1985/01 五月会だより No.24 | ホーム/主張目次/たより目次/前へ|次へ |
当選満一年 江田議員内政外交に大活躍
教育改革は国民的土俵で ◇中国・韓国・米国を歴訪◇
江田五月が衆議院に議席を与えていただいて、満一年が過ぎました。この間、国会の中では文教委員会に所属、国会の外では社民連副代表として八面六臂の活躍。
ちょっと、順を追ってながめてみましょう。
教育の改革のために
教育問題は、裁判官として少年問題に携わってきた江田議員の絶好の課題です。国会内の各会派のご理解で、文教委員会に籍を与えられて、江田議員も大張切!
教育改革を中曽根さんが言い出しました。彼の頭の中に戦前の教育勅語がなつかしいという気持があるのは確かです。これは、自由な批判精神を持たないでひつじのような群集を作るだけです。戦後の自由な個人を大切にする民主主義の教育は守らなければなりません。
しかし、今の教育に、偏差値尊重、詰め込み過多、点約主義や、暴力、非行、怠学といった問題が山積みしているのも確か、急を要する課題です。
言い出しが中曽根さんだから教育改革は阻止、教育が無茶になっても中曽根さんの責任というのでは、政治家落第です。教育改革の土俵に上って、正しい教育のためにすもうをとろう、全員参加の教育改革を、というのが江田議員の主張です。
江田議員の発言は、家庭科教育の男女共学、大学入学資格検定の活用、ニューメディアの利用など具体的提案にあふれ、文部大臣はじめ関係者もその説得力にうなずく場面がたびたびです。
男女雇用平等法、電電三法など、文教委員会以外でも重要法案の審議に関係し、対案作りや修正のために活躍。
小政党でも正しい主張で知恵を出せば、数が万事の国会でも大いに活躍できる。大政党で牛のシッポになることはない。江田議員の実感です。
野党結集のために
先の総選挙では、自民党は大敗し過半数を割りました。国民の厳しい審判です。
新自由クラブの力を借りて政権をつづけていますが、本当なら自民党時代は終りです。
なのになぜ自民党政治が続くのでしょうか。それは、交代勢力がないからです。攻守交代しない野球が面白い筈がありません。
そこで、議会制民主主義の土俵に上れる勢力が全て結集して、自民党にとって代れる腕組みを作らなければなりません。これが社民連と江田議員の最重要課題です。
選挙後、社会・民社両党からお誘いがありました。しかし、両党の橋渡しと改革的保守との提携のために、あえて社民連の旗を守る。今の苦労は望むところと、江田議員は意気軒昂です。
社民連を代表して、野党各党の折衝に当ったり、労働団体と意見交換をしたり、テレビにもしばしば登場しました。
中国・韓国・米国へ
参議院時代から、外国からの招待が寄せられていました。選挙の関門をくぐった現在、もう待ったなし。そこで、秋は外国訪問のラッシュとなりました。
まず中国、六年前に続いて現代中国は二度目、大変な変貌ぶりにビックリです。
社会主義中国が社会主義特有の頭の堅さを捨て、資本主義の長所をどんどん取り入れて、国民に平和で豊かな明日を約束しようと頑張っています。中日友好協会秘書長の黄世明さん曰く、「悪平等はダメですヨ」。
次いで韓国。四千万国民を代表し国民に責任を持っている政府が、自ら戦争を求めたりしないことを確信しました。問題は南北の不信感と敵意。日本の役割は、その除去のために何ができるかです。
そして大統領選最中の米国ホームステイで米国民の生活を体験。投票にも同行して、住宅地の商業化や中絶の是認など項目ごとの投票が数多くあるのにビックリ。民主主義の原点を“草の根”から見て来ました。
今回の訪問で作った多くの若い友人が、五年、十年先には大活躍となるでしょう。江田議員も一緒に手をとり合って、世界のために全力投球できるよう、準備を着々整えつつあるわけです。
初心に返る
いよいよ衆議院二年目、国会通算八年目を迎えました。うし年の今年は、初心にかえって、スロー・アンド・ステデイ。しかし全力投球を続ける覚悟を固めています。
衆議院議員江田五月が誕生してから、あしかけ二年、まる一年がたった。
彼にとっては、衆議院議員としては、二度目の正月を迎えたわけだが、一昨年の十二月に選挙が行われたのだから、名実ともに衆議院としての正月はこれが初めてといっていい。
この一年、衆議院文教委員としての国会活動を中心に、秋には、中国、韓国、米国にと、国際的な活躍もめだった。これらの実績をもとに衆議院議員二年目の抱負を大きくふくらませた元且であったろう。
今年のえとはうし。過去一年の国内外の活動の糧を、じっくり反すうしながら、岡山の代表としては勿論、日本を代表する政治家へと飛躍するために、ゆっくりとした歩みを始めてもらいたいものだ。
心配された社民連の帰すうも、結党の原点にたちもどって、「政権交替の可能な健全野党の再編にむけて、小なりといえども、名誉ある働きをする」という方向で内部的な意思確認は出来たと聞く。創始者江田三郎の長男としてもぼつぼつ党内において、中心的役割を果たしていい時期と年令にきている。党内外での期待も大きい。裁判官から政治家へと将にコペルニクス的大転換をはかって八年、政治家江田五月の助走の時代は終った。焦ってはいけないがうし年にちなんで、飛翔へのスタートをゆっくり始める年にしてもらいたい。
アゼリア会だより “来たれ、ヤングレディ”
こんにちは、「アゼリア会」です。発足して四年余り。世間並みに会員の高齢化に脳み{?)、いま会の若返りにとヤングレディの協力を求めています。硬化していく私たちの頭と顔をあなたのフレッシュな力で助けて下さいませんか。
ご承知の通り、「アゼリア会」は、江田五月さんを中心に“明るく、楽しく”をモットーに毎月、食事会や講演会を行っています。会員皆様の中には、各分野の師も多く、有意議なひとときをすごせます。また素敵な方々とお友達になれます。ぜひ、ふるってご参加下さい。
簡単に活動報告をしておきます。
10/02 広中和歌子さんのお話しとチャリティーバザール(於 県総合福祉会館)
−会場満席。八、九月に皆で作った出品物もはぼ売れ、これも皆々様のご協力のたまものと一同感謝しています。有難うございました。
10/29 反省会と食事(於 ラ・リビエラ)
11/13 寺田あきお市会議員のニュージーランド報告と食事会(於 さん海)
12/17 江田五月議員の中、韓、米訪問報告と忘年会(於 かどや)
熱烈歓迎、益々発展乞御期待。
八八会1年の歩み 中小企業の相互繁栄
則武伸一郎会長
年末、年始の慌だしい時期を迎え、皆様方いかがお過ごしかと思います。五十八年末選挙に於て我々が盟主と仰ぐ、江田議員、堂々の一位で当選を果され嬉しい限りでした。八八会もそれと同じくして一年を迎えますが、いささか急造の会のままで発足し、運営上の、不手際は多々有り、前途多難を思わせるきらいも見受けられましたが、その都度議員をはじめとした、関係諸氏の暖かい手助けにより、ここに筆を執る事ができましたのを感謝する次第です。
八八会は中小企業の相互扶助、親睦、情報の交換等を目的とし、共に栄える事を骨子としています。考えて見ますと我々の交流の範囲は、学生時代の友人、同業者、同一居住区の人々と狭いものですが、江田議員を中心とした、新しい交流の揚ができる事は意義有る事と思います。しかし八八会としては仲々それに添い得ませんでしたが、会員個々に於いては拡大しています。この会を全体の活動に生かす事ができれば、と念願している次第です。
八八会は会員相互の繁栄を願い、不況を乗り切り、この一年を土台に、85年は大きく羽ばたきます。会員皆様のご協力をお願いいたします。
女性の味方 江田五月!?
国際婦人の十年の最後の年である。婦人差別徴廃条約批准、条件整備の一つに児童・生徒の家庭科の男女共修の問題がある。この問題を契機に、従来の家庭科を生活科学的な幅広いものにしてはということで文部大臣の諮問機関として審議会が設置された。
この委員十六名中七名が女性委員。実はこれは江田五月文教委員が委員会で森前文相に強く要望して実現したもの。因みに種々の審議会の女性委員の比率は実に4%強。これをみてもいかに画期的なことかがわかるというもの。女性の味方、江田五月の面目躍如というところか。
音楽の夕ベ 津山 (五月アルファー)
「江田五月と音楽のゆうべ」と題して津山保健センター(津山市)のホールで、このほど、ピアノと歌とワインを楽しむ音楽会を催しました。
ピアノ伴奏に作陽音大の小坂文産子(ふさこ)さん、独唱は西独・ザールブルッケンの歌劇団員として活躍中で、このたび帰国した妹の、好子さん。この二人に江田議員のピアノという、取り合わせです。
ギャラリーは約七十人。会場は、ほぽ満席。ワイングラスを傾むけながら、小坂姉妹のピアノと歌にウットリ。盛んな拍手が贈られました。
江田議員はこうした中で、ベートヴェンのピアノ組曲「月光」の一部を披露。幼いころよりピアノに親しんでいただけに指の動きはなめらか。
ときおり、鍵盤の上で指がストップしそうな場面もありましたが、無事終了。姉妹と同様、拍手かっさいの演奏となり、まずは議員もホッとしたところでした。音楽会も楽しい雰囲気の中で幕となりました。
ここに、紙面をお借りして小坂先生をはじめ、関係者の皆様にお礼を申し上げます。
ある日の電話
「農業者にとって生産者米価を上げてくれるのはありがたいが、後で消費者米価も上がるというのでは、これは政治とはいえないんじゃないですか。国の金が足りなければ税金を上げればよいと。こんなことなら政治家は要らない。私でもできますよ。 江田さん、よろしく頼みます。」
ごもっともな話です。
社民連公認は金谷光夫氏 倉敷市議選迫る
倉敷市会議員選挙は、一月二十日告示、二十七日投票で行われます。わが社民連からは副代表の金谷光夫さんが立候補します。
金谷さんは五十二才。五期二十一年の経験をもつベテラン議員です。故江田三郎先生が社会党を離れて社民連を結成したとき、最初に参加した情熱の人です。小さな政党の苦悩を一身に背負って、新しい市民参加の政治をめざして頑張っている根性の人です。温厚ですが度胸のある外柔内剛型の頼りになる人です。
金谷さんの当選を勝ちとるために、つぎのことにぜひ協力して下さい。
(1)友人、知人、親戚の方を、事務所に紹介して下さい。
(2)できれば手紙、電話などで投票を依頼して下さい。
投書 (和気町・和気五月会、中村力夫)
未知との遭遇の一年でした。多くの知己とも出会いました。
新らしい年も、江田運勅を通して未知の友人と出会う予感で心が弾みます。
郡部の見知らぬ仲間のみなさん、いかがご活躍でしょうか、紙上でローカル情報を交換したいものですネ。
早い時期に町村相互の連絡会や交流が進めば最高です。
岡山市民が一方の車輪、他都市住民がそれと均衡するもう一つの車輪となって快適なドライブをしたいものです。
書斉の菊の大輪を見ながら人の輪、車の両輪。以上霜の朝の連想ゲームでした。
東京でパーティー
十二月七日、東京・赤坂プリンスホテルで「江田五月と語るシンポジウムとパーティー」が開催された。
はじめに午後三時から、二十一世紀サロン(代表江田五月)主催によるシンポジウム「新しい社会像と教育」が行われた。パネラーには正村公宏氏(専修大教授)、木村治美さん(臨教審委員)、広中和歌子さん(広中平祐夫人)を迎え、江田五月議員の司会ですすめられた。多彩な顔ぷれの方々二百人余りが熱心に講聴した。
午後六時から「江田五月と語る会」・パーティーが行われた。各界からの出席者は八百人で盛会を極めた。中でも、悠玄亭玉介師匠、ハナ肇さん等の演技は会場を盛りあげました。
久方振りの東京での江田五月パーティーとあって、東京の江田ファンが大勢集り、江田議員と長い間懇親を深める姿が目立ったパーティーでした。
編集後記
この季節になると、決って一冊の本を書棚から引っぱり出します。
オー・ヘンリーの「賢者の贈りもの」。貧しいけれど、心の美しい、若い夫婦の物語です。夫は妻の長い髪をとかすクシを買うため、大切な金時計を人手に渡します。
妻は、夫の宝である時計に付ける鎖を買い求めるため、美しい髪を切って、お金をつくりました。結果的には、髪と時計を失い、クシと鎖だけが残るのですが、読み返すたびに心が温かくなります。
年末年始は贈りものの季節です。お歳暮、クリスマス、お年玉 ― と続きます。
さて、23、24号は特別編集になりました。皆様のご批判をお待ちしています。(K)
1985/01 五月会だより No.24 | ホーム/主張目次/たより目次/前へ|次へ |