江田五月活動日誌 2007年1月 >>日程表 ホーム総目次1月目次前へ次へ

1月14日(日) 帰岡、笠井家法要、米子へ、川上さん新年会、上京

笠井家法要

今日は大阪のホテルで起床し、8時半過ぎの新幹線で帰岡。JR赤穂線に乗り継ぎ、西大寺駅から「利性院」へ。10時から12時前まで、妻と私の弟・拓也とともに、私の母の実家である笠井家の法要に参加しました。母の妹であるキクノさんが傘寿になり、法要を執り行うのも最後と言って、父・勘吉の33回忌と母・リセの50回忌を行ったのです。勘吉は長命で、私の娘を抱いて貰ったこともあります。

法要は、まず叔母さんの求めで、私が近親の代表としてお集まりの親族の皆さんにお礼のご挨拶を申し上げ、読経に移りました。11時からは、みんなで墓地に出向き、線香を手向けました。12時前に寺に戻り、そこで妻ともども中座。他の参会者の皆さんは、その後は会食となりましたが、私は米子へ、妻は他の葬儀で総社へ、別行動となりました。

親族代表で挨拶 墓参り

14時前のJR伯備線で米子へ。駅から迎えの車で境港へ。17時から2時間ほど、夏の参院選に鳥取選挙区から民主党公認で立候補予定の川上義博さんの境港後援会の新年会に出席しました。開会挨拶の後、私が15分ほど来賓挨拶をし、民主党や連合関係の挨拶の後、川上さんが20分近く、心境を吐露し決意を述べました。郵政造反組のひとりで、刺客に倒されましたが、信念は揺るがず、今回の挑戦となりました。自民党幹部の働きかけの顛末は、やはり直接聞くと赤裸々です。150人を超える参加者はみな必勝を誓い合い、民主党参議院としても、川上さんの参加に大きな期待が寄せられます。

20時前の便で、米子空港から羽田へ。本年初の上京となりました。これほど長く、年末年始を地元活動に費やしたのは、初めてではないかと思います。


川上義博新年会で 浜弁の寸劇−黄門さま

2007年1月14日(日) >>日程表 ホーム総目次1月目次前へ次へ