江田五月 活動日誌 2001年12月 (8〜10) | >>日程表 | ホーム/総目次/12月目次/ 前へ|次へ |
今日は女性デーでした。10時過ぎにガラス工芸家の香川三枝子さんたちの小品展を覗いた後、2つの集会に出席。どちらもそれぞれ1人の女性のための企画でした。
まず10時半から、後楽園で、「内親王さまご誕生慶祝県民のつどい」に出席。儀式の後、私も鏡割りに参加し、ます酒で乾杯。穏やかな初冬の日射しの中、芝生を優雅に散歩するタンチョウの姿に見とれました。お祝いのお餅は、長蛇の列。そこで、愛子さまはじめ多くの新しい命の健やかな成長を祈念し、たる酒をさらにいただきました。
ほろ酔い機嫌で、山本美奈子さんのお好み焼きの「番町文庫」へ。居合わせたお客を、五月会忘年パーティーに誘いながら、昼食。13時過ぎの新幹線で上京。
18時から東京国際フォーラムで、「アウンサンスーチーとビルマの人々のためのノーベル平和賞を祝う国際キャンペーン」に参加。
1895年に始まったノーベル賞は、1901年から平和賞も始めました。他の賞はスウェーデンですが、平和賞だけがノルウェーで扱われます。最初は赤十字国際委員会で、シュバイツァー、マンデラ、国際アムネスティ、ベロ司教とラモス・ホルタなどが受賞。首を傾げる受賞者もいましたが、今年が100周年です。
そこで今日、オスロの国会前に、生存受賞者全員集合を呼びかけたのです。ところが、受賞からちょうど10年になるスーチーさんだけが、軍事政権に邪魔され、参加出来ません。そこで、彼女を激励し、民主化の国際努力を強めるため、世界中で同時に集会を開いたのです。
民主化支援議連会長の林義郎さん、国際議連の鳩山由紀夫さん、ノルウェー大使、難民認定を受けたミン・ヨンさんなど、300人はいたでしょうか。私は、議連の幹事です。選挙で選ばれた者として、同じく選挙で選ばれたビルマの国会議員が、議会が招集されないため、民主主義を実現できず、自由を奪われた者さえいることを、黙って見ているわけにはいきません。
最終新幹線で帰岡。
今日は、11時からお茶会。煎茶道三癸亭賣茶流の100周年と岡山津島支部の発会を記念するお茶会に、同支部代表の藤川敏代さんがお招きくださいました。お家元が正客の、格調高い席でしたが、私は不調法で、お煎茶点前の作法は知りません。お菓子は最初の1煎の後にいただくそうで、お隣に座った方に教わりました。お煎茶自体は、高校時代に毎朝、濃い玉露を丁寧にいれて飲み、眠気を吹き飛ばしていました。12時からは200人でお食事会。挨拶。
13時過ぎから、展覧会めぐり。まず総合文化センターで、朝日高校書道部の1年先輩の曽我英丘さんが主宰される日中友好書道展。私も、「還」を出品しました。次いで、隣の会場の洋画展へ。さらに、上の会場の中学生表現活動作品展へ。
15時、場所をデパートに移して、高木聖鶴先生が主宰される朝陽書道会の小品展と秋山天宏僧正の書作展。
知人の弔問。35歳で、母、妻、子ども2人を残して、急性心不全で急逝。合掌。
16時過ぎに自宅に帰り、庭のつるバラを切っていたら、あっという間に日が暮れました。夜は久しぶりに妻と2人でなべ。
今日は、7時半から恒例の駅前演説「おはよう730、民主党です!」。一井副代表、草苅幹事長、羽場市議と一緒で、私は20分ほど臨時国会の報告を話しました。終わって喫茶店に入ってから、改めて寒さに震え上がり、いかに冷えたかを再確認しました。
9時過ぎから事務局会議。10時から、支持者の皆さんに、臨時国会中のご無沙汰をお詫びしながら、報告をかねて挨拶まわりに出掛けました。主として経営者の皆さんで、ゆっくり話し込むので、午前2人、午後5人というペースです。
若い積極的な経営者は、「面白い時代になってきたと思っています。教育ボランティア活動に取り組んでいます。」と、極めて意欲的です。「民主党はどうなるの? 憲法改正は?」と、質問攻めになることもあります。「ここ1週間で、ガソリンの小売値が急落してきました。」と、ホットニュースも聞けます。
支持者の方から、財政改革についての考えを尋ねられました。政策秘書と一緒に、コンパクトにまとめてみました。庭に、カンアヤメが咲きました。18時過ぎの新幹線で上京。
参議院議員 江田五月
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