2010年9月10日

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参加民主主義目指す


 ─―菅さんとは30年来の付き合いですね。

 「1977年に私の父(社会党を離党して社会市民連合を立ち上げた三郎氏)が政治を変えようと命を懸け、文字通り亡くなった枕元で最初に会いました。市民運動を率いながら旗をちゃんと立てて頑張っていく進取の気質にあふれた青年で、手書きののぼりを立てて歩く手作り選挙をやる新しいタイプでした。民主主義には政権交代が必要なのに当時の社会党は党内闘争にうつつを抜かしていましたが、菅さんは小さな芽だけれど、市民の政治という新しい可能性を秘めていました」

 ――短気で「イラ菅」ともいわれますね。

 「だいぶん丸くなりましたが、酒を飲むと政治の話がくどい。けんか腰の論争をしてもケロっと忘れるんですが、怒られた方は後まで残ったりして今回の代表選も苦労しています。でもある意味では非常に人間的で、政治の議論をしだすと全身火の玉になるんです」

 ――前の代表時に小沢一郎党首の自由党と合併するなど、現実主義者と評されます。

 「民由合併が大変な苦労を背負い込むことになるのは分かりきっていましたが、菅さんは政権交代のため覚悟して飛び込んだ。政治はあくまで現実の営みですから、リアリズムも大切です。逆に理想がないと言われますが、そうではない。菅さんが言う『最小不幸社会』は、権力の恐ろしさを十分認識し、抑制的に行使しながら、皆がそれぞれの幸せを追求できる社会をつくろうということ。理想はしっかりしています」

 ――小沢さんとの政治手法の違いは。

 「菅さんはみんなの参加と議論と納得の上でやっていこうとし、リーダーシップが押しつけになるのとは違います。あえて言えば、小沢さんは自分たちに任せろという委任民主主義で、菅さんは参加民主主義です」

 ――脱小沢路線に「民主党らしさ」へのこだわりを感じます。

 「小沢さんが民主党らしくないかは別として、菅さんには民主党をつくってきた中心人物の一人だという自負心はあります。政治の原点であるクリーンとか市民参加の政治こそが民主党らしさだと思っているのでしょう」

 ――小沢さんは剛腕と言われますが、菅さんは。

 「剛腕なところもありますよ。でも『能あるタカはつめを隠す』。剛腕が剛腕を見せつけたら、信服されませんよ。菅さんは何年か前に『自分はこれまでの口7耳3から、口3耳7になる』と言いました。周りに耳を傾けるということです」

(聞き手・今川勝照)


 えだ・さつき 岡山市出身。裁判官から77年の参院選で初当選。社会民主連合で菅直人首相と行動を共にし、新進党などを経て民主党へ。衆参ともに当選4回。07年8月から今年7月まで第27代参院議長を務めた。69歳。

北海道新聞 2010年9月10日号掲載


2010年9月10日

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