1984/02 五月会だより No.20 | ホーム/主張目次/たより目次/前へ|次へ |
トップ当選に身のひきしまる思い
編集部は江田五月代議士誕生を期に、直撃インタビューを試みた。当選約一ケ月後の江田さんは、選挙の疲れもようやくとれ、日頃の精悍な顔だちで、出迎えてくれました。以下そのインタビューの内容です。
―― 江田さん、ご当選おめでとうございます。当選後一ケ月あまり、ご感想を一言。
江田 いやありがとう、本当にありがとう。おっしゃるように、当選直後と一ケ月あまりたった今日とでは、感じもぐっと違いますね。
当選が決まった時は、何が何だかわからない。事務所の混乱も手伝って、ただただ嬉しい、有難いの一言に尽きていた訳ですが、時が立つに従って、トップ当選しかも未曽有87,110票の重みをひしひしと感じています。まさに、身のひきしまる思いです。
今の、政治を金もうけの道具に使う汚れ切った政治、ある意味では、行きづまった今の政治を何とか打ち破りたいという、岡山一区の有権者の皆さんのお気持ちが、私への投票となって現われたものと受けとめ、その期待の大きさに身のひきしまる思いがするというわけです。
―― 江田さんは選挙期間中、「心の貧しさが国を滅ぼす」との名言をはかれたわけですが、今少し説明を…
江田 名言なんていわれると恥ずかしい限りですが、総理大臣が罪に問われた。裁判所はこれに「社会に与えた病理的影響は重大」と判決する。元総理が暗黒裁判だと開き直る。政界は自浄力を発揮できない。心ある親は子供に説明する言葉を失う。正直な国民も真面目にやっていくことがバカらしくなる。こうやって資源のない、優秀な国民性だけが財産のこの国の力がだんだん劣えて行く。私は、こういう状態を放っておいたら本当にこの国の未来はない。そういった危機感の表現があの言葉になったわけですネ。
―― ところで直りますか、政治の汚れは?
江田 私は悲観的ではありません。今度の選挙結果をみても、たしかに田中派は本人も含めて悪い結果ではありませんでしたが、自民党が過半数を割ったということは、私のトップ当選も含めて政治腐敗に対する国民の厳しい危機感の現れだと理解しています。中曽根さんもそう認めざるを得なくなって、声明発表にまで追いこまれたわけですね、田中排除の。
ただこれは理想論だけでなく、政治に金がかかりすぎるというしくみ、政党法や選挙の公営化など仕組みに知恵を出して行くことを同時にやっていかなければ反省も一過性のものとなるおそれがある。地道に気長にやって行かなければできない部分もあるわけです。しかし私は悲観はしていない、必ずやり抜きます。
―― 大いに期待しましょう。ところで社民連の帰趨ですが新自由クラブもあんなことになったし、民社党がかなり確信ありげに合体をいっているようですが、実のところはどうなんでしょう。
江田 社会党の皆さんもうちに来て大いに働いてくれと誘ってくださるし、民社党も私を必要としていると親切にいって下さいます。これは正直にいって有難いことだと思いますよ、本当に……。でもね、選挙中にもずっと言ってきたことは、今、日本の政治にとって一番必要なことは政権交替の仕組みをつくることなんだ。
今度の選挙結果をみても、国民は自民党にはノーという答えを出しましたが、野党ヘイエスの答えを出した訳ではないんですね。与野党伯仲状況の中で、野党よ少し責任政党の勉強を、訓練しなさい。政権交替はそれからだという、まことに味のある結果を国民は出してくれた訳ですよ、伯仲は自民党にとっては大変かもしれないが、日本の政治にとっては、大変いい勉強の場だったんです。
それを新自由クラブは自民党に乗せられて、この勉強の場をくずしてしまった。その意味では新自由クラブの選択は国民への裏切りです。言葉はきついですが。したがって、私たちも今はつらいけど、弱少政党にとどまって、野党の大改造、大結集の為に力を注ぐ、これが最良の道だと思うんですよ。有権者の皆さんへもそう公約して来ました。
世帯が大きすぎると、我が党意識が邪魔をして身軽に変革のための行動が時としてとれない。変革の時代の行動力というものは個人的な力に頼る時が、まずあるわけです。小さい程動きやすい場合がある。そんな役割を果して行きたい、そんな風に思っています。明治維新だって小藩の、しかも脱藩者である竜馬や小五郎が、最初の変革の歯車を回したじゃないですか。どうぞ今しばらく、社民連でやって行くことにご理解をいただきたいと思います。
―― なる程ね、江田さんのお気持ちが理解できるような気がします。ところで新衆議院議員として県民の皆さんへ一言。
江田 改めて立派な成績をお与え下さいましたことに心から感謝の意を表します。小政党で一年生、十分な仕事はできないかもしれませんが将来を期待して下さい、大きくお育て下さい。今後ともよろしくお願いします。
―― どうも本日はありがとうございました。
東京 江田事務所決まる
お待たせ致しました。東京の江田事務所が決まりました。衆議院第二議員会館の725号室です。
この事務所は、岡山の皆さんの東京出張所としてお気軽に、ご自由に、お使いいただける皆さんの事務所です。
スタッフは、石井紘基秘書ほか二名が皆さんをお待ち致しております。お気軽にお立寄り頂ける事務所として、おおいにご利用下さい。
江田五月選挙の結果は、ご存知のとおり、87110票という最多得票を記録する素晴しいものであった。実は筆者は、投票日の二日前、密かに当選を確信していた。選挙事務所の「力」でそう思った訳ではない。
実は、投票日の二日前、山陽新聞の行なった世論調査の結果をみて、当選を確信したという訳である。当日の記事によると、「あなたは今回の総選挙で、何を基準に投票しますか」との問に対し、一区有権者の41%もの人が、「清潔で責任感ある」政治家を選びたいとの意思表示をしていたのである。同じ問に対する二区の有権者が、「地元に利益をもたらす人」を第一位にあげていたのとまことに対称的であった。
選挙事務所の中心にいる者があなた任せの情報で当選の確信を得るというのも無責任な話だが、それは、さておくとして、この調査結果には一区と二区の、日頃いわれている政治土壌が物の見事に現われている。二区のK代議士の凄腕ぶりは、マスコミなどでつとに有名だが、長い間こういう政治家を頭に戴いていると有権者もそんな風になるのか、有権者がそんな風だから、そういう政治家が育つのか、卵が先か鶏が先かは別として筆者はこの結果をみて、マックスウェーバーの有名な言葉を思いだした。「国民はその国民にふさわしい政府しか持つことが出来ない。」政府と政治家を置き換えてみると妙だ。
一区の有権者に心から敬意を表すと同時に、末長く江田五月を育てて下さることをお願いしてやまない。
江田五月選挙の足跡・総括
(はしがき)
87110票、トップ当選。衆議院への立候補宣言(87/11)から約一ヶ年、さまざまな困難をのりこえて遂に勝利した。この勝利への道を、反省も含めて記録し、今後の参考にしたい。
一、活動の足跡
衆議員への転身は約四年前に決意。それからゴールめざして、さまざまな活動を開始。マスコミにもしばしば登場。まず、ポスター、しおり、似顔絵、名刺、看板などが研究作成される。ホームミーティング、街頭演説、おはよう七三〇が開始される。毎週月曜日の駅前における「おはよう七:三〇です。江田五月です」は、もう二年十ヶ月になるが効果的であった。400回を超える街頭演説もよかった。ホームミーティングも人の輪を大きく広げた。
(1)「三つのお願い」 「三つの戦略」 「三つの主張」
●三つのお願い
一、お金のある人はお金を!
二、労力のある人は労力を!
三、時間のある人は時間を!
能力と条件に応じた、ボランティア活動、市民参加の運動スタイルを、どかり基本に据えた。
●三つの戦略
一、茶の間の話題を独占する、よいイメージを作る。
二、全ての学区町村に江田五月会を作る。
三、全ての職業分野に江田五月グループを作る。
人気づくり、ムードつくりと機動力のある組織づくりを、同時に追求した。
●三つの主張
一、やるぞ改革、明日のために(二十一世紀)
二、心の貧しさが国を亡ぼす(政治倫理)
三、いまこそ野党の大改造、大結集(政権交替)
宣伝の中心、演説の柱を鮮明にし、それに地域の条件を加味する内容にした。
(2)イメージづくり
宣伝活動、ステッカー、トレーナー、鯉のぼり、個人ビラ、選挙ハガキ、似顔絵名刺、ポスター、看板、イメージソング、いずれもプロをまじえて研究、作成。ポスターは自慢できる作品の一つである。五月株も運動、イメージ、財政、すべての面で、効果的であった。
(3)江田五月会の組織づくり
江田選挙の特徴は、自発的に勝手に運動する、かくれた支持が多い点にある。だから組織的活動と勝手連的活動を結合、発展させることが特に重要であった。
イ、学区町村ごとに、江田五月会をつくる活動は苦労の連続であったが、目標の1/2 程度は組織できた。(よい例、わるい例の検討が重要)
ロ、全職業分野に江田五月会又はグループをつくる活動は、目標の1/3も達成できな かったが、税理士会八八会、同窓生などの活動は注目される。
ハ、協力者カード、紹介者カードは運動の発展に応じて急増したが、訪問点検活動は不十分であった。
(4)財政活動
なんといっても注目されるのは「五月株」の発行である。五日株は財政の面からだけでなく、選挙運動の面からみても効果的であった。
一千円株=563口502人
三千円株=263口258人
五千円株=335口304人
一万円株=830口510人 一月十五日現在
・ 医師、弁護士、税理士などによる特別財政援助は、江田選挙を財政面から大きく支えた。
・ 江田選挙の財政危機を救ったのは(イ)五月株、 (ロ)特別財政協力者、 (ハ)無数のカンパ寄付、(ニ)パーティー会計の四本柱がいずれも成功したことである。
二、選挙結果からみた特徴
87110票は今回だけのことであり、次回の保障にはなり得ない。次回は候補者も変るし状況も変るし、江田ブームもないとみなければならない。厳しい選挙になることは確実。今後の日常活動がきわめて重要。
(1)87110の秘密
第一は保守革新をのりこえて双方から得票していること。
第二は公明党を除く全候補の陣地に浸透していること。
これは新しいタイプの政治家、新しい政治の流れへの期待とみることができる。もっと卒直にいえば、従来の保守、革新の得票構造に地殻変動がおきているとも言える。
(2)北部はむつかしい条件下でよく健闘したといえる。南部の得票は見事な成績といってよい。特に個人演説会を催した町村の成績がよいのは注目される。
例=岡山市、津山市、備前市、邑久町、瀬戸町、久世町、鏡野町、山陽町、和気町、建部町、美作町、落合町、勝田町、久米南町など。
(3)県同盟、全電通、松下電器など、総評、同盟、中立という労働運動の三大潮流が、スクラムを組んで活動したことは、ひとり江田選挙にとってだけでなく、日本の政治史の中でも特筆されてよいと言える。その波及効果は大きかったと思う。特に、西大寺、備前、津山、美作、建部などの活動は注目に値する。
(4)南部における大量得票の背景に、故江田三郎の潜在的なカ、「見えざる支え」があったと考えられる。それは無効票の中に「江田三郎」票が数多くあったことでも証明できる。
三、これからの問題点、課題
(1) なんとしても、江田五月会(縦も横も)の再組織が必要。新しい人にもどんどん参加してもらい、新しい組織をつくること。
(2) 協力者カードを整備すること。とくに運動期間中に急増した新しい協力者をカード化すること。かくれた勝手連的活動家を発見しカード化すること。
(3) 各グループごとの五月会を新しい人にも参加してもらい再組織すること。事務局財政、責任体制も明確にすること。常日頃からの世話役活動がとくに大切。
(4) 選挙指導体制も検討する必要がある。中堅活動家の養成はとくに大切。事務局体制も強化する必要がある。
(5) ブレーン組織が必要。大別すると、1.政治路線 2.教育 3.福祉 4.医療 5.労働 6.農漁業 7.中小企業 などに区別できる。それぞれ十名〜二十名程度の委員会にしたらよい。
(6) 日常活動のありかたも検討する必要がある。田中角栄型とは違う二十一世紀を展望しつつも、当面の医療、福祉、教育など生活密着型の世話役活動を強力に展開。
四、結論
この様に見て来ると、結論として、今回の江田選挙は、多くの市民ボランティアのエネルギーを中心に、労働組合の枠組を超えた支援体制が功を奏したと言えるのではないか。決して江田選対の力ではなく、江田事務所と連絡を密にした市民のみなさん、あるいは連絡さえしないで自主的に動き回って下さった市民のみなさん、そういうた見えかくれする市民のエネルギーが、江田五月という候補者に見事に集中された結果がトップ当選である。
岡山一区という地方の中都市で、大都市でしか成功しないとされる、いわゆる市民型の総選挙が展開されたことは、政治の芽が育ちつつあると言えるのではなかろうか。江田事務所、一同は、この岡山一区の有権者の動向に注目していくと同時に深い敬意を表していることをつけ加えておかなければならない。
江田五月の主張
(議員バッヂを預って)
前から覚悟していたこととはいえ、厳しい選挙でした。強力な現職がそろっている中へ、無手勝流で割り込むのですから、最初から最後までハラハラのし通し…。
しかし、選挙事務所の直接の指揮から離れたところで、多くの方々が何の報いも求めず懸命に応援して下さいました。87110票は、この無数のあなたのお力添えの結晶であり、議員バッヂはあなたから私がお預りしているもの。大切にして、必ずご期待にお応えします。
(選挙結果をどう見るか)
岡山一区では、自民二、野党三と与野党逆転。全国的にも与野党伯仲となりました。田中角栄は未曽有の大量得票でしたが、そのために自民党は三四減という犠牲を払ったのです。まさに一将功成り万骨枯る。国民は金によごれた自民党を許しませんでした。
しかし、自民党はノーでも野党はイエスとはなっていません。数ある野党のいずれも国民から合格点をつけてもらえず、野党が全体として、どう自己改革をなしとげるかを国民から問われたのです。
今こそ野党の大改造、大結集により、政権を担当できる野党の腕組みを作らなければなりません。私はそのことをお約束したのですから、精一杯頑張りぬきます。
(野党の腕組みのために)
野党を、党の垣根を乗り越えて腕を組ませる仕事は、今の野党のどこかに属してしまったのでは困難です。所属政党のことを第一に考えるようになるからです。
社民連は小さな政党です。自分の党を第一に考えていたのでは話になりません。だからこそ、野党を造りかえることをまっ先に考えます。
小さな勢力だからこそできることです。
(落第点の五九年度予算)
一月下旬になってやっと五九年度予算案が決まりました。岡山県関係はまあ合格点。しかし、予算全体はまったくの落第点です。
減税は、国民のものを買う意欲が増し、景気回復のきっかけをつかめる程度のものでないと意味がありません。それなのに、不十分な減税分さえも間接税の増税で取り返してしまうのですから、減税は朝三暮四のインチキ。
そのうえ、各種の料金値上げ、健康保険などの負担増。
財政が大赤字で大変なのは事実です。しかし、つけは全部庶民にまわして、一方では軍事費は六・五五%とダントツで増やすのです。
今一番大切なことは、戦争の準備ではありません。景気回復、福祉や教育など国民生活の向上が切実な課題です。
私は、中曽根総理のバランス感覚を疑わざるをえません。
(明日のために)
政治の第一線、衆議員への挑戦を、一回で成功させていただき、身に余る光栄です。今は野党の片隅ですが、応分の責任を果しながら、日本の政治の大改革をめざします。
長い目で大きくお育て下さるようお願いいたします。
編集後記
暦の上では、寒を過ぎましたが、まだまだ厳しい寒さが続いております。遅ればせながら皆さんに、寒中お見舞い申し上げます。ついこの間、新しい年の幕が開けた、と感激していましたのに、早、二月に入ってしまいましたね。二月と言えば「節分」ですね。近所の子供たちが、大きな声で「福は内!鬼は外!」と叫ぶあどけない声に、何かしら日頃の心の喧騒を洗い流される思いがしました。「笑う門には福来る」と言います。厳しい顔も素敵だけど、どうせなら笑って!皆さんのお宅に多くの福が訪れます事を編集者一同お祈り致します。(加)
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