2009年8月1日

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参議院議長主催 「駐日大使との懇談会」 開催
大和楽『おせん』を葵七皆が
長唄『元禄花見踊』を葵流一門が披露

5月18日・参議院議長公邸にて
レポーター・中野義徳

 今年5月18日、都内千代田区にある参議院議長公邸において、駐日各国大使を招いて懇親会か開かれた。招待されたのは、ヨーロッパ、中央アジア及びコーカサス地域44か国の駐日大使夫妻。迎えるホスト役は江田五月参議院議長、山東昭子同副議長以下、参議院の委員会や調査会のメンバーの議員たち。

 この懇談会は、江田議長が参議院の議員外交を推進するために開いているもので、昨年は中東及びアフリカ地域が対象となって開かれた。この席では懇談会の会半ばにアトラクションとして、津軽三味線が披露されて大変好評であった。今年江田議長が選択したのが日本舞踊であった。そしてその大役に、予てから国際交流に殊の外尽力してきた、日本舞踊葵流家元葵七皆に白羽の矢が立ったのであった。

 東京のど真ん中に、こんな閑静なところかあるのかと思うような公邸には、時あたかもつつじが丁度見ごろを迎えており、その見事な庭園に隣接した会場での懇談会であった。ここで、江田議長の口切りの歓迎挨拶から始まって、招待された大使を代表してサンマリノ共和国大使がこれに応え、続いて山東副議長の乾杯の合図とともに宴となった。そして葵七皆が、大和楽の家元大和久満社中の3挺3枚の演奏により、大和楽『おせん』を情緒たっぷり踊った。そして、七皆以下門下生6名による長唄『元禄花見踊』が華やかに披露された。最後は『東京音頭』が踊られ、これに江田夫妻をはじめ、招待客全員を巻き込んで、公邸広間が俄然盆踊り会場と化して、大団円となった。ホスト役の江田議長は「過去にないくらいに盛り上がって、とても楽しい会となった」と満足気であったという。

 七皆は、今回依頼を受けた時に、江田議長から敢えて生演奏でかつ本衣裳でと言われたという。その時から、その一曲のために顔(市川荒右衛門)鬘(大沢)衣裳・着付け(松竹−橘田)と、当代有数のスタッフを揃えて万全を期した。それに地方は生演奏である。期せずして議長公邸は大劇場での公演並みの用意が出来たのたから、『おせん』が始まると、場内が一瞬静まり返ったのは当然といえは当然のことであったろう。そしてこの案件で、「生演奏でかつ本衣裳で」と注文を付けたという、江田参議院議長に対して俄然興味が湧いた。不遜ながら、江田五月先生の「文化度」を確認するこんないいチャンスはないと思ったからだ。早速インタビューを申し込んだ。国会開会中でもあって公務多忙の中、江田、山東両氏の快諾を受けて四方山話的に色々うかがうことが出来た。場所は、副議長公邸に於いてであった。ここの主である山東昭子副議長が、笑顔で迎えてくれたのであった。

 副議長公邸は議長公邸ほどの広さはないが、手入れの行き届いた芝生のある庭の中央には、一本の大きなもみじの木が植わっている。今は青々とした緑の葉がたわわに繁茂している。首都高速沿いにあって、麻布十番の繁華街も近いのに完全に閑静な別世界である。山東副議長に言わせると、紅葉時のもみじが見事だが、赤く染まるのは師走に入ってからだという。この庭に鬱蒼としている丈の高い樹木が、寒波を遮断して紅葉の時期を他より他より遅らせるからだそうだ。

葵流家元葵七皆とともに
江田五月参議院議長・山東昭子同副議長に聞く。

─ 駐日大使との懇談会のことから始まって、『文化談議』に花が咲く

6月25日・参議院副議長公邸にて
聞き手・中野義徳

『遠来の人たちに、やはり本物を見せてあげたいと思いまして』−江田議長

中野 「早速ですが、今回のプロジェクトの背景などを教えていただけますか。」

江田 「議長公邸はダダッ広いんです。大勢の人を呼んで色々な企画をするための施設で、居住用ではないんですね。ということで、各国の大使を桜や新緑の頃に呼んでレセプションをするのが、私の前任者の時から始まって、昨年からこれを三グループに分けて大使との懇談会をスタートさせたんです。大体大使はご夫妻できて全部で4、50人に、日本側を入れて百人規模で始めて、ここでアトラクションに何かやるんです。前には弦楽四重奏とかの時もありましたが、今年はヨーロッパですので、今更彼らにクラシックもないんで、それなら我が伝統文化に限ると、山東さん(注・山東先生は葵流門下生)と相談して、葵さんにお願いすることになりました。今まで日本物としては琴とか、昨年の津軽三味線などありましたが、日本舞踊は初めてです。」

中野 「先生の方から、生演奏で本衣裳との注文が出たとお聞き致しまして、特に生演奏にこだわる、これはただ者ではないなと(笑い)。」

江田 「労働奉仕みたいなもので本当に申し訳なかったんですが、勿論大使の皆さんは日本舞踊なり日本の歌舞音曲に通じているわけはないのですが、芸術についてはやはり通じているんです。だから本物と偽物の見分けは出来るんで、それならやっぱりたとえ規模がそんなに大きくなくとも、本物でやってもらいたいなと。」

七皆 「乾杯が終わり、お食事が始まっていてざわざわしていたのですが、大和先生(大和久満)が弾き始めると、シーンと見て下さって…」

中野 「そう、そこが生の良さなんですね。テープだとそうはいかない。」

『外国の方はパーティーを楽しむ術をよく心得ているんですね』−山東副議長

江田 「ざわざわした中でしかやりようがなくて、まさか急に、『はい、それでは皆さんお静かに』とも言えないし…。それともう一つお願いしたのは、日本舞踊は全く不調法で分からないのですが、それでも非常に静かなのが一般的じゃないかと。でもあまり静かだと皆さんの注意をひかない、耳に入らない、目に止まらない。終わってみて何だったんだろうというのでは困るから、最後に一発ど派手に、できれば盆踊りくらいやったらお叱りを受けるでしょうかねえ…と。」

七皆 「『東京音頭』では議長が先頭になって、皆さんも踊ってくれましたね。」

江田 「これはこの際、無茶をお願いした張本人なんだから、僕も踊らなきゃと思って。何も分からないなりにノリノリでやったら、他の大使の皆さんも、奥様方もノってきて。」

山東 「外国の方はとてもその場の雰囲気づくりがお上手で、パーティー慣れしてらっしゃるのね。そこへ行くと日本人は内向きで何か恥ずかしいというか、照れがあるんですけど。外国の人たちはパーティーを楽しむ術をよく心得ているんですね。一緒になってはしゃごうと、夫人が先に、あとから大使もという方もおられましたね。」

江田 「やはり外交官というのはおつきあいの専門家ですから、全く知らない外国へ行って、全く知らない文化の中で、それでも上手におつきあいが出来なければ外交官なんて務まらないんですよ。まあ彼らの習性を逆手に取ったようなものですから。」

『彼ら外交官の習性を逆手にとったようなものでして』−江田議長

七皆 「ピンクのお着物の素敵なご婦人が最初にでてこられて、踊って下さった。まあ、大変協力的でどなただろうと思いましたところ、後でお伺いしたら議長の奥様でした、本当にチャーミングでいらして。」

江田 「ありがとうございます。」

山東 「後日、ほかのパーティーで皆さんにお会いしたとき、あのときは楽しかった、ほんとうにエンジョイしたと口々におっしゃっていました。」

江田 「そうなんです。イギリスの大使とか、ドイツの大使とか、錚々たる皆さんが我を忘れて楽しんだと言っていましたから。」

七皆 「安心致しました。有り難うございました。」

中野 「こんなに当ってしまうと、次、何をやるか困りますね。」

江田 「そうなんです。山東さん、よろしくお願いします(笑い)。我々の場合はイベントを楽しむのが主じゃなくて、みんなが和やかに話をして友好関係を深めるのが目的なのです。そんな中に、雰囲気を作り出すために、一寸アクセントをというか、邪魔にならないで、しかし印象深いアクセントをつけて良い企画に仕上げるということになるから中々難しい。」

『僕の書の先生は全くの野人で、ひたすら美の追求、真実とは、人生とはといって接してくれました』
『日本泳法で小学生の時からふんどしで、でも年頃になると色気がでてきまして』−江田議長

中野 「ところで議長は、日本舞踊は今回初めてでいらっしゃいますか。」

江田 「そんなことはないんですが、何しろ親父は戦前からの農民運動ですから、全くの野人(注・かつての社会党右派の江田三郎)で野暮なかぎりで、そんな家に育ちました。しかしね、その我が家になぜか岸田劉生の「菊慈童」があるんですよ。一連の麗子さんの絵と同じ少女なのですが、みていただいたら本物ですって。父は実は、このような文化や芸術にあこがれがあったのかもしれません。

 僕自身は子供の頃に一寸習ったバイオリンは三日坊主でしたが、書道をずっとやっていて、高校時代(注・高校は岡山県の進学校で有名な県立岡山朝日高校)には書道部のキャプテンでした。戦後、自由な時代になって、いろいろ自由な芸術運動が起きまして、書道も型にはまった字を写すのでなく、書の美しさを追求して生活のなかで楽しんでいこうと、そんな運動がありました。日展派と火花をちらす論争があり、僕の先生は全くの野人で、ただひたすら美の追求です。地位や名誉を求めず、真実とは、人生とは、といって高校生と接してくれていました。そういう書ですから、キレイかと言われるとあまり綺麗じゃない。心の表現なのです。

 それと水泳をやっていまして。水泳といってもスピードを競うのではなく、日本泳法なんです。現在日本水泳連盟が公認しているのが12流派ぐらい続いているんですが、そのうちの神伝流というのがあって、これはもう小学校からやっていまして、段があって私は九段。」

中野 「ふんどしですか。」

江田 「今はスマートじゃないと(笑い)高校入るころまではずっとふんどしでやっていましたけど、その後色気づくとふんどしじゃまずいと(笑い)、競泳用パンツを穿いていました。しかし、何か締まらないんですよ(笑い)。で、ふんどし締めて上に競泳用の水着を着たり。」

中野 「競技とかはあるんですか。」

江田 「ありますが早さではなく、水のなかの身のこなしで、水の心を心とする、水心一致とか。だから、抜き手だと手先がどういう抜き方になるかとか、目線もどこを向いているかとか。そんな点、日本舞踊と共通しているところがあるのかな、若いころ日本舞踊を見る機会があると、そんなところばかり注意していました。止まるときにキチッと無駄なく止まっているかとか、どこか怠けているところはないかとか。面白いですよね。決めるべきところがピッと決まると気持ちいいですね。」

七皆 「よく分かっていらっしゃって怖い(笑い)。」

江田 「私のやっていた書道も水泳もそうですよ。練習のために座禅を組んだり、精神修養なんですね。日本のものはみな、柔道も剣道も、茶道も華道も全て「道」なのです。書は書き順が決まっていて、町の書道教室ではお手本通り教えていますが、それも否定しませんが、本当はそんなものでなく、無になって自然体で書けばそれが書き順なのです。」

『私のやっていた書も水泳も、行き着くところは結局座禅でした』−江田議長

山東 「日本の文化というのは、まさにそれが基本のような気がしますね。外国では割と自己主張型じゃないですか。だけど、踊りでいえば一歩さがって内面を素直に踊ることでしょう。その深さ、奥深さを表現することでしょうね。」

『日本文化の基本は精神修養でしょうね』−山東副議長

『見せたい、褒められたいから、
 無の境地にいけるかどうか、これが命題です。』−葵流家元葵七皆

七皆 「世阿弥が『自然の花は見せるために咲いているのではない。然るべきところに、然るべきときに、つまり自然に咲いている。時分も舞台の上でそのようにありたい。みせようとする意識、これをいかになくすか、これは役者の命題であり続ける』と云っていますが、本当にその通りだと私も思います。」

江田 「私も昔、世阿弥の『風姿花伝』を読みました。幼少時の『時分の花』は確かに美しいけど、それはまだ本物ではないんですよね。」

七皆 「さすがによくご存じでいらっしゃいますね。『「まことの花」は「時分の花」と違って心の働き。そして人間的高さによって生じる花である。まことの花を目指すことが、能役者として生きることである。』と世阿弥が云っていますが、先代家元(葵七重)、花柳壽楽師(先代)も同じようなことをおっしゃっていらして、私も本当によい先生に恵まれて幸せだったと思います。」

江田 「ぜひこれからも日本舞踊を通じての国際交流を進めて下さい。」

七皆 「がんばります。」

中野 「ありがとうございました。」


 −江田議長の生まれ育ったのは岡山市内。ここは江戸時代に名公の誉れ高い池田公の城下町。一級河川の旭川の両岸に開けた町で、岡山城跡と、兼六公園(金沢)・偕楽園(水戸)とともに日本三名園の一つである後楽園とが、旭川を挟んで向き合っている。江田さんは、子供のころからこの川で泳ぎ、後楽園を我が庭のように遊んでいたという。悪ガキとの対決があったり、水泳シーズンの終わりには後楽園ですき焼きパーティーをやったりと、戦後瞬く間にアメリカナイズされていった日本の中で、それぞれの地方には、誇り高き地方文化があって、まだまだ戦前の旧制高校時代の良きなごりが存在していた。そんな環境のなかで、江田さんも存分にたっぷり青春を謳歌したという羨ましい限りの様子が十分に伺えた。

 お話しは、世阿弥論から精神論と伺うほどに、江田議長の文化レベルの高さに触れることができた。若いころ、触発されたご尊父と同じように、江田五月という一人の文化人に魅了されてしまったというのが、インタビューを終わっての、今の率直な気持ちである。

 ご協力ありがとうございました。

【邦楽と舞踊 2009年8月号(8月1日発行)掲載】


2009年8月1日

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