1999/12/25 創刊準備号 |
第146回臨時国会は12月15日に48日間の会期を終了しました。この臨時国会は会期末に衆議院が解散される可能性もあったのですが、結果的には会期延長もなくちょっと不完全燃焼で終わりました。
それでも衆議院で7割強を占める自自公連立政権は、年金法改正案と衆議院比例定数削減法案の強行採決がいずれも議長裁定によって失敗。自由党と公明党の政策の不一致も目立ち、特に自由党は再三にわたって「連立離脱カード」をちらつかせ小渕内閣を迷走させています。どうやら自由党の小沢党首の主目的は自民党への合流にあるようで、定数削減法案はそのための駆け引きの道具のようです。そんなわけで12月15日の臨時国会の幕切れの様子では1月の通常国会冒頭解散の可能性は小さくなったと思いましたが、最近与党は通常国会の召集を早めてでも定数削減法案を成立させると言い出しました。
小渕総理にとって解散権行使の選択肢は1月かサミット後しかありません。サミット後は事実上の任期満了ですから解散権の行使とは言えず、私が小渕さんなら当然1月解散を考えます。1月解散なら民主党の候補者は250人にとどまりますが、サミット後なら300選挙区全てに公認候補がそろうからです。しかし自自公の評判は相変らず悪いので小渕さんに1月解散の度胸がないかもしれません。
従って1月解散の可能性は5分5分。民主党は野党ですから、当然新年は臨戦体制をとって解散総選挙に備えなければなりません。
12月21日夜、JCO社員の大内久さん(35才)がついに亡くなりました。私は元科学技術庁長官としてこの問題を見過ごすことができません。9月30日の茨城県東海村の原子力事故は、日本ではじめての臨界事故(核分裂が連続して起こって制御できない状態)で、国際的にもチェルノブイリ、スリーマイルに次ぐ大事故になりました。
この事故に対する小渕内閣の対応はお粗末の極みでした。10時35分の事故発生後、11時19分にはJCOから科学技術庁原子力安全局に第1報のFAXが入り、それには「臨界事故の可能性」と書かれていました。しかし科技庁はそれを信じず、また確かめもせず、午後4時頃まで放置。特にひどかったのが小渕首相で、翌日の内閣改造のことで頭が一杯で、事故のことは全く念頭になく、夜7時30分頃には加藤紘一さんに電話をかけて「君はオレを追い落とそうとしたじゃないか」などと言って“報復人事”をやっていた(このことで「人柄の小渕」の評判はふっ飛んだ)。その後でやっと事故の重大性を知らされ、首相を本部長とする政府の事故対策本部が開かれたのは夜9時過ぎ。本当にひどい対応で、私はこの日から小渕内閣の下り坂がはじまったと思います。
民主党は午後4時頃に私が提案し、鳩山新代表を本部長、私を本部長代理とする対策本部を設置。翌朝10時には鳩山さんと私が現地を視察。その日のうちに原子力政策の総点検と原子力防災法の制定を提言。民主党の危機対応能力を示せたと思います。
鳩山新代表のもとで民主党は機構改革を行い、役員を党務と政務に分けて、政務はネクストキャビネット(次の内閣)が担当することになりました。官房長官役が菅直人政策調査会長、私は司法ネクスト大臣として、“影の法務大臣”になりました。衆・参の法務委員会での国会審議(政府与党提案の法案を審査し、民主党独自の議員立法の提案をする)の統括と、21世紀の“この国のかたち”につながる「司法制度改革」が主たる任務です。臨時国会では、オウム2法をまとめ、民法改正(成年後見制度)・民事再生法・特定調停法などを仕上げました。また司法制度改革プロジェクトチームの座長として、日弁連などからヒアリングを行い、司法制度改革審議会に論点の追加(家裁の活性化、犯罪被害者法制など6項目)を申入れました。
12月14日午後4時から永田町の憲政記念館で民主党憲法調査会の第1回総会が開かれました。鳩山由紀夫民主党新代表直属で会長は鹿野道彦副代表、私は事務局長に指名されました。この会の目的は、従来の護憲・改憲論議の枠を超えて、21世紀の“新しい国のかたち”を議論して新しい憲法体制を構想することです。民主党の全国会議員がメンバーで、来年の通常国会から衆・参両院でスタートする国会の憲法調査会にも対応するものです。第1回総会の記念講演は正村公宏専修大学教授に「20世紀の総括と21世紀日本の展望」の題でお願いしました。国会情勢緊迫の日でしたが、46名の国会議員が出席しました。月1、2回のペースで講師の話を聞いていく予定です。次回は1月25日。講師は坂本義和東大名誉教授です。
12月24日、2000年度予算の政府案が決まりました。一般会計総額約85兆円、過去最大規模。歳入の38.4%が国債で、国と地方を合わせた借金は647兆円(国債残高364兆円、地方債残高187兆円)。将来の世代に莫大な借金をつけまわす未来に無責任な予算です。与党の政治家や官僚に危機感が全く感じられません。内容も総選挙対策のバラマキが目立ちます。
自自公連立政権は従来型の公共事業のバラマキの上に公明党型のバラマキが加わって二重の無責任予算を組みました。公共事業や補助金を一括した地方財源とし、使い道を地方自治体で決めるようにすれば、ムダな公共事業は激減します。また雇用と福祉(年金・医療・介護)のセーフティネットをきちんと整備しなければ真の構造改革はできません。来たるべき総選挙では民主党中心の政権だけが真の構造改革ができることを訴えたいと思います。
9月25日の民主党代表選で、私は菅直人選対の代表世話人をつとめました。あまり出しゃばるつもりはなかったのですが、盟友菅直人の大ピンチとなれば是非もありません。結果は、予想を覆して決戦投票にもちこむ第2位。これは民主党の1/3が「市民政治勢力」であることを示した画期的な選挙だったと思います。民主党にとっても非常に良い代表選でした。
今後は鳩山由紀夫新代表のもとに結束して自自公政権とたたかい、次期総選挙で民主党中心の政権を作らなければなりません。代表選後に、菅選対をもとに「国のかたち研究会」という政策研究グループの代表幹事、言わば“会長”役になりました。鳩山代表に協力しつつ、ポスト鳩山は菅直人、という意気込みで市民政治のネットワークをひろげていきたいと思います。
12月21日、倉敷商工会館で民主党岡山県第4区総支部結成大会が開かれました。150名以上の参加でよいスタートでした。私も県連代表として真鍋連合岡山会長とともに激励のあいさつをしました。4区総支部代表は熊谷裕人(くまがいひろと)さん。37歳の衆議院岡山4区の民主党公認候補です。彼は石田美栄参議院議員の政策秘書で、党本部職員の経験もあり、政策と政治活動の即戦力になれる逸材です。相手は前総理、しかし地に足をつけて頭をさげて全力でぶつかれば横綱がしりもちをつくこともあると思います。これで1区の河田英正、2区の中桐伸五、3区の樽井(たるい)良和の3候補とあわせて4人となりました。残る5区については、来年1月中に決めて、岡山県連の総選挙体制を完成させたいと思います。
1月16日(日)午後2時から岡山プラザホテルで恒例の「江田五月会新春パーティー」(会費5千円)を行います。1月15日と16日に神戸で行われる民主党本部の大会と日程が重なりましたが、予定通り私は五月会新春パーティーにきちんと出席してみなさんにごあいさついたします(作陽音大のみなさんの協力を得て、ヴァイオリン演奏もやります)。
また、2月12日(土)午後3時から岡山ロイヤルホテルで「民主党岡山県連1周年記念バーティー」(会費1万円)があります(解散総選挙になれば“総決起パーティー”)。
なお年末年始の江田五月事務所は12月29日仕事納め、1月4日仕事始め。岡山県連事務局は12月28日仕事納め、1月4日仕事始めです。
1月4日の朝7時30分から岡山駅前(ドレミの街)で 西暦2000年の最初の街頭演説を行います。
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