第八章 裁判官の姿勢 目次前へ次「結婚十周年の日、父の離党」

   私が下した決定、判決

 裁判官時代の思い出に、私の決定と判決を一件ずつ掲載しておこう。決定は十七歳の少女(文中は「少年」)が生んだばかりの嬰児を殺した事件であり、判決は、原告が妻と情交のあった被告に対し、五百万円の慰藉料を請求した事件である。「家裁月報」「判例時報」から、必要な訂正を加えて転載した。

殺人、死体遺棄保護事件〔千葉家決 昭四八(少)二〇〇号昭四八・四・一七決定〕

   主 文

少年を千葉保護観察所の保護観察に付する。

   理 由

一 犯罪事実
(1) 本件に至る経緯

少年は、本籍地において、父M・Z、母M・U子(昭和三六年死亡)の第三子として出生し、上に兄姉各一人、下に弟妹各一人、計四人の同胞を有し、昭和四六年三月中学校を卒業し、昭和四七年二月一二日に下記の事情で現住所の兄M・Oおよびその妻M・Z子のもとに寄寓するまで、本籍地で成長した。中学校卒業後、洋裁の技術を身につけるため、洋裁学校に通学し、他方、その費用の捻出のため肉屋でアルバイトをしていたが、過労から昭和四六年一〇月アルバイトをやめ、そのため学費が続かず上記学校も昭和四七年二月に退学した。

 少年は、同学校に通学中の昭和四七年一月ごろ、たまたま立ち寄ったボーリング場で○○市○○勤務のA(当時一九歳)と知り合い、一、二回デートの後Aと性交渉を持つに至った。父は、少年とAとの付き合いを知り、性関係まであるとは知らなかったが、少年が若年であることを理由にこの付き合いに反対し、またM・Z子が健康を害してその看護の必要があったため、同年二月一二日、少年をM・O、M・Z子のもとに寄寓させた。しかし、その後も少年とAとの交際はやまず、この時期を通じて数回の性交渉を持つ内、少年は、同年二月から三月にかけて妊娠するに至った。

 少年は、同年三月二四日から、千葉市内の喫茶店「○○」にウエートレスとして勤務して現在に至っているが、同年五月頃、月経が二か月ほどないことから妊娠に気付き、Aに相談したところ、同人は、簡単に中絶を勧めるのみで、それ以上親身になって少年の相談に乗る態度も示さず、少年の方も、その前から既にAの軽佻さに嫌気がさしており、また、家族からも交際を止められていたうえ、さらに同人のこの態度に接して、以後同人との関係を粗略にするようになり、同人の方も、以前ほど少年に執心することもなくなり、自然二人の関係は杜絶するに至った。

 少年は、妊娠に気付いた後、処置に窮し、一度意を決して産婦人科医院を訪ねかけたこともあったが、費用の用意がないことを気にしたこともあってその扉を押し開く勇気がないまま踵を返してしまい、活発に動く胎児の胎動を感じながら、ただ一人思案するのみで妊娠の事実の発覚を恐れ誰に相談することもなく、流産を期待して階段から落ちようとか、誰か体の異変に気付いてこれを尋ねてくれたらその人に相談できるのにとか、思い悩むのみで日が過ぎて行き、週刊誌等から得た知識で、同年一二月から翌年一月にかけてが分娩の予定日であることを知り、遠く東北の病院へ行って分娩し、子供は施設に預けようかなどと考えたこともあったが、これも思い付きの域を出ず、何ら出産およびその後の準備もないまま昭和四七年一二月一九日も出勤して、翌二〇日を迎えた。

(2) 罪となるべき事実

 少年は、昭和四七年一二月二〇日午前四時ごろから、肩書住所地の居室において、腹痛を感じて一、二度目を覚ました後、午前八時ごろ、M・OおよびM・Z子が勤めに出る際、同人らに対し、腹痛のため自分は欠勤する旨を告げ、その旨勤め先に電話連絡して、床に横臥して腹痛の治まるのを待ったが、午前一〇時ごろになっても痛みは間歇的にますます激しくなるばかりであったため、かねてから週刊誌等で得た知識に照らし、この痛みが陣痛で分娩が近いことに気付き、洋服に着換えて近くの病院に行こうとしたものの、激しい痛みのため外出することができず、しばらく畳の上に横臥している内、午前一一時を過ぎたころから、肛門付近に痛みを感じはじめ、大便を排出するのかと思い、同室に附属して設置された汲み取り式便所に行き排便の姿勢を取ったが排便せず、さらに室内に戻ったが肛門付近の痛みはやまず、同日正午ごろ、再び上記便所に入り排便の姿勢を取ったところ、激しい痛みを感じ、いよいよ胎児の娩出時期であるかもしれないと予知しながら、何らなす術を知らずに思い余った揚句、そのまま胎児を娩出すれは嬰児を便槽内に落下させ糞尿により窒息死することになるがこれもやむを得ないと決意し、そのままの態勢で分娩を迎え、よって出生した嬰児を便槽内に落下させたまま放置し、糞尿により窒息死させて殺害し、かつ嬰児の死体を便槽内に遺棄したものである。

(3) 犯行後の経緯

 少年は、上記のとおり嬰児を分娩した後、しはらく上記便所内で痛みの治まるのを待ち、出血およびそのために汚れた便器の始末をし、室内に戻って横臥しただけで、何の手当もせず、帰宅したM・Oらに対しても、月経がひどかった旨を述べたただけで分娩の事実を隠し、同人らもこれを信用し、少年は翌二一日から平常通り出勤していた。ところが同年同月二五日になって、汲み取り作業員により嬰児が発見され、少年の犯行が発覚した後、少年を診断したところによれは、子宮収縮も十分でなく、胎盤の一部が残留しており、かつ約四センチメートルにわたる会陰裂傷があり少年は直ちに入院して必要な処置を受けた。その後、少年の体は回復し、現在に至っている。

二 適用法条

 上記罪となるべき事実のうち、殺人の点は刑法一九九条に、死体遺棄の点は同法一九〇条にそれぞれ該当する。

三 保護処分選択の理由

(1) 少年の上記犯罪は、少年の浅慮による自然の弄びにより、何よりも貴重な人の生命を、それが誕生するやいなや断ってしまったもので、その罪は極めて重いと言わざるを得ない。嬰児の生命は親の手中に握られ、親の思いのままに断ちうる弱いものであるが、それ故にこそ、親の責任は重く、親には、人としての生を受けた嬰児を育む厳粛な責務があるのであって、故あってその親のもとに人としての生命を託することになった嬰児に対し、養育の責任を放擲してその生命を断つが如き行為で臨む親の罪は、いかなる犯罪よりも重いものとして指弾されるべきものである。しかしながら、罪の重さは必ずしも重罰を導くものではない。本件における少年の罪は重いが、かかる罪の重さに喘いでいる少年をいかに処遇して健全な精神を取り戻させるかを考えなければならない。

(2) 本件の最も重要な特徴は、少年の無知と幼稚さにあると考えられる。少年は、小学校時代に月経時の処理の仕方を習い、中学校時代に植物に仮託した性の講義を受け、中学三年生のころ男女の性交渉により子供が誕生するという程度の知識は得たが、それ以上に性につき何の知識もないまま、洋裁学校通学中に友達の性経験の話を聞いたりする内に、性に対する好奇心と期待のみが膨張し、性交渉に対する抵抗感は、知識に裏打ちされずに取り払われていった。このため、極めて安易に、何ら妊娠のことを心配しないまま、まだ若いから妊娠しないとのAの言葉をそのまま信じ、同人との性交渉を持つに至り、当然のことながら妊娠しても、何らなす術を知らずに妊娠と出産の知識のないまま事の重大さに思いを至さずに拱手している内に本件犯行のやむなきに至ったものである。少年の性に対する開放的態度は、現在の社会一般の風潮であるとも言われ、それが事実としても、それ自体が悪いことではない。 しかし、性の厳粛さと冷酷さに対する知識を欠いた開放は、本件のような重大な罪を犯す無知な親を数限りなく作り出していくであろうし、現にそういう傾向が見られる。その意味では、本件は、単に少年一人の罪ではなく、社会全体の罪ともいえよう。少年の無知は、本件後の経緯の中にも如実に現われている。産後の管理の必要に対して何の知識もない少年は、本件が発覚していなかったら、自ら殺害した嬰児が残していった肉片により、自然の手痛い復讐を受けていたかも知れないのであり、本件の発覚によりかかる事態に至らなかったことを少年のために喜びたい。

(3) 次に本件の特徴として考えられるのは、少年の自己閉鎖性と消極性である。困難な場面に遭遇したとき少年のとる態度は、これから一時的に逃避するか、それができなければ、事態の推移に身を委ねて翻弄されてしまうのである。少年には、父も、兄も、義姉もすぐ身近にいたのであり、ほんの少しでも事態に立ち向いこれを解決していこうとする積極性があれば、そしてその積極性が必要だという知識があれは、本件は回避されていた。本件の場合は、義姉M・Z子は妊娠が不可能な病気のため、本件発覚後、兄と義姉は、少年に生まれたであろう子供を自分達が養育したかったと述べているということであるが、ただ一声を発しなかったために、少年と、兄夫婦と、そして何よりも死亡した嬰児にとって、運命がすれ違いに終ったのである。少年のこの自己閉鎖性と消極性は、これからの少年の人生にとって、是非改めていかなければならないものである。しかし、本件について見る限りでは、一声出すべきであったのは少年だけではない。少年の場合、妊娠による体格の変化が極めて小さかったとしても、多少注意していれは太ってきた程度のことは外見上明らかであったのではないかと思われ、現にそれに気付いた人もいたが、若い女性に太ったということは憚られるということで、少年にその事を言わなかったという。現在の社会において、断絶は、隣に坐った赤の他人との間にあるだけではない。最も親密な人同士の間にもあり得るということを本件に見て、慄然とする思いである。

(4) 以上のとおりの諸事情および少年が他に犯罪歴も有しておらず、虞犯的傾向も全くなく、また知能、性格にも特に偏倚のないことに鑑みれば、少年の非行性は決して重いものではなく、むしろその未成熟さと幼推さが本件の根本にあると考えられる。必要なのは、少年に罰を加えることではなく、少年の健全な成長を援助することである。少年は、本件の罪の深さに憚れ、反省の情顕著であるが、かかる重大な蹉跌が少年の成長を阻害することをこそ恐れなければならない。本件を機に、少年の父および同胞は、少年の保護に熱意を示しており、これもある程度期待できるが、さらに傷ついた女性に対するいたわりの心をもって専門的立場から側面的援助をする機関が必要と考えられ、そのためには、少年を保護観察に付するのが相当である。よって、少年法二四条一項一号、少年審判規則三七条一項を適用し、少年が親としての罪を受くべきにもかかわらず免れて恥ないもう一人の親のような男性を多くの男性の中から見分ける知恵を持ち、本件により開いた人の命の尊さと自然の理の厳粛さに対する澄んだ限を再び濁さないようにして、健かに成長していくことを期待し、主文のとおり決定する。


損害賠償請求事件
〔千葉地裁昭四九(ワ)一二三号昭49・12・25民事部判決〕―関係者名はすべて仮名。

    原告 甲野一郎  被告 乙村二郎

【主文】 被告は、原告に対し、金三〇〇、○○○円を支払え。訴訟費用は、これを一〇分し、その一を被告の、その余を原告の各負担とする。この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

【事実】 第一当事者の求めた裁判

一 請求の趣旨 被告は、原告に対し、金五、○○○、○○○円を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。
との判決及び仮執行の宣言。

二 請求の趣旨に対する答弁 原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。
との判決。
 <以下事実略>

【理由】 第一  原告とハナとの関係について

一 原告とハナとが婚姻の届出をした夫婦である事実は当事者間に争いがなく、<証拠略>によれば左記二ないし六のとおりの事実を認めることができる。右認定を覆えすに足りる証拠はない。

二 原告とハナとは、見合いのうえ、昭和三七年一二月六日原告が三〇歳、ハナが二九歳の時結婚式を挙げ、以来昭和四五年三月二九日に原告肩書住所地に移転するまで○○市に居住し、その間に昭和三八年一〇月に長女花子が出生した。ハナは、同年一一月二三日、心臓の発作で倒れ、以後約二年間、入院と退院を繰返した。その病名は、僧帽弁口狭窄兼閉鎖不全及び心房細動によるうっ血性不全と診断された(この事実は、<証拠略>により認める)。その後、ハナは、昭和四七年一二月二〇日死亡に至るまで、右疾患の治療のため通院を続けた。

三 原告は、高等学校中退後、結婚前から現在まで、訴外株式会社○○商会に勤務し、貿易関係事務のベテランで、その月収は現在税込みで金一八五、○○○円である。ハナは、結婚後は洋裁の教師の職を退き、右治療と家事に従事していた。原告とハナとは、医師により、性的交渉を控えるよう勧められており、二人は、稀にハナの体調の良い時に性的交渉を持つに留まったが、その夫婦生活は、結婚以来○○市に移転するまでは、格別の波瀾はなかった。

四 原告は、ハナの前記疾患とその治療に心を砕き、何事もハナの無理にならないように注意し、家事を助け、その結果、多少の我儘をもハナに許すところがあったが、反面ハナが体を疲労させる行動に出ようとする時はその自由を束縛することもあった。ハナは、○○市に居住していた当時は、原告の指示によく従っていたが、○○市に移転してからは、家事のほか外出は治療のため○○市の病院へ通院するのみの生活に倦み、外に出て働きたいとの希望を持つようになった。原告はこれを許さなかったが、ハナは、原告の出勤時に外出するようになり、昭和四六年一月には、実家に行くと称して、元旦を含んで三日間外泊し、昭和四七年元旦も同様であった。昭和四五年暮ころからは、化粧も派手になり、次第に原告の注意と指示を無視して外出して外泊する度合が増し、家庭を顧みなくなり、ハナの生活は放縦となった。原告は、ハナに自愛を望み、自省を促がし、ハナは再三にわたり二度と外泊等をしないと誓うのであったが、それも長く続かず、原告とハナの夫婦生活は破綻に瀕し、原告は昭和四七年三月になりハナとの離婚を決意した。原告は同年同月一〇日、千葉家庭裁判所佐倉支部に離婚調停を申立てた(この事実は、当事者間に争いがない。)しかし、ハナは離婚を承知せず、調停委員もハナの説得に熱意を示さず、結局、原告は、同年六月・調停申立てを取下げた。その後もハナの放縦な行動は改まらなかった(しかし、ハナが凶器をもって原告に手向かった事実を認めるに足りる証拠はない。)が、ハナは、同年一〇月末、旅行に行くと称して一人で外出し、四、五日後に帰宅して謝罪し、以後放縦さも治まった。その後、約二か月間、ハナは家事に専心し、ハナの体調にも家庭内の人間関係にも特に異常なく過す内、ハナは、同年一二月二〇日朝、前夜からの眠りのまま永眠した。

五 原告・ハナ間の長女花子は、もともと快活な性格ではなかったが、昭和四六年二月以後次第にその性格に暗さが増した。

六 原告は、ハナの死後、昭和四八年七月八日<証拠略>を含むハナのメモや被告からハナへの手紙等を発見し、初めてハナと被告とが後記不貞行為に及んでいたことを知った。

第二 被告とハナとの関係―不貞行為

一 <証拠略>によれば被告の生年月日が昭和二二年六月一三日である事実を認めることができる。被告が○○○市所在の○○○団地において米穀業に従事する者である事実は当事者間に争いがない。<証拠略>によれば、被告は、昭和四五年当時、○○米穀店○○○駅前支店に勤務していた事実及び昭和四七年一一月から独立して米穀商を営んでいる事実を認めることができる。

二 <証拠略>よれば、次のとおりの事実を認めることができる。右認定を覆えすに足りる証拠はない。

 被告は、昭和四五年八月、以前からしばしば○○米穀店を訪れていて顔見知りであったハナに、千葉を案内してくれと言われ、これを容れて一日割き自動車で千葉を案内したところ、さらに誘われて房州一周のドライブをした。その後、ハナは同年九月下旬ころから○○米穀店に手伝いに来るようになり、再び被告にドライブに連れて行けと誘いドライブの後夜になって勢いのおもむくままハナは被告にロづけを求め、被告とハナは初めてロづけを交した。被告には、それまで異性関係の経験はなかった。

三 <証拠略>を総合すれば、その後同年一〇月二四日、ハナに誘われて被告とハナは自動車の中で夜を過すという強行軍で日光に紅葉見物のドライブに行き、帰路勢いにまかせる二人は節度を知らず、自動車の中で初めて性的交渉を持つに至った事実を認めることができる。

 <証拠判断略>

四 <証拠略>を総合すれば、次のとおりの事実を認めることができる。

 被告とハナは、前記認定のとおり昭和四五年一〇月二四日性的交渉を持った後、互いに手紙を交換したり会って話合ったりして相互の愛を確め合い、打ち合わせて旅行に行ったりして、平均一か月半に一度ぐらいの性的交渉を持ち、昭和四八年八月ころに至るまで秘かな交際を続けた。その間、昭和四六年一月には、元旦を含めて二、三泊の旅行に出掛け、その他にも一泊旅行が三回くらいあった。性的交渉は、多くは自動車の中であったが、右のとおり宿泊先での交渉や、モーテルでのこともあり、昭和四五年二月二三日には、ハナが被告の自宅に泊って性的交渉を持ったこともあった。性的交渉まで至らず、単に愛撫に終ることも多かった。しかし、ハナは、このような異性関係の最中又はその後においても、又被告と行動を共にしている間のどの時点でも、特に心臓疾患による異常を来すことはなかった。

 被告は、ハナとの交際の最初から、ハナが他人の妻である事実を知っており、また、遅くとも昭和四五年一〇月二四日性的交渉を持った時には、ハナに子供がいる事実を知っていた。また、被告は、昭和四五年一一月二一日、ハナに対し、被告が心臓に疾患を有している旨を告げ、ハナは、翌二二日、被告に対し、ハナが心臓に疾患を有していることを告げた。被告とハナは、二人共同じ疾患を有していることに驚き、それだけ一層互いに引かれた。

 被告は、昭和四七年八月ころ、同年二月又は一二月に独立して米穀商を営むことになり、また他からハナに他の異性関係があるとの注意を受けたこともあって、ハナとの関係を清算することとし、同年八月にハナに対し、二人の関係を終了することを告げた。その後は、被告とハナは性的交渉を持つことはなかった。ハナは、同年一〇月ころ、被告に対して 手紙を書き、愛の終りの苦しさを訴え、別れて思い出に生きる決意を述べ、被告の将来を励ました。

<証拠判断略>

五 <証拠略>を総合すれば、次のとおりの事実を認めることができる。

 ハナは、前記認定のとおり最初に被告にドライブに連れて行けと誘って房州一周のドライブをした後、昭和四五年九月八日、被告に対して最初の手紙を書き、原告に対する強い憎しみと被告に対する愛を告白し、その間に悩む自己の苦しみを述べた。

 これに対し、被告は、同年同月三〇日、ハナに対して最初の手紙を書き、ハナに対する愛を告白してハナに応えた。昭和四五年中にはハナの心の中には原告に対する罪悪感と被告への慕情があり、被告に対し何度か別離を促したが、被告がこれに応じなかった。もっとも、ハナは、その実、心中被告との関係の継続をも望んでおり、理性は他律的離反を望むが、感情はこれを排していた。しかし、昭和四六年に入ってからは、ハナは、次第に、被告との秘かな関係の継続こそが本来自分の生きる場であると思うようになり、原告との家庭生活はいわば仮の宿と言うべき位置に置かれた。それにもかかわらず、ハナの理性は、いつかは終りの来る被告との関係に頼り切って原告との家庭生活を捨て去ることを望まなかった。

 被告は、当初からハナとの関係に罪想感を持ったが、ハナへの同情もあって、ハナと性的交渉を持つまでは、ただやみくもに盲目的愛に走り、昭和四六年になってから、ハナに対し何度か夫と家庭に戻ることを促した。しかし、そのころには、既にハナは被告との関係の終了を望まなくなっていた(しかし、被告の清算の申立に対し、ハナが自殺すると脅して関係の継続を要求した事実を認めるに足りる証拠はない。)。被告も、ハナへの愛を断ち切れなかったが、前記認定のとおり、昭和四七年八月になり、被告は、清算を決意した。

<証拠判断略>

第三 不法行為の成立

 以上の事実を照らせば、被告は、ハナが原告の妻であることを知りながら、かつハナに誘 われてもこれを断わることが可能であったのに、ハナと性的交渉その他の異性関係を持ち、これを継続したことにより、原告のハナの夫としてハナに対し貞操を守ることを求めうる地位に基づく名誉を侵害したことになる。そうすると、被告は、原告に対し右名誉の侵害により原告の蒙った精神的損害に対する慰藉料を支払う義務がある。

第四 精神的損害−慰藉料の額

一 原告は、原告の蒙った精神的損害に対する慰藉料につき特に斟酌すべき事情としてハナの死亡、被告の原告に対するハナとの夫婦然とした振舞い、原告とハナとの家庭生活の破壊及び長女花子の性格への影響を主張するので、これらの点につき順次判断する。

二 ハナが心臓に疾患を有していた事実は前記認定のとおりである。又、ハナの死が右心臓疾患に起因するものであることは、その疾患の事実及び前記認定のとおりの死の態様に照らせば、容易に推認できる。さらに、<証拠略>によれば前記認定のとおりの被告とハナとの性的交渉等の異性関係並びにハナの外出と外泊及び精神的苦悩が、ハナの右心臓疾患に悪影響を及ぼす種類のものである事実を認めることができる。しかし、前記認定のとおり、ハナは被告と行動を共にしている間特に心臓疾患による異常を来たすことはなく、ハナと被告との性的交渉はハナの死亡の約四か月前が最後であり、さらにハナは死亡前二か月間は体調に異常がなかったのであり、これらの事実に照らせは、前記各事実によっても本件において具体的に右の諸点がハナの死亡又はその早期到来と因果関係を有していると推認することはできない。<証拠略>によっても右因果関係を認めるには足りない。他に右因果関係を認めるに足りる証拠はない。そうすると、本件慰謝料の算定につき、ハナの死亡を特に斟酌することはできない。

三 原告が昭和四七年三月一〇日申立てた離婚調停の調停期日に、被告が、ハナを千葉家庭裁判所佐倉支部まで自動車で送り迎えした事実は当事者間に争いがなく、<証拠略>によれば、右調停の間被告が待機していた事実を認めることができる。しかし、その際被告とハナが夫婦然としていた事実を認めるに足りる証拠はなく、逆に、<証拠略> によれば、被告は、単にハナに依頼されて送迎の役を果したのみである事実を認めることができ、<証拠略>によれば、原告ば、ハナの死後メモ等を発見するまで、ハナが被告に送迎された事実を知らなかった事実を認めることができる。又、原告が被告とハナの関係をメモ等の発見まで知らなかった事実は前記認定のとおりであるから、右事実を照らせば、被告とハナは原告の面前で夫婦然と振舞ったことはないと推認できる。他に、被告とハナが原告、被告又はハナの知人に対し夫婦然と振舞った事実については主張・立証がない。そうすると、本件慰謝料の算定につき、被告とハナの夫婦然とした振舞いを特に斟酌することはできない。

四 ハナが、昭和四五年暮ころから原告の注意と指示を無視して外出し外泊する度合が増し家庭を顧みなくなった事実は前記認定のとおりである。又、ハナが昭和四七年一〇月末に家庭に落着いた事実も前記認定のとおりである。さらに、前記認定の事実に照らせば、被告とハナとの異性関係は最も長期をとると最初のドライブである昭和四五年八月からハナが被告に別離の手紙を書いた昭和四七年一〇月ころまで継続したと考えられる。そうすると、ハナが原告に背き家庭を顧みなくなった時期と被告とハナの異性関係の継続した時期とは、ほぼ符合しており、この事実は、被告とハナの異性関係の継続とハナが原告に背き家庭を顧みなくなったことの間の因果関係を推認させるべき事実といいうる。しかし、反面、前記認定のとおり、ハナは、昭和四五年三月に千葉へ移転してから、家事と治療のみの生活に倦み、これに不満を持っており、又、被告に対する最初の手紙で、被告に対し、原告に対する強い憎しみを告白している。さらに、<証拠略>によれば、ハナは、昭和四五年一〇月一二日に被告に対して書いた手紙で、被告に対し、原告との関係を形式を装った夫婦で針のむしろであると形容して、原告に対して憤懣を述べている事実を認めることができる。右のハナの被告に対する言動は、被告の同情を買うために事実を誇張していると考えられない訳ではないが、その点を割引いても、ハナが、被告との異性関係の初期の段階で、性的交渉を持つ以前に、被告に対し右のような言動をしている事実に照らせば、ハナは、被告との異性関係の始まる前から、原告に対し、不満と憤懣を有していた事実を推認することができる。

 また、<証拠略>によれば、ハナの生年月日が昭和九年一一月一四日である事実を認めることができ、被告の生年月日が昭和二二年六月一三日である事実は前記認定のとおりであるから、被告とハナとの異性関係の始まったころ、被告は二三歳、ハナは三六歳であったこととになり、前記認定のとおりの被告とハナの異性関係の始まりの状況を考えると、ハナは、一三歳も年下の顔見知り程度に過ぎない若者を誘ったのであり、この事実も、右推認を裏付けるものといえよう。前認定のとおり原告とハナの夫婦生活に○○市に移転するまで格別の波瀾がなかった事実によっても、右推認を覆えすに足りない。他に右推認を覆えすに足りる事実の主張・立証はない。以上の事実に照らせば前記期間の符合の事実によっても、被告とハナの異性関係の継続とハナが原告に背き家庭を顧みなくなったこととの間の因果関係を推認することはできず、むしろ、ハナの原告に対する不満や憤懣が正当なものであるかどうかは別としても、そのような不満と憤懣があったからこそ、ハナは原告に背き家庭を頼みなくなり、又被告と異性関係を継続したというべきであって、被告との異性関係の継続は、ハナが原告に背き家庭を顧みなくなるのを助長したことはあっても、これの原因であるというべきものではない。右の助長の点については、逆に原告に対する不満と憤懣が、ハナを原告と家庭から離反させ、それがハナの被告に対する慕情を募らせて異性関係の継続を助長したともいいうるのであって、どちらが因でどちらが果であるかを決するに足りる証拠はない。前記のとおり、原告は、ハナのメモ等を発見するまで、被告とハナとの異性関係を知らなかったのであるから被告とハナとの異性関係が原告を家庭生活の破壊へと導いたということはできない。また、被告とハナの異性関係の継続がハナの原告に背き家庭を顧みなくなったことに寄与した度合いを確定するに足りる証拠もない。また、ハナが原告に背き家庭を顧みなくなった事実以外に、被告とハナとの異性関係の継続と因果関係を有する家庭破壊の行動をハナがとった事実については、主張・立証がない。そうすると、本件慰謝料の算定につき、原告とハナとの家庭生活の破壊を特に斟酌することはできない。

五 原告とハナとの長女花子の性格への影響については、前記のとおり被告とハナとの異性関係の継続が原告とハナとの家庭生活の破壊と因果関係を有することが認められない以上、前提を欠き、本件慰藉料の算定につき、右の点を特に斟酌することはできない。

六 当裁判所が、本件慰藉料の算定にあたって特に斟酌した事情は、左記のとおりである。左記事情は、いずれも前記認定のとおりの事実である。

 原告は、ハナの心臓疾患への影響を配慮し、ハナとの性的交渉を極力抑制し、ハナを慈しみ十分保護してきたのに、そのハナの貞操を害され、しかもそれをハナの死亡まで知らなかった点において、原告の受けた屈辱感は計り知れない。しかし、被告は、二三歳のまだ異性関係の経験のない青年の時、既に結婚生活七年以上で三六歳のハナから誘われ、またハナヘの同情もあって、勢いのおもむくままハナと深い関係に入ったのであり、被告に節度を期待できないわけではないが、ハナに節度と思慮を期待する方が常識に合致し、ハナの節度と思慮のないことを被告の責に帰することはできない。さらに、被告は、自ら進んでハナとの関係を清算している。

 以上の事実のほか、前記認定の各事実に照らせば、被告の本件不法行為により原告の蒙った精神的苦痛につき、原告が被告に対して求めうる慰藉料としては、金三〇〇、○○○円が相当である。

第四 よって、原告の本訴請求については、被告に対し、慰藉料として右金三〇〇、○○○円の支払いを求める部分は正当であるから、これを認容し、その余は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用し、主文のとおり判決する。


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