江田五月 活動日誌 2002年2月 (14〜16) | >>日程表 | ホーム/総目次/2月目次/ 前へ|次へ |
今日は、8時からの外交・安保・内閣・国土交通部門合同会議に、ちょっと遅れて出席。江橋崇教授から、緊急事態法制についての意見聴取です。「有事オンブズマン」の提唱など、極めて示唆に富むご意見を伺いました。
10時から、禁煙議員連盟の準備会。今月末には、発足の運びとなります。11時、来客。12時半、鎌田さゆりさん。13時、参議院民主党の政策審議会勉強会。谷博之さんから、難病対策についてのご自身の取組みの報告を聞きました。
14時から法務部門会議。衆参の報告。選択的夫婦別姓についての法務・内閣部門合同会議の報告。外国人問題PT設置を了承。次いで、裁判所職員定員法改正案につき、法務省から説明を聞き、質疑応答。党議を協議しました。
15時から、NC会議。緊急事態法制についての幹部の発言の食い違いとか、政府参考人に対する質疑を抑制する原則とかにつき、意見交換。予算組み替え案、あっせん利得処罰法改正案の了承。17時、法務省官房長。17時半、連合推薦議員政策勉強会。エコノミストのジェフリー・ヤングさんからのヒアリング等。
19時から、菅幹事長も参加して、国のかたち研究会懇親会。
今日は、9時半からゼンセン同盟の高木剛会長と懇談。「景気の悪化は著しく、小泉首相が考えているデフレ対策程度では、何の効果も期待できません。民事再生法の実態についても、疑問が出ています。思い切った手を打って下さい。」「司法制度改革推進本部労働部門の検討会メンバーになったのですが、会議録公開につき、メンバーの中に、発言者の特定を拒むものがいて、大議論をしました。外からいろいろご意見を言って下さい。」
10時半から、サービス・流通連合の南雲光男会長と懇談。「倒産に3種あります。(1)はバブル崩壊後さらに事業拡大で傷を広げたもので、経営者は失格です。(2)は地域全体が衰退したもので、打つ手なしです。(3)は地域金融機関の破綻に伴うもので、救済したいですね。」「ワークシェアリングは、ジョッブもタイムもウェイジもシェアするもので、社会や生活の大改革です。積極的に取り組みます。」
12時から、次々と来客。お役人もいます。インターン学生が2人来ており、彼らに来訪の趣旨を説明。「内閣は法案をどこに提出しますか。」「??」「衆議院か参議院か決めて、どちらかに提出するのです。だけど、勝手に決めると、円滑な審議は保証出来ません。提出予定法案全部の審議日程を片目で睨みながら、どれを参議院先議にするか、与野党の折衝が始まっているのです。」
15時前の新幹線で帰岡。19時半から、実務家専門職の「難関試験合格合同祝賀会」に出席し、激励の挨拶をしました。若い皆さんの前途に期待します。
今日は、10時に自宅を発って県北へ。若干の支持者回りの後、13時半から、故・木村睦男さんの新見市民葬に参列しました。木村さんは、温厚な人柄で、私も海外派遣をご一緒させていただいたこともあります。新見市千屋のご出身で、参議院議長を務められ、名誉市民に推戴されました。そのときの言葉、「雪の朝 幼かった私は涙とともに千屋をあとにし 赤い夕陽の満州大連に向った。あれから七十年が経った今 再び新見市民となった。この喜び誰に語るべきや。私はふるさと新見の土となる。」は、極貧の中から艱難に打ち勝ち、功成り名遂げた保守政治家の心情を、見事に表現していると思います。
岡山に戻り、15時に、終了間際の連合岡山東備地協の定期総会へ。その後懇親会で挨拶。
16時半過ぎ、遅れて玉野・灘崎地区の住吉良久県議の後援会「吉勝会」総会に出席し、挨拶の後、懇親会。走り回った一日でした。
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