講 演 社会民主連合のめざすもの
岐阜経済大学教授 佐 藤 昇
今日のわが国の政治状況の著しい特徴の一つは、社共を担い手とする古いタイプの革新の思想、路線が危機に陥り、その破産が明らかになっているにもかかわらず、それにかわる新しい革新の理念と路線が明確にうち出されていない点にある。新しい革新のあり方という問題については、思想的、理論的なレベルではたしかにさまざまな探究、模索がおこなわれてきておりますが、それはまだ政治的に定着するにいたっていないと言っていいと思います。
政党としての社会民主連合の弱さ、混迷も、結局はこの点に起因しているのではないか―
このように言うと皆さんからお叱りを受けるかもしれませんが、いずれにせよ本日の主題である「我々のめざすもの」について論じることは、結局、新しい革新のあり方をたずねることに帰着すると思います。
さきに朝日新聞のおこなった政治意識調査によりますと、どうも革新というのは国民にあまり人気がないようであります。国民は革新にほとんど期待していない、国民の革新離れが進んでいる、と言ってもさしつかえないのではないか。ただ、ここで見落してならないことは、国民が革新と考えているものは、社共型の古い革新にほかならない、ということであります。国民はそれ以外の革新のあり方を政治的に経験していないのでありますから、旧型の革新に対する幻滅が革新一般に対する失望となり、革新離れを生み出すのはある意味で当然であって、その限りでは国民の健全な判断を証明しているとも申せましょう。
ですからわれわれとしては国民の革新離れということを表面的にとらえ、もう少し保守寄りにならないと国民の支持は得られないのではないかというように短絡的、敗北的に考えるのではなくて、国民が愛想をつかしているのは古い革新に対してである。したがって、われわれとしては、国民の同意を調達しうるような新しい革新のあり方を真剣に探究し、それを政治的に定着させてゆくにはどうしたらよいか、という積極的、能動的な態度で臨むべきではないか、と考えるわけであります。
古い“革新”と新しい“革新”
それでは古い革新と新しい革新との基本的な違いはどこにあるのか。この問題にはさまざまな角度からのアプローチが可能でありますが、ここでは一応、第一は、資本主義とか社会主義とか言われる場合の体制の問題をどうとらえるかという体制観の問題、第二に、革新運動ないし社会主義運動の目標、課題、性格をどう見るかといういわば運動観の問題、この二つ基準にして考えてみたらどうか、と思います。問題の性質上、議論がやや抽象的になるかもしれませんが、その点はあらかじめ御諒承下さるようおねがいしたいと思います。
今日、わが国をも含む西側の体制を資本主義としてとらえ、ソ連や中国などの体制を社会主義と見なし、そこに二つの体制の対立、共存、競争といった関係を見出すのが旧型革新の一つの基本的な観点になっています。しかし、私はむしろ、そうした体制観には或る決定的な錯誤が含まれているのではないかと考えざるをえない。そもそも西側の体制を資本主義と名づけることは、必ずしも誤りではないとしても、非常に不充分であって誤解を生みやすい。
私としては、今日の西側の政治、経済、社会体制を単純に資本主義と規定するのではなく、むしろ三つの視点からとらえてみたらどうかということを申し上げたい。一つは、市民社会という観点、もう一つは資本主義という見方、第三は、産業社会という視角であります。この三重の視点に立つことが今日の西側の体制を立体的にとらえるための一つの接近方法になるのではないか。
第一の市民社会とは、中世的な身分的特権や共同体的な規制から解放された独立、自由、平等な市民の構成する社会という意味ですが、元来、この独立、自由、平等な市民というのは、封建的な秩序の解体の上に生まれた独立、自営の小生産者を理念化したものです。この市民社会の理念は、法の前での万人の平等、言論、集会、信仰、結社の自由の尊重を中核とする基本的人権、国民の参政権とその上に立った代議制民主主義、さらには三権分立や地方自治などの諸価値、諸制度に体現されているわけであります。
これらの諸価値や諸制度を否定し、廃絶しようとするのがほかならぬファシズムでありますが、第二次世界大戦が、その世界史的敗北に終ったことは御承知のとおりであります。今日の西側の体制をまずこのような市民社会としてとらえること、それが第一の観点であります。
第二の資本主義というのは、今日の西側の体制が、経済制度として私企業制度をとっており、私企業が市場機構の上に立って、利潤追求を原動力として社会の物質的再生産の基底的部分を担っている、という視点から、この社会の性格をとらえたものであります。ただし、ここで注意しなければならないのは、今日の西側社会の物質的再生産において一定の機能を果しているのは決して資本主義的私企業だけではなく、そこには、私企業の活動を補完し、規制し、制御する諸機構、諸装置がつくられている、ということであります。
この補完の制度の典型的なものとしては、何よりも社会保障制度、あるいは公共財、社会資本の供給を挙げなければならないでしょうし、規制の装置としては、一例として労働基準法、独禁法、公害防止法などの法体系と、これを実現するための機構を考えることができましょう。制御のメカニズムとしては総需要調整による景気変動の統御、経済成長の誘導をめざす経済計画などを挙げることができます。
私企業制度が今日の西側諸国の経済体制の私的セクターを構成しているとすれば、補完、規制、制御の諸装置はその公的セクターを成しており、両者が一体となっている点に今日の西側の経済体制が混合体制と呼ばれる根拠があることは言うまでもありません。この場合、厳密な意味で資本主義と呼ぶべきものは、あくまでその私的セクター、私企業制度とその諸活動であって、それを補完し、規制し、制御する諸機構、装置までも、資本主義制度のなかに含めてしまうことは、理念的にも実践的にも混乱しか生み出さないことを銘記すべきです。
現に今日、われわれは社会保障制度の充実や公害規制の強化を要求しておりますが、それは何も“資本主義制度を強化せよ”と要求しているわけではない。むしろその反対であって私企業活動が野放しにされるところから生まれる社会的不公正を是正するために社会保障制度の充実を要求し、また同じ原因で発生する自然環境の破壊を防止するために公害規制の強化を要求しているわけです。この問題については、旧型革新のいわゆる国家独占資本主義論をとり上げるところでまたふれることになるでしょう。
第三の産業社会とは、産業的諸価値が圧倒的な優位に立ち、政治、文化、教育など、その他の生活領域が産業的諸価値に従属させられている状況ないし傾向であって、それはちょうど軍国主義の社会が軍事的価値の優位によって特徴づけられる社会であるのと同じであります。
もともと産業活動は、人間生活の物質的再生産のために、いかなる場合でも不可欠なものです。したがって、単にそのような活動がおこなわれているということだけから産業社会と名づけるとすれば、およそ産業社会でない社会はあり得ないことになります。
しかし、ここで言う産業社会とは、もちろん、そういう意味ではなく、産業活動がいわば自立化し、物質的な富の生産や経済成長が自己目的となって人々の生活を全面的にその中に巻き込み、人々の価値観や生活様式をも規定してしまう状況を意味しています。
人間の能力も、産業的諸価値を基準にして評価され、教育はそのような能力を養成し、選抜するための機構となる、人人は産業社会の位階制的秩序の内部に包摂され、そこでの地位の上昇に生き甲斐を見出すようになり、いわゆる企業人と化して市民的自立性、自発性を喪失し、公的関心が稀薄化していく
―
産業革命を契機にしてひろがったこの産業社会化の波は、今日では全世界的に広がっており、必ずしも西側の諸国だけに見られるわけではありませんが、西側の諸国において産業社会がもっとも高度な成熟に達していることは明瞭であります。
以上、市民社会、資本主義、産業社会という三つの次元ないし観点から西側の体制を見たわけですが、問題はむしろこの三者の相互関連にある。この相互関連を明らかにして初めて西側の体制の性格や問題点を立体的にとらえることができるのではないかと思います。
第一に資本主義が歴史的にも、市民社会的諸価値と諸制度を前提にしていることは明らかです。資本主義は商品生産の高度な発展として商品生産者の平等を前提にしている。営業の自由、移動の自由、職業選択の自由等なしに資本主義は成立しえない。
元来、資本主義は中世的な共同体規制から解放された自由なプロレタリアートの歴史的形成の上に立っている。資本主義の発展のためにフランス革命を必要としたこともこのことを立証しています。このような意味で資本主義は、市民社会を前提にし、そこから生まれている。同根であるということが第一点であります。
しかしながら、第二に資本主義には市民社会的な諸価値と諸制度、自由と平等を破壊し、空洞化するような性格が初めからつきまとっていることも直視しなければならない。先にもふれたように市民社会の理念は、自ら所有し、労働する相互に平等な独立、自営の小生産者をモデルとして構成されたものですが、資本主義はまさにこの独立小生産者の分解と、収奪の上に成立したのであって、独立、平等であるべき市民が労資に分解し、そこに階級的不平等があらわれたわけであります。
しかし、ここで注意すべきことは、資本主義の成立に伴う階級的不平等の発生によって市民的平等が全く解体され、消滅してしまったわけではない、ということであります。むしろ市民的平等と階級的不平等とが相克しつつ、共存するというきわめて複雑な、矛盾にみちた事態が生じたと見るべきてあります。たしかに初期の資本主義のもとでは、プロレタリアートはいわば市民社会のアウトサイダーの地位におかれていた。当時の労働者は団結権や争議権もみとめられず、参政権にしても厳しい財産制限があって事実上、無産者、労働者には参政権が拒否されていたわけです。当時の労働者、無産者は企業内、工場内で資本の専制の下におかれていただけでなく市民社会的にも事実上、無権利状態あった。
こうした状況は言うまでもなく今日では大きく変っており、労働者、無産者は、市民社会のアウトサイダー的な立場から抜け出し、法の前での市民的平等という点では労資の間に特別の差別はなくなっている。このこと自体、労働条件とか賃金とか団体交渉権などの点での、企業内における労働者の地位の改善とともに社会主義運動、労働運動の苦闘の歴史が生んだ大きな成果であります。
もちろん、今日でも労資の階級的、社会的不平等が解消したわけではない、それは確かに存在している。この不平等は一応二つに分けて考えることができます。
一つは財産と所得の不平等です。資本主義とその基礎にある市場機構には、所得や財産の不平等を自動的に是正するメカニズムは備わっていない。むしろ、そこに生じるのは弱肉強食、優勝劣敗であり、その意味では、市場機構はまた非情機構でもあるわけです。
もう一つは、権力や情報への接近における不平等であります。ビッグ・ビジネスを支配している大経営者、大資本家とただの勤労者との間に、この点で大きな不平等が存在していることを改めて強調するまでもないでしょう。それが所得や財産の不平等と相まって市民的平等の理念とそれを体現した制度を絶えず空洞化し、歪曲する要因として作用しています。
このような市民社会と資本主義の矛盾、対立、絡み合いのメカニズムをさぐってゆくと、最後に突き当たるのは、今日、資本主義企業の内部においては、市民的価値基準がほとんど通用していない、そこにはある種の専制が支配しているという事実であります。現代のビッグ・ビジネスは、それ自体が国家にも比すべき巨大な位階制的秩序をもった官僚機構にまで成長しており、勤労者、労働者はその中に一個の歯車として組み込まれており、経営者の一方的な意志決定に従属させられている。労働者は企業の意思決定には何らの発言権ももっていない。
もちろん、労働組合の組織化が進み、労働組合運動が発展している今日、賃金とか労働条件にかんする発言権という点で、現代の労働者の立場は、かつてのそれとは著しく異っていますが、それは企業の意思決定のうち、賃金や雇用、労働条件にかかわるごく一部についてある程度チェックする機能にすぎず、生産の目的や意義、労働の内容、生産過程の管理等については、労働者は、事実上、経営者に白紙委任することをよぎなくされている。
こうして市民社会の真只中に中世的秩序が横行している。しかもこのような専制の場である企業のうちには、なまじっかの国家よりも巨大な世界企業にまで発展しているものが珍しくないというのが現状であります。これが資本主義と市民社会との第二の関係であります。
第三に見落してならないことは、市民社会的諸価値の中核をなす自由や民主主義は、決して真空の中に存在しているのではなく、それが実質的内容をもつためには、産業社会の一定の発展を必要とする、ということであります。
国民大衆が喰うや喰わずの原始的貧困のなかにおかれており、文化的水準が著しく低く、大部分が文盲である、余暇もほとんどない、といった状況のもとでは、仮に制度としての自由や民主主義がいかに保証されていても事実上、絵に画いた餅に過ぎません。やはり、自由や民主主義が実質的な内容を持つためには、国民大衆がある程度、貧困から解放される、一定の余暇を持つ、文化的水準が高まる、そしてコミュニケーションや交通手段の拡大によって行動範囲が拡大される、情報への接近が容易にされる等々の諸条件が必要とされるわけであります。
しかし、これは産業社会のある程度の発展なしには実現できない。たとえば、江戸時代の庶民に宇宙旅行の自由が与えられていたとしても、それは全くの虚構の自由にしかすぎなかったでしょう。
このように産業社会の一定の発展が初めて市民社会的価値に、自由と民主主義に実質的な内容をあたえうるのであり、そこに産業主義の歴史的役割があったことを認めるべきであります。
第四に、この産業社会の発展は事実上資本主義を動力として進められたのであって、資本主義がなければ産業社会の発展もありえなかったことは明白です。産業革命は産業社会化の出発点を形成すると同時に資本主義の確立を刺したものであって、マルクスが資本主義の歴史的な進歩的役割とか、その文明化作用として指摘したのは正に事態のこの側面にほかなりません。
第五に、産業社会の発展には、このように原始的貧困からの解放を通じて自由と民主主義に一定の実質的内容を与えるという側面があると同時に産業主義には、それが今日の西側の体制におけるように資本主義的私企業制度によって推進されようとも、或いはソ連にみられるように、社会主義建設という名目で進められるにしても、すべてを量化し、事実上、生活の質的多様性を見失い、効率だけを至上の価値として人間を手段視していく根本的な非人間性がはらまれていることは、さきに産業社会の特質として述べた通りであります。
ほかならぬ産業主義によってもたらされた豊かさのなかで、今日、産業主義への鋭い告発がおこなわれていることは決して偶然ではないわけであります。
見失われていた“市民社会”、軽視されてきた“産業主義”の弊害
以上、市民社会、資本主義、産業社会の相互関係をみたわけですが、そこからどのような改革の理念、戦略が出てくるかというのが次の問題であります。この改革の理念、戦略がすなわち社会主義であると考えていいと思いますが、それは一言でいえば市民社会的価値、諸理念を継承し、発展させながら、その観点から産業社会をつくりかえ、資本主義を乗り超えてゆくという展望であります。
しかし、この問題に立ち入る前にここで一応伝統左翼、旧型革新の体制観を見ておきたい。
第一に伝統左翼の体制観においては、今日の西側の体制を市民社会としてとらえる視点はなく、それを資本主義として一元的に見る。すなわち、そこでは市民社会の諸価値と諸制度とは、普遍的な意義をもつものとは見なされず、単に資本主義の上部構造にすぎないもの、いわゆるブルジョア民主主義として把握されています。
そしてこのブルジョア民主主義は下部構造としての資本主義制度が打倒されなければならないと同じように、いずれは克服されるべきものとされている。したがって、この市民社会的諸価値と諸制度を戦術的に利用するということは考えられても、それを人類史の成果として、あくまで発展させてゆく、むしろそれらの市民的諸価値の産業領域も含めた全社会への貫徹、滲透こそ社会主義であると見る視点は全然ない。
かれらはブルジョア民主主義を克服し、それにプロレタリア民主主義を代置しなければならないと主張してきたのですが、ではそのプロレタリア民主主義とは何かと言えば、それは今日の東側の諸国の現実を見れば一目瞭然としている。すなわち、一党支配と代議制民主主義の事実上の不在、選挙の名目化と複数政党の否認、自立的な市場運動と自立的大衆組織の欠如、一党支配の観念的支柱としての国教化されたイデオロギーの全一的支配、国家権力による思想統制、言論、信仰、思想の自由制限、強力な秘密警察と検閲制度、政治裁判、異端者の追放がそれであり、このようなシステムの名称として、はたしてプロレタリア民主主義という言葉がふさわしいか否かは別として、ともかくブルジョア民主主義を否定した後でつくり出された政治システムがこのようなものであることをわれわれは直視しないわけにいきません。
これが旧左翼の体制観の第一の特徴であります。
もう一つは、資本主義を見る場合、先程申し上げたように、資本主義的私企業制度と、それを規制し、補完し、制御する諸装置を区別してとらえる視点が全くないということです。今日の混合体制を構成している公的な装置や機構をすべて私企業制度とともに資本主義として一括してしまう。
もちろん、一括すると言っても、制度としての私企業と公的諸装置とが一応別物であることはかれらといえども否認できない。しかし、かれらは、両者を含めたものを国家独占資本主義と名づけ、その総体が資本主義である、資本主義の現代的形態である、ととらえるのであります。
つまり、公的な諸装置、諸機能はすべていわゆる独占資本が資本蓄積と体制の維持、延命のために国家機構を従属させ、それと癒着し、それを利用している形態だと説き、これらの公的装置の機能をすべて独占資本なるものの利害に沿ったものとして一元化して見るわけです。
ですから必然的に、この国家独占資本主義の総体を打倒することが社会主義革命の目標だということになります。国家独占資本主義という観点に立てば、どうしても、そのようなオール否定、トータルな打倒という戦略にならざるを得ない−というよりも、そうしたオール否定の見地から現代資本主義を見るために、現代の西側の経済システムを国家独占資本主義というカテゴリーでとらえざるをえなくなる、と言った方がいいかもしれません。
実際には、今日の混合体制の私的セクターと公的セクターとの間には単に後者が前者に奉仕するといった単純な関係ではなく、対立と相互滲透の複雑な関係が支配しており、また公的セクター自体のなかにも、それを私企業活動の利益のために利用しようとする力と、私企業活動に公的・社会的な規制を加え、それを制御していこうとする力がともに作用しており、この二つの力が桔抗しつつ、微妙に均衡しているのであって、誤解をおそれずに言えば、今日の混合体制の公的セクターは半ば社会主義的な性格をもっている、とも言えます。
この“半ば”という限定に注意して下さい。半ば社会主義的ということは、半ば資本主義的―
より正確には、資本奉仕的性格もあるということです。国家独占資本主義論は、いわばこの後者の側面、契機を絶対化してつくり上げた形而上学であり、こんな理論では現代資本主義のダイナミズムは到底とらえ得ないと言ってよいでしょう。
“半ば”といっても五〇%という意味ではなく、それは国によって、同じ国でも時代によって多様であり、それ自体、それぞれの国、時代における親資本主義的勢力と社会主義的勢力との―
日本流にいえば保守と革新の力関係の反映であります。
また、そのようにとらえるのでないと、われわれが社会保障の充実を要求していくとか、福祉国家をつくってゆく、ということ、しかも、それを社会主義にむかっての前進としておしすすめるということの理論的根拠を明確にすることはできません.
さらに資本主義的私企業制度そのものの把握においても、旧型革新派の見方はきわめて機械的・一面的です。私企業的制度自体、さまざまな要素によって構成されております。私的所有制、経営者の専制支配、利潤動機、市場メカニズムの各々について何を継承し、何を拒否し、何を改造するのか、改造するにしても、どこをどのように改めるのかを明らかにしなければ、かえって現状より悪いシステムを生み出すことになる。決してヤミクモに打倒しさえすればいいというものではない。この辺の議論が著しく粗雑なのも伝統左翼の体制観の特徴です。
最後に、伝統左翼には産業主義に対する原理的批判はない。産業主義をも資本主義に解消してしまっているからです。また、これには、かれらの社会主義像のモデルであったソ連型社会そのものが社会主義の建設という名目で産業主義を推進している官僚主導の産業社会にほかならない、という事情もあずかっています。
以上に見た旧型革新の体制観があまりに現実離れしていて、国民に対して説得性をもちえなくなっていることは、旧型革新派の内部でもある程度自覚されてきており、そこからある種の自己批判も生じています。いわゆるユーロ・コミュニズムの抬頭もその一つのあらわれと見ることができます。だがこれはそれ自体旧革新の思想的、イデオロギー的破産と解体の兆候にほかなりません。
ソ連を典型とする東側の体制は市民的諸価値と諸制度をブルジョアデモクラシーとして否認している。そして私企業の経営者専制を官僚専制に変えており、しかも市場機構が全面的に否認されている結果、自由と民主主義の基礎の一つである経済的意思決定の分散が不可能になり、消費者主権が否定されている。同時に経済の効率も著しく阻害されている。しかも産業主義とそこから生まれる管理社会化という点では西側諸国に勝るとも劣らない。
このような体制を社会主義とみたてる一方、西側の体制を一元的に資本主義としてのみとらえ、二つの体制の対立を説くような図式は、いかにも現実から遊離しており、このような体制観は、実は、東側の体制の官僚が苦し紛れに生みだした神話にほかなりません。
元来、社会主義とは、産業主義を批判し資本主義を乗り超えようとする社会改造の理念であり、価値体系であります。社会主義は海を超えた何処かの国にあるのではなく、社会改造の理念としてわれわれの足下にある。われわれは、この理念に照らして、西側と東側の体制の双方を評価し、批判するのでなければなりません。
いま、そのような理念に立って東側の体制を見るとさ、ソ連をはじめとする東の国々の内部で、官僚の迫害に耐えながら、自由と人権のための苦難のたたかいを続けている反体制派の人々とその運動のなかに、かえって社会主義の原初の理想が脈うっていることを見出すのはまことに歴史の皮肉というほかはありません。
「分権」と「参加」による民主主義の充実
ひるがえって、この社会主義の理念に照らして、今日の西側の体制を見るとき、そこにどのような問題がはらまれているか、それがまさにわれわれの当面の問題であります。
第一は、自由と民主主義の問題でありますが、西側の体制のもとでは、いまだに根づよい産業的諸価値の優先と私企業権力の異常肥大によって自由と民主主義が絶えず歪曲され、空洞化される危険にさらされている。それをいかに克服していくかは一つの大きな戦略的課題であります。その場合、われわれとしては、すでに制度化されている自由と民主主義を防衛するという姿勢では足りないのではないか、それだけでは反動と区別された意味での保守の機能である、保守でも果しうる機能であります。
革新の課題は自由と民主主義の拡大、発展であり、その全社会的な貫徹であるととらえるべきではないか、と思います。そのために今日、中枢的な課題として、強調されているのは、社会民主連合の綱領的文書の中でも謳われている、いわゆる分権と参加であります。
この分権の意義は、三つの側面からとらえることができるように思います。
第一は民主主義の基本的要請である権力の分散という契機であります。三権分立が権力の機能的な分散と相互抑制をはかったものだとすれば、地方分権はいわば権力の空間的分散をめざしていると見ることができます。そうした意味で分権は民主主義の基本的要請のなかに本来的に含まれている、と見てよいと思います。
第二に分権は、代議制民主主義を直接民主主義に可能な限り接近させるための制度的工夫として見ることができると思います。元来民主主義の理念からいえば、直接民主主義が望ましいわけですが、社会生活の規模が一定の限度をこえて、拡大してくると、直接民主主義は事実上、実現不可能となる、そこで一種の妥協として次善の策として代議制民主主義がおこなわれることになりますが、それだけに代議制民主主義には、絶えず空洞化される危険がつきまとうことが避けられない。この空洞化をまぬがれるためには、代議制民主主義は、常にそのイデアとして直接民主主義を志向していなければならない。しかし、現実に直接民主主義が有効に働く一定の空間的限定を必要とする。そこに地方の分権のもつ、大きな意義があり、それは代議制民主主義を補完し、活性化するためにも不可欠だと言ってよいと思います。
第三に中央集権が産業社会的な量の優位に対応するものだとすれば地方分権は生活の質的多様性の尊重に対応している。中央集権が一元的価値観の支配になじみやすいのに対して、地方分権は価値の多元性を内包しているとも言えましょう。
このような意味で分権の問題は、西側における自由や民主主義を発展させ、その理念の普遍的貫徹をめざす際の重要な戦略的課題となると言わなければなりません。
次に参加の問題ですが、民主主義とは、もともと参加のシステムであり、このことは、政治的民主主義がまず国民の参政権という形で実現したことを見ても明らかです。今日の課題は、はたしてそれを単に選挙権という形で立法への間接的参加にとどめておくだけでいいのか、むしろそれをより拡大してゆく必要があるのではないか、という点にある。
現代のように立法に対する行政の優位が強まっているとき、立法への間接的参加だけでは民主主義の基本的な理念が実現されず、代議制民主主義そのものも空洞化してゆくことは明瞭であります。この参加は、広く社会生活の全領域において実現されなければなりませんが、とりわけ重要なのは、先にも触れたように、市民社会ではすでに実現ざれている制度さえ滲透していない、いわば市民社会の治外法権的聖域とされてさた企業経営の内部にいかに参加のシステムを導入するかという問題であります。
実はこの問題は自由と民主主義の根本問題であると同時に資本主義的私企業制度の超克という課題の要を成す問題でもあります。しかも、このように従業員が経営の意思決定から疎外されている限り、そこでの従業員、労働者の地位は、その企業が私営であろうと国営であろうとほとんど変わりがない。このことは逆にいえば労働者が企業の意思決定に参加しうるならば、私有といっても、それはせいぜい資本の持分に対する配当の問題に帰着するだけだとも言えるわけです。
現在、西ドイツでは共同決定の制度が拡げられようとしています。これはいわゆる経営参加のシステムであり、さし当り、労働者の代表が重役として企業経営に入っていくといったきわめておだやかな改革として導入されようとしておりますが、そこを貫いている理念には非常に深いものがあります。もし、労働者、従業員が単なる形式でなしに、実質的に企業の意思決定の半分を握り得たとしたならば、その時の私企業制度を資本主義と呼ぶかどうかは多分に定義の問題にすぎないと言えるでしょう。
この私的資本主義制度の改革という課題については、なお二つの問題があります。
一つは、この制度の基底を成している市場機構を廃止してはならないということです。その理由については先に触れましたので改めて述べませんが、経済の効率の点からも、また経済的意思決定の分散−意思決定の集中は民主主義と両立しない−という点でも、需給の自動的調整という点でも市場機構は代替しうるもののないシステムであり、市場機構は、たしかに資本主義の基礎をなしていますが、決して資本主義と不可欠のものではない。このことは、東の体制の悲劇的な体験によって明らかにされたところです。
もう一つは、私企業制度自体がもつメリットを評価しなければならないということです。全面的国有化には大きな弊害を伴う。第三次産業、特に狭義のサービス部門、たとえばパーマネント屋とか理髪店とかレストランなどは本来国有化になじまない。ウェイトレスまで役人だというのは決して望ましくない。教育、ジャーナリズムなど知的産業も公私混合がいいと思います。農業なども同様でしょう。
国有化は、第二次産業の素材、エネルギー部門とか、運輸・通信・金融など本来的に公的な性格を持った産業に限定した方がいいのではないか。いずれにせよ、ソ連式の何もかも国有化するという旧型左翼の考え方は、効率という点からも民主主義という点からも排除されなければならない。
最後に今日の混合体制における公的セクターとその諸機能上補完・規制・制御のための諸装置とその役割は、それが既得権によって歪められたり、私企業の圧力によって機能不全に陥ったりしないようにしていく、またそれらの機能自体に参加の原理を生かしてその運用を民主化していくという条件の下で、むしろ強化してゆかなければならない。市場機構の不安定を克服するための経済の計画的誘導とか、或いは市場機構の生み出す所得の不平等を是正するための福祉の諸制度の充実、拡大という課題を離れて社会主義を語っても無意味であります。
真の豊かさの実現
次に産業主義の克服という戦略的課題について言えば、この産業主義、経済至上主義、成長主義には二つの面から現に歯止めがかかっています。
一つは産業化によって達成された豊かさ ―
それなしには自由や民主主義が実質をもたないというその積極面はさきに指摘した通りですが
―
歪みが自覚され、ひたすらそうした豊かさを追い求めることに対して深刻な反省が生まれているということであります。
第一に、この豊かさは決して無償で達成されたものではなく、そこには非常に大きなコストがかかっている、場合によってはコストの方が大きいかも知れないということが次第に明らかになってきています。そうしたコストのうち最大のものは言うまでもなく自然の生態学的均衡の破壊であります。
第二は、豊かさの内容に問題がある。産業社会化のもたらした豊かさは何よりも私的財の消費における豊かさです。マイカーや電気器具など、市場で購入される私的財はたしかに豊かになりましたが、社会的消費の対象では公共財はその供給も著しく立ち遅れている。ガルブレイスが、“私的豊かさ”と“公的な貧しさ”のアンバランスとして指摘した問題は依然として今日の産業社会の大きな病理となっています。
さらにこの私的財や公共財を超えた第三の財である自由財
―
水や空気や陽光など、自然環境の消費に至っては、むしろテレビで見る江戸時代などの昔がなつかしく、うらやましい程であります。自由財の享受が私的財の豊かさと逆比例して破壊されてきているという高度産業社会の現実を直視しなければならない。他方、私的財の消費の豊かさ自体が依然として不平等にしか配分されていないという資本主義とともに古い所得と分配の不平等の問題もなお残っており、それ自体、依然として大きな問題となっているということも無視できません。
このように考えますと豊かな社会というのは、貧しさのあり方自体を多様にした、“豊かにした”社会ではないかという疑問さえ生まれてきます。
第二は労働と消費との矛盾という問題であります。なるはど消費生活は或る程度豊かになったかもしれない。しかし、労働における人間疎外は、生産規模の拡大や技術革新と比例して深まっている、大部分の労働者にとって、労働はますます無意味な苦役としての性格を強めており、人々は労働において生活の意義を確認することが困難になっており、そのことが、逃避としての私的消費の肥大化とそれへの埋没に、追いやっている。
この生産、労働における疎外とその代償としての私的消費への埋没は、現代の高度産業社会における最大の人間的悲劇だと言わなければなりません。
この生産、労働における疎外をいかに克服するか、これには、余暇の問題、生涯教育の問題、経営と管理への参加の問題など多くの問題がかかわっておりますが、いずれにせよ、ここに今後の労働運動、社会主義運動の中心的な課題があることは明らかであります。
もう一つは、言うまでもなく、環境や資源の有限性が産業化の無制限な進行を許さない、ということが明白になったという事情であります。
われわれはいま有限な地球の上に限りない生産力の発展があり得ないという自明の理に改めてがく然としている。人類は地球上に生をうけて以来、生存のために苦しい闘いを続けてきたのですが、今、まさに先進諸国において産業社会化の高度な発展によってこの生き延びるための苦闘がようやく解決されたとみえた瞬間に、われわれは再び別の意味でこの地球上に人類の生存を維持するためにいかなる戦略を用意するかという課題に直面することになったのであります。
今日のような産業社会化の趨勢が無制限に続いて行った場合、資源の枯渇、環境の荒廃、また地球の定員を超える人口増が、どのような破滅を用意するかは例のローマクラブの報告以来、すでに多くの人々によって指摘されているところであります。
ではこうした情況からの活路をどこに求めたらよいか。
何よりも必要なことは、産業社会の歪められた豊かさと訣別して生活の質という原点に立ち帰ること、真の人間的豊かさとは何かを問い、これを探求することであります。
ケインズは市場メカニズムによる総需要と総供給との自動的均衡という神話を打破して、これを意識的、政策的に制御する必要を説きましたが、かつてのように人口や産業の規模が比較的小さく、或は技術の水準が低かった当時は、この生態学的均衡も自然の浄化力によってほぼ自動的に達成されていたのですが、今日ではちょうど、ケインズが指摘した通り、総需要と総供給の自動的均衡が期待しえないのと同じく、エコロジカル・バランスの維持には意識的、政策的な制御という考え方を導入しなければならなくなっています。
それは産業構造の変革、経済成長の計画的な減速、省資源、無公害技術の開発、消費生活の改革、ひいては価値観の転換にいたるまでのきわめて広汎な課題として提起されており、こうした課題を系統的に実現してゆくことこそ現代の革新そのものに外なりません。
社会主義とは漸進的改革の歩み
次に革新運動、社会主義運動の性格、形態、課題をどうとらえるか、という運動観をめぐる問題でありますが、時間の都合であまり詳細に立ち入ることはできませんので、二、三のポイントをお話しすることで御容赦ねがいたいと思います。
この問題をめぐって、従来、社会主義運動の内部には二つの潮流があったと考えてよいと思います。
その一つ、旧革新の路線は現存する資本主義体制を打倒し、全く新たな別の体制によってとりかえる、窮極の目標としてそれをめざすのが革新運動であり、社会主義であるという考え方であります。これは言わば資本主義体制の物理的打倒をめざす運動傾向であります。
もう一つの潮流、われわれの観点は資本主義と呼ばれている体制の内部に、社会主義の理念にそった諸制度を定着させてゆく、そのことによってあくまで現にある体制そのものを社会主義の理念に近づけていく、という観点であり、譬喩的に言えば、社会主義の理念を触媒にして現体制の化学的変化をひきおこしてゆくという運動方向であります。
この二つの潮流は、体制観および運動観において全く異った見地に立っています。
第一の潮流は、現在の西側の体制を一〇〇パーセントの資本主義と見なし、そこに多かれ少なかれ社会主義的要素が組み込まれるということは一切認めない、したがって、この体制はオール否定の対象にしかならないわけです。また、社会主義体制はそうしたオール否定の結果として、全く新たにつくり出される体制として考えられており、結局、多かれ少なかれ、今日の東側の体制のようなものが構想されることになります。
しかし、第二の潮流にあっては、現存の西側の体制を純粋に資本主義的なもの、一〇〇%の資本主義とは見ない。自由、平等、博愛といった市民革命の諸理念の普遍的貫徹、それによる産業社会のつくり変えという視点から見たとき、ソ連と北欧の福祉国家、たとえばスウェーデンとどちらの体制が社会主義の本来の理念に近いかと言えば、むしろスウェーデンの方だと見るわけです。
このことはもちろん、現存の福祉国家を理想化しようとするものではない。そもそも理想の体制などという観念自体が根本的な倒錯の上に立っていると考えるのです。したがってこの潮流にあっては、社会主義とは現存の体制を打倒して全く新たな体制をそれに代置するという方法で実現されるべきものではなく、社会主義とは何よりも現存の体制を改造してゆく際の理念であり、その理念にそった改革の運動であり、その運動によって、現存の体制のなかに蓄積され、沈澱され、制度化されてゆくものである、と見るわけであります。
この路線においては、社会主義運動とは絶えざる漸進的改革の歩みであり、窮極目標は理念としてのみ存在するのに対し、現存体制を物理的に打倒し、それを全く新たな体制で取り替えるという視点に立つ路線においては、多かれ少なかれ体制の一挙的な変革が目標とされ、平和的とか、いろいろ限定を付しても結局は、社会主義革命なるものが想定されることになります。
権力の移動を意味する政治革命としての社会主義革命は本来、議会制民主主義とは両立しえない概念です。政治的民主主義、代議制民主主義がおこなわれているもとである政党が政権の地位についた場合、しかも、その政党が議会制民主主義とそのルールを尊重する立場をとっている限り、それは革命でも何でもない、一旦にぎった政権は、反対党には絶対わたさないというのでなければ革命とは言えない。
たとえばわが国で共産党が民族民主革命だか何だかわかりませんが、ともかく、その革命なるものに勝利して革命政権が樹立されたとします。それは何も共産党の単独政権でなく、連合政権でもいいわけですが、しかし、その革命政府が、次の総選挙であっさり自民党ないしそれに近い政党に政権をゆずってしまうとしたら、それは革命でも何でもなかった、議会制民主主義の枠内でのごくあたり前の連合政権の樹立にしかすぎなかったということになります。またもし、自民党にはどんなことがあっても絶対に政権をわたさないというのであれば、議会制民主主義とそのルールを尊重するという共産党の公約はウソだったということになるだけであります。
もともと議会制民主主義という政治システムは、かつて人間の頭をぶち割るという方法、革命という形でしかおこなわれなかった党派間での政権の移動を、人間の頭数をかぞえるという非革命的手段でおこなうというルールを案出し、それを制度化したものですから、この制度を前提にし、それを尊重することを公約しながら、政治革命を考えるということは、論理的矛盾以外の何ものでもありません。
もちろん議会制民主主義の下でも革命はあり得るでしょう。しかし、その革命は左右いずれを問わず、議会制民主主義を否定する立場からしか行い得ないのであって、ドイツのナチズムやイタリアのファシズムの反革命のそれであります。一旦、こうした反革命がおこなわれれば、それに対する抵抗運動が革命的形態でおこなわれる、ということは大いにあり得るでしょう。それはいわば、議会制民主主義の不在が生み出したもので、革命とは政治的民主主義の不在のみが生み出すものであり、また政治的民主主義の不在のみが合理化しうるものだということを改めて確認するものにほかなりません。しかも、ファシズム下での抵抗運動が革命的形能でおこなわれるとしても、それは基本的に民主主義を再獲得するための民主主義革命の再版とみなすべきものであります。
要するに議会制民主主義の下にあって、そのルールの尊重を公約しつつ、政治革命としての社会主義革命をめざすということは致命的な錯誤であり、この点、ユーロ・コミュニズムなども、理論的にきわめて不明確であり、何を考えているのか、さっぱりわからないわけです。
さきの総選挙で日共の宮本委員長は、“よりましな政府”というようなことを言いましたが、議会制民主主義のもとでは、“よりましな政府”しか存在しえないのであって、共産党にベストの政府などつくられたら堪ったものではない。なぜなら、最善の政府として考えられているのは実は議会制民主主義の枠をはみ出した革命政権にほかならないからであります。
また、社会党も過渡的政府というようなことを言っておりますが、一体、議会制民主主義のもとで過渡的でない、どんな政府があり得るのか、是非一度、社会党に聞いて見たいところであります。スウェーデンなどでは社会民主党が四十年も政権についていましたが、やはり“過渡的政府”でしかなかったことは、一昨年ですか、総選挙でやぶれて政権の座から降りたことでも明らかであり、議会制民主主義のもとでは、本来、それ以外ではありえないのであります。
長期展望をもった政策形成能力を!
以上、いろいろお話ししてきましたが、重要な問題で触れ得なかったことが多い。特に社会主義運動の主体の問題、あるいは連合の問題、また運動の国際的な課題など一切ふれる余裕がありませんでしたが、最後に、最近の革新政治戦線の状況について簡単に私の見るところをお話ししたいと思います。
先程の田代表のお話にも関連することですが、戦後のわが国の革新政治戦線の著しい特徴はまともな先進国型社会主義政党の不在ということであります。これは革新の首座を占めてきた社会党が社会民主主義とマルクス・レーニン主義の混合政党だという特異な事態から生じたものですが、六〇年代以降の野党の多党化によってもこの政治的空白は埋められなかったと思います。
六〇年には民社党が生まれていますが、民社党の民主社会主義の路線とイデオロギーは、わが国の運動のなかから泥にまみれて生み出されたものというよりも、西欧の民主社会主義の直輸入といった性格がつよく、それも、本場の民主社会主義が冷戦下で極度に硬直し、不毛化していた時期のものだ、と言えるように思います。さらにこの日本型民主社会主義の潮流は、社共型の革新に対抗するという政治力学から過渡に自民党寄りの保守的性格を一貫して持ってきている。したがって民社党は、量的にも質的にもこの政治的空白を埋める力量をもちえなかったわけであります。
ある程度、この空白を埋める役割を果してきたのはむしろ公明党だと言ってよいと思いますが、公明党は、教条にとらわれないプラグマティックな機動性をもった政党でありますが、長期的なビジョン・戦略がいたって不明確であります。また党の路線や政策では政教分離が進んでいますが、人的構成や支持基盤という点では依然として宗教的性格がつよく、それが国民の多くに反発や違和感をあたえていることは否定できない。このことを誰よりも鋭く自覚しているのは、公明党の指導者自身でしょう。
ともあれ、まともな社会主義政党の不在のまま、五五年体制崩壊が語られ、与野党接近とか、保革逆転が予想されるような事態をむかえたわけであります。こうした状況に直面していわゆる政権受皿論議がおこなわれたこと自体、この空白を実証しているわけです。
ところで、五五年体制の崩壊といっても、そうスムーズに進行するわけではない、現在はむしろ五五年体制の崩壊過程における小反動期として特徴づけられるのではないか、と思います。それは幾層にも重なり合った一種の手づまり状況のなかにハッキリあらわれています。
一つは自民党と野党との関係であります。自民党がかつてのような絶対多数を誇り得なくなっていることは事実です。しかしながら、野党が真に自民党支配を終焉せしめうる力量を示しているかというとそうは言えない。福田内閣の不人気にもかかわらず、自民党は依然国民の最大多数の支持をえており、最近では、むしろ自民党の復調をつたえる現象さえ生じています。
次に革新の内部を見ると、共産党のたび重なる後退と社会党の依然たる停滞のもとで、いわゆる中道勢力がある程度のび、社共型革新が後退し、中道路線が進出しつつあると言われておりますが、中道諸政党の得票、議席を全部集めても社共には及ばない、また労働運動その他の領域で社共型路線は依然軽視できない力を持っております。そういう意味でここにも一種の手づまり、均衡状態が生まれている。
次に中道諸勢力の内部を見ますと、中核を占める公明党に対して、新自由クラブや民社党が右から圧力を加える、これに対してかつては江田さんが、今では社民連が左からハドメをかけるという形になっている。しかしながら、どうもこの左のハドメがあまり強くない。そこから中道勢力全体に一種の方向喪失とも言われかねない動きがあらわれている。
この中道勢力のある意味での混迷といいますか、方向喪失的な状況は、社共にもう少し力量があれば、かれらにとって一つのチャンスとなりうるものである。しかし社共にはそれをチャンスとして生かすだけの力かない.そこにも一種の均衡状態が見られるわけです。
いずれにしても、こういう状況が続くと、旧い革新の崩壊が、新しい革新の誕生に向うのではなくて、革新そのものの解体を招くのではないかという危惧さえ感じられます。新しい革新の戦略にそっていわゆる中道革新の勢力を再結集する、そこに明確な方向性をあたえる、そしてその力によって保革両すくみの状況を打破していくイニシャチヴが切実に要求される所以であります。
その点に関連して一つだけ申し上げたいのは、今日のような大きな転換期にあっては、長期の展望なしには、当面の短期の政策さえ立てにくくなっているということであります。その一つの典型が福田政権でありまして、状況に追随しつつその場凌ぎで当面を糊塗しているだけで、日本全体をどこに持っていくのか、また世界の中での日本をどう位置づけようとしているのか、きわめて不明確であります。
それだけに、革新が真の政治的リーダーシップを発揮するためには、長期の展望を明確にし、それを当面の政策に媒介する政策形成能力をもつことが決定的な条件になると思います。これは知的な能力、指導性でありますから、小さな政党でも可能な課題であります。その意味で社会民主連合に期待するところはきわめて大きい、ということを強調しまして私の話を終りたいと思います。