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8 意識的無党派のエネルギーを結集しよう
政権を追求するにあたって、忘れてならないことは、日本における最大の政治勢力が、皮肉な表現をすれば、すでに述べたような支持政党なしの無党派だということである。この層は、選挙にあたってすべてが棄権してしまうのでなく、かなり多くは投票を行うのである。そして、時には共産党へ、また時には新自由クラブへと流動するのである。現状の改革を望んでいるのだが、こたえてくれる政党がないので無党派なのである。この層にどうよびかけ、この層と手のつなげる政治勢力をどうやってつくるか。既成の政党にたって、社公民中心という図式をかき、それで終るのでなく、無党派をどうするのかが、大きな課題であり、私が「新しい日本を考える会」に参加したのは、このことを考えたからである。
現在のフランス社会党のリーダー、ミッテラン氏は、凋落をつづけた社会党に参加し、これを再建するために、党の内ではなく外から、テクノクラート、中堅管理職、学者、民主運動家等々四百人を集めて、フランス社会党のこれからの綱領づくりに討議を求めた。そして生れたのが現在の綱領であり、新社会党となった。ここから党の奇跡のカムバックが始まり、躍進がつづき、永年後塵をくらった共産党を追いこし、現在は支持率三〇%をこえている。私には、このことが頭を離れない。直訳的にこの方式をとろうというのではないが、党の内ではなく外の頭脳を結集したということは、なんたる達見かと、私の頭にやきつけられた。
かつて、私の構造改革論を、戦術ではあっても戦略としては誤っているとして葬った社会党は、社会主義理論委員会を作り、古い党の綱領をのりこえる綱領的文書として「日本における社会主義への道」をつくった。できあがったこの文書は党内において「道」とよばれ、誤りのないもの、全党員が学習を重ね、これによって理論武装すべきものとされている。この文書には構造改革論の発想も折衷的にはとり入れられているが、第一、国際情勢の分析が、スターリン時代のソ連の見解にたっており、国内情勢においても、古いマルクス主義の公式にたち、作成されて以来十年以上を経過したこともあって、とても現実に適応はしないのである。この文書は科学的社会主義という表現をつかっているが、これはマルクス・レーニン主義と解釈しても無理ではなく、またこの文書からプロレタリア独裁も引き出すことができ、社会主義協会派や社青同の諸君は、何かといえば「道」を引っぱり出し、これに反するものは反党分子ときめつける。その後社会党は中期路線や国民連合政権構想を発表したが、基礎になるのが「道」なのだから現実性がない。第一ボタンをかけ間違っているのだからすべてがズレてしまうのである。社会党のさまざまな誤謬は「道」がその根源だといっても過言ではない。しかし、現在の情勢では、党内論議でこれに根本的改革を加えることは不可能であり、実現されるとしても数年を要し、とても時代の必要にこたえ得ないのである。過去において社会党には多くの学者諸君の協力もあった。それらの人たちは、社会党から呼ばれて出かけても、話をいちおう聞いてくれるだけで、採用はほとんどされることがなく、あまりにも非現実的な政策しか打ち出さない、といって次第に社会党を離れていった。かれらは、公債政策や公共料金についての社会党の見解はあまりにも硬直していて、政権の座についたらその日から完全に破産するほかないだろうと、きびしく批判している。近年、数多くの政策提言を行い注目を集めている「現代総合研究集団」にしても、その創立にあたって、社会党は協力の要請を拒否し、この集団とは接触していない。私はミッテランが参加した以前のフランス社会党の事情も似たものがあったのではないかと思う。
すでに「考える会」は「明日の日本のために」について見解を打ち出し、これにもとづく政権構想も去る一月に発表してきているが、政権構想についての私の意見書に耳をかたむけようとしない社会党は、「考える会」の文書にも目を通そうとはしない。
私が「考える会」へ参加するに当って考えたのは二つの点である。第一に、政権構想には国民に公約する当面の政策が明示されなければならないが、野党第一党として中核の役割を担当しなければならない社会党の実態がこれまで述べたようであり、実現の可能な政策を作成することに期待がもてないことである。他の党はどうかといえば、公明党は宗教政党として出発したのであるが、党としての歴史が浅いだけに、他党の主張に耳をかたむける柔軟性をもっているが、民社党はその周辺の学者を含めて、分れてきた社会党との相違を明確にすることにこだわり、民社流に解釈しての社会民主主義にとらわれ、硬直した面が意外につよく、根底的な人間解放の理念よりも短絡的な反共イデオロギーに傾きがちである。この三党が共同のテーブルについて作業しても、容易に使いものになる政策づくりが行われ難い。むしろミッテランが成功したように、過去の決定や建前にとらわれない無党派の頭脳を結集することで、この作業がスムーズに進むのではないか。こうして作製されたものを政党に提示して、討論してもらうことが、早道ではないかということである。
第二に、政策立案過程に無党派の参加を求めることが、将来の政治勢力の結集にあたって、このエネルギーの参加に道をひらくことになるのではないか、ということである。われわれが既政の政治勢力だけの結集に終り、無党派のエネルギーを忘れていたのでは、国民の多数派になれないのだ。
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