2000年3月28日 |
「人権」 は、最も重要なテーマの一つです。
「人権」 は、私の国会活動にとって最も重要なテーマの一つです。
最初に参議院議員に当選したのは、1977年。法務委員会 (小会派でこれしか残ってなかった) に所属し、最初に手がけたのが、「犯罪被害者給付金支給法」です。密かに生みの親の一人だと思っています。委員会は違いますが、学校災害補償制度の創設にも関わりました。
高校3年の運動会の時。私は、生徒会の方で多忙を極め、百足競争を級友に交代して貰ったのです。ところが、思わぬ将棋倒しの事故。彼は脊髄損傷になり、今も車椅子です。私たちも一生懸命カンパ活動をしましたが、焼け石に水。思いがけず国会議員となり、学校事故のことに取り組んだのです。どちらも制度はできましたが、まだまだ不十分。第一、学校災害は未だに不遡及で、私の級友には何の補償もありません。日暮れて道遠しです。
83年に衆議院に移り、先ず、東チモール問題に取り組みました。
75年暮れに、せっかく宗主国ポルトガルから独立を宣言した東チモールに、インドネシアが軍事侵攻してこれを占領し、翌76年には併合決定。しかし国連はこれを認めず、以来小さな島で正義の戦いが続きました。人口60万人中20万人が死んだといわれます。日本は戦争中、ポルトガルと交戦関係にないのにここを占領。戦後何の補償もしていません。しかも日本とインドネシアは、最も深い二国間関係の一つです。その日本が、ことあるごとに国連でインドネシアに気兼ねし、みっともないことこの上なし。いけません。
そこで言い出しっぺとなって「東チモール問題を考える議員懇談会」を作り米国やEUの議員とも連絡を取って、国内外の世論形成や日本政府への働きかけをしました。
異常な事態もありましたが、何はともあれ昨年、独立への歩みを踏み出したことを喜んでいます。
教育の場での人権にも取り組みました。
女性差別撤廃条約の批准に伴い、いくつか国内の法律や制度を改める必要があり、そのうちの一つが家庭科の男女共修でした。文教委員会だけでなく、外務でも予算でも、口を開けば「男女共修」。日本家政学会での講演は、我ながらよくやったものだと思います。当時の家政学の大家は男子禁制の良妻賢母の専門領域と考えているようでした。これも、実現はしたのですが、学校での実態はどうなのか、例えば教室は、先生は。気になっています。最近も、例えば昨年は、10年越しの情報公開法と男女共同参画社会基本法の仕上げに、総務委員会の理事として関わり、本当に苦労しました。特に男女共同参画社会基本法の前文は私の発案で実現したので、それなりに自負しています。
さてこれから。まず、人権擁護推進審議会の動きをチェックしリードしなければなりません。教育と啓発だけでなく、人権救済の制度を一新しなければなりません。法務省が、右手で刑務所の運営に携わり、左手で人権擁護委員会を所管するというのは、国際基準に合致しません。パリ原則違反といわれたら、弁解できません。不十分でも省庁を整理再編するのですから、内閣府に新しく、人権救済機関をつくらなければなりません。
労働現場での人権確保のため「労働者保護法」制定。従軍慰安婦問題の抜本解決のための法制度の立ち上げ。DVやストーカーの対策。そうそう、盗聴法廃止法も。課題は無数。憲法論議も始まりました。
すべてにたじろがず、重要な立場で関わっていく決意です。
2000年3月28日 |