江田五月 活動日誌 2001年5月(21〜25) >>日程表 ホーム総目次5月目次前へ次へ


5月21日(月) 予算委、首相答弁、ハンセン訴訟、高裁判事、申し入れ、集会

今日は、参議院で予算委員会の総括質疑が始まりました。まず、民主党の峰崎直樹さん、今井澄さん、円より子さん。午後は自民党。昼食を挟んで、正味8時間の予定が、最後の質疑者が早くやめ、16時20分頃終了。

小泉首相は、ご自分の言葉で、短く歯切れ良く答えます。例えば、「道路特定財源は、自民党に異論があっても、内閣としては参院選までに見直します。」参院選候補の派閥離脱については、「離脱すれば、改革路線の協力者だということが国民によく分かるので、お願いしました。違えば、選挙で国民が審判して下さい。」 片山総務相は、「総理から聞きました。」と答えただけで、派閥離脱は言外に拒否。つまり足を引っ張る側だということを示したわけです。

自民党の真鍋賢二さんの質問に、「ゴミを出すのは人間だけです。人間以外の動物も植物も、ずっと賢く生きています。学ばなければいけません。」と答えたときには、私も思わず拍手をしてしまいました。そのとおりなのです。

問題は、実行出来るかどうか。ハンセン病の控訴問題については曖昧で、元患者に会うかどうかも「時期を含めて検討します。」と言うだけ。官僚言いなりかどうかのリトマス試験紙で、まもなく結果が出ます。

スウェーデンの国会議員が15人傍聴に来ました。男5人、女10人。さすが。

16時25分、テレビのインタビュー。テーマは高裁判事の買春事件でした。司法キャリアーシステムが、制度疲労を起こしているので、裁判官の採用の仕方を見直し、「法曹一元」を真剣に検討すべきだと強調しました。

16時30分、鳩山代表と一緒に福田官房長官に、ハンセン病判決につき控訴断念と患者の面会を申し入れ。「首相は会う気持ちを持っていると思うが、対応の検討が中途半端な段階で会うと、混乱させるから、時期を検討している」とのこと。控訴の検討は、「ぎりぎりまで続く」とのこと。押し問答でした。

17時過ぎ、官邸前にいる元患者らのところに、激励の挨拶。18時半から1時間半、「控訴するな」集会に参加し、議員懇談会を代表して、「まだ控訴と決まってはいません。頑張り抜きましょう。」挨拶。超満員の熱気に溢れた集会でした。ちょっと風邪気味です。



5月22日(火) 誕生日・命日、予算委、ハンセン控訴、集会、偲ぶ会、テレビ

今日は、何の日でしょう。朝、妻からの電話で、はっと思い出しました。私の誕生日を忘れていました。父・江田三郎の命日も。

9時から、予算委員会総括質疑の2日目。福本さん(公)、筆坂さん(共)、照屋さん(社)が、ハンセン病を取り上げましたが、答は依然としてはっきりしません。原告の皆さん30人が傍聴に来られました。

その間にも、たぶち雅子さんの激励原稿書きや、野党5会派の参議院議長に対する申し入れや参議院厚生労働委員会で試みられる決議案の起案。申し入れは、(1)速やかに控訴の要否につき院の意思を形成し、法相に回答すること、(2)その回答の前に控訴につき結論を出さないよう、法相に対し適切な措置を執ることの2点です。議院運営委員会でも、院の回答を巡って協議が行われ、明日に持ち越されました。控訴の適否については、全ての関係機関が、自らのこととしてぎりぎりの検討をすべきです。ハンセン病集会で挨拶する江田五月

予算委終了後、ハンセン病集会で挨拶。国会の現場にいて皮膚感覚で感じるところでは、剣が峰。小泉首相の判断に、全ての人の思いや努力が、凝集しています。昨日の福田官房長官:「総理も大変なのですよ。」私:「その大変さを求めて手を挙げられたのでしょう。」まだ希望を捨てる時ではありません。

19時から、江田三郎没24周年を偲び、五月還暦と三郎秘書の矢野凱也さんの喜寿を祝う会。思いを共通にする仲間が30人ほど集まってくれました。

私だけ中座し、ハンセン病元患者の皆さん15人がテレビ出演に出発されるのを、見送りました。リラックス、リラックス。そうはいかないですよね。



5月23日(水) 控訴断念、人権、合同会議、憲法、副議長、街宣

今日は、記念すべき日となりました。ハンセン病判決に対し、小泉首相の決断で、国が控訴を断念しました。1700人の原告、4400人の元患者だけでなく、療養所で亡くなった23700人の方々、生まれる前に消された3135のいのち、数限りない差別と偏見で引き裂かれた人々のために、首相の決断に心から敬意を表し、感謝します。しかし、これで最終解決ではありません。社会に強く残る差別と偏見の除去から元患者の生活支援まで、政治の役割はまさにこれから。議員懇談会の役目です。全力を尽くします。

10時から国内人権機関設置WT。座長は私です。審議会の答申が近いので、ピッチを上げます。11時過ぎ、法務省担当者から公証人の不祥事の調査報告。

12時から、国対・理事合同会議。12時50分から、憲法調査会幹事会。13時から2時間、調査会で浦田賢治早大教授と曽根泰教慶大教授からヒアリング。首相公選や改憲手続きなどでした。15時からハンセン病控訴対策の打ち合わせ。

その間抜けて、13時5分から、元患者と菅野参議院副議長との面談。出来ることは、全てし尽くさなければなりません。

16時から有楽町で、ハンセン病訴訟支援の街頭演説。私の司会で始まり、藤井(由)、淵上(社)、志位(共)のあと、議懇会長として、同時に始まった患者と首相の面会で、患者の気持ちが首相に通じるように、祈るような気持ちで訴えました。原告として、森元さん、金城さん。初体験でしょう。菅幹事長も来ました。

元患者との面会は、10分の予定が40分に延び、首相も真剣に、時に目に涙を浮かべながら聞かれ、確かな手ごたえを感じたそうです。

記者会見に立ち会い、事務所に戻ったら、テレビのテロップで「控訴せず」。びっくりし、誤報かもしれないから慌ててはだめと、自分に言い聞かせながら、弁護士会館に行く車の中で、確かな情報が確認できました。

弁護士会館では、原告らが放心状態。何人かと抱き合いました。よかった。金田さん、瀬古さん、中川さんらも到着。私はこっそり抜けて、19時前の新幹線で帰岡。何本もの電話取材が追い掛けてきました。

参考:やまのい和則さんの報告
福田官房長官発表文


2001年5月23日

控訴断念について(談話)


ハンセン病問題の最終解決を進める国会議員懇談会
会長 江田 五月

  1. 小泉首相の決断に心から敬意を表し、感謝申し上げます。

  2. ハンセン病問題は、この判決の確定と賠償金支払いだけでは最終解決とはいえません。

  3. 議員懇談会は、社会の偏見除去から元患者の生活支援まで、最終解決のために政治が負った責任を果たすため、全力を尽くします。


5月24日(木) 法務委、平野さん、国会決議、全療協、議懇、CDV

今日は、昨夜遅くまで選対協議が続き、3時間睡眠で始発の新幹線で上京。9時50分法務理事会、10時から16時過ぎまで、法務委員会。森山法相の所信に対する質疑で、民主党は小川敏夫NC大臣が質問しました。

平野貞夫さんの質問中の言葉。「子どもの頃、身近にハンセン病患者がおり、父は医師として50年、患者を診てきました。『往診や、月の道行き、50年。』父の句です。月が何か、今やっと分かりました。患者の家に月明かりでしか行けなかったのです。やっと、太陽の光でも良くなったのが、今回の判決です。私は最も責任の重い国会議員です。深く謝罪します。

私は、委員会を抜け出して、金田誠一さんと決議文の検討。必要事項は、(1)反省と謝罪、(2)差別・偏見の解消と名誉回復、(3)原告・元患者との協議の場の設定(当事者の意見を良く聞かないところから過ちが始まります。)、(4)恒久対策(立法のための協議の場の設定、補償でなく賠償が必要)、(5)原因究明と再発防止。

11時からの「ハンセン病問題の最終解決を進める国会議員懇談会」と「全国ハンセン病療養所入所者協議会(全療協)」との懇談会(ややこしいですね)で、会長として挨拶。全国13園で、入所者は4417人、その内原告は1703人。39%です。最高率は大島青松園の76%。

全療協の要請。「入所者の80%は、障害程度2級以上で、1人平均3.3疾病を有し、その大多数は不自由者棟にいます。ここでは、平均年齢77.6歳なのに、夜間の介護・看護はほとんどなく、緊急時に的確な対応が出来ません。そこで、職員の3交替勤務と夜間の看護婦配置をお願いします。

17時半から、ハンセン病問題議員懇談会の役員会。決議文の検討など。19時、CVD−JAPAN(日本コンパクトディスク−ビデオレンタル商業組合)パーティーで挨拶。19時30分、シンクネット・センター「21世紀ビジョン研究会」。

官房長官談話「ハンセン病問題について」は、未練がましいですね。控訴発表用に準備したものに、急遽多少の手直しをしたのかと疑いたくなります。司法による立法不作為の指摘が、「三権分立の趣旨に反する」というのなら、行政が国会の意見を聞かずに判決批判をするのも、同じく反するのでは…。

参考:やまのい和則さんの報告



5月25日(金) 法務、総会、本会議、弾劾、前川・石田、ハンセン病決議

今日は8時から、法務・財政金融・税制調査会等の合同会議で、緊急経済対策関連法案の審議。政府提出法案は、効果があるか疑問だが、反対するほどでもないというのが、大勢。「金庫株」は、これこそ効果が疑問です。

9時半、議員総会。ハンセン病問題につき発言しました。「小泉首相の決断で控訴断念となりましたが、これは皆さんがそれぞれの場面で頑張ってくれた結果です。感謝します。国会決議を巡る与野党の攻防は、心から謝罪をしようといういう野党と、法的責任を否定したい与党の争い。首相の決断を真に支えようとしているのが民主党、足を引っ張るのが自民党。」本当です。

10時から本会議。平田健二さんが石油備蓄で質問。計量法の採決。11過ぎから、シーズの松原さんと岩倉さんが、NPOの取材に。11時40分から、法務部門会議の役員会。法案審査の調整です。

13時から、裁判官弾劾裁判所事務局と打ち合わせ。村木判事の件は、私も訴追必至だと思います。仕事が来そうです。15時前の新幹線で、帰岡。

19時から、「前川 忠夫・石田みえ」総決起集会で挨拶。19時から2時間強、連合岡山の幹部と協議。

ハンセン病判決についての政府声明には、被告の立場での政府の言い分として、国会の責任に関する主張が盛り込まれています。判決は、故意がない国会議員の不作為について、法的責任を広く認めており、これは司法が国会議員の活動を過度に制約することになるから、最高裁判例に違反するというのです。最高裁は、「国会があえて(明らかに憲法違反の)立法を行うというごとき、容易に想定し難いような例外的な場合」に、法的責任を負うと判示しています。政府声明は、これを「すなわち故意に憲法に違反し国民の権利を侵害する場合に限られます。」と解釈し、本判決は、本件はこの場合に当たらないのに、法的責任ありとしているから、国会議員の責任を、最高裁の判示した範囲より拡大したというのです。

これは間違っています。最高裁判決は、「ごとき」の前に例示を置き、そのような「容易に・・・な場合」と、一般則を述べています。ところが、政府は一般則をことさら無視し、例示のところだけを勝手に狭く解釈しているのです。しかし熊本判決は、理由を詳細に述べて、「らい予防法」を放置したことが一般則の「容易に・・・な場合」に当たると、判示しているのです。

官僚の皆さんが与党のために理屈を考えているのでしょう。この判決があると立法活動が制約されると言うのですが、「容易に・・・な場合」が立法の場面で本当にたくさんあると思っているのでしょうか。為にする責任逃れの理屈です。

国会決議の与党案には、同じ理屈が書き込まれています。本当は責任なしと思っているが、世論が厳しいので、形だけ謝るというのでしょう。謝罪は選挙対策でしょうか。野党は、そんな文言を入れずに、誠実に謝罪しようと主張しているのです。


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