2000/02/03 |
〒二七九−〇〇三一 千葉県浦安市舞浜 |
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------------------ | 告訴人---- | 古 川 俊 隆 |
職業 | 内閣総理大臣秘書官 | |
生年月日 | 昭和一九年五月七日生 |
〒一六〇−〇〇〇四 東京都新宿区四谷三丁目九番地 光明堂ビル九階 |
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------------------- | 右告訴人代理人 | ||
弁護士 | 淵 上 貫 之 | ||
同 | 鈴 木 国 夫 | ||
同 | 中 條 嘉 則 | ||
同 | 新 井 哲 男 |
〒一一二−〇〇一三 東京都文京区音羽二丁目一二番二一号 株式会社講談社内 |
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----------------- | 被告訴人 | 鈴 木 哲 |
職 業 | 雑 誌 編 集 人 | |
生年月日 | 不 詳 |
〒一一二−〇〇一三 東京都文京区音羽二丁目一二番二一号 株式会社講談社内 |
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------------------- | 被告訴人 | 松 田 賢 弥 |
職 業 | ジャーナリスト | |
生年月日 | 不 詳 |
第一 告訴の趣旨
被告訴人らの左記所為は刑法第二三○条第一項(名誉毀損罪)、同法第六○条に該当すると考えるので、被告訴人らの厳重な処罰を求めるため告訴する。
第二 告訴事実
一、 | 被告訴人鈴木哲は週刊誌「週刊現代」の編集人であり、被告訴人松田賢弥はジャーナリストであるが、両名は共謀の上、平成一二年二月一二日付発行の「週刊現代」二月一二日号表紙上に「小渕秘書は『23億円ドコモ株』を盗み取った」と記載し、同誌本文中に「衝撃スクープ!」「所有者が涙の告発」「小渕首相秘書官の『23億円ドコモ株』は騙し取ったものだった」との大見出しの下に、右表示を裏付け、誇張するため、後記二記載の虚構の記事を執筆・掲載したうえ、右週刊誌を全国の書店・販売店等において不特定多数の者に販売して閲読せしめ、もって公然事実を摘示して告訴人の名誉を毀損したものである。 |
二、 右週刊誌の虚構部分を以下のとおり列記する。
(1) 株価の値上がりが予想もされていなかったにもかかわらず、「この値上がり確実とされる」(二九頁二段目)とし、
(2) 「誰から譲り受けたのかは、口が裂けてもいえまい。なぜなら、『二十数年前』に『200万円』で上毛通信サービスの株を手にしたのは古川氏ではないからだ。そして、古川氏はその本当の「所有者」から譲り受けてなど、いない。この『所有者』こそ、石井康元氏だったのだ。このことを知っているのは古川秘書官、小渕首相、そして、石井夫人など、ごく限られている。古川秘書官が国会質問を受けて、慌てて高崎に向かったのは、こういう理由があったのだ。」(三〇頁五段目)と全く事実に反する記事内容を掲げ、
(3) 告訴人が口にしたこともないのに、「ここに来たことは内密にしてください」(三〇頁小見出し)と記載し、
(4) 「古川秘書官は、玄関の三和土で突然の訪問を詫びながら靴を脱ごうとするのだが、疲れていたのか、足がもつれて、よろけそうになっている。その顔は真っ白と見紛うほどに青ざめていた。」(三〇頁三、四段目)などの誇張や創作を交えて、告訴人をことさらおとしめ、
(5) 告訴人との間に、会話が交わされたことも、発言すらされたこともないのに、「『思い出すも何も、主人(故・康元氏)が亡くなったとき、私は高崎の小渕事務所の秘書を通して、古川さんに対し、『遺産相続の問題もあるので、主人の上毛通信サービスの株を返してほしい。もし、万一にも、主人が上毛通信サービスの購入代金を払っていないのだったら、すぐに払うので株を渡して下さい』とお願いしたでしょう。そしたら、古川さんの返事は『その上毛通信サービスの株は、石井さん(康元氏)が将来、(高崎)市会議員や(群馬)県会議員になるときに役立てようとしたものだった。そのために用意している株を(夫人に)渡すわけにはいかない』という一点張りだったじゃないですか』こう述懐した石井夫人に対し、古川秘書官は、何ら異議を差しはさむこともなく、ただ石井夫人のいうことをじっと聞いていた。そして、1時間ほどして古川秘書官は、『ここに来たことは内密にして下さい。それで、いいですね』」(三一頁二、三段目)などの虚偽の創作を掲載し、
(6) 「『古川さんが(私のところに)飛んでやってきた目的は、『この記事を読んでいるか』と聞かれたときに、ピンときました。上毛通信サービスの株をめぐる週刊誌の記事をすでに私は読んでいて、〈この古川さんの持っている株は主人のものではないか〉と直感で分かったからです。古川さんの言う『二十数年前の高崎の支援者の1人』で、上毛通信サービスと接点があるのは、主人以外にいないからです。しかも、ウチに来た古川さんは『昔のこと思い出してほしい』という。だから私はそれこそ、二十数年ぷりに『あの時、なぜ上毛通信サービスの株を私に渡さなかったのか』と古川さんを責めるように言ったんです。本当は古川さんのほうから、 『実は、あの株は……』と説明してほしかった。それを待っていたんです。でも、古川さんは自分からは何も言わなかった。どうして、何の説明もしようとしないのか。それが残念でなりませんでした』」(三一頁三、四、五段目)といかにも亡石井氏が株式の所有者であり、一方告訴人がこれを不法に取得したような記事にし、
(7) 「小渕首相が『分けてやる』」(三一頁小見出し)という全くの虚偽事実を掲げ、
(8) 「『(小渕)代議士が、『石井さんに(上毛通信サービスの株を)分けてやる。これは (未公開株で)誰でも手に入るわけじゃないんだぞ』と言ってくれたんだ。オレも、これで経済人の仲間入りができたのかな』」(三二頁一段目)と小渕代議士に関して、虚偽の記載をなし、
(9) 「『主人は上毛通信サービスの株を持てたことを、すごく喜んでいたんです。その株のことで、主人は『鈴木弘さん(上毛通信サービス元社長)から、なんで、こんな若造が株主でいるんだと言われた』と言って、たいへんに悔しがっていましたそのことを私は、何度も聞きました。』(石井夫人)」(三二頁二、三段目)との創作を掲げて、株主であるかのように印象づけ、
(10) 「配当金を持ってきた古川氏」(三二頁小見出し)と全く事実に反する嘘の事実を記事にし、
(11) さらに虚偽の創作をして、全く存在しない対話や事情をあたかも真実存在するかのように「その後、石井夫人は前述したように、古川氏に対し『主人の株を渡してほしい』と 依頼したのだが、古川氏は、『この株は、石井さんが市議、県議になるためのものだった』という理由で、いっこうに返そうとしなかった。ところが、康元氏が死去してからほどない夏の日のこと、古川氏が石井家に小切手を持ってやってきたのだ。上毛通信サービスの野口豊治社長が石井氏宛に振り出した“破線小切手”で、金額は11万余円だった。古川氏は、その小切手を『上毛通信サービスの配当金です』といって差し出している。石井夫人は当初、その受け取りを拒み、こういった。『古川さんは、私が、『万一にも、主人が株の購入代金を払い込んでいなかったら、すぐに払うから株を返してほしい』と言ったにもかかわらず、株を返そうとしなかったじゃないですか。私の手元に株がないのに、どうして配当金だけ受けとれるんですか』しかし、古川氏は『いや、まあそんなことを言わずに』と言って、小切手を引っ込めようとせず、2〜3度押し問答が続いた。そして、石井夫人が受け取ると、こう語った。『これからも、このぐらい(11万円余)の配当が出てくると思わないでほしい。永久にあるということではない。これが最後ということもある』」(三二頁三、四、五段目)と掲載しているのである。
(12) 「株主への記念品という趣旨で高級な花瓶や銀の箸置きセットが送られてくることもあった。」(三三頁一、二段目)という事実と異なる記事を掲げ、
(13) 「古川氏は本来の『所有者』に何の断わりもないまま、自分のものにしてしまったとしか考えられない。古川秘書官はドコモ株を取っただけでなく、本来なら、石井夫人が受けとる権利がある配当金まで、結果的に取ってしまっている。これが小渕首相のために汗を流した秘書の遺族への仕打ちなのか。あまりに酷い。」(三四頁一、二段目)などと、いかにも真実であるかのごとき文調で、告訴人を犯罪者扱いにし、
(14) 「『利用できるときは利用し、あとは知ったことじゃない。そういうやり方が許せないと思ったのです。私は、古川秘書官が家まできたのは小渕首相の指示があったと思っています。そして、私に『内密に』といって口止めし、外ではウソを言い続ける。私が何も言わなければ、それで、一件落着だとでもいうのでしょうか。」(三四頁一、二段目)と、告訴人が口にしたこともない言葉を創作し、
(15) 「今回の“株譲渡”も、古川秘書官の独断だとは考えにくい。小渕首相も、当然、知っていたはずだ。もともと、古川秘書官が所有するドコモ株は古川秘書官の名義になっているだけで、本当の所有者小渕首相ではないかとの指摘もあるほどなのだ。石井夫人が指摘するように、国会で追及された夜、古川秘書官が高崎にやってきたのは小渕首相の指示ではなかったのか。」(三四頁四段目)と告訴人や小渕総理の信用を落す記事を加え、
(16) 「『古川さんは怖い人ですね。私が話したことを巧妙にすり替えている。」(三四頁五段目)などと、告訴人の人格を傷つける創作を掲げ、
(17) 「小渕首相はいったい何をしているのか。『富国有徳』ではなく、『不徳亡国』こそ、小渕首相にはお似合いのようだ。」(三四頁五段目)などの、もっともらしい文章で、自己らの虚偽や創作の違法行為を粉飾している。
三、 | 以上のように被告訴人らは、十分な取材をすることもなく前記のように虚構と創作の記事を執筆・掲載し、告訴人が他人の株券を詐欺、横領或いは窃取したとの公然事実を摘示して、告訴人の名誉を毀損したものである。 |
第三 告訴に至った経緯と事情
一、 上毛通信サービス株式会社の設立
(1) 昭和四七年一〇月一一日、群馬県内の民間有力者を対象に、ポケットベルサービス事業を目的とした、上毛通信サービス株式会社の創立総会が開催された。
この当時、昭四三年四月に設立された日本通信サービス株式会社が、東京地区周辺で、ポケットベル事業をすでに開始しており、群馬県でもこの事業を行なうべきだとして、右会社の設立の動きとなったのである。
この動きは、他県にもすでに拡がっており、昭和四七年一二月に新潟通信サービス株式会社、昭和五四年四月に長野通信サービスが、あいついで設立され、自動車電話に関しては、昭和五四年九月、日本自動車電話サービス株式会社が設立され、各自その業務を開始したのである。
(2) 上毛通信サービス株式会社(以下上毛通信という)の設立を企画し、これの推進や、この間の費用を支出し、会社設立資金の準備一切をやったのは、亡鈴木弘(以下鈴木という)であった。
この鈴木が、この事業のお膳立てをやり、上毛通信の会社を設立させたともいえる。
(3) この創立総会に先立って、昭和四七年八月二八日、前橋市問屋町町の問屋会館において、発起人会が開催され、この場で資本金四千万円、一株五〇〇円で合計八万株を発行するなどの合意が成立し、定款案が決定された。
発起人となった人々は、次のとおりの九名であった。
@大山高平(群馬トヨペット社長)、A鈴木弘(群弘通信工業社長)、B鶴谷孔明(群馬県医師会副会長)、C野口豊治(元群馬電気通信部長)、D羽鳥久雄(群馬銀行相談役)、E平方昭(寿運送社長)、F諸田幸一(群馬銀行頭取)、G山本英也(電気通信共済会会長)、H吉沢武雄(日本通信サービス社長)
この中には、本事件の主役ともいえる亡石井康元(以下石井という)は、入っていない。
(4) 昭和四七年一〇月一一日には、創立総会が開催されたが、これに出席した株主たるメンバー及び所有株式数は、次のとおりであった。
@羽 鳥 久 雄 二千株 A大 山 高 平 四千株 B鈴 木 弘 四千株 C鶴 谷 孔 明 二千株 D野 口 豊 治 四千株 E平 方 昭 二万株 F諸 田 幸 一 六千株 G山 本 英 也 五千株 H吉 沢 武 雄 五千株 I高 畠 佳 次(前橋商工会議所副会頭)------ 二千株 J佐 々 木 邦 彦(富士銀行) 五千株 K横 田 郁(第一勧業銀行) 五千株 L山 口 高 音(高崎信用金庫) 四千株 M木 村 信 一(厩城信用金庫理事長) 四千株 N関 口 六 二(群馬畜産農協専務) 二千株 O柏 井 作 次 郎(柏井建設) 二千株 P牛 久 保 海 平(三共電気) 二千株 Q吉 田 整(群馬県医師会) 二千株 以上一八名 合計 八万株
もちろんこの株主の中にも、石井は入っていないのである。
(5) 上毛通信の役員として、取締役会長羽鳥久雄、代表取締役野口豊治、専務取締役鈴木弘、その他の取締役に橋本省三(元中野電話局長)、大山高平、吉沢武雄が各就任し、監査役には平方昭と菊池清(電気通信共済会関東支部長)が就任した。
そして昭和四七年一〇月二六日に、設立登記され、同年一二月二七日から営業が開始された。
二、 鈴木が真の有力株主(実力者)であった事情
(1) この会社の設立を推進し、設立後の会社の営業を切り廻していたのは、先に述べたとおり、鈴木であった。
前記一の(4)に記載したとおり、各株主は、二千株、四千株、五千株、六千株という持株数になっていたが、鈴木の懇請により、平方昭監査役(以下平方という)だけは、二万株という抜群の株数を保有することになった。
というのは、実は、平方の真の持株数は八千株であり、後の一万二千株の真の株主は、鈴木であった。すなわち、一万二千株の代金六〇〇万円は鈴木が支払い、平方の名義を借りた鈴木の持株だったのである。
鈴木が、地域で信望と信頼のある平方に、自己の株式数を含む二万株を保有してもらったのは、地域の民間有力者の中で、新しく力をつけ、上毛通信を実質上動かしていこうとする鈴木にとって、他の人々より多数の株式を保有することは、逆に反感を受ける心配があり、これを回避するための配慮だったのである。
上毛通信の株券は、昭和四七年一一月一日に発行されたが、平方宛に発行された二万株の株券のうち、一万二千株は、鈴木において保有していたものである。従って鈴木は、本来の自己の四千株と合わせ、一万六千株の有力株主であった。
(2) こういった中で、鈴木は、経理関係をきちんとしていた実直な平方に、本人が支出してもいない出資金六〇〇万円を支出したかのような手続をさせていたことの軌道修正を行ない、かつ対税務署上も、平方に迷惑をかけない措置をすることにした。
このため、平方名義にしていた一万二千株のうち、八千株を昭和四八年一○月、地元で信用があり、有力者でもある小渕光平に売却し、これに応じた株券も引渡した。残り四千株については、かねて知り合いで、気安く頼める石井の名義を借りることにし、石井の承諾を得た。そして、鈴木は、そのまま自己において、上毛通信の実質的株主として、株式を所有し、引き続き、この株券を所持していたのである。
従って小渕光平も、上毛通信から平方に対し発行された八千株の株券を持ち、鈴木の手元にある石井の名義借りをしていた四千株の株券も、平方宛に発行された株券であった。
(3) その後、上毛通信の業績は、当初の期待どおりにはいかず、将来の見通しも思わしいものではなかった。
このような中で、公社法の改正で、当時の電電公社も出資出来るようになり、かつ社内の資金ぐりも必要であることから、上毛通信も増資することになり、昭和五四年一〇月に増資をしたのである。
右増資に当っては、各株主に、持株数の一二・五%が割当てとなったことから、石井名義の株式に対しても、五百株が割り当てられた。もちろん石井の株は、単なる名義株に過ぎず、実態は鈴木の株式であったことから、@増資の株の引受け、このA増資分の払込み、そして昭和五四年一〇月一日に発行されたB五百株の増資分の株券受領などの一切は、鈴木が株主としての立場で、これを実行したのである。
この頃もポケットベルの事業は、不振であったため、鈴木も頭の痛む思いであった。
この事情は、他の日本通信サービス、新潟通信サービス、長野通信サービス、日本自動車電話サービスなども同じであリ、将来これらの事業がどうなっていくだろうかとの不安感を、経営陣のみならず、株主達も持っていたのである。
三、 告訴人古川俊隆が、鈴木より上毛通信の株式の譲渡を受けた事情
(1) 昭和六二年秋頃のことであるが、鈴木が告訴人を訪ねて東京都千代田区永田町二丁目一〇番二号TBRビル四階の未来産業研究会の事務所に来訪し、上毛通信の株式について、「近々、上毛通信サービスは、新潟や長野の通信サービスと合併する話が出ています。合併すると、恐らく、私も役員を降りざるを得ないことになるでしょう。私も、そろそろ、この会社から身を引く時期に来ているので、以前から石井さんの名義を借りて持っている株があるので、古川さんにぜひ、引き受けてもらいたい。」という申し出をしてきた。一株五〇〇円で四五〇〇株あるため、代金は金二二五万円ということであり、鈴木自身の所有株であること、また、この株券も所持しているとのことであった。
石井は、小渕代議士の秘書ではなかったが、地元の有力な後援者であり、選挙の際に協力してくれた人であったこと、また、石井自身が、昭和四九年五月に、既に死亡している人であり、その後、一三年も経過していることから、鈴木の話の内容については、何の問題意識も抱かなかった。
また、告訴人は、鈴木からも地元の選挙では、色々と世話になっており、かつ、上毛通信自体が地元の会社でもあるため、この程度の協力は止むを得ないと考え、「いいですよ」と答え、その後、二回目に鈴木が来所した時、代金二二五万円を鈴木に渡し、鈴木から同人の名刺の裏に代金を受領した旨の受取証をもらったのである。
従って、告訴人が本件株式を事実上譲り受けたのは、昭和六二年秋頃であるが、後に述べるように、正式に手続が完了したのは、昭和六三年六月であった。
(2) この時、鈴木から「本来、株券を古川さんにお渡しするのが、普通なのですが、合併に向けて、手続を準備しています。このため、株券の提出も必要なので、お預かりしておいてもいいですか。」との話が出たので、告訴人は、「手続など一切鈴木さんにお任せしますよ。よろしくお願いします。」と答えたのである。
(3) その後、日本通信サービス、上毛通信、新潟通信サービス、長野通信サービス、日本自動車電話サービスの五社が、昭和六三年一〇月一日をもって合併することになった。
この合併は、ポケットベル業界が思ったより不振であったことから、期待したような利益が上がらず、一方、経費も必要以上にかさむため、折から企業の合理化などが俎上に上がっていることもあって、経営不振の五社が合体して、協力し合うということになったのである。この合併手続は、昭和六二年暮頃から開始されていたが、昭和六三年に入ると同時により活発になった。
昭和六三年五月二四日、上毛通信の取締役会が開かれたが、この会議で、
@日本自動車電話サービスとの合併に関する件
A代表取締役副社長鈴木弘の辞任に伴う退職慰労金贈呈の件
B第一六回定時株主総会招集の件
C石井名義の株式四五〇〇株を告訴人に譲渡することについての承認
などが、承認・可決された。(4) 右のように、告訴人に対し、石井名義の株式四五〇〇株の譲渡がなされた事実については、株主の大半は、右株式の真の所有者が鈴木であり、その鈴木が告訴人に譲渡するものであることを知っており、誰一人異義を挟む者はいなかったのである。仮に、告訴人が石井名義の株式を横領又は窃取するという事情にあったとすれば、狭い業界内のことであり、信議を重んじる群馬の地域社会は、これを絶対に許すはずがないのである。
また、この当時、上毛通信の株に対し、これが価値あるものと認識している人は誰もいなかった。また、合併などがあったとはいえ、今日の株価の値上がりを多少とも鈴木が予測していたとすれは、告訴人に譲渡するはずもない。
(5) 右のような譲渡の経過や上毛通信での承認手続を正式に経てきた告訴人に対して、横領、詐取、窃取などの犯罪行為を断定することは、断じて許されないところである。
にもかかわらず、本事件では、告訴人に対し、右犯罪行為の濡れ衣を着せたのであるから、その罪は重いと言わざるを得ない。
(6) 上毛通信は、前記のように、五社合併を行ない、昭和六三年一〇月一日、エヌ・ティ・ティ中央移動通信株式会社となり、その後、平成五年一○月一日に、NTTから分離独立したエヌ・ティ・ティ移動通信企画株式会社と再合併し、今日のエヌ・ティ・ティ移動通信網株式会社(いわゆるNTTドコモ)になったものである。
上毛通信に参加した当時の人達は、今日を予測し得なかったであろうし、右合併などの経過の中で、多くの人は、自己の株式を処分してしまっているのである。
四、 本事件の真相を明らかにする必要性
(1) 告訴人が、今日、本事件を告訴するに至ったことは、告訴人の五五年間の生涯で初めてのことである。
告訴手続をするということについては、告訴人は、かなり熟考を重ねた結果であるが、これに踏み切った理由を挙げると、一つは、週刊現代が十分な調査をすることなく、何らかの意図の下に、告訴人を犯罪者と一方的に決めつけ、社会的に有罪の断定をしたこと、二つめは、告訴人が内閣総理大臣の秘書官であるため、かかる犯罪者としての断定を受けることは、総理自体及び内閣に対し、多大の迷惑を与え、国民の疑惑を受けることになるため、早急に司直の手によって、明らかする必要があることにある。
これらが、秘書官として、公の立場にある者の務めであると思料するのである。
(2) 告訴人は、第三者から本件株式を返還してくれとの要求を受けた事実はあるが、右要求者に対し、本件株式の真の所有者であるならば、本件株式を@いつA誰からBいくらでCどのような支払い方法で払ったのかを明らかにして欲しい旨を平成一一年五月二〇日付内容証明郵便で請求したが、今日に至るも、未だその回答を受けていない。
(3) なお、本事件の背景には、これを画策している第三者の存在も仄聞されている。このような事情もあるため、厳重な取調べをいただきたくお願いする次第である。
第五 該当罰条
刑法第二三〇条第一項(名誉毀損罪)及び同法第六〇条(共同正犯)
立 証 方 法
一、 書 証
甲第一号証 | (上毛通信サービス株ュ起人名簿) | 一通 |
甲第二号証 | (上毛通信サービス樺闃シ) | 一通 |
甲第三号証 | (上毛通信サービス椛n立総会出席者名簿) | 一通 |
甲第四号証 | (上毛通信サービス且謦役及び監査役の候補者名簿) | 一通 |
甲第五号証 | (上毛通信サービス且謦役会次第・取締役会議案) | 一通 |
甲第六号証の一 | (上毛通信サービス兜ツ鎖登記簿謄本・昭和六三年一一月二一日閉鎖) | 一通 |
甲第六号証の二 | (上毛通信サービス竃員欄閉鎖登記簿謄本・昭和四八年六月六日閉鎖) | 一通 |
甲第六号証の三 | (上毛通信サービス竃員欄閉鎖登記簿謄本・昭和五〇年六月一〇日閉鎖) | 一通 |
甲第六号証の四 | (上毛通信サービス竃員欄閉鎖登記簿謄本・昭和五〇年六月一〇日閉鎖) | 一通 |
甲第六号証の五 | (上毛通信サービス竃員欄閉鎖登記簿謄本・昭和六二年六月一二日閉鎖) | 一通 |
甲第七号証 | (エヌ・ティ・ティ移動通信網鞄o記簿謄本) | 一通 |
甲第八号証の一 | (週刊現代二〇〇〇年二月一二日号・表紙) | 一部 |
甲第八号証の二 | (週刊現代二〇〇〇年二月一二日号・本文) | 一部 |
甲第九号証 | (平成一一年四月五日付石井洋子代理人よりの通知書) | 一通 |
甲第一〇号証 | (平成一一年五月二〇日付古川俊隆代理人の御連絡) | 一通 |
二、 人 証
(1) 群馬県伊勢崎市今泉町
証人 平方 昭(2) 群馬県藤岡市藤岡
証人 黒沢(旧姓宮前)協子(3) 告訴人本人 古川 俊隆
添 付 資 料
一、訴訟委任状 |
一通 |
平成一二年二月三日
右告訴人代理人 | |
弁護士 | 淵 上 貫 之 |
同 | 鈴 木 国 夫 |
同 | 中 條 嘉 則 |
同 | 新 井 哲 男 |
警 視 庁 警 視 総 監
野 田 健 殿
2000/02/03 |