やまのい和則さんのメールマガジンから抜粋 ホーム総目次日誌に戻る

2001/05/23

■ハンセン病 記者会見

別件で先輩の金田誠一議員の携帯に電話すると、「いま、弁護士会館の5階で記者会見をしているので来るように」と言われる。急いで駆けつける。

記者会見場はさすがにすごい熱気。原告である元患者さんの喜びの声を聞く。
「今まで人生、うつむいて歩いてきた。明日から顔をあげて歩ける」
「亡くなった仲間の骨がふるさとに帰れるまで、この運動は終わらない」などという声も。

 その時の写真をホームページに載せました。

その後、政治家の記者会見。民主党からは菅直人幹事長と金田議員と私。社民党からは土井たか子党首と中川智子議員。共産党からは志位委員長、市田書記長、瀬古議員など。

 本来なら、超党派のハンセン病訴訟議員連盟代表の江田五月参議院議員の出番だが、あいにく地元岡山にいるとのこと。また、民主党若手議員でこの問題に熱心に取り組んでいる川内議員や加藤公一議員、福山哲郎議員も時間の調整がつかなかったため、私が記者会見に同席した。

ちなみに、私は、福山哲郎議員が岡山ハンセン病療養所を訪問し、そのショッキングな話を聞き、この議員連盟に入ったのだ。

私は一言、「人権回復の歴史的な判決」とマイクでしゃべった。

この日ほど、弁護士さんたちの銀のバッヂがまぶしく見えたことはない。

■ありがとうございました

記者会見のあと、弁護団の方々と原告の元患者の方々と40人くらいで飲みに行く。

 原告団長の曽我村美一さんも来られた。

 沖縄から来たという元患者さんが、「ありがとうございました。ありがとうございました」と私に何度も頭を下げられる。私はたいした仕事は実際はしていないのに。

「私は過去50年、顔を隠して、名前を変えて生きてきた。これで笑顔で沖縄に帰れます」とのこと。そして、「政治家の方もよいことをすることがあると初めて知りました」とのこと。確かに、この方々はバカな政治家の怠慢のために、40年も療養所に隔離されていたのだ。政治家を軽蔑するのも仕方ない。

「これからもよろしくお願いします」と深々と頭を下げられる。このハンセン病訴訟は、瀬戸内でも東京でも戦われている。そして、合計数百人の弁護団が動いているのだ。

私は、「ハンセン病判決は、日本が人権の国、人間を大切にする国に脱皮するための第一歩。病院などに収容されている精神障害者の方々が地域で暮らせるように頑張ります」などと話した。

それにしても歴史的なことだ。

これを突破口に日本版ADA法(障害者差別撤廃法)の制定、介護保険の改善などに向かって頑張ります。


やまのい和則さんのホームページ


ホーム総目次日誌に戻る