江田五月 活動日誌 2001年9月(26〜30) | >>日程表 | ホーム/総目次/9月目次/ 前へ|次へ |
今日は、9時から1時間強、同時多発テロと日本外交について、インサイダー編集長の高野孟さんの話を聞きました。山口昌之さん、Ch.ジョンソンさん、アラン・フリードマンさんの各文献を紹介しながらの話の内容は、極めて説得力に富みました。高野さんは、この「『戦争』は今始まったのでなく、とっくの昔に始まっていて、米国は一貫してその当事者だったことを認識する必要がある。」と説かれます。私は、「ただ、この未曾有のテロへの対応如何では、この『戦争』が世界中をベトナム戦争化や中東紛争化しかねないので、その意味で新しい事態だと言えませんか。」と発言。賛成されました。
10時半から、国会タイムスの五味武さんが、ODAについてインタビュー。11時半、弾劾裁判所事務局と打ち合わせ。12時半から議員総会。
13時から2時間弱、両院議員総会。明日からの臨時国会への民主党の対応につき協議。大橋巨泉さんが、センターレフト論を展開されました。櫻井充さんらから、テロ対応について意見が出ました。真剣に議論しています。
15時から2時間、NC大臣・総括副大臣合同会議。まずテロ対応について協議。かなり緊張した議論ですが、内容は省略。私は、アメリカの軍事報復に対する支援か、国際社会の共同対処への参加か、対象や目的の違いによって、支援すべき内容が異なることを強調しました。次いで当面の経済・雇用政策を協議し、各部門が抱える課題について洗い出しをし、さいごに「患者の権利法案」の提出を了承しました。
18時から、中華人民共和国建国52周年記念レセプション。
19時、「両巨頭を囲む夕べ」に遅れて参加。田英夫さんと久保亘さんですが、久保さんは風邪で欠席。しかし、楢崎弥之助さん、横路孝弘さん、菅直人さん、楢崎欣弥さんなど、「老朋友」が本当に大勢集まり、賑やかでした。二次会。
今日は、臨時国会召集。72日間の論戦のスタートです。テロ対応、経済・雇用、狂牛病、構造改革、外務省不祥事、高祖事件等、重大問題山積ですが、多すぎてひとつひとつの印象が薄れるのが心配です。
9時から、外交・安保部門会議で、テロ対策につき警察庁と防衛庁からのヒアリング。途中退席して、9時半から議員総会。10時から本会議。テロ犠牲者への黙祷、故・伊藤宗一郎さんへの弔詞、常任委員長選挙と進みました。
10時半から、首藤信彦さん、榛葉賀津也さんを講師に、参議院民主党でテロ問題の勉強会。いずれもこの分野の広範で深い知識に裏打ちされた話で、勉強になりました。榛葉さんが、日本外交のスタンスとして、「日本の対イスラム外交と対西欧外交に共通するキーワードとして、『人権』があります。それと、アジアの中の日本という立場が重要です。」という指摘は、示唆に富みます。
12時前、「医療の信頼性の確保向上のための医療情報の提供の促進、医療にかかる体制の整備等に関する法律案」という長い名前の法案の勉強会。「患者の権利法案」です。今日、民主党で参議院に提出し、私も発議者の1人になりました。
12時20分から、国のかたち研究会。民主党新体制と臨時国会対応について意見交換。13時からの開会式はパス。全員出席すると、席が足りないのです。14時から、弾劾裁判所事務局と打ち合わせ。
14時40分、議員総会。テロ事件決議につき協議しました。衆議院での決議を一部手直ししたもので、「憲法の理念」も盛り込まれ、社民党も賛成になりました。造反もありましたが。その後本会議再開で、決議の後、小泉首相の所信表明。元気ぶっているだけで、言葉が踊っているという印象でした。
17時から、ハンセン病問題議員懇談会の役員会。恒久対策についての対厚労省交渉はうまくいっていないようです。議懇の総会を近々開きます。18時半、会派の役員懇親会。
米国における同時多発テロ事件に関する決議 (参議院) 九月十一日に米国を襲った同時多発テロは、命の尊さを全く顧みない残虐非道な行為であり、かかるテロリストの想像を絶する暴挙は、ひとり米国民のみならず、人類すべてに対する共通の許し難い挑戦である。 |
今日は、10時から弾劾裁判所事務局と打ち合わせ。私は、主任裁判員として判決作成に当たるため、審理が十分尽くされたと納得できるまで、努力したいと思っています。
11時から、民主党憲法調査会総会。鳩山代表も出席。「テロへの対応に、憲法の拡大解釈で臨むことは認めません。」と挨拶されました。役員の補充、衆・参の憲法調査会の報告などの後、5つの作業部会の体制整備につき一任を受け、今年中に各部会とも中間報告まで出来るよう、作業を進めることになりました。
13時から法務部門会議。人事の確認の後、今国会の課題につき協議し、方向を定め、責任者を決めました。法案がたくさん予定されており、会期内にどこまで処理出来るか、大変です。
15時過ぎの新幹線で、京都へ。直木賞作家の難波利三さんの「ゴルフ人生、喜怒哀楽」の出版を祝う会に出席、挨拶。ところが私は、難波さんとは初対面だし、本も呼んでいません。出版した英伝社の社長が古い友人という縁で出席したので、挨拶に冷や汗をかきました。皆さんのお話を聞き、政治家の世界がいかに狭いかを痛感しました。
帰岡。22時半、私と同年の友人、藤原明君の枕頭にお参り。釣りの名人で、いただいたクエの頭の味は、忘れられません。ここ数年、病と立派に闘い、壮絶な人生を全うされ、穏やかな顔で横たわっていました。
薬害エイズの厚生省ルートで、松村被告に有罪判決。行政の責任者に、個人の刑事責任が認められたのは、画期的です。しかし、一部無罪で、帝京大ルートの安倍英被告の無罪判決と平仄を合わせています。問題がありそうです。
今日は、10時から部落解放同盟岡山市協議会の定期大会。「人の世に熱あれ、人間に光あれ」という水平社宣言の朗読が、今年は殊のほか素晴らしく、同時多発テロとその背景に思いを馳せながら聞き惚れ、感動しました。
挨拶で、世界がテロ横行の時代に陥る危機に直面していることを強調し、国際刑事裁判所のことに触れました。「1998年7月、この裁判所規程が国連の条約会議で採択されました。集団殺害罪、人道に対する罪、戦争犯罪、侵略の罪を裁く常設の裁判所で、主権国家の司法権を補完する役割を果たします。2審制の裁判所のほか、予審、検察官などを置きます。今回のテロは、人道に対する罪に入る可能性があると思います。しかし残念なことに、締約国の数が発効要件を満たさず、まだスタートしていません。日本は、合意形成に尽力したのに、まだ署名さえしていません。この裁判所設置を実現し、国連警察軍を設立すれば、今回のようなテロに対処する国際的枠組みが出来ます。」
「部落差別に関するインターネットの書き込みは、許せない人権侵害です。一日も早く、独立した人権救済機関を設置し、こうした事態に対処できる仕組みを整えなければなりません。国内でも国際社会でも、法と正義を実現する新しい仕組みを作る時です。ピンチをチャンスに変えましょう。」
13時から4時間近く、今後の私自身の地元活動のあり方につき協議。
18時から、藤原明君の通夜。18時半から、ご近所のご家庭でホームコンサート。ロシア出身の新進バイオリニストの演奏。ピアノ伴奏は地元出身の船越さやかさん。2人はリヨンの音楽学校の同級生で、パリ在住。堪能しました。20時半から、高校同期の友人のご自宅で、お月見。13夜の煌々たる月と、美味しいご馳走と酒で、平和のありがたさを満喫しました。
今日は、昨夜の月はどこへやらで、秋雨です。運動会の予定がすべて中止となりました。10時から、岡山市雄神学区の敬老会へ。70歳以上のお年寄りが140人ほど集まり、式典の後、踊りやカラオケを楽しみます。みなさん元気そうで、あまり年寄り扱いすると、失礼なのではないかと思ったりします。来賓挨拶は、自民党の国会議員1人だけでした。
13時から、そぼ降る雨の中で藤原明君の葬儀。享年61歳でした。合掌。
13時半から、JAM岡山の定期大会に出席。旧総評系の金属機械と旧同盟系の全金連合が合併した産別です。参院選で組織内候補を2人、民主党から擁立しました。今泉さんは千葉県選挙区で当選しましたが、前川さんは比例区で落選しました。挨拶では、選挙のお礼とお詫びを述べ、テロや景気のことなどに触れました。
15時から、劉・ミフネアートアンサンブルで、藤原真理さんのチェロコンサート。伴奏は、堀由紀子さん。バッハの無伴奏チェロ組曲6曲を、1回に1曲ずつ演奏してくれることになっており、今回は第3回で3曲目。第6番でした。他に、ベートーベンとシュトラウスのチェロソナタ。アンコールで、「Zero Landmine(地雷のない日)」を弾いてくれました。50人ほどが床に座り込んで、体が震えるように響き渡る演奏に、聞き惚れました。周囲の壁面は劉生容さんの抽象絵画の大作。芸術の秋です。
番町文庫で夕食の後、20時から1時間、民主党の会議。
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