江田五月 活動日誌 2001年1月(01〜10) | >>日程表 |
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今日は、21世紀初めての元旦。
朝7時前に外を見ると、厚い雲に覆われていたので、ご来光はさっさと諦め、9時前まで「寝正月」。妻と二人で江田家伝来のお雑煮を頂きました。ぶりとあなごの入った、丸もちにすましの雑煮です。勝栗なども欠かせません。
10時前に県北に向けて出発。11時半から、「津山商工会議所」主催の新年互礼会。地域に関係ある国会議員の中から、平沼さん、片山さんと2人も入閣したため、主催者と市長の挨拶の後は、両大臣のメッセージの代読で、私の挨拶はその後でした。この際と思って、抑制を効かせながら、森内閣の批判と地球憲法の話を大きくぶち上げておきました。
知人に年賀の挨拶をしながら、岡山へ。4時から江田グループの地方議員とスタッフを交えた新年会。途中石田みえさんも参加してくださり、大いに盛り上がりました。
どこへ行っても、「このままでは日本は沈没。政治を変えなければならない。そのためには民主党がしっかりしなければ。」という声が寄せられます。夏の参院選での責任は、限りなく重大だと思います。
今日は、10時から、森本徹磨県議の後援会の主催で、「グラウンドゴルフ」大会。2回目で、参加者は70人位いたかな。結構難しく、私は35位。ご高齢でご自分のクラブを持参の方々が、上位を占めました。初めて“マイクラブ”の存在を知りました。表彰式と懇親会には、石田みえさんも参加。
2時から4時間、岡山朝日高校昭和35年卒3年C組のクラス会。「3C会」は結束が固く、クラス会は毎年1月2日2時と固定です。弁護士の河原昭文君が永年幹事で、17人集まりました。今年還暦。これまで第一線で頑張り、戦後50年の後半を築いてきた人たちばかりですが、大手ゼネコン救済を止められない今の体制や、無気力で何を考えているか分からない次の世代に、皆危機感を感じています。カラオケもなく、ただまじめな話ばかり。
年賀状を下さった皆さん、参議院の申し合わせがあり、印刷した賀状や返事は出せません。しっかり拝見、感謝しています。お許しください。メールアドレスの記載のある方には、返事を出します。
「活動日誌はもううんざり」とのメールが届きました。飛ばし読みしてください。ただし時々、私の意見なども書き込んでいるので、どうぞよろしく。
今日は、9時半に岡山朝日高校書道部へ。曽我英丘先生のご指導の下、現役と先輩がおよそ20人集まって、書初めです。曽我先生と私とは、昨年亡くなった河田一臼先生ご指導の書道部の1年違いの先輩後輩です。現役の皆さんから刺激を受けながら、今年の書初めは「還」を行書で書きました。今年は私は還暦。「かえる」と読みます。原点に還って頑張る決意を込めました。
10時半から、吉本興業で売り出し中の「3丁目劇場」で、岡山市地区労の旗開き。岡山市長が「今年は色で言えば透明。笑い飛ばそう。」と、胸を張って挨拶されました。私は、「取りあえずは、不透明の年始。笑いの前に、先ずは怒りを燃やして頑張るとき。」と反論しておきました。
12時から書道部OB会の新年会。10数人の集まりですが、和気藹々。曽我先生が今年定年で、名残惜しそうでした。
5時から、邑久郡、和気郡の有志が集まってくれて、新年会。地方政治のあり方から国政まで、飲むほどに酔うほどに談論風発。盛り上がりました。
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今日は、7時半から恒例の駅前演説。毎週月曜日が定例なのですが、お休みの駅前は人通りも少なく意味がないので、仕事始めの今日になりました。石田みえ参議院議員、草苅県議、羽場市議も参加し、新世紀を迎えた決意を述べ、現政権の政策の間違いを指摘し、夏の参院選での与野党逆転に向けて、ご支援を訴えました。
9時半から、五月会岡山事務所の事務局会議。新年第1回で、参院選必勝のため全力を尽くすことを誓い合いました。当面は21日の新年パーティーに全力で取り組みます。
11時から、児島商工会議所新年互礼会。河合会長、中田倉敷市長の挨拶の後、国会議員が2分間与えられ、私は、「新世紀ですが、歩みの方向はまだ見えてきません。アメリカでも大統領選で、国民は決断を迷っています。日本でも加藤政局の後、内閣改造、省庁再編、予算編成が行われましたが、市場の採点は、29日の大納会のとおり、落第点でした。このままでは先行き真っ暗。大改革のため民主党は頑張ります。」と、辛口挨拶。
12時半、石田みえ事務所の餅つき大会。
1時前から、私の女性後援会「アゼリア会」の世話人に倉敷女性の会の皆さんも加わって、25人ほどで新年会。石田みえさんも交え、賑やかに飲んだり食べたりしました。昨日のテレビの、マリア・カラスの言葉が、話題になりました。才能がないと怖気ずく弟子に、言ったそうです。「必要なのは才能ではありません。『勇気と修練』です。」今年の言葉ですね。
5時半から「岡山国際ホテル賀詞交歓会」。大賑わいでした。
今日は、9時半に連合岡山を訪問し、春石事務局長らに新年の挨拶。30分ばかり意見交換しました。春石さんから「鳩山代表の憲法発言は、民主党にプラスになっていない。論憲では、代表は大きな話をし、具体的な話はチームに委ねてはどうか。今は党がまとまっていることが何より大切。」と、苦言を呈されました。同感です。平和センター、友愛会議などにも新年挨拶。
11時から、玉野商工会議所の新年互礼会。藤原会頭、山根市長、三井造船の琵琶所長の後、国会議員が順次挨拶。熊代さんがずい分景気のいい話をされたので、私は「渋川海岸から瀬戸内海を眺めると、大きく開けた天地に気分爽快になります。しかし日本経済の現状が甘くないことは、皆さんご存知のとおりです。株価の動向を見ると、市場が今の政治に落第点をつけていることは明らかです。現実を直視し、改革に思い切ったメスを振るうことが、今こそ必要。」と切り込みました。
2時から、県政記者クラブで新年の挨拶。石田みえさんの後を受けて、質疑応答も含め1時間弱お話しました。新年の抱負、参院選の取り組み、私のIT革命、憲法調査の訪米、民主党内の論争などです。
明日から省庁再編成です。しかし本当に行政改革になるでしょうか。片山新総務大臣は、ご自分が非常に大きな権限の大臣を引き受けたと、地元で述べられているようです。自治省、郵政省、総務庁の全権限がそのまま「総務省」に移るという認識では、看板の架け替えに過ぎません。自治省をなくすことが、権限を地方に移すことを意味しないのでは、どこが行政改革なのでしょう。トップの意識改革が必要です。
夕方、2つの展覧会。金重晃介さんからのご案内で高島屋8階の「備前・金重五人展」と、門田屋敷のギャラリーさとうからのご案内で、「緑川洋一小作品展・花あそび」。お勧めします。
今日は、久し振りに自宅での時間が取れました。のんびりしては居られません。明日からの訪米の準備です。
と言っても、特別の準備は要りません。妻と2人で点検し、必要なものを買い足すのですが、寒さに備えて、手袋を買うぐらいのことです。有り難いことに、カードさえあれば、アメリカでも買い物は出来ます。
参議院の事務局が用意してくれた資料を開けてみて、びっくり。40ページに及ぶ質問項目など、勉強しておかなければならない課題が山盛りです。10ページほど読んだところで、タイムアウト。
買い物や頭のカットをし、体調を崩した友人の見舞いをし、4時から民主党県連の常任幹事会。今年最初です。決意を込めた新年挨拶をし、参院選必勝への一丸となった取り組みを訴えました。さらに本部の動きや県連の活動報告。参院選の取り組みが、まだまだ遅れています。詰めた協議が必要です。
5時半、県病院協会の新年会へ。盛り上がっている最中で、新年のご挨拶だけで失礼しました。
6時、県連常幹の新年懇親会。中座して、最終新幹線で上京。明朝出発のため、これから独りで真夜中のパッキングです。
今日は、いよいよアメリカに向けて出発です。ただいま日本時間午前8時。これから議員宿舎を出発し、11時10分成田発のNH002便でワシントンへ。到着は日本時間23時15分。ですから今日の活動日誌は、終日機内となります。資料を読んだり、飲んだり食ったり、眠ったりです。それでは、行ってきます。
今日は、奇妙な日です。日本を11時過ぎに出発したのに、ワシントンに到着したのが同じ7日の9時過ぎ。時計が逆戻りです。
機内では、3時間くらい寝たでしょうか。資料を読んだり、映画を見たり。「カサブランカ」をやっていました。
現地時間の7時半頃、東の空が地平線にそって赤く変わり、見る見るうちに真っ赤な太陽が昇ってきました。眼下は雲が波のように折り重なり、太陽に照らされたところだけ赤い筋目を作り、巨大な赤い鱗模様です。やがて高度を下げると、一面雪に覆われ、ところどころに氷の張った池が、白いえくぼのよう。アナウンスが、地上は零下7度と伝えました。
空港には、安藤裕康特命全権公使が出迎えてくれました。以前、南東アジア2課の課長をされていた当時、東チモール問題で難問を持ち込み、お悩ませしました。すぐ、モナークホテルに直行。日本で想像するよりずっと質素なホテルです。大使館の人に手助けして貰って、1時間ほどインターネット接続に挑戦。時間切れ。
小松公使の昼食会。中華料理をいただきながら、大統領選のことなどの話を聞きました。2時前から2時間ほど、市内見学。ホワイトハウス、国会議事堂、最高裁、ワシントンモニュメントと回って、リンカーンメモリアルで散策。ベトナム戦争の戦死者をすべて刻み込んだ壁に、多くの人々が見入っていました。反対側には朝鮮戦争の壁も。リンカーン像は、さすがに大きく聳えています。大勢若者も見に来ているのに、携帯を耳に当てている姿は見あたりませんでした。日本のIT化はちょっとおかしいのかも。
その後、さらに接続に挑戦して、成功!!万歳!! びっくりでしょう。只今午後5時ですが、今日は日曜日なので、この後、八木公使の夕食会でおしまい。
今日は、10時から2時間、私とは旧知のHuman Rights Watch(人権監視団)ワシントン支局長のマイク・ジェンドリージックさんとの意見交換。アムネスティ・インターナショナルに次ぐ世界第2の人権団体で、1978年ヘルシンキで組織されて以来、100名を超える地域専門家などの職員を擁し、政府組織に頼らずに、1300万ドルの資金をフォード財団などから受けて、米国を基盤に活動しています。人権は、21世紀の地球規模の憲法的ルールだという点で、完全に意見が一致しました。
今後の課題は、(1)国際刑事法廷の実現、(2)紛争地域て行われている子どもの徴兵などの反人道的行為の廃止、(3)難民保護の充実だということ。これらの課題のほか子どもの人権や性差別についても意見交換しました。ニューヨークの本部とのテレビ会議をセットしてくれ、ジョー・ベッカーさん、ショーン・ジェファソンさんもテレビ参加。NPOがここまで出来ていることに、びっくりしました。
性差別禁止については、1972年の憲法修正の試みは挫折しましたが、94年に女性に対する暴力防止法が連邦法として成立しました。憲法修正よりも連邦法制定の方が、目的達成のためには容易で迅速ですが、連邦法では政権交代により予算措置がなくなったりするので、憲法修正の魅力は失われていないとのこと。
差別問題としては、憎悪犯罪(hate crime)が重要。黒人や同性愛者が憎いからという理由でこれを殺害する場合、連邦法がなければ、州裁判所で裁かれますが、そうすると州によっては差別を容認し、軽い刑で済ませたりします。連邦法でこれらを犯罪と決めると、FBIが捜査権を持ち、連邦裁判所で裁かれるため、差別禁止に実効性を持たせることが出来ます。しかしそうすると、州の独立性を侵すことにならないか、という問題です。憲法問題として、面白い論点です。
昼は北島公使らとインド料理。アメリカ経済の説明を受けました。景気の鈍化は確実だが、それが本来望ましい程度の成長率に軟着陸出来るか、混乱に陥るかが問題とのこと。東南アジアを初め、日本も含めた世界経済に与える影響が懸念されます。
2時半から4時まで、Independent Sector(独立団体セクター)副会長のジョン・トーマスさんと意見交換。100万を超える慈善、教育、宗教、健康、福祉等の多様な民間非営利団体の集合体で、個別の課題よりも、これらの団体の共通課題につき、ロビー活動などに取り組み、昨年20周年を迎えました。
NPOによるサービスは、国民所得の6%を占め、1999年には、成人の56%、109百万人が何らかのボランティア活動に参加し、これは9百万人のフルタイム労働者、2250億ドルに該当するとのこと。政府が登場する前から活動しており、憲法に根拠がないからといって問題はなく、所管の役所がないので、政府の介入もないとのことです。税の優遇は、すべての団体に与えられるそうですが、寄付控除は慈善団体に対する寄付のみ。細かな議論をする時間はありませんでした。
4時半から6時まで、The Nature Conservancy(自然管理委員会)副会長のアレクサンダー・ワトソンさんと同ブラッド・ノースラップさんと意見交換。1951年に設立された世界最大の民間自然保護団体で、生物多様性の保全のため、土地保全を中心に活動し、その範囲は世界中に広がっています。会員は78万人、職員は1150人、年間予算は3億776万ドル。例えば米軍所有地に生息する希少生物保護のため必要な活動をし、そのため米軍からも資金拠出を受けているとのこと。
憲法との関係を訪ねましたが、憲法上政府に与えられた権限で環境保護のために役立つものが多いという答で、憲法は問題になっていないようです。
面白いたとえ話。「飛行機が、ネジをひとつ、またひとつと、落としながら飛行を続けたとしましょう。個々のネジは直接乗客に影響ないでしょう。しかしその内、飛行機は空中分解して墜落し、乗客全滅になります。生物多様性はこういう問題です。」
私は団長のため、質問の口火を切り、質疑の司会もしなければならず、居眠りをすることも出来ません。通訳の辰巳由紀さんが極めて優秀で、助かります。6時半から、安藤公使とスペイン料理。8時半ホテルに帰る頃には、1日降り続いた雨はやみ、街路樹の梢には雨が凍って光っていました。
今日は、9時から10時半まで、Brookings Institute(ブルッキングス研究所)のケント・ウィーバー上席研究員とビル・フレンゼル客員研究員と意見交換。フレンゼルさんは20年ほど共和党の下院議員を務めた人です。
「米国建国当時、『政府』と言えば英国の政府が念頭にあったので、政府の権力を最小限にすることに務め、立法と行政については、徹底した権力の分散と相互の抑制の仕組みを作りました。また司法は、極めて独立性の高いものにし、州の権限を強力に認めました。ですから、国会議員は政党の拘束力よりも選挙区事情の方により強く影響され、党議拘束は極めて弱いものとなります。」
「2院制は、上院は任命制、下院は選挙制で、違った構成でした。今は上院も選挙制になりましたが、人数も任期も権限も異なり、下院は個々人の重要性は低く、審議方法の制約は強く、上院は個々人が重要で、審議方法は議事妨害も含めて自由です。」
「立法機能の強化のため、委員会スタッフ、議員スタッフ、議会調査スタッフの3部門で総数2万人の人が働いています。さらに会計検査院(GAO)、議会予算局、法制局があります。議員スタッフの80%は政策を担当します。」
「2院制を変えることについては、『もし壊れていないなら、直すな。変えたら、動かなくなるかも知れない。』と言う言葉を紹介しましょう。」
11時から12時まで、Federal Emergency Management Agency(FEMA,連邦緊急事態管理庁)のジェームス・ウィット長官。クリントン大統領の任命なので、ブッシュ大統領が就任する今月20日までが任期。寂しそうに見えました。
「1993年、クリントン大統領になってから初めて、私のような緊急事態の仕事をしてきたものが、長官に任命され、仕事が大きく改善されました。しかしFEMAの仕事は、あくまで州や地域社会の要請を受けて、連邦の力を提供することと、関係機関や住民の協力を調整することです。緊急事態だからといって、私どもが市民の権利を奪うことはありません。“Project Impact”という仕組みで、協力ネットワークを作っています。『木陰を得たいならば、木の種をまかねばなりません。』日常的に、非常事態に備えたパートナーシップを作ることが何より大切です。」
お寿司やさんで昼食を掻き込んで、1時半から連邦最高裁判所のサンドラ・オコナー裁判官。初めての女性裁判官で、現在はもう1人います。9人中の2人ですから、悪くはないでしょうが、もっと女性が増えてもいいのでしょうか。「その可能性はなくはないですよ。」
30分の予定が1時間になり、お一人で話されました。「差別禁止のため積極的是正措置は、平等に反しますが、過去の不平等を是正するための限られた例外措置として認められます。だからその方法も期間も限定的でなければなりません。」「報道の自由は極めて重要ですが、責任ある自由報道でなければなりません。」
「年間7500件の上告事件の内、審理をするのは100件程度。裁量上告制ですから。その内、憲法問題を含むのは3分の1。」「裁判所は、強制力はありません。国民が尊敬してくれているから、制度が成り立っているのです。」
「『憲法裁判所』でなくて本当に有り難いと思っています。第1審として、紛争の火が燃え上がっているときに、時間もなく判断を迫られるのは大変。先日の大統領選の判断なんて、大変ですよ。」
「陪審制は国民に支持されています。国民は、裁判官の判断より、陪審員の判断の方をより信頼しています。」
話が終わると、ご自分で鍵を開けて法廷の中を案内してくれました。9人の裁判官
席の内、右から4番目。裁判長の右隣ですから、重鎮です。裁判官席はそれほど高くなく、日本より威圧感がないので、そう言うと、「それでも高いですよ。」
2時40分から1時間、連邦議会調査局のディック・ナントさんとケネス・トーマスさん。憲法修正条項とその手続きについてです。「修正1条から10条までは『権利の章典』で、原文制定直後のものですから、原文と一緒です。修正13条、14条、15条は、連邦と州の関係。今後は、堕胎、安楽死、環境権など議論はあります。安定と変化のどちらを取るかで、憲法修正は困難で変化に対応できず、連邦法制定で賄う方が、現実的かも知れません。」
「『憲法裁判所』は、常に政治問題が持ち込まれ、機能しなくなります。最高裁が大統領選問題を処理できたのは、最高裁が日頃政治問題を扱っておらず、だから国民が政治的に偏っていないと信用したからです。」
これから柳井大使の夕食会。その後19時から、“Blues Alley”に本場のジャズの生演奏を聴きに行きます。今日はベースが主体だとのこと。
ジャズの切れ味、各国料理
只今、9日から10日へ変わる真夜中です。ジャズ・コンサートから帰ってきたところです。憲法は文化のこと、文化といえば音楽ですから、団長の私が特にお願いして組み込んだプログラムです。
耳をつんざく音量、切れ味のいいリズム。ドラムの迫力は、さすがアメリカです。楽しみました。
柳井大使の夕食会は、イタリア料理。そう言えば7日の八木公使の夕食会は、韓国料理。各国料理を楽しんでいます。ないのは、アメリカ料理だけ。どこかでハンバーガーが要りますね。お休みなさい。明朝のルーガー上院議員が、ドタキャンになりました。ロックフェラー上院議員に交渉中。
今日は、ワシントン最後の日です。夕食は団長招宴で、生きのいい魚料理で有名な“Sea Catch”で賑やかに盛り上がりました。おかげで、すっかり酩酊したので、今日の書き込みはやや雑になります。
午前中は、ドタキャンのためゆっくり議会見学。久しぶりにCapitolのツアーを楽しみました。やはりアメリカの方が、日本の国会より段違いに、市民と密着しています。いたるところに、自由と民主主義のために闘った歴史を記念する物が、なかなか面白い挿話と共に飾られ、知らず知らず“American democracy”に確信を持ってしまいます。町の名前にも、“constitution avenue(憲法通り)”というのがあります。憲法が生活の中に生きているのですね。
昼食はホーナー共和党議員総会会長事務所立法補佐官とワーキングランチ。テーマは3つで、(1)憲法修正、(2)連邦制と2院制、(3)人権。
連邦制について。「最近は、裁判所は州の独立性を尊重する傾向にあります。」「連邦制の利点は、まず州と連邦と両方が一致しないと、市民の自由を剥奪出来ないこと。もう一つは、困難な問題につき、州によって様々な対処の仕方をとるので、どの方法がよいか実験できること。例えば教育改革につき、現在州により様々な試みがなされています。」(チャーター・スクールなんかがいい例でしょう。)
人権について。「アメリカでは、連邦最高裁の判決が、権利の根源だと考えられています。判決は何かしら神聖な意味を持っているのです。」
2時からロックフェラー上院議員。2時半までとの約束なのに、彼の方が20分以上遅れ、これが幸いして、約1時間話が出来ました。(1)憲法確信、(2)政党制、(3)議員スタッフ、(4)cross voting、 (5)党議拘束、(6)議院内閣制と大統領制、(7)選挙人制度。
憲法確信について。Q.「日本では、大統領選挙について、アメリカはなんていい加減なことをやっているんだろうというのが、一般的印象ですが。」A.「違います。国民は、この危機に直面し、果たして憲法はどう機能するかを注視しました。その結果、すべての憲法上の機関が、連邦制度も司法制度も、最大限機能し、危機を乗り切りました。憲法に対する信頼は、より一層深まりました。」
政党制について。「政党は、異なった政治哲学を表現しており、そのことによって政治に緊張感を与えており、極めて重要です。」
議員スタッフについて。「私の事務所では、40人のスタッフがいますが、その給与はすべて国費で支弁されます。国費の額に従って事務所の年間予算を決め、これに従って消費していくのです。その中には、私のアジアへの出張も含まれます。」
党議拘束について。「私は、民主党所属ですが、民主党の大統領を公然と批判します。鉄鋼の貿易を自由にすると、私のWest Virginia州は大損害を受けます。そこで私は、クリントン大統領を批判しました。ある時、大統領が私のところに来て、『なぜ君は、私をそんなに困らせるのか?』と聞きました。そこで私は、『それはあなたが、国際通商法規違反をしているからですよ』と答えました。」
議院内閣制について。「私は、一度大統領を上院に呼びだし、いろいろ聞き正したいと思います。イギリスの、毎週のように議会が首相を聞き正すのは、本当に面白いですね。しかし同時に、イスラエルのように、連立の1小政党が首相を支持しないと決めたら、たちまち内閣が崩壊するというのは、困りものだと思います。大統領制の方が、安定していますね。」
選挙人制度について。Q.「winner takes allの制度を止めたらどうですか。」A.「州によって違うのです。メイン州とネブラスカ州では、下院議員の選挙区毎に選挙人を選ぶのです。」
4時前に、かなり遅れて、ジョージタウン大学のマーク・タシュネット教授。大学の雰囲気はいいですね。面白い話がいっぱいありました。私の関心だけをメモ風に。(1)なぜ、Majorityが複数あるとか、chuseというスペルを使っているとか、今では奇妙になっているところがあるのに、原文を直接改めずに、修正条項を付け加えるのですか。(2)“日本国憲法の先駆性”という議論をどう思いますか。
今日も1日、辰巳さんのperfect interpretationに助けられました。
明日は、6時半に荷物を出して、サンフランシスコへ。接続問題に、再び直面します。神の恵みがありますように。
江田五月 活動日誌 2001年1月(01〜10) | >>日程表 |