江田五月 活動日誌 2002年3月 (20〜23) | >>日程表 | ホーム/総目次/3月目次/ 前へ|次へ |
今日は8時から、緊急事態法制に関する部門合同会議のフリーディスカッション。私も終わり近くに、簡単に発言しました。
「国民に、この国のシステムにつき確信を与えるメッセージを発信することが、政治に求められています。人は誰でも、将来の予測を立てながら、自分の行動を決めます。その予測が立たない事態が発生した時、つまり緊急事態に、どう行動したら良いかにつき、確信が持てるシステムが無いのは事実です。その時、国や自治体がどう対処するかとか、個人がどう行動すれば危機脱出につながるかということを、予め決めて、このシステムを共通の認識にしておくことは重要です。市民は誰でも、緊急事態に自分がどう行動すれば、みんなの助けになるかを、知りたがっています。それが緊急事態法制の基本です。その議論が危険な風潮の助長に繋がるというなら、それに気をつければいいのです。議論の位置付けを明確にすれば、結論にたどり着けるはずです。」
9時半から、部落解放推進委員会で人権擁護法案のヒアリングと協議。10時半から、千葉景子さんと参議院法制局の担当者と、人権擁護法案の修正案につき協議。方向が見えて来ました。
11時半から、議員総会。12時から本会議。地方自治法改正案が可決され、衆議院に送付されました。民主党は、よく工夫された修正案を出したのですが、容れられず、原案には反対。昼は、国対・理事合同会議。
13時から15時過ぎまで、法務委員会で予算案の委嘱審査。小川敏夫さんがムルアカ秘書の疑惑を質しました。16時、テレビ朝日が「ムネムネ会」につき取材のビデオ撮り。新聞記者sの取材。福山さん、朝日さん、郡司さんと個別に打ち合わせ。
19時から、ゲームソフトの皆さんとちゃんこ鍋を囲んだのですが、一口食べたところで時間切れ。最終新幹線で帰岡。
今日は、10時から3時間、民主党県連の候補者発掘プロジェクトチームの会合。地方議員候補の発掘で、国会議員候補の発掘と同様に重要です。私は通常は出席していないのですが、いよいよ統一地方選まで1年となったので、県下全域を俎上に乗せて議論しました。県議候補が一番重要ですが、思うようには進みません。
15時から2時間半、私の活動報告紙「江田五月会だより」の配布体制の協議。地域毎にお手伝い頂ける方を見付けて、例えば町内の10数軒でも手配りをお願いできれば、地域にしっかりした支援のネットワークが出来ます。1人当たりの負担が小さいほど、きめの細かいものになります。郵送料の節約というおまけもあります。しかし、現実は大変。隣近所は配ってあげるよと、お手伝い頂ける方は、是非ご連絡下さい。恩にきます。
その後、総社市長候補の竹内洋二さんとの政策協定に調印。新幹線で上京。
伊江島の阿波根昌鴻さんが亡くなりました。沖縄の、そして日本の良心でした。一度だけですが、謦咳に触れる機会がありました。合掌。
今日は9時から、司法と精神医療の連携に関するPTと法務、厚生労働の両部門会議の合同会議で、閣議決定された心神喪失者処遇法案につき、法務省と厚生労働省の担当者からヒアリングの後、対応を協議しました。すでにPTでは、中間まとめを合意しています。その要旨は次のとおりで、今日の会議ではこれを確認し、NCに中間報告することになりました。
「現在の触法精神障害者の処遇は、措置入院、起訴前鑑定、身柄拘束施設での精神医療の各体制のいずれを見ても、極めて不十分であり、今必要なのはこれを改めることです。ところが政府案は、これに真正面から取り組まず、新たな制度を創設するものです。しかも新制度は問題だらけです。必要なことをせず、疑問の多い新制度を導入することに、直ちに賛成はできません。そこで、民主党として、現行制度の改革案を作り、これを政府案の対案とします。」
10時15分から、民主党憲法調査会役員会。鳩山代表、中野新会長のご挨拶の後、事務局長の私が進行役で、昨年暮の「中間報告」に至る各作業部会の検討をさらに続けて、5月の連休後か、遅くとも5月中をめどに、作業部会の最終報告をまとめることを決めました。その上でNCでの了承手続きに進みます。国民投票法案は、早急に役員会で検討します。
11時からの夫婦別姓選択制に関する法務、内閣合同部門会議に、遅れて11時45分に出席。別姓批判派の高崎経済大学八木助教授の意見聴取と質疑です。家族の基本型の堅持を強調されましたが、きめの細かい検討はされていないようでした。
12時15分から法務部門会議で、テロ資金処罰法案のヒアリング。13時半から小川勝也さんと、予算委のBSE質問の打ち合わせ。14時半から堀込征雄さんらと候補者発掘の打ち合わせ。デスクワーク。来客。法務省担当者と、人権擁護法案につき協議。
18時から、老朋友の小林哲也さんのお誘いで、マヒナスターズと立川談志のディナーショー。「こいさんのラブコール」、「寒い朝」、「泣かないで」など、60年代の懐かしい甘い歌声に酔い、談志の名人芸に入ったところで、時間切れ。最終新幹線で帰岡。
今日は10時から、倉敷芸術科学大学の学位記授与式に出席しました。新卒の青年男女に今後を託すのですが、本当に大丈夫だろうかと心配半分、信頼する他ないのだと諦観半分。前途に幸多きことを祈ります。
13時、県の最西部、笠岡市まで飛ばして、片山虎之助総務大臣のご母堂の葬儀に参列。大変に盛大でしたが、私は中座させていただきました。片山さんは、私の高校と大学の先輩ですし、義父の県人寮の後輩でもあります。
県の東部の牛窓町まで飛ばして、14時半から2時間弱、若き酪農家の皆さん数人と懇談会。BSE問題につき、なかなかマスコミには登場しない現場の話を聞かせていただきました。本当に苦労しておられ、農水省と農水大臣に対する怒りも、よく分かります。
自宅で原稿書き。19時から、地元事務所の幹部で、今後の運営の仕方につき協議。
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