2002年10月 |
石井君は同志であり師だった ― 江田五月参院議員(民主)
補選の応援を取りやめて駆けつけた病室で石井君に会ったとき、僕は言葉が出なかった。石井君は、目は閉じていて、一見穏やかな顔でしたが、はだけた胸に大きな傷があり、頸も切られてぱっくり開いていた。とても正視できなかった……ひどい。
石井君と出会ったのは40年以上前です。彼のほうが一つ年上でしたが、互いに大学の自治会委員長として、学生運動に携わっていました。
たばこをふかしながら、口角泡を飛ばして議論する仲間でね。口八丁で演説をぶつやつが多かったけど、彼はしっかり話を聞くタイプで、信頼も厚かった。国会での厳しい質問ぶりからは想像できないでしょうが、普段は温厚で物静かな男です。学生時代から変わりません。
父・江田三郎の死後、彼から「選挙に出ろ」と口説かれてね。僕はストレスで胃潰瘍になって、選挙期間中の半分は寝ていた。石井君が、僕が寝床で気ままに口にする意見を選対本部に伝えて、調整してくれたんです。
僕は裁判官からポッと政治家になったから、永田町の右も左もわからなかった。政治資金を集める方法なんてもちろん知らない。そんなときに、秘書としてパーティー券を売り、後援者に挨拶回りをしてくれたのも石井君だった。僕は彼がいたから議員活動ができた。「秘書」というより、僕の「師匠」なんです。
僕が議員になって最初の仕事は、犯罪被害者給付金制度をつくることでした。これを最初に言いだしたのも、実は石井君です。正義感の強い彼は、罪もない人が犯罪に遭い、救済されない現状を見過ごせなかったんですよ。
代議士としての石井君は、世の中の「黒い陰」の追及に必死でした。自分のやるべき仕事はこれだと見定めていたんだと思います。
もっと活躍してほしかった。こんなテロで石井君のような男の政治活動が封殺されたことは、絶対に許せない。(談)週刊朝日 2002年11月8日号(10/29発売)掲載
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