2010年7月16日 | ねじれを読む インタビュー編 |
国民が与えた絶妙な案配
江田五月 参院議長
―― 江田さんが議長に就任した2007年当時に続き、再びねじれ国会です。菅直人首相には何を伝えましたか。
参院の全委員会が与野党同数か野党多数。議院運営委員会は、委員長を民主党が取ると野党多数です。議長が議運の決定を無視するようなやり方をしなければ本会議も開けない。だから、知恵を働かせ、ルール作りをしないといけない。反省すべきは反省し、腰をかがめるときはかがめ、口より耳の方を重視するということでやっていかないといけない、と申し上げた。
―― 前回のねじれ国会では与野党の対決が激しく、日銀総裁も空席になりました。
あのときは政権のたらい回しがあって、参院が「それではいけない」と、政治を動かす主導権を握るようになっていった。政治状況のなせる業で、参院の則(のり)を超えていたとは思っていない。いわゆる良識の府、再考の府、第2院で参院は常に後ろに下がってという議論があるが、必ずしも僕はそう思わない。衆参両院は一部を除いて対等の制度設計になっている。
―― 一方、衆院で3分の2以上を占めていた自民、公明両党は、衆院での再議決を繰り返しました。
再議決の前に両院協議会を開く制度があるが、開かれなかったり、開かれても形式的だったりした。かろうじて改革できたのは議事録の公開だった。ほかにも政策責任者が出てくるとか議長や閣僚を呼ぶというやり方もある。政権交代で民主党が衆参で多数を取っているときに両院協議会改革をすれば良かったが、そんな雰囲気ではなかった。民主は腰かがめるべきだ
■「ねじれ国会」の動き
2007年 7月29日 参院選で自民大敗。衆参ねじれ 9月12日 安倍首相が辞任表明 25日 福田内閣発足。衆院は福田氏、参院は小沢民主党代表を首相に指名 11月 2日 福田首相と小沢代表が「大連立」を協議。民主党内の反発で決裂 2008年 1月11日 衆院が補給支援特措法を再可決 3月19日 参院の同意を得られず、戦後初めて日銀総裁が空席に 31日 参院が税制関連法案を採決せず、暫定税率が期限切れ。ガソリン値下げ 4月30日 衆院が税制関連法案を再可決。ガソリン値上げ 6月11日 参院が福田首相の問責決議案可決 9月 1日 福田首相が辞任表明 24日 麻生内閣発足。衆院は麻生氏、参院は小沢氏を首相に指名 2009年 6月19日 改正国民年金法など3法が衆院で再可決。再可決は通算12回(17法案) 7月14日 参院が麻生首相の問責決議案可決 (肩書きはいずれも当時) ―― 今回は合意形成が図れそうですか。
まずは政権を握っている方に責任がある。国会は闘争の場であると同時に合意形成の場。やってみたら必ずどこかで行き詰まるので、そのとき知恵が出るということもある。二院制だから二つの院で数のバランスが変わることは当然起こりうる。そんなにびっくりすることでもない。
―― 行き詰まりを防ぐために、民主党には連立を模索する動きもあるようです。
数の離合集散で何とか解消しようとするのは一つの道ではあるが、全部解消されてしまったら、こういう絶妙な数の案配が価値を発揮できない。ねじれは国民が与えたかたち。国民は民主党の国会運営が強引すぎると戸惑ったのではないか。国民は相手をがんがんやっつけてくれと期待しているわけではない。多数とというのは常に謙虚でないといけないが、あまり謙虚に見えなかった。
―― 6月の通常国会会期末に本会議を開かず、議長不信任案を採決しませんでした。
本会議を開くのは当たり前の話だ。私は議長だからいかなる責めも受けなくてはいけないのだろうが、不愉快ながら議院運営委員会で開くことが決まらなかった。
―― 参院議長人事はもめているようです。慣例どおり議長は第1会派、副議長は第2会派から出すべきですか。
院を責任持って進めて行くには、そういう役割分担が適当だという知恵だと思う。それを覆すのは、数で覆そうというわけだから、理(ことわり)ではない。あとは全部数で行こうということになる。それでいいのかということです。◇ (聞き手・有馬央記)
参院選で民主党が敗北し、3年前の参院選後と同様、国会は衆参の多数派が異なる「ねじれ」状態になった。参院は与野党が対立する主戦場になるのか、それとも歩み寄る合意形成の場になるのか。前回の「ねじれ国会」を踏まえ、与野党議員や有識者に教訓や展望を聞く。
【朝日新聞 2010年7月16日朝刊掲載】
2010年7月15日取材
2010年7月16日 |