1993/02 シリウス 1  >>2号

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総合政策誌 シリウス I 1993年2月発行

創刊のことば  江田五月

政策研究会「シリウス」発会趣意書

特集迫り来る政治改革と政界再編

(討論)過去を切れ、そして未来を選ベ
  江田五月/乾 晴美/川島 實/岡澤憲芙/司会=筒井信隆

◆政界再編をめざして
 なぜ今「政界の再編」か ニューデモクラシーは世界の流れだ 松原脩雄
 国民はどのような政党を求めているか −抜本的な党改革を  筒井信隆
 社会党執行部に間う                    粟森 喬
 討論 山花新体制で社会党改革は可能か
 粟森 喬/池田元久/小林 正/鈴木責久子/筒井信隆/はせゆり子
 司会=三石久江

世界への貢献はは社会への優しさから
(対談)世界に役立つ日本          江田五月VS猪口邦子

◆政治改革をどうすすめるか
政治資金は企業献金でなく公的資金で   掘込征雄
比例代表個人選挙制(併用制)で惰性の政治にピリオドを 池田元久
国会改革の方向-国会を政策論議の場に   吉岡賢治
地方主権をアジテーションする      貴志八郎
証券・金融・佐川スキャンダルの背景   仙谷由人
政治システムの見直しをこそ       峰崎直樹
変革を求めていい汗をかきたい      川橋幸子

◆労働界が望む政界再編
 政界再編を望む            鷲尾悦也
 シリウスは政界再編の核になれ     園木久治
 対抗・競争の政治と共生の社会を    後藤森重
 政策集団の大同団転を         岩山保雄
 市民の政治参加にもとづく政界再編を  伊藤基隆
 閉塞状況の突破を目ざして       橋村良夫
 シリウスに望む            得本輝人

都市型社会と政策・制度転換       松下圭一

シリウスに期待する    小池百合子 秋山ちえ子 蓮 舫

読者からのメッセージ
私の政策提案

政策 国民規模での政策論議を
(討論)世界の安全保障と日本の選択
 ハードな安全保障からソフトな安全保障へ
 北村哲男/渋谷 修/前畑幸子/高橋 進/司会=筒井信隆

国際的安全保障による安保自衛隊の縮小    細川律夫
それぞれの「国連」、これからの「国連」   小林 正
PKO参加はどうあるべきか           種田 誠
日本はアジア・太平洋においてどうあるべきか 井上哲夫
(論点)安全保障をめぐる熱い論争
 非武装・脱原発に至る道程と手段を明確に
 警察・自衛隊・国連平和協力隊の三本立てで

(討論)経済優先社会から生活優先社会へ
    生活の質を問い直す政策を
  小川 信/高井和伸/掘 利和/暉峻淑子/司会=筒井信隆

バブル崩壊後の日本経済   菅 直人
「総合経済対策」批判    伊東秀子
福祉国家ではなく、福祉コミュニティーを 土肥隆一
老後を託せる公的年金を   三石久江
環境基本法と環境税のあり方 はせゆり子
老人介護を考える視点    鈴木喜久子

編集後記・投稿のお願い


創刊のことば     江田五月

eda-s93.jpg (4479 バイト) 「星の数ほど」とは数多いことのたとえだが、その中で最も明るく輝くのが、おおいぬ座の「シリウス」である。8.7光年の先から、厳寒の夜空に光を届ける。ペテルギウス、リゲルとともに、船の位置を確かめ方位を定める天体観測の基となる。

 私たちの政策研究会の命名にあたり、私は二つのことを思った。その一つは、先達の志を正しく受け継ぎたいということである。

 私事で恐縮だが、私の父・江田三郎のことを記したい。昭和一四、五年ごろ、父は、農民運動や反戦運動のかどで入獄した。大阪の椿繁夫さんの資料整理を手伝い、岡山に帰ったところを、自分の方は整理をしないうちに逮捕されたという。

 二年八か月のほとんどが未決だというから、作業も日課もなく、房の窓際に芽を出した雑草や、鳥の声や星の輝きで無柳を慰めたのだろう。文学書も読み漁ったようだ。

 母は、行商で糊口をしのぎ、父の日用品を差し入れた。冬になり、面会に来た母に、父が「シリウスはまだ見えぬか」と尋ねた。日中戦争の真只中、日米開戦前夜の暗黒の時代である。

 今、時代は大きく変わった。「平和憲法」があり、国民はひとしく選挙権を享受している。飽食の時代とさえいわれる。

 しかし、「管理教育」で偏差値に追われる子ども。「会社社会」で「社畜」といわれるおとな。そのあとに来るわびしい老後。これを親のそれ、夫のそれ、自分自身のそれと三回経験させられる女性。格子こそなくなったが、牢獄はより巧妙かつ精緻になっているのではないか。今こそシリウスが輝きを見せ始めなければならない。

 私もかつて社会主義の理論に魅かれた。今、社会主義は明日を語る語彙から消え去ったと思う。しかし今も、かつての勇気ある社会主義者の、不正義に対するはげしい怒りと改革へのつきない情熱は、何より大切だ。私たちはこれを、そして何よりも未来に対する底抜けの楽観主義を、正しく引き継ぎたいと思う。これが命名の一つ目の理由だ。

 もう一つは、未来に対する確かな指針を示したいということである。

 私たちは今、世界史的大転換の真只中にいる。冷戦が終ったことは、たんに米ソ両陣営の軍事的対立構造が終ったことだけを意味するのではない。軍事対立のもとにあった「資本主義」と「社会主義」の体制の対立自体が終ったのだ。どちらが勝ったのか、議論はあるが、重要なことは、勝敗の見極めではなく、その対立で世界が動いていた時代が終り、新しい時代が始まろうとしているということなのだ。

 両体制の対立時代は、「産業社会」の時代、生産力の大きさを競う時代だった。主権国家が国際社会で覇を競った。経済力や政治力や、そして最も激しく軍事力で競った。

 この時代に覇を制したのは、社会全体が競争型モデルで貫徹されている国である。例えば日本は、経済は世界に冠たる効率を誇る日本型経営の会社、教育は偏差値で輪切りにされ格付けされた学校。そして競争の足手まといになるものはどんどん後回しにされ、「二一世紀は日本の世紀」といわれて悦に入っていたのだ。

 しかし今、経済大国と称されGNPの大きさを誇る日本に住んで、生活する国民みんなの心の中を、寒々とした風が吹き抜けているのではないか。破壊された自然、劣悪な住環境、心の荒廃、過密の中の断絶。膨大な「正」の成果の反面、同じく膨大な「負」の蓄積をもはや見ないわけにはいかない。

 それなのに、私たちが直面している現実から目をそらし、競争型モデルの世界を前提として、次は軍事力だとばかりに覇権競争に精をだすのでは、「一周おくれのランナー」になってしまう。

 冷戦終結で、このような競争型モデルの時代自体が終った。次に来る時代は、「生活社会」の時代、共生型モデルの時代でなければならない。
 先進国と途上国とどちらが人間として価値ある人生を送っているか。途上国こそが、豊かな自然と共生する循環型社会システムを、二一世紀のモデルとして提供しているのではないか。

 国家とは何か。国家が構成員に忠誠を強要できる時代は終った。構成員の共生の場として有用なかぎりで、国家が存在して機能すればよいのではないか。目的によっては、国家は無用、時には有害で、国家以外の政策枠組みを構想した方がずっと合理的という場合がある。そのことを、正面から認めることによって、私たちの政策手法は一変し、ずっと自由かつ多様になるのではないか。

 例えば、平和、環境、人権、国際経済などで、世界の新しい秩序を模索する場合、主権国家を超えた国際機構を、世界全体や地域ごとに、目的に合わせ合理的に考えたい。要するに、世界を主権国家の関係から市民社会のルールに近づけていくことだ。ゴミや下水道、介護や教育などでは、自治体が生活者の政府としての役割を果す。その自治体も、既存のものを絶対祝する必要はない。分権だ。

 あらゆる面でパラダイムの大転換が求められている。価値観を変えれば、すべてのものに全く異なった評価が可能になる。そういう時代に、自由な思考で二一世紀の指針を示したい。これまでの羅針盤が通用しない時代に、原点に戻って方位を示す星の役割を示したい。命名の二つ目の理由だ。

 世の中には、個人の努力を結集すれば達成できることと、これを調整し方向性を与えなければできないことがある。世界史の大転換を乗り切って、素晴らしい二一世紀を創る仕事は、個人の努力の範囲を超えた、政治の役割だ。今こそ、政治が投割を果すよう、政治家が使命感を持たなければならない。

 このようなときに、わが国の政治は行き詰まった。政権党の金権腐敗は惨状を呈している。野党に政権担当の用意はない。一党支配の弊害はその極みに達した。国会の議論は国民から遠く、不透明で国民に見えない。政党が政治を動かす資格を失っているのだ。

 私たちは、国民の直接の負託を受けて「国民議会」に籍をおく者としての責任を痛感する。この時代の議員としての責任を果したいと思う。そこで、政党の枠を超え、個人の決断と責任で、政策研究会「シリウス」を結成した。

 ここに、私たちの決意の証として、未熟ながらあえて私たち自身の編集と執筆で、季刊の政策研究誌『シリウス』を創刊する。


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