4月9日(土) 被災地視察、気仙沼市役所、避難所、法務局支局、一関合同庁舎、花巻泊
今日は、8時半に議員宿舎を出て、9時過ぎ発10時半過ぎ着の便で花巻空港に飛び、浅井仙台法務局長らの案内で、マイクロバスで気仙沼市まで2時間半走って、東日本大震災の被災地の視察に出掛けました。ここには仙台法務局の支局があり、2階まで津波被害に会いましたが、戸籍の副本と届書が3階にあって奇跡的に水を被らずに残っていたので、戸籍正本が流失してしまった自治体の戸籍を再製することが出来るのです。
東北自動車道が一昨日の地震被害で通行不能なので、一般道を延々と走り、やっと14時半に市役所に着いて、菅原市長から被災状況説明を聞きました。会議室には死者702人、行方不明者1418人と書き出され、市長のご自宅も流出したそうです。市役所の壁に尋ね人の紙が無数に張られており、その多くは今も瓦礫の下にいると思うと、涙がこぼれそうになりました。
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被災地視察−気仙沼市長と |
同−尋ね人 |
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次に市長の案内で、避難所となっている市民会館を訪ねました。松下館長が気丈に各部屋を案内してくれましたが、彼女のご主人は亡くなりました。娘さん2人と車で移動中の被災で、2人は助かりました。東京勤務の息子さんが帰省して徒歩で瓦礫の中を探し回り、父親のご遺体を発見したそうで、葬式を出せるだけでも幸せだと話してくれました。また、島根県や福山市からも支援の職員が来ており、感謝されました。避難所はお年寄りが多く、今日は炊き出しがあって温かいものを口にされていましたが、これまでの寒さはこたえたと思います。
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同−避難所で |
同−島根や広島から |
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同−炊き出し |
気仙沼支局−内海県議 |
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津波被害の瓦礫をすり抜けるように通された道路を揺られながら走り、法務局支局に着くと、内海太県議が待っていてくれ、一緒に中を見てまわりました。1階はハローワーク、2階と3階が支局で、津波被害は見るも無残でした。この一帯は海産物加工工場地帯で、外壁には逆さになったタンクローリーがへばりついており、室内にはカンズメ工場のカンが溢れていました。登記簿は塩水と油で膨れ上がっていました。3階の戸籍副本と届書は運び出し作業中で、思わずこれを守った書棚を褒めてやりました。
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同−支局内 |
同−登記簿 |
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同−戸籍副本 |
津波被害 |
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同 |
一関支局で |
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移動して17時半ころに盛岡法務局一関支局などの入った法務合同庁舎に着き、高木検事正、島津地方法務局長、田中刑務所長らの被災状況説明を聞きました。その後、庁舎内を視察。危険建物と指定され、エレベーター棟は傾き、室内には、折角整理したところに来た一昨日の地震被害がそのまま残っていました。さらに隣の拘置支所を視察しました。その後、18時過ぎに薄暮の中で、同行した新聞記者さんらのぶら下がり取材を受け、戸籍の再製は今月中にすると決意を述べました。19時過ぎに花巻に着き、泊。
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書類の山 |
ぶら下がり取材 |
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