2002年11月 |
父・江田三郎が期待した真にラジカルな研究集団
参院議員 江田五月
創設期・父を通じた思い出
現代総研が創設された1972年は、私は31歳。前年にオックスフォード大学留学を終え、裁判官として現場に戻った直後だ。立場上、現代総研の近くで創設に関わることはなかったが、社会党の中で、父・江田三郎と共に構造改革を掲げ、志を共にして頑張ってくれていた人たちには、私も学生時代からいろいろご指導もいただいており、大変懐かしい思い出がある。
父の周辺にきら星のごとく集まってくださった人々の中に、長洲先生、正村先生、貴島さんたちがおられ、父がこの皆さんと共に真の研究集団を創ろうとしている状況を見ていて、誇らしく、またうらやましく感じたものだ。
真に「ラジカル」な研究態度に感銘
私は、77年に父が死去したあとを受けて、政治の世界に転じ、現代総研の月例会にも時々出席するようになった。白熱した議論に参加し、ペーパーやブックレットを拝見して、これこそが言葉の真の意味での「ラジカル」な挑戦だと思った。私は大学では、丸山真男先生のゼミに参加した。はるか以前のことで、忘れてしまったことばかりだが、「ラジカル」とは「根源的」ということだと言われたのは、今も鮮明に記憶している。その言葉にぴったりの諸提言に、深い感銘を受けたものである。
「学歴社会は崩壊」と最初に喝破したのは現代総研であり、「大学教育の社会的意味」など、今まで何となく前提にしていた考え方を根源から疑って、実証的な調査・研究により突き止めた事実に即して、真の解決策を導き出し、世の中に提言した姿勢が高く評価される。
福祉社会論など課題に挑戦し現実的提言
政策提言として印象に残るものを幾つか挙げると、(1)年金改革への提言、(2)特例国債に関する諸提言、(3)労働の人間化の提言、(4)「福祉国家」という言葉を「福祉社会」と変え、国民参加を提起する福祉への諸提言、(5)農業政策の転換を求めた提言、などである。
当時はまだ、社会科学の世界は実証的な方法は主流ではなく、特に野党や「革新」の側では、観念論が幅を利かせている時代だった。革新の看板に偽りがあった。その中で、現実を正面から直視し、市場経済と混合経済体制を前提に、経済や財政の真の改革を求め、人間生活のすみずみまで福祉のスピリットを根付かせた福祉社会の建設を主張し、具体的で実現可能な政策提言を数多く発表されたことに、深い敬意を表している。
大学卒業時に読んだ「現代日本の革新思想」が、今も私の発想の基本にあると思っている。丸山真男、佐藤昇、梅本克巳の3先生による鼎談だ。現代総研の理念・提言も、これと全く同じ発想がとうとうと流れていると確信している。
現代総研が30年の活動を閉じると聞き、大変残念だが、時代の役割を果たし終えて自ら終止符を打つという、その潔さに、深い感銘を受けている。次世代の研究者の皆さんが、「現代総研の理念」を、新たな研究活動に生かしてくださることを期待している。(えだ さつき)「現代総研の30年」掲載(2002年11月28日発行)
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