江田五月活動日誌 2014年5月 | >>日程表 | ホーム/総目次/5月目次/前へ|次へ |
今日は、8時半に自宅を出て、高速道を北上して松江市へ。11時半過ぎに着き、武家屋敷街にある由緒正しい出雲蕎麦屋さんで、割子蕎麦で昼食。
米子道からの大山 民主党島根県連予定より若干早く、12時45分に中国電力の島根原子力発電所に到着。厳しい警備で、運転免許証による人物確認とトランク内や車体の下の検査を経て事務所に着き、岩崎発電所長らに迎えられて、13時半まで、事務所で概況説明を受けました。私は、1974年運転開始の出力46万kwの第1号機がまだ数年の運転歴のころに、見学に来たことがあり、科学技術庁長官時代に一応の原発の知識は得たのですが、再確認することも改めて知ることも多く、また、福島原発事故を受けてこれとの対比で説明をいただき、大変に有益でした。3・11事故時にはほぼ完成していた第3号機の出力は137.3万kwですが、これは出雲のイザナミとの語呂合わせで決まったわけではないそうです。
島根原発視察 - 概況説明その後、防災服に着替えて、1時間ほどかけて、マイクロバスで発電所施設内を見てまわりました。ここでは協力会社を含めて3500人ほどが働いているそうですが、大型連休中で、今日は閑散としていました。3・11事故の後に、地震や津波の評価を大きくかさ上げし、安全対策として2000億円ほどかけて、9.5メートルの最高水位に対して防潮堤を15メートルに高くして強度も増強し、重要免震棟を新たに建設し、水密扉を各所に設置し、シビアアクシデント対策としてフィルタ付ベントの新設や電源車や給水車その他の設置、など、安全対策を飛躍的に補強しつつある状況を見学しました。これらの対策は、会社が状況を先取りして計画から施工を始め、新たな原子力規制機関の発足後に了解を得ながら審査を受けているものだそうです。
同 - 所内見学続いて、さらにヘルメットをかぶり防災ベルトを腰に巻いて、第3号機の建物の中に入りました。まずタービン建物の中のタービンや発電機を見学窓から見て、さらに原子炉建物に入り、改良型中央制御盤を見、全体を見渡せる位置から格納容器、圧力容器と核燃料プールなどにつき細かな説明を聞き、次いで格納容器の内部に入りました。圧力容器の下部まで行き、制御棒挿入装置を下から見て、ベント装置も改良された様子を見ました。その後、サプレッションプールの中に入り、一周して見てまわりました。水密扉も新たに数多く設置されており、内部は全くの迷路で、この中ではぐれたら到底外には出られそうにありません。
同 - 3号機建物内へ15時半過ぎに事務所に戻り、さらに16時まで説明を聞きました。中国電力は5000万kwほどを供給していますが、第3号機で137万kwを発電すれば、島根、鳥取両県の需要を満たしてなお若干の余剰が出るそうです。防災計画については、関係自治体の計画策定に原因者として協力していく立場で、これからの課題のようです。第1、2号機の使用済み核燃料プールには、容量の2分の1程度の燃料が貯蔵されており、第3号機が完成すればさらに容量が増すことになります。
着替えて、16時過ぎにお別れし、島根県庁へ。17時過ぎに、待ち合わせをした沈海婷さんと合流しました。彼女は、中日友好協会からの派遣で、先月半ばから1年間の任期で島根県庁で働き始めたところで、私の訪中の際にお世話になりました。そんな縁で、松江名物を食材にした日本料理で夕食懇談しました。実は姓の「沈」は中国の略字で、正字は発音の同じ「瀋」ですが、覚えやすいように日本でも「沈」を使っているとのこと。因みに、中国の「沈」の略字は「沉」だそうです。中国語教室を開こうとか、張り切っていました。
沈さんと夕食 和風庭園19時半前に別れて、高速道を南下して岡山市に走り、帰宅は22時半になりました。