江田五月 活動日誌 2001年12月 (11〜16) >>日程表 ホーム総目次12月目次前へ次へ


12月11日(火) 大会委、太陽光、憲法、NC、両院総会、帰岡

今日は、10時から党本部で大会実行委員会。10時半、常任幹事会に出席し、実行委員長就任の挨拶をしました。11時から、太陽光発電のプロジェクトにつき、要請を受けました。温室効果ガス排出抑制の国際約束を守るため、電力会社も積極的に自然エネルギーの活用に取り組まなければならなくなります。かなり大規模の太陽光発電も、可能性がありそうです。

11時半から党本部で1時間半、民主党憲法調査会役員会。今年中に中間報告をとりまとめますが、その期限が迫ってきています。各作業部会ごとに、進捗状況を確認しました。第1作業部会から、総論につき、中間報告の案が示され、協議しました。

13時から、NC会議。私から、司法と精神医療の連携に関するPTの座長代理として、先日の中間報告を説明しました。しかし、与党の地方裁判所活用案の内容がまだはっきりしない段階で、これを私たちの選択肢から外してしまうのは、やや早すぎるということになり、これも選択肢として残すという留保付きで、中間報告が了承されました。

医療制度改革案の報告と特殊法人改革の中間報告を了承。農林漁業再生策は、筒井信隆NC大臣の力作で、農産物の価格は市場競争で決め、農業者の所得はデカップリング政策で決めようというものです。中山間地直接支払いなどもこの一つです。しかし、これまでの補助金漬け農業との違いが見えにくいとの意見もあり、さらに練り上げることとなりました。

15時から党本部で、両院議員総会。党務改革方針と代表選挙規則が議論され、代表選挙では、(1)党員とサポーターが同じ1票でいいか、(2)国政選挙で25%以上を得た県のボーナスポイントを廃止するのはいいかで、議論白熱。(1)は了承、、(2)は復活の方向となりました。小泉構造改革の評価も議論。17時前から、簡単な懇親会。

17時半、司法制度改革推進本部の山崎事務局長。18時半、内閣府の特殊法人改革についてヒアリング。20時前の新幹線で帰岡。



12月12日(水) 挨拶まわり、民主党、塩野さん

今日は、終日地元で挨拶まわりです。午前中が2ヶ所。午後4ヶ所。一昨日と同じで、経営者の皆さんが中心です。

民主党が大きく揺らいだ臨時国会でしたが、私は、次のように説明しています。

「違った育ち方をしてきたものが、同じ家で暮らすことを決断したのです。結婚と同じです。最初は『あばたじゃあないかな。』と思っていても、最初は遠慮もあり、『可愛いえくぼだね。』と言っています。そのうち遠慮もなくなり、『何だ、あばたじゃあないか。』と言いだしたのです。ちょっと言葉が過ぎたりしますが、いずれは起きる事態であり、乗り越えるのは困難ではありません。」

「横路さんたちは、自衛隊派遣では反対しましたが、PKO法改正では賛成でした。つまり、国連を中心とした国際社会の共同対処には、皆賛成で、これには積極的に参加しようという点では、皆一致しています。ここをベースにすればいいのです。分裂の心配はありません。」

商法改正(コーポレートガバナンス)の経緯も説明。理解を得られています。

いよいよアフガンでは、ビンラディン氏が追い詰められました。一日も早く、「戦」「狂」「乱」という時代を終わりにし、真の問題解決に進まなければなりません。日本は特に、パレスティナの支援を全面的に引き受けるべきだという、塩野七生さんの主張(文藝春秋)に共鳴します。



12月13日(木) 挨拶まわり、憲法、国のかたち研究会

今日は、午前中は2ケ所挨拶まわり。

景気の悪さが話題になります。「これまでの不況の時は、パチンコ屋は逆にはやっていたのが、今回は長いし、残業もないし、先が見えないので、パチンコ屋にも行きません。それほど深刻です。」

構造改革の願いも話題になります。「貨物運送の業界では、もう高速道路は要らないと、はっきり言っていますよ。料金を安くしなければ、『無用の長物』です。既得権を壊して欲しいですね。」

12時過ぎの新幹線で上京。マスコミ取材の後、16時半から1時間半、党の憲法調査会第3作業部会。人権がテーマで、私は座長。今日は、江橋崇さんを助言者にお願いし、18日の総会に向けて、中間報告の取りまとめに目処をつけました。

夜は熱海で、国のかたち研究会の1泊研修会。臨時国会のご苦労さん会で、菅幹事長を肴に大いに飲み、かつ大いに語ろうというわけで、只今23時。これからカラオケです。



12月14日(金) 菅さん (党議拘束、口3耳7)、文科省、連合岡山

今日は、熱海で起床。昨夜の痛飲を、朝風呂で吹き飛ばし、10時過ぎの新幹線で帰京。車中、菅幹事長と党議拘束問題につき話し込みました。河村さんたちの提出した国会法改正案は、受理されませんでしたが、これにより、党議拘束緩和が改めて問題提起されました。議論が本格的に始まりそうです。

議員会館に着いて、デスクワークの後、菅さんらとゆっくり昼食。党内の風通しを良くするには、やはり食べることと飲むことでしょうか。私から菅さんに、「口3、耳7」を忘れないようにと注文を付けました。

14時、文科省の担当者が、日本原子力研究所と核燃料サイクル機構を統合して独立行政法人化するという構想の説明に来られました。原研は、原子力、核融合、加速器の基礎研究を広く扱っており、サイクル機構は、再処理、FBR、高レベル廃棄物の技術開発を進めています。2つの分野は、かなり異なっていますが、統合することにより、幅の広い技術者を息長く養成できます。それが、それぞれの分野の研究開発の効率化にもつながるでしょう。

15時前の新幹線で帰岡。18時半から、連合岡山の旧役員と懇談。お世話になりました。



12月15日(土) 県連常幹、緑川さん、愛生園、連合岡山

今日は、9時から2時間半、民主党岡山県連の常任幹事会。ほぼ1ヶ月に1度の頻度ですので、私から、自衛隊派遣承認、PKO法改正など臨時国会最終段階の報告をしました。次いで、11月23日の菅幹事長岡山企画、12月8日の全国幹事長会議、その他県内企画の報告。12月17日の中小企業セミナー、1月19日の全国大会、2月3日の県連大会などの取り組みを協議。来春の高梁市議選に横路功さんの推薦を内定、新見市議選に川上つよしさんの推薦を決定。民主党青年局のリーダーズスクール企画、男女共同参画の企画の取り組みを協議しました。

13時から、故・緑川洋一さんのお別れ会に参列。写真家の緑川さんらしく、参列者が1人ひとりローソクを献じ、光の中の告別式でした。

15時から17時半まで、国立ハンセン病療養所、長島愛生園へ。ハンセン病問題は、今年は5月の勝訴判決と控訴断念があって、大きな変化の年でした。まず自治会の皆さんと懇談の後、長島五月会の皆さん30人ほどと懇親会。国政報告の後、カラオケも入りました。

19時から2時間半、連合岡山の新役員と民主党県連役員との少人数の懇談会。隔意なく意見交換をすることで、意見一致しました。候補者発掘などでも、情報交換を密にしていきます。しかし、政党と労組とは違いますから、緊張関係も大切にします。



12月16日(日) 高架完成式、国会報告会、忘年会s

今日は10時から、JR宇野線大元駅付近連続立体交差事業高架完成式典。瀬戸大橋線と接続する宇野線が、列車は増えたのに、踏み切りが多く、町を分断し、交通渋滞を招き、事故も多発するため、連続立体交差にしようという事業です。工期4年、総工費170億円の事業が完成し、6つの踏み切りがなくなりました。私は、くすだま割り。

11時半、知人のお見舞い。津山市まで飛ばして、14時から作州五月会国会報告会。1時間強、国会報告と質疑応答。景気と雇用のこと、テロ対策と党内亀裂のことなど、鋭い質問が続きました。その後は和やかな茶話会。16時過ぎ、名残を惜しみながら、次へ。

17時過ぎ、久米南町でNTT労組関係者の懇親会。18時前、津高地区の五月会忘年会。恒例行事で、鳥すきを突きながら、国会報告とカラオケ。19時過ぎ、地元五月会の忘年会。小学校の恩師から、痛いお小言をいただきました。20時前、旭中学校同期の仲間の忘年会。ふぐちりには間に合いませんでしたが、ふぐ刺しと雑炊を残しておいてくれ、ひれ酒ですっかり出来あがりました。


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