江田五月活動日誌 2015年6月 | >>日程表 | ホーム/総目次/6月目次/前へ|次へ |
今日は、朝は議員宿舎でゆっくりし、11時に会館事務所に入ると、布川事件の桜井昌司さん、志布志事件の川畑幸夫さんらが来ておられ、30分ほど、刑事訴訟法改正案につき意見交換しました。彼らは、冤罪事件の当事者として、この法案を強く批判し、廃案にすることを求めておられ、日弁連にも行って抗議をしてきたそうです。私は、弁護実践によって法案の懸念の現実化を防ぎ、より良い刑事司法にしていくという日弁連の態度に、理解を求めました。
冤罪事件の被害者ら昨15日から、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」の主催で「戦争法案反対・国会前座り込み行動」が行われており、平和フォーラムから民主党を代表して挨拶をするように依頼がありました。そこで、立憲フォーラム役員が相談し、分担して挨拶をすることとなり、今日は12時に顧問の私が出向き、10分程度の挨拶をしました。秘密保護法や投票率の極端な低下で民主主義が立ち枯れ状態、企業優先の労働法制で基本的人権も危機、そして安保法制で平和主義を放棄しようとしており、憲法秩序全体が重大な岐路に立っている今、みんなでしっかりと連携を強めて頑張ろうと述べました。
国会前座り込みで14時半ころ、熊本日日新聞の記者さんが取材に来られました。馬場昇さんが逝去されたので、一言感想をというわけです。日教組出身で熊本県選出の衆議院議員で、水俣病問題に尽力しておられ、1982年から暫く日本社会党書記長をされました。私が参議院議員から移って1983年に衆議院議員となってから馬場さんが引退される1992年まで、大柄で心の優しい馬場さんに、文教委員会などいろいろな場面でお世話になりました。同じく先輩の後藤茂さんも先日逝去されました。1995年に日本社会党を離党して、海江田万里さん、山花貞夫さんらと市民リーグを結成し、96年の旧民主党結党に参加されました。お二人とも同い年で、享年89歳。合掌。往事茫々です。
取材15時に岡山市の繁定昭男副市長が挨拶に来られ、地元の話題で懇談しました。大森雅雄市長の片腕です。
繁定副市長15時半から30分ほど、「国会がん患者と家族の会」に出席し、故・山本孝史参議院議員のご夫人の山本ゆきさんの話を聞きました。2006年5月22日、参議院本会議の代表質問でご自身ががんに罹患していることを告白しながら、当時与党案と民主党案が別々に提出されていたがん対策基本法案の一本化と成立を強く訴えられ、同年6月16日、つまり今日、それが実現しました。がん患者の当事者としての声をしっかりと受け止めることを訴え続け、比例区で再選を果たしましたが、任期途中の翌07年12月22日に逝去され、大阪でのご葬儀には私が参議院議長として弔詞を捧げました。ゆきさんは話の結びに、基本法を改正して、がん患者が人間としての尊厳を全うできるようにすることを、規定するように強く訴えられました。その後、会館事務所に戻り、デスクワーク。
がん患者と家族の会 - 全景 同 - 山本ゆきさん18時から30分ほど、日本土地家屋調査士会連合会の総会後の懇親会に出席しました。法務副大臣と環境大臣の挨拶に続き、各党にある議連代表の挨拶があり、民主党は小川敏夫さんがユーモアに溢れた挨拶をしました。その後、乾杯から懇親となり、林千年会長らとあいさつして、中座。
土地家屋調査士会懇親会19時過ぎから1時間半ほど、郡和子さんらと台湾料理で夕食を食べながら、懇談しました。
郡さんと