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11月19日(土) 人形峠式典、母子寡婦集会、五月会幹事会

人形峠ウラン50周年式典で挨拶

今日は8時過ぎに自宅を発ち、県の最北にある鏡野町上斎原へ。10時から2時間弱、人形峠ウラン鉱床露頭発見50周年記念式典に出席し、来賓挨拶をしました。鏡野町、三朝町日本原子力研究開発機構の3者の共催です。

1955年11月12日、大変な苦労の末、この地で露頭が発見されました。翌月には原子力基本法が制定され、「自主、民主、公開」の原則の下で原子力平和利用がスタートしました。その前年に235百万円の最初の予算がつきましたが、235の数字は核分裂性ウランの原子量に合わせたものだったことを、今日初めて知りました。その後、採鉱は30年弱で終了しましたが、濃縮などの技術開発が進められ、青森県六ヶ所村の事業所に引き継がれました。現在では、解体エンジニアリングの技術開発に取り組んでいます。

私が関わったのは、1993年8月から翌年4月までの科学技術庁長官時代です。濃縮施設である遠心機の中まで視察しました。兵器級濃縮ウランにまで繋がる可能性を持った技術であり、核不拡散のために最大級の機密性を保たなければなりません。もちろんIAEAの厳格な保障措置の下に置かれます。政権担当者の責任の重大さを実感したものです。

式典はその後、経過報告に続いて、県立津山高校の生徒の皆さんの調査結果報告がありました。原子力利用についての意識調査では、賛成派vs反対派よりも、賛成・反対・中立を含めた関心派vs無関心派の対立のほうが重要で、関心派の中での相互理解と無関心派への啓発が必要という結論は、わが意を得たりと思いました。

中国地区母子寡婦集会で挨拶

その後の行事は失礼し、県南の倉敷市へ。昼食を取る時間のないまま、13時半からの中国地区母子寡婦福祉研究集会に飛び込み、柚木道義さんに続いて来賓挨拶。戦争未亡人の福祉施策を求める運動から始まったのですが、今では姿はかなり変わりました。それでも、母子寡婦福祉の重要性は、別の意味で重要性を増してきています。

15時から3時間弱、江田五月会の拡大幹事会を開き、私がちょっと長めの挨拶で、今年初めからの活動を報告しました。総選挙から岡山市長選挙まで大型の選挙が続き、皆さんにお世話になった菅源太郎さん、花咲宏基さん、高井崇志さんも出席し、挨拶しました。津村啓介さんは訪中のため、代理出席です。その後、ご出席の皆さんから貴重なご意見をいただきました。最後に柚木道義さんも駆けつけ、挨拶。来年もよろしく。


江田五月会拡大幹事会で挨拶
 

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