江田五月 活動日誌 2002年8月 (14〜15) | >>日程表 | ホーム/総目次/8月目次/ 前へ|次へ |
今日は、9時半に自宅を発ち、19時まで衆議院岡山1区内を、初盆参りに回りました。
岩崎寛先生は、中学の時の学年担任で、同期会には必ず出席し、同期生の思い出を文章にして配ってくれました。先生のご入院中に、私がお見舞いに伺ったのを、大変喜んでくれたと、奥様から聞き、恐縮しました。「あと1ヶ月でこの家を建て替えると、息子が言うのですよ。そんなに急がなくてもいいのにね。」若い世代は、せっかちなのです。
築港緑町盆踊り大会 半田輝雄先生は、丸山真男先生のゼミで私の先輩。岡大教授で、私も先生のゼミに招かれたこともあります。「私たち夫婦は東京でしょう。子どもたちも皆あちらでね。だけど何十年もここに住んで、私にもお友だちが大勢出来ました。私はここで頑張るつもりなのですよ。」ぜひお願いします。
19時半、浴衣に着替える暇もなく、市内南部の町内会盆踊り大会へ。20時半、東京から高校同級生が帰岡し、10人ほどでカラオケへ。21時半、県連幹部と県議選の打ち合わせ。
今日は、終戦の日。57年前、日本がポツダム宣言を無条件受諾したことにより、あの悲惨な戦争が終わりました。私は、この日を中国の石家荘で迎えました。まだ4歳で、特別の記憶は何もありません。断片的な記憶を除いて、自分史が始まるのは、引揚げの上陸用舟艇の中あたりからです。従って、私にとっても、あの戦争は歴史上の出来事です。
歴史の教訓を学ばないものは、同じ過ちを繰り返します。まず学ぶべき教訓は、戦争を2度と繰り返してはいけないということです。私たち日本人は、皇居に向かって土下座をした時、何に涙を流していたのでしょう。日本には、レジスタンスという市民的抵抗の経験がありません。だから、敗戦という国民的経験を内面化せず、涙と共に経験を洗い流してしまったと思います。だから今でも、当時を懐かしむような言動が、平気で指導者の口から出てくるのです。
もう一つの教訓。ポツダム宣言受諾というのは、当時の指導者の一つの選択でした。本土決戦で完全焦土化を選ぶか、無条件降伏で国民の生存を選ぶか、ギリギリのところで2つの選択肢がありました。そういう選択肢しか残らないところまで追い込まれたのは、重大な過ちですが、その中での選択としては、かなり現実主義的な選択だったと思います。国家の威信より、国民の生存の方が最重要。これも教訓です。
8時半に自宅を発って、衆議院4区と5区内の3市2郡を、初盆参りに回りました。送り火を焚く日ですから、18時には終了。途中まで、はたともこさんと一緒です。4日間で、120軒ほどになりました。夜は、訪ねてきた大学後輩と楽しく夕食。
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