、法学部時代の生活は続いた。
講義が「面白い」と書いたが、教官の講義のやり方が上手というわけではない。星野英一教授の民法一部は、司法試験の前にノートを見直したが、ものすごく高度な内容なのでびっくりした。とても法律を学び始めた人間に教える内容ではない。平野龍一教授の刑法一部の講義はあまりよくわからなかった。しかし著書を読むと、そこには素晴しいことが書いてある。全般に知的好奇心を刺激するに十分な内容の講義であったということだろうか。
経済学部行きをやめたのに近代経済学の講義にも興味を持った。春休みにはサミュエルソンの「エコノミックス」を友人と読んだ。まだ翻訳書のない頃で、毎日集まり、翻訳し一応の理解を深めていく。八百ページのうち五百ページぐらいまで読んだ。
その春休みを終え、三十九年四月には駒場から本郷へ移った。法学部では公法、私法、政治の三コースのうち一つを選ぶことになるが、私は政治コースを選んだ。丸山真男教授のゼミに志望を出し、普通は三年生は無理といわれているところを幸い入れてもらえた。丸山ゼミでは、吉野作造の研究をすることに決め、三年の前半から夏休みにかけて、講義のほかに吉野作造の著書に読みふけった。後期になってから私なりの吉野作造論を発表した。
吉野作造の「民本主義」について、一般には基本的人権から出発する民主主義とは程遠いもので、明治憲法の天皇制国家の中で許された範囲内のものに過ぎないといわれている。しかしそのように考えるのでは、吉野作造の思想を理解できない。思想は常に歴史的条件の下にしかないのが当然である。当時は天皇制国家の絶対的支配の下にあり、例えば幸徳秋水の思想は、思想それ自体として存在の意味はあったかもしれないが、実際の政治行動として、政治過程をリードするのには無理があった。しかし吉野作造は当時の現実の政治活動の中で機能しうる民本主義という思想を提示したのだ。それが有効であったことは歴史的に検証されている。その後、民本主義が弾圧されて戦時体制に入るが、それは民本主義の思想に弱点があったからばかりではない。その他の民主主義、反戦の思想が、現実への対応という視点を欠いていたことも批判されなければならない。民本主義は歴史的状況の中で可能な民主主義としては、非常に優れた思想であったのではないかという結論だった。
私は「吉野作造の民本主義をブルジョア民主主義だとかなんとか規定してみることに、あまり意味はないと思う」といったら、丸山教授が「そうはいっても、やっばりブルジョア民主主義だよ」と言われたのを覚えている。法学部のコース分けは、あまり厳格なものでない。三コースによって、卒業の時に必要な必須科目が違うだけである。しかも途中でコースを変えても良い。政治コースでは法律の必須科目が少なく憲法一、二部、民法一ないし三部程度、政治の必須科目も特に多くなく、政治学、日本政治外交史、外交史、行政学、政治史、財政学第一部、それに経済学原理か近代経済学のどちらかという程度だったと思う。その他は自由に科目を選択すれは良い。
私は政治コースの必須科目はもちろん取ったのだが、残りはほとんど法律の講義を選んだ。商法一、二部、行政法一ないし三部、民事訴訟法一、二部、刑事訴訟法などである。公法コースは国家公務員試験を受ける人が多く、私法コースは司法試験を受ける人が多いといわれている。政治コースを選ぷ人間は法律が苦手といわれるが、私のようなのは異色の科目選択だっただろう。
法律は大学を卒業したら絶対に勉強しない分野だろうと思って、わざと選んだという面もある。「法学は法解釈学だけではなく、社会科学として成立しうる」と思ってはいたのだが、実際には講義の大半を現行法の解釈学が占めている。それほど面白くないから、逆に在学中にやらなければならないということだ。他方では、社会を権利義務の関係で切っていく法学の体系に魅力を感じ、法解釈学にしだいに興味が深まっていったのも事実である。
私自身の考え方も変わっていった。もともと私は一部のマルクス主義者にみられる自分の思想を「防衛する」という姿勢になじめなかった。そういう姿勢では思想は進歩しない。他の思想と対決しながら、いつも自分自身の立場を検証し、修正すべき点は修正していくという姿勢を取らなければならない。ときには自分自身の思想を疑問視し、それを谷に突き落とし、はい上がって来れるかどうかを確かめてみるような「精神の冒険」なしには発展はないと思っていた。法学部で勉強に打ち込んだのも、そういう目的を持った行動の一つと思っていた。
法学部で学んで行くうちに「手続き」を重視する考え方が、自分自身の中で非常に強まっていったことがわかった。何が真理であり、何が正義であるか、そのこと自身極めて大切である。しかし、それ以上にどういう手続きを取ったら「真理」「正義」を決められるかが重要だという考え方である。
もともとマルクス主義では、共産主義社会という目的があり、その目的のための革命論、運動論などを演繹的に決めていくという発想が強かった。しかしその中で、社会主義に到達するプロセス(過程)の問題を重視し、それだけを独自に取り上げて論議しようというところに、構造改革論の出発点があった。その議論の中で、民主主義が「ブルジョア民主主義はダメ」「プロレタリア民主主義は素晴しい」と二つに区別されるものかどうかも問題になってきた。現在の民主主義が手続き的にはかなり高度な内容をもっていると評価する議論が強くなっていった。
東欧旅行で見て来たとおり、社会主義国がまったく素晴しい別天地だということはない。「あれはウソの社会主義。本当の社会主義は素晴しい」といってみたところで、そういう理想像をどう現実化するのかが、問題となる。何よりもマルクス主義が確立されてから百年。その間に、自然科学、社会科学が大幅に進歩し、歴史も大きく進んでいる。それなのに思想だけが同じものであり得るということが、そもそもおかしい。
丸山教授の本を読んだり、碧海純一教授の講義を聴いたりするうちに、この手続き重視の思想はますますふくらんでいった。社会的に「正義」「真理」を見出すための民主主義的な制度や機構が重要だし、同時に、自分自身でも何が「正義」「真理」であるかの判断の枠組みを持つことが重要だ。その考え方が、どん欲に勉強する原動力にもなった。
そうばかりいっても、やはり法律の勉強よりは政治学なんかの勉強の方が面白い。せっかく法律を勉強するのだから、何か目標を決めようと思い、三年の秋の試験が終わった頃に司法試験を受けてみようかと思い始めた。この段階では、弁護士になるとか、裁判官を志すということは全く考えていなかった。とにかく勉強のはげみになるというだけだ。「傾向と対策」みたいな本も読まず、答案練習もやらない。結局、答案練習は試験までに一回もやらなかった。ただ大学の講義を聴くだけで、それも司法試験に無関係な政治学関係の講義も同時に聴いていた。