1984/04 五月会だより No.21 | ホーム/主張目次/たより目次/前へ|次へ |
おはよう7・30 4年目の飛躍へ 道行く人語りかけて 150回
「おはようございます。江田五月です」――。毎週月曜日の朝、国鉄岡山駅前に江田さんのテノール・ボイスが響き始めてから、この三月で三年が過ぎました。この間、マイクを片手に宣伝カーの上から語りかけた回数は百五十回を超えました。道行く一人ひとりの皆さんに語けかけるような分かりやすい演説は、回数を重ねるたびに評判を呼び“江田ファン”を着実に増やしてきました。昨年暮の総選挙でトップ当選を果した原因の一つに“おはよう730”があったと言っても過言ではないでしょう。県民の皆さんと共に明日の政治を考える場として、四年目を迎えた“おはよう730”の責任は大きいものがあります。江田さんもヤル気、十分。“おはよう730・江田五月です”は百五十回を土台に大きく飛躍します。ご期待下さい。
“おはよう730・江田五月です”と題して、岡山駅前の街頭演説をスタートさせたのが五十六年三月。以来、毎週月曜日、午前七時半−同八時四十分の一時間十分は“江田タイム”となり、今では、すっかり駅前の名物として定着しました。
“行動する江田五月”、“県民と共に政治を考える”をキャッチフレーズにスタートさせ、三年間で百五十回を超えました。しかし、当初から順調というわけには、いきません。いくつか例を挙げます。
江田さんが“おはよう730”を始める以前から、衆議院議員・矢山有作さんらのグループが既に駅前で街頭演説を行っていました。当然、駅前でハチ合わせ。両者とも、明日の日本の政治を考えての行動です。お互い演説をやめるわけにはいきません。かといって、両者が同時にマイクを持って、やり合うことは、主張や意見を多くの皆さんに聞いていただけないという結果になり、逆に不評を買うだけです。そこで両者が話し合い、二週間交替で岡山駅東口、西口の二ケ所で行うことになり、現在に至っています。
加えて、最大のピンチは二月定例県議会の“争点”となった「暴騒音規制条件」案。場合によっては“おはよう730”の存続を危うくさせるところでしたが、議論を残しながらも一応の解決を見ました。
ひとつのことを長く続けようとすると、困難も付きまといます。百五十回の中には台風、大雨、雪などに何度か見舞われました。江田さん自身が体調を崩し、高熱を押してマイクを握ったこともありました。特に厳しいのは真冬の朝。ましてや今年の寒さは格別でした。古式泳法・神伝流で鍛えた江田さんとて例外ではありません。ここで、江田さんの秘密を暴露しますと江田さんはズボンの下に股引きを二枚重ね、二個のカイロで腰を暖めながら演説に臨んだしだいです。
何と言っても、“おはよう730”が多くの皆さんに支持された最大の理由は、江田さんのやさしい語りかけです。国会の動きなどを分かりやすく、ユーモアを交えて話します。一般に説明が難しい福祉、予算、外交、教育、防衛などの問題点やその対策、意見などを歯切れよく訴えます。
会社へ足早やに急ぐサラリーマンやOLらが足を止めるのは、こんな時です。さらに新聞には載らない“政界の裏話”もチラリ披露することもあります。これを楽しみに毎週、遠方から駆け付ける常連がいるほどです。
さらに“おはよう730”の人気を一段と高めたのは、江田さんと“大亀ラッパ”の異名をとる岡山県社民連書記長・大亀幸雄さんや岡山市議、寺田あきおさんらとの一問一答。特に大亀さんのスピーチは理論を積み重ねて押しまくるタイブで人気があります。政治研究を重ねたスピーチには、名うての政治担当の新聞記者らも一目置くほどです。
この二人が事前の打ち合わせもなく、ぶっつけ本番で丁々発止のやりとりを繰り広げます。スマートでソフトな声の江田さんとかっ幅がよく、太い声の大亀さん― この対照的な二人の質疑応答は迫力満点です。市民を代表して様々な疑問を投げかけ、これを受けて明快な解答を提出する― シーソー・ゲームよろしく、朝の通勤時間帯は“日本と世界の展望”を皆さんと一緒に見出すゴールデンタイムというわけです。
しかし、現在の“おはよう730”が百点満点だとは考えていません。研究課題もあります。できるだけ、多くの皆さんと接し、江田さんの主張に耳を傾むけていただくためには、朝が最も有効ですが、とりわけ午前七時半から約一時間、岡山駅の乗降客は東口約七千人、西口約二千五百人(岡鉄局調べ)、さらにマイカー・バスなどを合わせると東口だけでも一万人以上―と岡山駅前が一日で最も忙しい時間です。
それだけに、サラリーマンやOLの皆さんも何かと気忙しく、落着いた朝のひとときは、とうてい望めません。いかに、多くの皆さんの心に訴えるかが、勝負どころです。そこは、江田さんもツボを心得たもの。タイムリーな、関心度が高い、身近かな問題を常に研究しています。
“おはよう730”は単なる国会報告会に終ることなくこれまでの百五十回をステップに多くの皆さんと共に日本の在り方、将来を考える。意義ある一時間十分にしたいと考えています。四年目の”おはよう730”が大きく飛躍するため、これからも全力で頑張ります。
お詫び 江田 五月
多くの皆様の温かい、ご支援で当選させていただきながら、お礼が未だできずにいます。
公職選挙法により、当選のお礼を申し上げることができません。礼状や年賀状などのご返事もそのままになってしまいました。
誌上より深くおわびします。
「おはよう730・江田五月です」という早朝の岡山駅前街頭演説が、この四月で四年目に入った。この間、江田さんは、外国視察などの理由で三回休んだだけ。
この場合、市議や他のスタッフで埋め合わせ、一度も中止されることなく続けられている。街の声も好意的だ。近くに住む人の中には月曜日の朝を楽しみにしているという。
ひとくちに三年というが、政治家は毎日が多忙だ。時間のヤリクリをして、完ペキなまでの出席を誇る。江田さんの心の中には、きっと、「民主政治の原点は、市民への問いかけにはじまる」との信念があるのだろう。
さて、このほど岡山県に暴騒音の取り締り条例が誕生した。これは昨年夏、湯原町で開かれた日教組大会に対する、右翼のいやがらせ―音の暴力を何とかしろ―という市民の声を背景に制定されたものだ。
確かに右翼の宣伝活動の実体は、軍歌と罵声以外の何ものでもない。しかし、音の内容を区別して取り締ることは法の下の平等との関係で難しい。また、するべきではない。
と、なれば、今回のように音の大きさで規制するしか方法がないのだろうが、法はひとたびできると、ひとり歩きをはじめる。
この条例の運用にあたる警察当局は、十二分に気をつけ、民主政治の基本ともいうべき、真面目な言論、集会活動を押えることのないよう努めてもらいたい。県民による監視がとくに重要。
与野党伯仲の時代ヤル気十分 野党の腕組みに全力
座談会
トップ当選から、やがて半年。政治の本場、衆議院の雰囲気にも慣れ、衆院文教委員のポストにもヤル気十分。公約に掲げた“今こそ、新しい政治”の大目標に向けてエンジンも全開しました。迎えた三度目の与野党伯仲時代、江田議員を巡る野党間の動きも活発になってきました。マスコミ各社に話題を提供した民社党の“ラブコール”は、その一端。こうした中、江田議員の“本音”をざっくばらんに聞き出そうと、友人でもあり、ブレーンでもある弁護士、河原昭文さんと中国短期大学教授、石田見栄さんの二人が、市民を代表して江田議員に迫まってみました。
=語る人=(順不同)
中国短期大学教授 石田 美栄さん
弁護士 河原 昭文さん
衆議院議員 江田 五月さん
江田 昨年暮れの総選挙では、お二人には格別のお力添えを賜わり、ありがとうございました。総選挙を振り返って、社民連は残念ながら選挙前と変わらず現有勢力の二人のままですが、自民党は公認の候補者だけを見ると過半数を割ってしまいました。
いわば三度目の与野党伯仲時代を迎えたわけです。ロッキード事件が発覚した五十一年、五十四年は大平、福田の四十日抗争で国民はあきれて二度目の伯仲時代に。翌五十五年は大平さんの急死で自民党が大勝。そして、今回の選挙となるわけです。
河原 すると、一番気になるのは与野党伯仲下で社民連の役割は――ということになりそうです。伯仲するというのは国民の目から見て「自民党にいつまでも政権を任せておくつもりはない」という意志表示です。
党派を越えた野党の協力を
石田 その通りですね。しかし、一方では「今の野党に政権が担当できますか」−という疑問もあります。これが、昭和五十年代初めから、問われ続けてきた問題です。野党は、この国民の問いかけに対して、具体的な構えを示す必要がありますね。
江田 石田先生と同じ意見です。現状では野党一党だけでは政権はとれません。野党が一つにまとまるしか政権交替は無理ですね。“小異を捨て、大同に就く”−政権を担える野党間の腕組みをつくらなければ…。
これは、晩年の父江田三郎が主張していたことですが、野党を一つにまとめる方法に、いわゆるマルクス・レーニン主義にとらわれない政党の団結が考えられます。このためには社会党がマルクス・レーニン主義の“シッポ”を切って脱皮することが大切。そして、公明、民社、社民連が政権交替のために相互協力を行う方法をとるか―。
それとも、オール野党の団結を図るのか―。実際問題として、共産党を含む道は困難。そこで、共産党は“応援団”に。いずれにしても、これらを具体化するためにベストを尽します。
石田 それが与野党伯仲下における江田さんの大仕事であり、社民連の演じるところです
河原 しかし、実際は青写真通りに行かないのが、政治のならい(笑)。ところで、マスコミをにぎわせた例の民社党へ行くのか、それとも社会党に参加するのかという“ラブコール”について、本当のところはどうなの。ずばり聞かせてよ。この点が聞きたくて、この座談会に出席したしだいだから(笑)
江田 するどい指摘だなあ。つまり、社民連が結党して六年。ご承知の通り、依然として台所は苦しい。しかも、疲労もたまってきた。この辺で休暇が必要だという意見もあります。
荒波にもまれ続けてきたので「民社党という港へ、避難してもいいですよ」―と、民社党からのお誘いがありましたが…。
石田 民社党の“ラブコール”はうれしいが、社民連本来の役割を実行するために、デートをお断わりしたわけですね。江田さんは相変らず、もてますね(笑)。
社・民の誘いには感謝だが
江田 僕の場合は、政治の本場である衆議院に当選させてもらい、江田三郎が唱えた“新しい政治”の旗をやっと引き継いだばかり。そう簡単に、お誘いを受けるわけにはいきませんよ。
社会党の話は、文教委員のポストを社会党の枠から回してもらったいきさつから、社会党へ参加か―と騒がれたけれど…。単なるウワサですよ。
この三月、東京で社民連の代表者会議を開き「今は疲れているが“民社港”へ非難することなく、心を一つにして初心に返る」―という雰囲気の中で、もう一度この問題を七月の全国大会で話し合うことにしました。
七月の全国大会で、うまく話し合いに決着が付くと思うけど…。
河原 私も社民連の中で十分、論議して“立党の精神”を忘れることなく進むことに期待します。確かに、江田さんを支持した多くのみなさんは「江田さん、民社党に行かないで」という意見ですよ。僕らにとっては社民連の江田というよりも“僕たちの江田”という意識が強い。
江田 民社党や社会党と一緒になるべきではない−という声をよく耳にします。しかし、民社党、社会党からのお誘いには感謝したい。今の私は、野党の腕組みのため、党派を越えて、「江田五月は何をすべきか」−を真剣に考え、行動する決意です。
石田 もし、民社党と院内会派を一緒にすることに重要な意味があるならば、それは、それで良いと思います。今のような野党のケンカ状態が続けば、腕組みをする潜在的な可能性を失うかもしれません。
河原 江田さんと同じ志を持つ野党の議員が大勢いると思うけど、一緒に手を取って行動できないものだろうか。公明党の場合は、チョット知恵を絞らなければならないけど…。
さらに一歩進めて、野党内部で“シャドウ・キャビネット”。つまり、閣僚人事の話を進めて国民に披露したらどうですか。野党にも各ポストにふさわしい人材がいると思うけどね。例えば、江田さんなら文部大臣とか−。
江田 大切なことですよ。月に一度でよいから、党派を越え、志を同じくする仲間が議論し、外交政策、福祉、教育など多方面に渡って研究する。そうしているうちに労働組合あたりから「その方向いいね」という声が挙ってくるはず。市民団体の連係も密になりますよ。
河原 自民党幹部なら、いざ知らず(笑)、社会党の幹部と民社党の幹部が都内某所の料亭でヒソヒソ話をする−ようでは野党の腕組みの青写真すら無理な話ですよ。ある意味では地味だが、草の根のような腕組みが野党の政権づくりに一歩ずつ近づくのでは−。そのために、社民連がリーダーシップを取れる体制に…。
石田 河原さんと同意見です。しかし、政治を牛耳っている六十台、七十台のお年寄りにこの新しい考えが理解できるかしら。無理ですね。若い世代ならば、党派を越え、しかも政治の未来に自分たちの夢を託して行動できます。
政治の主役は市民
江田 その通り。そして、僕も、まだ若い(笑)。これまで戦後四十年近く、政治を動かしていたのは、日経連とか、医師会などの組織でした。もう一方に労働組合がありました。
大きな団体が圧力をかけて政治に影響を与えてきたわけです。選挙にも力を発揮し、利益につながる者を候補者に立てて、運動する。このパターンが続いてきました。ところが、この図式が最近、崩れかけてきた。
労働組合にしても委員長の号令が組合員に浸透しない。
自民党を支える団体も同じ、オレンジ、牛肉などの農産物輸入自由化を考えると、農民イコール自民党ではなくなった。農協が自民党を支持するのはおかしい−という議論が当然出てきます。
河原 生産活動による結びつきを基盤に置いた団体と政党の利害関係は、必ずしも一致しなくなったわけですか。
石田 これまでのように政治を裏で動かしていた団体の登場が難しくなってきたわけですね。保守、革新という単純な色分けでなく、“市民生活を基盤に置いた政治”が登場するわけですね。
江田 政治の本来の“主役は市民”です。社民連のスタートは「人間性社会主義と市民主義の結合」が出発点。市民生活に密着した政治が僕の理想です。これが僕の“本音”ですよ。
河原 江田さんの腹の中をのぞかせてもらい、安心したよ。当面、苦しい問題が降りかかってくるだろうけれど、君なら大丈夫。
石田 江田さんの大仕事はこれからが本番。お手並みをじっくり拝見させていただきます。
江田 お二人には忙しい中、貴重な意見をお聞かせ頂き、ありがとうございました。ますます頑張ります。
江田五月の主張
提案と解決のため討論を
衆議院の議席をお預りして四か月。国会は本格的論戦の最中です。
与野党伯仲だから、与党も野党の意見をとり入れ、野党も批判や反対だけでなく、信ずるところを提案し与党に受け入れさせる努力をすべきです。ところが現実は、予算も法律もも、政府と与党だけで内容を定め、野党はカヤの外。
ご馳走を作るのは政府与党で、野党は食べるか食べないかを決めるだけです。 そうでなく、あらゆる機会にご馳走作りにも影響を与える努力をすべきです。 そこで予算について、共産党を除く四野党(社公民と社民連)が意見を調整して、共同修正案をまとめました。
減税の拡大、増税の徹回、医療費自己負担の徹回、公共投資S追加などで、財源についての提案もあります。 しかし自民党は、給与所得控除の二万円上乗せに応じただけで、あとは今後のこと。
自民党はメンツにこだわるのでなく、基盤の広いコンセンサス作りの大切さを理解しなければなりません。批判より提案を、対決より解決を大切にし、実りのある討論を慣行にすべきです。
私も、与野党折衝にわずかですが参加し、自民党の無策さにビックリしました。道は遠いけれど、頑張ります。
教育改革への取り組み
衆議院では、文教委員を務めることになりました。
はじめ法務委員でしたが、教育問題に取り組むため、社会党と交渉して交換してもらいました。社会党のヒモツキになったのではありません。ご安心下さい。
教育の荒廃は、これからの日本のため今全力をあげて解決しなければならない課題。メンツを捨て、みんなが本音で知恵を出し合わなければならない課題です。生徒も親も、教育現場を何とか改善して欲しいと悲鳴を上げています。教師もそうでしょう。なのに文部省と日教組は事あるごとにひどい不信感で対立ばかり。
日教組のいらだちも理解できますが、不信感をとり去り、共に教育に責任を負う者として、国民への責任を果すため裸になって努力すべきです。 偏差値という空疎な数字で学校も生徒も格付けされる今のやり方では、人間は育ちません。誰にもその人ならではのとりえがあります。個性が生きる、人間らしい生涯のおくれる明日をめざします。
教育を考え、提案し行動している人々がたくさんおります。この人々の声を、文部省も日教組も真剣にとり上げていません。私は、こうした多くの声を集め、現場から教育を考えていきたいと思います。ぜひご意見をお寄せ下さ。
えんぴつ
〇…志も新たに裸の群れへ―。備前平野に春を呼ぶ西大寺・観音院の会陽(二月十八日)に、江田さんは天満屋ストア労組の若者らと初めて参加。りりしい“フンドシ姿”を披露しました。
○…「裸の中に飛び込むのは、怖いものです。しかし、衆議院議員一年生の私にとって“新しい政治を目指す”という誓いを改めて立てる絶好のチャンス。勇気を出して参加しました。来年もやりますよ」と江田さん。
○…その夜は約七千人(西大寺署調べ)のフンドシ衆が集まり、周囲から江田さんの参加を危ぶむ声も聞かれましたが、そこは六十年安保闘争のデモで鍛えた(?)、だけに群衆と群衆のぷつかり合いは慣れたもの。残念ながら宝木には一度も触れることはできませんでしたが、ケガもなく無事に志の誓いを立てることができました。
○…ちなみに在岡のテレビ二社が会陽中継を行い、江田さんの裸が大写しになる機会に恵まれました。これを見ていた、あるご婦人は「四十二歳にしてはスマートね。中年につきものの余分な脂肪もないわ」と感心することしきり。
○…普段から水泳などで鍛えているスポーツマン・江田さんの面目躍如といったところですか−。
アゼリア会だより ―江田五月を支える女性の会― 会員募集中です!
アゼリア会の会長が中国短期大学教授石田美栄さんに決まりました。
石田さんの会長就任を記念して「フォー・トゥモロウ」(明日のために)と題した講演会を行います。(無料)
と き 4月24日 午前10時
ところ 岡山市民会館4階第6会議室
アゼリア会は、江田五月さんの政治活動を支えると共に、さまざまな文化活動や奉仕などを通じて社会に貢献することを目的とした女性の集まりです。お気軽に参加しませんか。会合は楽しい雰囲気でいっぱいです。
ご一緒しませんか山陰の旅 =江田五月会・初夏の旅ご案内=
初夏の山陰、昼は新緑と透きとおる海と美味しい料理。
“夜は江田五月と共にカラオケパーティー(安来節も特別出演)。楽しみがいっぱいです”
日時 6月2・3日(土・日)/行先 大山・米子・中海・松江(泊)出雲など/会費18,000円/申し込みは電話か郵便で5月15日まで(必着)先着120名様まで/申し込み金10,000円/申し込み者には事務所から連絡します/詳しくは江田五月事務所
先見・指導性に欠ける59年度岡山市予算
寺田あきお市議 一般質問で指摘
松本市長、初の自前予算
昨年四月、松本市政が誕生して約一年が過ぎました。大方の予想に反し、松本市長の大勝に終ったことは皆さんの記憶に新しいことと思います。 その松本市長によって、初めて立てた自前の予算が、この59年度予算というわけです。
公約には一応のアクセント
一般会計予算総額一千四億三千万円余。その内、投資的緯費と呼ばれる、市長の政治理念に従って、市長の考えで使える予算が、全体の20・8%で二百九億二千万円弱。残りの八百億円強は、人件費、扶助料、借金の返済など、すでに使い道の決まっている予算です。
松本市長は、この少ない自前で使える予算を公約に従って、「生活環境の整備」「心の触れ合う施策」「教育設備の整備」「スポーツ文化の振興」という四点に一応のアクセントをつけ、“松本予算”を市民に示しました。
特に、ドプ川の改修清掃には昨年の二倍近くの枠を組み生活環境整備に力を入れていることは、それなりの評価はしていいと思います。
先見性に乏しい予算
しかし、目前に差し迫った「瀬戸大橋時代の中核郁市岡山」をいかに付置づけ、どのように青写真を措いて行くのかという、先見性や指導性は、予算の上からは明らかではありません。口では、「単なる通過都市にしてはならない」「中四国のリーダー都市岡山」というが、四年後に迫った瀬戸大橋時代を予測した予算とはとうていいいがたいとの感懐を、私の一般質問で指揮しておきました。
創造性に欠ける答弁
その他、行政の手法についても、草の根民主主義、市民の活力といいながら、今、話題の音楽文化大ホール一つとっても、表町再開発事業の中に埋没しそうな危険性や、県の天神山文化ゾーン構想に引きづられる危険性もあり、独創性、先見性、積極性に不安な一面をのぞかせました。
ターニングポイントの岡山市長としての成長は可能か?!
IT WAS NOT REALLY WASTED TIME
決して、無駄じゃなかった
大学で、独逸文学科などと日ふ−浮世離れしたところに籍を置き、芝居だ同人誌だと、さながら半世記前の文学青年の処き毎日を送っていた私が、妙な縁から寺田事務所、江田事務所にお世話になって丸一年が経ちました。
当世書生気質とでも日ふか活字や映像の上でしか「世間」や「社会」に接したことの無かった私にとって、この一年は周困惑と後悔の連続で、まあ、何をやっても失敗ばかり、こんなことでどうなるんかいな−と思い続けたものでした。
事務所の方々、支持者の皆さんは随分と胃を悪くされたことだろうと思います。にもかかわらず常に欠陥だらけの私を仲間として受け入れ、時には叱り、時には励まして今日までコリもなく引っ張ってきて下さったことに心よりお礼の言葉を述べたいと思います。他はいざしらずじこれほどまでに皆が助けあい、お互いを認めあって一つの目標に向け頑張っている政党は、岡山社民連の他には、そう無いのでは−と思われます。これも、江田さんをはじめ、岡山市議、寺田さん、岡山社民連書記長の大亀さんの人間性の為せる業だと感ぜずにはいられません。
ともかくオロオロしっばなし。何も出来ずに、又、大学にもどる訳ですが、休学という言葉とはうらはらに、何ものにも換え難い大切なことがらを数多く学ばせて頂きました。
ロード・バイロンの詩に、『過ぎ去った青春を悔やむならば、何故に生きながらえる』といふ一節がありますが、残り二年の学生生活、悔いの残らぬよう新たな気持ちでとり組み、ひと廻り成長して、又皆さんにお目にかかりたいと思います。
本当にありがとうございました。
昨年四月の寺田あきお選挙そして江田五月選挙と、一年間、大学(明治大学独文科を休学して手伝ってくれた。井上康生君が、この度、学生生活に復帰することになりました。誌上を借りて、お別れのあいさつをおとどけします。
編集部一同
ほのぼの議事録
○…家庭裁判所
我が子に不都合が起こり、家庭裁判所のお世話になると両親はオロオロしたり、我が子を怒鳴りつけたり、あわてます。家庭裁判所と聞いただけで、この世の終わりが来たと考える両親が大半ですね。
しかし、本当に自分の子供を立ち直らせようと真剣に考えるならば、気軽に相談するつもりで家庭裁判所の門をぐるべきです。家庭裁判所という所は、子どもをなんとか助けようと一生懸命に考えてくれます。役所の中で最も親切ですね、家庭裁判所は。(中山小、青少年問題を考える講演から)
〇…愛の賛歌
春ともなると、結婚シーズン。江田議員も多忙なスケジュールを縫って、招待された披露宴に出席します。披露宴が一段と盛り上がったところで花を添えるのが、マイク片手に“熱唱”する「愛の讃歌」。歌手の菅原洋一さんよろしく、甘いソフトな声で歌いあげるテクニックは抜群。花嫁さんは、感激のあまり、思わず涙がキラリ。
それにしても、忙しい毎日なのに、どこで歌の練習をしたのでしょうね(津山市内の結婚式で)
○…家族は人質?
各地で江田議員とひざを交えた会合、ホームミーティングを定期的に行っていますが、支持者の皆さんから、必ず出る質問に「江田さん、東京にいつ帰るの?」。
これを受けて江田議員はマジメな顔で「私の本拠地は岡山。岡山、東京の往復ですが、女房と子ども三人は山崎の自宅にずっと居ます。いわば“人質”ですよご安心を―」。
○…議員の足は大衆車
国会議員ともなると、移動の乗用車は、黒塗りの高級車と相場が決まっていますが、江田さんの足は、小回りがきく1300ccの大衆車。
ところが、大衆車も時として、不便な一面をのぞかせます。OHKのNASA宇宙博の開会式へ出席のためゲート前の駐車場に車を横付けしたところ、ガードマン氏が、すかさず言い寄って「ここは国会議員の先生方や、放送関係者専用です。別の駐車場へ回って下さい」。
ゲート前の駐車場を見るとベンツを筆頭にピカピカの国産高級車がずらり。議員に同行した秘書白く「議員は庶民派。だから大衆車を利用しているのだ」とプツブツ。(本当はベンツを運転したい某秘書)。
編集後記
「五月会だより」の編集に初参加して、新聞づくりの難しさを痛感しました。まず、紙面を少しでも充実させよう−という意気込みから編集会議では、さまざまな意見が続出。内容をまとめるのは大仕事でした。
とにかく、四月一日発行を大目標に見切り発車。手分けをして取材や原稿依頼、今回の目玉商品である座談会のセッティングから、校正、レイアウトまで“奮闘の日々”が続きました。そして、出来上がったのがお届けする二十一号です。皆様のご批判をお待ちしています。
1984/04 五月会だより No.21 | ホーム/主張目次/たより目次/前へ|次へ |