江田五月 活動日誌 2001年9月(21〜25) >>日程表 ホーム総目次9月目次前へ次へ


9月21日(金) 労組大会s、テロ、墓参、藤本先生、鍋

今日は、9時半からNTT労組県支部の定期大会に出席し、来賓として挨拶。選挙のお礼とお詫び。

「同時多発テロは、許せない暴挙です。遠い海外のことでなく、私たちの社会がいかに脆いかということを思い知らされました。国際社会の共同対処が不可欠で、日本もその一員だというメッセージをはっきりと示さなければなりませんが、その先に何が起きるか、何を目指すのかということも、しっかりと考えておかなければなりません。世界が報復合戦の大混乱になれば、日本も無縁ではありえません。これを避けるためには、当面の対処策だけでなく、国連警察軍と国際法廷といった構想の実現を目指すべきです。小泉さんには、それがありません。」

津山に上がる途中、建部町の父母の墓に立ち寄り、知人と墓掃除に来ていた妻と一緒に、お経を上げました。

13時半から、電機連合地協の定期大会に出席し、来賓として挨拶。石田選挙のお詫びと、比例区で当選した若林さんのお礼。テロのことも話しました。

鏡野町の藤本剛平先生を訪ね、先生の親友である犀川一夫先生(「沖縄愛楽園」の名誉園長)と14日のハンセン病集会でお会いしたことなどを報告。知人と待ち合わせて、作東町の春名宏町長を訪問。書道展。若干の挨拶まわり。

18時半、津山市で知人数人と鍋を突いて一杯やりました。弁護士、実業家、金融機関など、なかなか優秀な皆さんです。ねぎやい草だけでなく、国産の石材が、輸入に押されて崩壊寸前だということを、初めて知りました。



9月22日(土) 運動会、挨拶まわり、天下の秋

今日は、9時から地元の旭操小学校の第23回秋季大運動会です。この学区は23年前に巨大校の分離で生まれました。私たちがここに居を構えたのは、その直後の21年前です。500人強の小学生が、元気に勢ぞろい。しかし彼らが立っているスタートラインの先にあるのは、混沌とした21世紀です。ゴールは見えません。健闘を祈りながら、一緒にラジオ体操をしました。空は、すっかり秋です。

10時に県北に向かってスタート。英田郡、勝田郡、苫田郡を回り、10数人に会いました。樋元弘一さんは、もち米の稲刈りの真っ最中。きちんと1週間ほど天日で干すそうです。中尾正義さんは、栗の木の下草刈りの真っ最中。下が草のままだと、いがが落ちたときに、どこに落ちたか分からなくなるのだそうです。道中、彼岸花の真っ盛り。コスモスも盛りです。

岡山に帰ってちょっと遅い夕食。高校の先輩と後輩が、どちらもご夫妻で来ており、共通の恩師の話などで盛り上がりました。平和な秋ですが、どこで暗転するか分かりません。テロも狂牛病も、一刻も目が離せません。



9月23日(日) ふれあい市、法然、若者文化、タンゴ

今日は、10時から「御南ふれあい市&フリーマーケット」へ。私の所属するブルーライオンズクラブも主催団体の一つで、第11回。久し振りに皆さんと友好を暖めました。皆、中小企業で、景気は本当に冷え込んでいます。

11時に、赤枝郁郎先生の「愉快な仏さま達チャリティー展」へ。「県北の『誕生寺』で生まれた法然の父は、暗殺されたのです。遺言は、『敵討ちはダメ』でした。法然は思い余って、出家しました。ブッシュ大統領に、法然の慈悲の心の鼻くそを2粒ほどでいいから、飲ませたいね。」

その後、挨拶まわり。ヴェトナムからの研習生を受け入れている企業の労組幹部が、自宅で彼女らの歓迎会をしていました。

16時半から、「スカイポート21周年記念パーティー」に参加して挨拶。レコードレンタルから始めてゲームソフトまで、若者文化を育てて来ました。新しく作る会社の社長を、参加者の投票で決めるというのです。緊張していました。

18時前、「岡山・アルゼンチン親善友好サロン会議」の前夜祭。素晴らしいアルゼンチンタンゴのダンスを堪能しました。挨拶で、「こういう市民レベルの友好があれば、テロなどなくなるのですが。」と強調しました。市民の力が国際政治を動かすようにしたいものです。



9月24日(月) アルゼンチン、タンゴ公演

今日は、飲み過ぎで朝はぼんやりしていました。11時から、「岡山・アルゼンチン共和国友好親善サロン会議」の発会式に出席して、来賓挨拶。ルビオー・レイナ総領事ご夫妻や日本・アルゼンチン協会の野村秀治専務理事もご出席でした。

野村さんのご挨拶。「日本とアルゼンチンとの関係は、極めて良好です。日露戦争前夜、日本が海外に戦艦を求めた時、唯一提供してくれた国で、そのお陰で日本は勝てたも言われています。第2次大戦の時、ぎりぎりまで中立を保ち、最後も形式的に参戦しただけでした。戦後、真っ先に食糧を送ってくれました。世界が温暖化で食糧が危機になった時、パンパという大草原が穀倉地帯になります。友好関係は大切です。」知りませんでした。

13時から3時間、事務局打ち合わせ。

16時、タンゴ・ヴォルヴィエンドの公演を、遅れて第2部だけ鑑賞。演奏あり、歌あり、ダンスありで、うっとりと聞き惚れ見とれて、まだ見ぬ国へ思いを馳せました。

上京。いよいよ臨時国会です。



9月25日(火) 役員会、代表質問、高祖辞職、市民政府

今日は、午前中は、山になった新聞を捨てたり、洗い物をしたり、宿舎の整理整頓。

13時から、民主党憲法調査会が参院選などで開店休業状態なので、建て直しのための打ち合わせでしたが、時間調整がスムーズに行かず、しきり直し。13時半から、参議院の常任役員会。臨時国会召集を控えて、人事の決定など懸案山積です。私は参議院では、予算委員、法務委員、憲法調査会幹事(会長代理)を務めることになりました。テロ問題への民主党の対応につき、党内論議の段取りにつき報告がありました。明日の両院議員総会が重要になります。

14時過ぎから、代表質問の打ち合わせ。テロ問題に関し、報復合戦に対する国民の不安をきちんと代弁するよう、お願いしました。同時進行で、高祖議員の辞職につき、談話作成の手伝い。高祖事件は、非拘束名簿方式強行導入の際、私たちが警告していた事態であり、通常国会で、通達を出して防止すすように私たちが求めていた事態です。容易に予想できたのに、防止を怠った政府の責任も重大です。

17時から2時間半、「市民が作る政策調査会」の「市民政府研究会」で、講演と質疑応答。「現在の政府は、スリム化と市民化の2つの改革が必要。スリム化によって政府が手放すサービスの次の担い手は、自治体とNPOで、この部分が市民政府です。市民化した政府のカウンターパートの役割を担い、政府に市民の要求を持ち込むのも、市民政府です。このようにして、政府が担う国家主権の権限は、主権者である市民に近いところに移されますが、同時に地球規模の課題については、国際機構に移されます。そこでもまた、公の国際機構に対応して、地球市民ネットワークが機能しなければなりません。このようにして、21世紀の世界像が描かれます。」立法府、行政府、司法府の市民化につき話を進めました。細川内閣の時の経験につき、鋭い質問が続出しました。

その後数人で一杯やりました。


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