2002年10月 |
必ず遺志は継ぐ 江田五月
統一補選で鳥取市郊外の浦富海岸にいたとき、「石井紘基さんが暴漢に刺殺された」との電話が飛び込んできた。秘書の声は震え、私の心臓は早鐘を打った。紺碧の秋空と群青の日本海が、あまりにも不釣合いだった。
私たちは学生運動以来の仲だ。私は退学で東欧へ。後に彼は、社会党本部からモスクワ大学へ。その都度友人たちと、送別の高楼に登った。マルクス法哲学を学んだ彼は本格的理論家で、本格的才媛のナターシャを連れて帰って来た。
父・江田三郎が離党したとき、彼は黙って従った。父が死の床に伏したとき、彼は私に「親父の後を継げ」と迫った。そして、秘書として私を助けてくれた。
彼の国会での舌鋒は鋭かった。綿密な調査があるから、敵は彼を恐れた。彼を襲った刃は、単なるはぐれ右翼ではない。事件の本質を見なければならない。
浅沼事件のとき、委員長代行だった父は、「おまえらに何が出来るか」と警護の警官を払い除けた。石井さんは、そんな父を愛した。警護強化など求めてはならない。「踏みにじられし民衆に、命を君は捧げぬ」という若き日の歌声が、石井さん、聞こえるよね。必ず遺志は継ぐ。合掌。
●故・石井紘基議員 略歴
1940年、東京都世田谷区生まれ。93年に日本新党から衆院選に出馬し、初当選。自由連合、さきがけを経て、96年に民主党に参画した。当選3回。民主党東京都総支部連合会副会長の他、今臨時国会では、衆議院の災害対策特別委員長を務めていた。(民主党メールマガジンDP-MAIL 第70号 2002年10月31日掲載)
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