2008年5月27日

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日韓協力委員会創立40周年祝賀レセプション 議長挨拶


 参議院議長の江田五月でございます。今日は日韓協力委員会、韓日協力委員会の40周年、本当におめでとうございます。心からお祝いを申し上げます。大勢の国会議員の皆様がおこしで、私よりも祝辞を述べるのにふさわしい人がおられ、私は隅の方でこっそりとお祝いをしていようと思ったのですが、恐縮ながらご挨拶をさせていただきます。

 先程、お話がございました通り、40年前のスタートの時は本当に大変だったと思います。私はもうその時、裁判官になっておりましたから、政治向きのことにはかかわっておりませんでしたが、日韓条約というのは政治の大テーマでした。その直後にこの協力委員会ができて、私の父はこれに刃向かう一方のリーダーの1人でしたから、その息子の私がここに来てお祝いというと、「お前、親父が地下で泣いているぞ」という人がいるかもしれませんが、私はそうは思っていません。知る人はご存じかもしれませんが、私の父は大変貧乏な家に生まれまして、小学校を出た時、「三郎、これでもうお前の教育はおしまい」と言われ、そういう時に、父の姉がソウルに嫁いでおりました。「三郎、1人でソウルに来るなら学校に入れてあげるよ」と言われ、小学校を出てすぐにソウルの善隣商業というところで中学を学んでそして日本に帰って来ました。大勢の仲の良い友達を作り、朝鮮半島を無銭旅行したり、そういう育ち方をしました。

 40年前は、日本も韓国も両国の関係も、難しい問題を抱えていましたが、今はそれを乗り越えて、国と国、そして国民と国民の間が非常に仲良くなって来て、こうして私がお祝いを申し上げるのをおそらく父も喜んでいると、自負をしているところでございます。そして国会の状況も変わってきましたが、自信を持って全衆参議員を代表してお祝いを申し上げる次第でございます。

 私は、日韓関係、時として日本の民衆もこの40年随分進んで経済も大きくなってきましたが、今、韓国を見習わなければならないことが日本にたくさんあるような気がします。李明博新大統領のスタートも大きな出来事と思いますし、経済関係もこれから益々色々な深い繋がりが出来てくると思います。

 そういう中で今日は、この協力委員会の中曽根康弘会長が卒寿、90歳のお誕生日、本当におめでとうございます。私は中曽根会長と国会の場で議論したこともございますが、確か冷戦構造が崩壊したその直後に「世界史が新しい時代を迎えた」と、一番最初に喝破されたのが中曽根会長だったと思います。そして今、その新しい時代に、世界をどう作っていくか、その時の政治家がどうあるべきか、という大号令を発しておられます。中曽根会長が益々お元気で、この協力委員会のみならず、今の日本の政治の大きな方向を示していただきますようにお願いします。

 協力委員会の益々のご発展をみんなでしっかりと進めていくことを誓い合って、お祝いのご挨拶といたします。本当におめでとうございます。ありかとうございました。

平成20年8月1日発行 「日韓協力」第212号掲載


2008年5月27日

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