2003/02/26

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156 参院・憲法調査会

人権保障のあり方と方法につき、常本照樹教授と三井誠教授から参考人として意見聴取し、質疑。私も20分間、質問。まず、判決が社会改革に対して有する影響力につき、ハンセン病国家賠償判決や違法収集証拠排除判決を例に、議論しました。さらに、刑務所の不祥事根絶のため、人権擁護体制のあり方や昨年12月に国連総会で採択された拷問禁止条約の選択議定書の批准につき、議論しました。


平成十五年二月二十六日(水曜日)  >>会議録全文

○江田五月君 今日は、両参考人、大変ありがとうございます。

 何か学生時代に戻ったような精緻な議論でリフレッシュされておりますが、最初に判決と社会改革ということについて伺ってみたいと思うんですが、もちろん司法過程というのは社会の改革が目的となった制度ではなくて、個別の案件の処理、紛争の解決ではありますが、しかしその解決を通じて社会が改革されるということは当然ある。しかし、先ほどの常本参考人のお話ですと、なかなか社会は判決では変わらないよというような、ある意味では我々立法府にいる者に対するエンカレッジであるかもしれませんが、司法の部におる者には大変ディスカレッジングなことかなという気もするんですが。しかし、必ずしもそうばかりでもないと。

 例えば、最近のことで言うと、私は、ハンセン病の判決ですね、一審の判決なのに、あれほど大きな社会的なインパクトを持った判決というのはいまだかつて日本の司法の中で経験したことがないと。これに対して、じゃ、ハンセン病というものに対して、あの偏見はなくさなきゃならぬという社会の支援がずっと大きくあったかというと、必ずしもそうではなかった。

 しかし、あの判決、一つの判決とそれが報道される報道ぶり、これによって世の中が揺り動かされて、そしてもちろん立法府との、あるいは政治とのいろんな共同作業もありました、我々も立法もいたしました。これによってある取っ掛かりは作れたかなと。ハンセン病の差別、偏見はいまだなくなっておりませんが、そのために、なくすために判決というのが大きな役割を果たしたということはあるんじゃないかという感じがするんですが、その辺は常本参考人、どういうふうにお考えでしょうか。

○参考人(常本照樹君) ありがとうございます。その点は御指摘のとおりだと思います。

 ただ、今、例として挙げられましたハンセン氏病判決につきましては、熊本地裁の判決が出た後、それに対して控訴をしないという国の側の決定があったかと思いますけれども、それによってあの判決は言わば社会的に大変大きな意味合いを持つということになったのだと思うわけです、一つはですね。

 であるとすると、先ほど私が申し上げましたように、裁判所による社会改革といいますか、社会変革と申しますか、その中の言わば二つ目の条件、すなわち立法府又は行政府によるサポートというものがあって、裁判所の判決というものは具現化していくんだということの一つの表れ、あるいは例というふうにも見ることができるのではないかというふうに思うわけでございます。

○江田五月君 それも一つの見方ですが、ただ、私ども現にあのときにかかわっていた者からすると、内閣総理大臣があの判決に対してとても控訴できないような事態が生じたと。テレビは毎晩のようにその実態を報道し、これで控訴をしたら飛ぶ鳥を落とす勢いの総理大臣の人気が一気に下がるのではないかなどというような状態が起きたということもあって、世の中を変えていくのには判決というものも一つの重要な素材で、もちろんそれだけで世の中変わるわけじゃないけれどもということかと思います。

 同じような観点から三井参考人に伺いたいんですが、今日のテーマに触れられてはいませんが、違法収集の証拠の証拠能力というテーマがありますね。

 つい最近、これはどこの判決でしたか、違法に収集した尿からでしたか、覚せい剤が検出をされたと。しかし、そのことを証拠にして覚せい剤の使用に有罪判決を出すことはできない、それはなぜなら証拠が違法であるからと。これは、私は裁判過程、判決というものがそうした違法収集の証拠禁止原則というのを厳守していくと、そのことが刑事捜査の実態を変えていくという力を持っているというように思うし、そうでなきゃならないと。それは、現に尿から覚せい剤が出ているんだから、違法であろうが何であろうがこいつは打ったに違いないんだから、とにかく罰しろというのも一つの考え方ですが、それをやったら、取り締まる方はもうとにかくやり得ですから何でもやることになって世の中むちゃくちゃになっちゃうというので、あえてそこはもう泣いて馬謖を斬るといいますか、世の中における権力の濫用を防ぐために、あえて司法が役割を果たそうと頑張る場面だと思うんですけれども。

 さらに、もう一つ質問続けますと、それに続いて、しかしその事件をきっかけに、たしかこれは自動車の中を捜索をした。そうすると、そこに覚せい剤が出てきたと。これは、最初のきっかけとなった証拠の収集方法は違法であるんだから、その後もそのきっかけとなった証拠を材料に使って捜索などをして得られたものも証拠能力を否定しないと、それでないと最初のところだけ起訴しなきゃ後はもう免責ということになってしまうんで徹底していないというふうに考えますが、どうお考えでしょうか。

○参考人(三井誠君) 違法収集証拠の証拠能力の問題についての御質問でした。

 最高裁は昭和五十三年に、違法収集証拠の証拠能力について初めて否定される場合があるということを認めました。その後、一件も違法収集証拠の証拠能力を否定するという具体的な事例で判示したものはありませんでした。このたび、今、江田委員が御発言されましたように、初めて最高裁において違法収集証拠の証拠能力を否定する事例が出てきたということであります。

 この違法収集証拠の証拠能力は、いろんな理由があるんですが、適正手続に反するとか、あるいは司法の廉潔性に反するとか違法捜査の抑制といったような、そういう観点から排除されるもので、恐らく、今、江田委員が言われましたように、この種の事例が出ることによって違法な捜査を規制するという役割を判決が示すということが可能になっていくのだろうと思われます。したがって、どの事例でもと言いませんけれども、適切な事例があれば最高裁は証拠の排除に勇断を持ってほしいと私も個人的には思っております。

 ただ、派生証拠についてどのように考えるのかというのがもう一つの点でした。

 この事例は、確かに、一方では使用の方を排除し、所持の方については有罪だという事例だったかと思いますけれども、この派生証拠については、この事例を細かに承知しておりませんので一概に示すことはできないんですけれども、これはどの程度元の証拠とのつながりがあるかという問題ですので、事案をもう少し検討しないと、私自身、この所持についてまで排除すべきでなかったかというふうに問われて、そのとおりだとお答えすることはちょっと現段階では難しいと。しかし、もちろん事例によっては妥当でないという判断を私がするかもしれませんという程度のことでお許しいただけますでしょうか。

○江田五月君 分かりました。

 私も細かく判決の一言一句まで読んでいるわけじゃないんですが、ただ、やはり基本的には、裁判手続そしてその結論である判決というのが、捜査過程はもちろんのこと、社会に対する影響というものもそれぞれの場面であると。そのことを考えたときに、ただ目の前にいる犯人を逃してはならないというだけでなくて、もっと大きな正義の観点から裁判所が役割を果たさなきゃならぬときがあると。

 私は、やはりこの一連の捜査過程におけるある段階での違法性が次の段階にいかに承継されるかと、違法性の承継というのはかなり厳格に考えた方が本当はいいんじゃないかと思っておるということだけ申し上げておきたいと……

○参考人(三井誠君) 一言だけ、それじゃ付け加えさせていただいてよろしいでしょうか。

○会長(野沢太三君) 三井参考人。

○参考人(三井誠君) この違法収集証拠の証拠能力の問題というのは、刑事手続のところで最も根幹的な問題を提起している面があります。それは、実体的真実主義対適正手続ということで刑事司法が対比されることがあります。

 そうすると、本件の場合ですと、恐らく使用については、この人は使用していたのは疑いないだろうと。そうすると、実体的真実主義の観点からしますと、そちらの方は後退して、手続は適正でなければならないということを優先させたということなんですね。こういう何か価値についての転換が幾らか図られている面があるということを先生方の方、御理解いただければというふうに思っております。

○江田五月君 じゃ、ついでといいますか、関連して今の問題に触れたいと思いますが、三井参考人、先ほど刑事手続が第一類型、第二類型、第三類型と。第一類型が、戦後、今の刑事訴訟制度を発案したときの発案者のイメージ、第二類型が現在の姿、第三に今の司法制度改革本部が目指している方向ということを言われたんですが、これは私の理解では、第一がどっちかといえば当事者主義、第二が実体的真実主義ということですよね。ただ、第一の当事者主義もそれでは実体的真実はまるで考えていなかったかというと、それはそんなことはない。実体的真実の方も当事者主義ということを全く考えていないわけでもないんだけれども、ただ、どうも当事者主義がかなり弱くなってしまっておるということが現実で、したがって、今のいろんな司法制度改革の試みは、もう少し当事者主義的色彩を強めようという、そういう方向だと見ていいでしょうかね。

○参考人(三井誠君) 最初に立案者が提案したのが当事者主義型で現実は実体真実主義型だ、新しく提案している司法制度審議会の提案というのも当事者主義化を目指したものだと、こういうふうな理解でよろしいかと、こういう御質問だったですね。

○江田五月君 はい。

○参考人(三井誠君) 恐らく、今の当事者主義あるいは実体真実主義の言葉が何を意味するかということによって内容が変わってくるかと思うんです。

 形として名付けるとすれば、第一の型、立案者の提案はアメリカ司法型、二番目が、現実の司法は精密司法型、そして第三の司法制度審議会が提案している提案というのは刑事司法を民主化しようという提案かなと、中心になるのはですね、というふうな気がいたします。

 ただ、現在の司法に比して当事者主義化をより強めようという側面があることは否定できないだろうというふうに考えてはおります。

○江田五月君 そこで、大変悩ましい課題が最近出てきていて、それが例の被害者の問題でして、先ほどの三井参考人のように被害者は当事者ではありませんと、こう言い切ると我々は大変な糾弾にさらされるのが実際のところなんですね、今。

 だって犯罪の当事者じゃないか、被害者なんですから、それがなぜ裁判に関与できないんですかと言われると、なかなかこれは難しい。しかし、被害者が当事者として裁判にかかわると、これは裁判手続が糾弾手続になってしまうという悩ましい課題で、それにもかかわらず何かいい解決策はないかと、これも我々悩んでいるわけですが、基本的に被害者の救済というのは、国連にも被害者人権宣言でしたか、というようなものもあったり、それはそういう場でしっかりと社会の支えを被害者は得るべきものであって、そういう意味では、今、我が国の憲法には第三章に被害者の人権というものは書いてありませんが、機会があれば書き込むということはあっていいんじゃないかと私は思いますが、いかがですか。

○参考人(三井誠君) 先ほど当事者ではありませんと申しましたのは、厳格な意味で刑事訴訟法上の当事者というふうに位置付けすることはできませんというだけのことでありまして、広い意味での訴訟関係人であることというのは疑いないところであろうと思います。

 そしてまた、先ほども申しましたように、刑事司法というものを国民主体のものにしていこうということであれば、被害者というものがその一員として加わってくるということは十分に予想されることですし、また、公正な裁判の実現というような観点からも、被害者の視点というのをこれまで以上に大幅に入れなければいけないということは疑いないであろうと。

 これらの点については、これまで十分に検討されていなかった、あるいはなおざりにされていたというような観点で見直しを図らなければならない、あるいは現在新しく立法されたものの運用というのは厳格に注目していかなければならないと、こういうふうに申したものでありまして、それ以上に憲法上被害者の権利というものを定めよというふうに言われた場合に、確かに、いずれかの段階でそのようなことが可能になる時期というのはできるのかもしれませんけれども、今のところは、恐らく、先ほど申しましたような視点から、被害者というもの、被害者についての視座というものを十分に固めていくという段階が必要であって、それを踏まえて次に立法といったような段階が出てくるのではないかと、このように理解しているということであります。

○江田五月君 憲法に実定法的に被害者の権利が規定されるかどうかは別として、いずれにせよ、被害者というのが社会的なサポートをしっかり受けなきゃならぬということは事実だと言っておきたいと思います。

 常本参考人に伺いますが、人権の保障、裁判所による保障もある、裁判所ではない簡易迅速な保障もあるということで、今一番人権侵害極まれりという事案というのが我々の目の前にあると。それが刑務所ですね。名古屋刑務所でホース殺人事件なんという何かホラー映画みたいな事件が起きたりして、今、これに対して一体どうするんだ、刑務所の在り方というのを制度の仕組みから見直さなきゃいけないときが来ているんじゃないかというようなことも感ずるんですが、まず第一に、今、人権擁護法案が出て人権委員会を作ろうとしておると。

 この人権擁護法案について、常本参考人のおっしゃった積極的な側面というのは私どもも認めるにやぶさかでないんですが、ないんですが、大変残念なことに、法務省に縁やゆかりをちょっとでも持った機関が人権擁護を語る資格があるのかというのが今問われている状態だと思うので、その点で、どうも法務省の外局である人権委員会ということでは、この名古屋刑務所の事案などを見ると、とても世間の是認は得られないんじゃないかという気がしておりますが、参考人の御感想を伺います。

○参考人(常本照樹君) 現在議論されております人権擁護法案の詳細については、私もこの場でお答えするのがいいかどうか分かりませんが、ただ、今御指摘があった点、特に人権委員会として構想されているものの独立性というものが大変大きな論点であるということは承知しております。

 特に、法務省とその関連を持つということは、恐らく一番大きな問題があるとすると、それは実際にその委員会を動かす事務局の方々の問題かという気がするわけです。もちろん、五人の人権委員の方々は大変優れた方々がその運営に当たられる。しかも、日常的な組織の運営というのは、私などが大学でそういった仕事をしていても日々感じるわけでございますけれども、事務局の方々の力というのは非常に大きいわけでございます。

 そういった方々がどういうふうにスタッフィングされるかということが一つはその問題になってくる、かかわってくると思うわけでございまして、そういった意味では、例えば一部で主張がございますように、人権委員会に独自の職員採用権限を認めるといったようなことをも含めて考える必要があるかもしれませんし、あるいは、これはちょっと思い付きみたいなことでございますが、例えば内閣法制局という機関がございますけれども、こちらの参事官の方はそれぞれの省庁から出向で法制局にいらっしゃって、そしてそこで出身省庁、要するに母体から出た法案の審査等をなさる、非常に厳しくなさるというふうに聞いておりますけれども、しかし、だからといって出身母体の省庁に戻られてもそれが当然マイナスにはならない、かえって厳しく見た方が良いというふうに考えられる。

 そういった、言わば仕事の在り方に対するカルチャーみたいなものが仮に確立するならば、仮に法務省出身の方が人権擁護委員会の事務局に入ったとしても、同じようなカルチャーが確立すればあるいはいいのかもしれませんけれども、ここら辺はなかなか難しい問題があるんだろうという気がしております。

○江田五月君 最後の質問になりますが、今の正にカルチャーなんですが、法務省カルチャー、私も法務省に近いところにいる人間ですから法務省のことを悪く言うと嫌なんですけれども、しかし、どうも法務省カルチャーというのが余りよろしくないと。人権意識というのが本当に希薄なんじゃないかなと最近ますますそう思うので、その点で、例えば今度の事件なんかは正に拷問ですよね。

 拷問禁止条約というのがある。ところが、コスタリカ辺りが主導した拷問禁止条約の選択議定書で、拘禁施設に対して外部の監視を制度化しようというそういう選択議定書が国連で議論になったら、日本は社会経済理事会では反対に回って総会では棄権をしたというようなことなんですが、そういう今の、法務省を含め政府の人権カルチャーについてどうお感じでしょうか。

○参考人(常本照樹君) これについて、誠に残念ながら、私、判断すべき資料を持っておりませんので何とも申し上げづらいところでございますけれども、そういった問題を指摘する声が多々上がっているということだけは承知しております。

○会長(野沢太三君) 時間です。

○江田五月君 最後に、同じ問題、三井参考人。

○参考人(三井誠君) 今のカルチャーの問題というのも私今すぐに答えられませんが、最低限この名古屋刑務所事件との関連では、監獄法というのが明治四十一年に制定、施行されていますものなんですが、非常に古くて、やはり受刑者の人権尊重のような基本規定とか、あるいは不服申立て制度の整備とか、その種の全面改正が早急に必要な事柄ではないかというように感じているということだけ付加させていただきます。

○江田五月君 ありがとうございました。


2003/02/26

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