1985/03 五月会だより No.25 ホーム主張目次たより目次前へ次へ


社民連全国大会 再生と前進を誓う
新代表に江田五月 田英夫氏は常任顧問

「再生・前進」をかかげた社民連第四回全国大会は、二月九日・十日の二日間、御津郡建部町で開かれ、「立党の原点からの再出発」を基本とした活動方針を採択した。また新代表に江田五月氏を選出。役員人事も一新し、希望あふれる第一歩をふみだした。

政界再編成は天の声 社会・民社は和解を

 社民連の“再生”をかけた第四回全国大会は、二月九日・十日と、故江田三郎さんの眠る御津郡建部町の「友愛の丘」で開かれた。

 大会には国会議員をはじめ全国から運営委員、代議員ら百五十人が出席。

 江田五月副代表の歓迎の言葉につづき、あいさつに立った田英夫代表は、「連合時代の到来は偶然ではない。保守、革新の対立から市民のニーズを基礎とした政治へ移りつつある。われわれの政治姿勢の正しさを信じ、いたずらに他に頼ることなく、力を合わせて再スタートを切ろう」と訴えた。

 ひきつづき議事に入り、まず阿部昭吾書記長代行から「活動報告」、「活動方針」の提案があり活発な議論がたたかわされた。

 この結果、「ここ数年間、社民連の活動は方向がはっきりしていなかった。それは立党の精神が曖昧にされていたからであり、もう一度、立党の原点に戻り再出発する。」

 「社会・公明・民社・社民連を中心とする『革進中道連合政権』に向け、社会党の再生・脱皮と、社会党と民社党の“歴史的和解”の促進に努力する。」

 「運動と組織を再建し、いきいきとした政治活動を展開する。」などを骨子とした活動方針を満場一致で採択した。

 大会二日目は注目の役員選考。新代表に江田五月を選び田英夫さんは常任顧問に就任。

 書記長は阿部昭吾さん、副書記長は菅直人さん。また顧問として大柴滋夫さんと福岡市長選挙出馬のため党を離れていた(今大会で復帰)楢崎弥之助さん。

 江田五月新代表就任のあいさつにつづき運営委員長より大会宣言が提案され可決。

 「今私たちは時代の大きな転換期にいる。核戦争三分前という危機の中で、やっと軍縮交渉の糸口をつかみつつある。
 国内においては政党の再縮成の地鳴りが確実に高まっている。一日も早く、野党の大きな腕組みをつくらなければいけない。今こそ日本政治の変革のために、市民の政治的情熱を大きな炎にしなければいけない。平和と軍縮のために、健全な市民社会の確立と福祉社会の実現のために、社会民主連合は今、再生し前進を始める。」

 新役員
代 表
書記長
副書記長
常任顧問
顧問
顧問
江田 五月
阿部 昭吾
菅 直人
田 英夫
大柴 滋夫
楢崎弥之助

 なお全国運営委員に大亀幸雄さんほか十五人が選出された。

 江田五月新代表は、大会終了後、記者会見をして次のように語った。

 「今大会は社民連の大変な危機の中で開かれた再建大会でしたが、全国の仲間は、この点をよく理解し“再生・前進”を誓いあいました。」

 また、野党勢力の結集、政界の再編成については「一日も早く自民党にとって代る野党の腕組みをつくることが必要です。いいかえると、社会・公明・民社・社民連を中心とした革新中道連合政権への道を追求することです。そのために社民連は、“起爆剤”にも、“接着剤”にもなる決意が大切です。とくに社会党と民社党の歴史的和解の促進に力をいれます。そうすれば市民運動グループも、“支持政党なし”といった人々も、きっと政治に目を向け、期待もしてくれるはずです。立党の原点に戻るということはそういうことです。」と力強く述べた。

 結党後八年、故江田三郎さんの眠る建部町での社民連全国大会は、志高く、希望にあふれる再スタートを切った。

解説 「私はあえて無媒を選ぶ。既成の社会党の中ででなく、外に出て、自分の信条にしたがって、とらわれることなく活動してみたい」「分裂主義者、裏切り者とののしられるであろうが、あえてこの道を進む」(江田三郎)。故江田三郎さんは、時代の変化に対応できない社会党の古い体質につよい危機感をもち、社会党を離党して社会市民連合を結成した。だがその二ケ月後、病いにたおれ帰らぬ人となった。

 父三郎亡きあと、長男五月は、田さん、楢崎さん、阿部さん、それに市民運動から参加した菅さんたちと一緒に、一九七八年三月、社会民主連合を結成した。社民連とはどんな政党か……、なによりも(1)平和と民主主義を愛し、(2)自由・平等・博愛を大切にし、(3)社会の漸進的改革に努力し、(4)市民の日常の悩みや、悲しみがわかる、市民参加の新し心政治――をめざす政党。

 そのためには、何としても野党勢力の大同団結が必要。

 民主的で革新的な政治勢力の大結集が必要と奮闘中。



 江田五月さんが社民連の新代表になった。父君の故江田三郎さんが残した政党だから、いづれはそうなるだろうことは大方の感じていたことだが、二年振りの大会のこの時期に、田さんから江田さんへとバトンタッチがされたには、それなりの理由があった。

 八年前の発足当初から、この党の主張には多くの心ある人が耳を傾けるところであったが、現実政治の中での社民連の動きは、今一つはっきりしないものがあり、東京都知事選での田さんの出馬問題、参院全国区での新自由クラブとの提携問題でのフラつき以来、そういった人々からも見離されつつあったのが、この二、三年の状況だった。

 この危機的状況の救世主として、岡山一区から未曽有の大量得票で衆議院にトップ当選した江田五月さんに、是非代表を、となったのも当然のなりゆきだっただろう。

 今や日本の政治状況は、自民党といえども、一党では政権を維持出来ないところにきている。江田三郎さんの主張してやまなかった「政権担当能力のあるもう一つの政治勢力」の結集には、もってこいの情況にある。

 今、若き、知性に豊んだ、しかも四十三歳という分別も兼ねそなえた代表を得て、社民連は、再生・前進しょうとしている。

 歴史の歯車を動かすに、そう多くの人はいらない。江田さんを先頭に、菅直人、田英夫、阿部昭吾、檜崎弥之助の各位が、一致協力すれば、歯車は政権交代の方向に必ず動く。

 ガンバレ!江田新代表!


魅力と活気のある社民連に
いよいよ連合の時代 江田議員活躍の時

江田三郎の眠る地、建部町で、二月九、十日、社会民主連合は第四回全国大会を開き、田英夫氏から江田五月氏に、代表のバトンタッチが行われました。党人事も一新。江田五月氏を中心とする社民連の今後の活動が野党再編成への大きなカギとなることは必至です。こうした情勢の下での今後の展望などについて、岡山社民連書記長の大亀氏を進行役に、江田氏と友人の河原、高原両弁護士の四人で話し合ってもらいました。

社民連丸の船長
大亀
 社会民主連合第四回大会で江田議員が代表に決まりました。いわば、政治の大海に出航した“社民連丸の船長”になったのと同じです。この航海は波の穏やかな日ばかりを期待することは出来ません。むしろ、嵐の中を進むことになるでしょう。まず、船長となった江田議員の抱負を皮切りに、この座談会を進めていきましょう。

江田 多くの皆様の期待をヒシヒシと感じています。前途は多難。しかし、政治を大きく改革するために、政界再編成への切り込み。そして、少しばかり揺れ動いた社民連自体の建て直し、魅力と活気あふれる組織づくり。この二点が私に課せられた重大な責任です。とにかく、全力投球で頑張ります。幸いなことに、マスコミの扱いも大変に好意的。多少ぎくしゃくしていた党内も「雨降って地固まる」で、今や全員一丸となって頑張る態勢になりました。ありがたいことだと思っています。

高原 代表就任おめでとう。それにしても社民連にとって重大なこの時期に、随分、重い荷物を背負ったわけですね。やはり、江田さんらしいと思うナ(笑)。

河原 同感。つまり、外から見ていると、今までの社民連では、解散するのではないかと思ったほどです。だから江田君が代表として社民連のまとめ役になったことで、ホッとしている。

江田 確かに私も、どうなるのかと心配だった(笑)。しかし、それは社民連の運動のあり方、方法をめぐる、考え方の違いであり、決して、内ゲバ的な対立ではありません。実際のところ、この一年間、社会、民社両党の政治路線のからみで動揺があったけれど、結果的には激しい討論をへて、「社民連を再生・前進させなければいけない」−という点で相互に確認と理解が出来た。

大亀 私も一時は、ヒヤ汗をかきましたが、全国の仲間が社民連の政治姿勢の正しさを確認し、割れるような拍手で、社民連の“再生・前進”を誓いあったときは、感動的だったね。

 さて、社民連と江田議員の 総論は、この辺にして、政治家・江田五月個人の各論については、どうでしょう。

河原 江田君は代表といっても、まだまだ若い。ポク 同じ四十三歳だもの(笑)。今は、政治家としての一層の“地盤固め”の時期だと思うね。派手さはないけれど、各分野のトップとも腹を割った話が出来る、数少ない議員だし、自民党支持者の中にも、江田ファンが多いとも聞く。

 つまり、政治家・江田五月としての魅力は絶大だよ。ほめすぎかなあー(笑)。

高原 それに国際派だ。江田さんの語学力は、たいしたものだよ。英語のうまさは、奥さんの京子さん仕込みかな。

 それにしても、もう少し、新聞の政治面を飾る話題がほしいな。代表就任記事とは別にネ。

江田 そう言うけど、けっこう新聞ダネになったと思うよ。家庭科男女共修問題は、その一例。中身がなく、ただ目立つだけというやり方は、性格に合わない。全国版にもそれなりに出ているので、ご安心を−(笑〉。まあ、今後とも国民に強くアピールするよう努力します。

政治に良識を
大亀
 今は、政治家としての真の実力を蓄積する時期だと思います。力を貯えてこそ社民連と江田議員が目指す政治に一歩でも近づくことが出来ると確信しています。皆さんのご意見はどうでしょう。

河原 確かに、江田君の顔つきは、この一年で変わってきた。衆議院という政治の本場の中で鍛えられたのか、甘さが消えて、いい意味での政治家の顔になったネ。

高原 それは、江田さんを囲む政治環境が、この一年で大きく変化したこともあるね。故江田三郎先生が日本の政治の在り方を考えぬき、社会党を飛びだして社会市民連合を結成したわけだが、三郎先生が、予見したとおりの政治情勢になった。江田さんにとって、こんなチャンスはざらにはないよ。

江田 私も実感している。野党間の大きな枠組を築くことが出来る日が、間近かに迫っているような気がするね。社会党もニュー社会党への脱皮のために努力しているし、社会、民社両党の“歴史的和解”も私たちだけが言っているのではなく、例えば全電通の山岸委員長らの声がずい分広がってきましたネ。“和解”せざるを得ない環境を労働運動も市民運動にも作っていくということで、いよいよ正念場を迎えたと思うね。

大亀 つまり、いよいよ連合時代になって来たわけだよ。舞台の開幕準備はすっかり整えられたと言っても過言ではないね。江田議員には、その演出役をつとめてほしいね。

河原 ただし、注文が一つあります。政治の世界にのみ通用するやり方でなく誰にでも理解できる市民に開かれた政治を目指してほしいね。これが演出家としての役目だし、貴任ですよ。

高原 難しいだろうが、私からも河原さんと同様、お願いします。

大亀 つまり、河原、高原両弁護士の言葉を借りるまでもなく、国民の目から見ると、政治は、難しい、近寄り難い、曖昧だ−というイメージがいつもあるような気がするね。

江田 そうですネ。私は、今の政治を改革する上で一番大切なことは、政治の体質改善だと思います。政治が、一部のプロの独占物になって久しいですが、「政治は生活なり」で、私たちの毎日の生活がすみずみまで政治に影響されている時代です。私たちがいくら政治から逃げても、政治が私達をつかまえて離さない時代です。それならば逆に、私たちの方から政治に乗り込んでいこう。政治の側から言うと、普通の庶民が日常生活の中で持つ悩みや願いをどんどん取り上げていく政治にしようということです。そのためには、まず政治家が特殊な人間になってはダメですネ。これからも友だちとして付き合って欲しいと思うナ。

江田 庶民の悩みを政治にどんどん取り上げていく例として、先日も弁理士の代表の皆さんと一緒に文部省へ、かけ合ってきた問題があります。特許権などを扱う弁理士の仕事についての記述が中学高校の教科書にありません。

 技術革新については教科書で大いに説明しているが、その基礎にある特許や発明の権利となると、全くゼロ。物や金は追い求めるが、人間の精神活動の価値には無関心という、今の日本の根本的欠陥を見た思いがしたね。このあたりも、これからの日本の政治の根本課題だと思うヨ。

高原 なるほどネ。我々の弁護士の仕事については、教科書に説明はありますか。

江田 弁護士そのものについてはないね。ただ、裁判所の役割の中で簡単に触れられているくらいで ―。

政治は生活そのもの
大亀
 私自身も政治に関わって四十年近くなるけど、“わかりやすい政治”にすることは、たしかに難しいですね。これからは“生活型の政治”にしないと駄目だネ。

河原 ところで、ある人から聞いた話だけれど、相談ごとを野党議員のところへ持ち込んでも、あまりうまくいかないと――言うんだよ。与党の政治家に依頼すれば、たいていの事は出来ると、少くともそう思っている人が多いのは事実だよ。

江田 相談に来る人の悩みを政治家として解決の方向へ働きかけることができる問題と、そうでない相談があります。交通違反のモミ消しはチョットね−。ただ、政治家のところに相談に来るのは、いくら無茶であっても思い悩んだ末のことであって、私としては、できるできないは別として、真剣に聞いで一緒に悩んであげることが大切と思っています。

高原 自分たちが、いくら頑張っても出来ないことを政治家のバックアップで目的を達成する。この現実が、政治の仕組みの中にありますね。

河原 現実の政治の仕組みを前提とすれば、政治は利害関係の調整役にすぎないと思います。その全てが悪い−というのではないが、裏で金を受け取るようでは−。まして、特定の人だけに利益を配分するようでは、日本の将来は暗いよ。

江田 そういう現実があることを否定できないね。もう一方、政治というのは日本と世界の十年後、二十年後をどうするのか。一つの目標をつくり、国民と共に目標を達成していくという大きな仕事がある。

高原 日本の将来を託すことが出来る―という見地に立てば、江田さんは政治家として合格点をいただけるのではないかナー。

大亀 政治家というのは、国民と喜怒哀楽を共にし、国民の日常の悩みや悲しみを深く考え、その解決のために全力をつくさなければならないごれは、当然のことですよ。

 ただ江田五月には政治家として高い理想はあるけれど、目の前の現実問題の処理のほうはあまり積極的ではない― こんなふうに思われているとしたら、それは困るなあー。政治家・江田五月は目の前の小さな問題にも全力で取り組んでいるのだから― 。この点はぜひ理解してほしいですね。そのためにも学生時代から友人である、高原さんと河原さんの二人は頑張って下さいよ(笑)。

心の貧しさは日本を滅ぼす
河原
 考えてみれば、江田君が国会議員になって八年目。もう、駆け出し−なんて言っていられなくなったネ。

高原 それにしても、劇的な結果で終わった五十八年暮れの総選挙は、忘れられないね。感動と感激が交差したよ。あの選挙は江田さんにとっても忘れられないだろうネ。

江田 あの選挙中、私は常に、「モノと金が豊かすぎるが故に、心の貧しさが日本を滅ぽす」−と、言い続けてきました。世の中が金権と物欲ばかりで“みみっちく”なってはダメですよ。もっと人間を大切にした社会をつくることが私の責任であり、使命です。

河原 政治が金で動く。この典型が田中角栄元総理。こんなことは、許されるべきものではない。こうした悪しき社会の立て直しに、我らの江田君が登場した。友人の一人として誇りに思う。

江田 河原君の心強い応援には、いつもながらファイトが沸くよ。さすが、東大の元応援団長(笑)。日本の政治が抱える問題が、一挙に解決できるわけではないが、小さな努力を懸命に積み上げていく。これが私を支持してくれた有権者への、なによりのお返しだと考えています。

高原 その意味では、文教委員に就任したのは、江田さんが考える政治を実践する上では、本当に良かったよ。江田さん自身は小・中・高校と三人の子供の父親だから教育の難しさは承知しているはずだしね(笑)−。教育については国民の悩みを率直に受け入れられるはずですよ。この点については、どうですか。

江田 その通り。子供の教育については、皆さんと一緒で頭が痛いですよ。文教委員会で一生懸命に主張してきたのは、勉強、勉強と子供を追い立てる“叱咤激励型教育”ではなく、“ゆとりと愛情”が隅々まで行き渡たる教育を目指すために、何をすべきかということです。家庭科の男女共修問題も世界の情勢に合わせて真剣に論議を重ねている最中です。

大亀 江田議員は選挙中から現在に至るまで、一貫して「政権交代」を唱えてきました。しかし、なかなか実現しない。真の議会制民主主義というのは、やはり政権交代することによって、初めて維持できると信じています。さて、この問題についての意見は。

江田 ズバリ言って、「政権交代」の実現は、社会党の再生と野党の腕組みがカギです。とくに社会党は野党第一党なのだから、シャンとしてほしいですネ。例えば、社会党と公明党、公明党と民社党の話し合いが、ひところ途絶えていましたが、このところ各政党間が、ひざを交えるようになったのはいいことですね。

高原 一進一退だった社会党も、この十年間で随分変わったと思いますよ。

河原 社会党が目指す政治に、ある程度の前進があったと考えても良いのではないでしょうか。国民の批判は、まだまだ受けなければならないだろうけどね。まあ、社民連の立場から、あまり他党のことを言うのは―(笑〉。

大亀 国内と同様に、地味ながら政治家として国際舞台も踏み、衆議院議員・江田五月は、ひとまわり大きくなったと、各方面からうれしい声を聞きます。政治家江田五月のスタイルが確立しつつあると言っても、いいでしょうね。しかし、まあ、江田五月の正念場はこれからが本番―。これが本音かなあー。

江田 大亀書記長のロから直接ほめられると、チョット照れるなあ― (笑)。

 それだけ私を見る有権者の皆さんの目が厳しくなるわけですから―。とにかく気力は充実。代表になって、なかなか地元に帰れなくなりますが、せい一杯がんばりますごれからも、変らぬご支援をお願いします。


代表就任あいさつ

 社民連第四回全国大会が開かれ、田英夫さんからバトンタッチを受けて、私が新しく代表に選ばれました。「若いエネルギーを完全燃焼させよ」という田さんの期待に、必ず応えなければならないと決意しています。

 社民連は今、確かにガケッ渕に立たされています。しかし、全国の仲間の熱のこもった討論が行われ、社民連スピリットを改めて確信することができました。

 「雨降って地囲まる。」もう後退はありません。情勢は今こそ私たちを必要としています。

 二十世紀は対立と抗争の世紀でした。「核戦争三分前」にまで激化した東西の対立、飽食の北と飢餓の南のアンバランス。西側内部の経済の軋轢。国内でも、表ではイデオロギーの対立と抗争、裏では醜い取り引きという政治の形が日常化し、政治が市民から遠い存在となってしまいました。

 しかし今、米・ソでも、朝鮮半島でも、新たな和解への模索が着実に進んでいます。中国の新しい実験は社会主義と資本主義の混血を探っています。

 二十一世紀を大調和の世紀にするために、みザみずしい、生き生きとした構想力が今こそ必要です。それは今の日本の政治の世界では私たち社民連しかありません。

 現実の壁は確かに余りにも厚い。しかしその壁のむこうから確実に変化の地鳴りが響きを強めています。連合時代は改めて説明するまでもありません。最大政党自民党ですら、一党だけでは中曽根内閣を支えきれず、新自由クラブと連合です。野党の提携も、少しずつですが前進しています。政界再編成の予徴はますます激しくなっています。

 議会制民主主義の下で、各国とも政権交代が行われているのに、なぜわが国だけがいつまでも一党支配構造を温存し続けるのでしょう。一日も早く自民党にとって代わって、政権を担当しうる野党の大きな腕組みを作らなければなりません。社会党の脱皮と、その上での社会党、民社党の歴史的和解を実現しなければなりません。

 国民は政治の醜さに今や失望しきっているように見えます。しかし戦後四十年、日本国憲法の考え方は国民に行き渡っているはずです。市民の政治的情勢は消え去るどころか、点火に配慮が行き届きさえすれば、大きく燃え上るエネルギーを持っています。

 経済や財政の行きづまりを見ても、政治腐敗や教育現場の荒廃を初めとする世相の混迷を見ても、これからのカジ取りを少しでも誤れば、日本号は失速してしまうでしょう。

 私たちは平和な世界を創り、健康で自由な活力ある市民社会を作り、安心して生活できる福祉社会を必ず実現します。そのために政治を大きく改革します。

 今ここに、志を高く持って希望と夢にあふれるスタートを切ります。「再生、前進」 レッツゴー社民連。

 どうぞよろしくお願いいたします。


“再生・前進”墓前に誓う 「江田新代表を先頭に」

 去る二月九日、十日の両日にわたって、社会民主連合の二年ぷりの全国大会が、御津郡建部町のゼンセン同盟「友愛の丘」で開かれた。

 再生、前進のための激しい真剣な討議のすえ、田英夫さんにかわって、江田五月さんが社民連の新代表に選ばれたわけですが、実はこの建部町福渡は、社民連の生みの親、故江田三郎さんの故郷で、現在も、この地で三郎さんは眠っている。

 同十日午後、めでたく新代表を生みだした全国の社民連のメンメンは、幼少の頃江田三郎さんが愛した向山に向って立つ墓標の前に集まり、彼が生前好んだ酒や煙草をたむけつつ、一人ひとりが各々の思いをこめて、社民連の再生と前進の覚悟を報告し、誓った。

 百人を超える全国の同志が焼く香の煙を、早春の午後の柔らかな日射しが薄紫色に映 え上がらせ、和尚の低く重たい読経の声も、その薄紫色の煙の中に吸い込まれて行く。

 田英夫前代表は、社民連のかじ取り棒を、今しっかりと江田五月新代表にバトンタッチした事を墓前に告げた。

 江田三郎・江田五月と二代にわたって主張してきた「政権交代の出来る政治勢力の再編」は、今日では、いわば“天の声”である。この声を大きくまとめて行く先頭に立った江田五月は、父の墓前に何を語り、父はどう答えただろうか。(T)


八八会 第3回ゼミナール
参議院議員 秦豊氏を迎えて

 「話も防衛ならば話しっぷりも機関銃のよう。秦節健在」と江田五月氏をうならせた独特のメリハリがきいた論説に、会員らは真剣に聞きいる。

 江田支援グループ中でもユニークな地元岡山の中小企業経営者たちの集まり、八八会第三回ゼミナールが、このほど岡山市下石井のまきび会館で、講師に参議員議院の秦氏を迎え「永田町からの報告」と題して開かれた。

 秦氏は「江田代表就任後、新たな挑戦をする社民連のスタートを心から祝う。かつて、無所属の道を選んだ私だが、江田氏が挑戦する時には、どんな場合でも、はせ参じて共に叫ぷ約束をした」と述べた後、NHK、民放など二十五年のジャーナリスト生活の体験談に始まり、田中元総理、中曽根総理の鋭い人物分析、臨教審の問題、そして最後に最新の軍事情報を折り込みながら、得意の防衛、外交論を展開した。


投書
 政界の清涼剤  “再生”社民連 桑島一男 自営 63 (岡山市中央町)

 「危機存亡のがけっぷちに立つ」と組織を挙げて厳しく自己批判し再生、前進を誓った社民連の新代表に岡山県の生んだ先覚者江田三郎氏の子息がこのほど就任し、それも故江田氏ゆかりの地でバトン・タッチするなど舞台装置満点といえる。

 あとはいかにして従来からの組織を拡大し、無党派、無関心派の市民や青年層をよくひきつけるかにあるが、この点、社民連の持つフレッシュさ−特に今回代表となった江田五月氏の青年らしい清潔さ、真しさに負うところ大きいいといえよう。

過疎の町に五月会誕生  福鳥忠篤(久米郡旭町)

 旭町の五月会は、江田議員の素晴しい活躍により、小さな輪から大きな輪へと発展しつつあります。

 山村のことですので、交流の範囲は狭いものです。それだけに、ガッチリと手をつなぎ離れることがない人々ばかりです。

 私達は、この信頼の輪を、一層広げて行きたいと念願しております。そして、他町村の五月会と交流することによって、情報などを交換出来れば幸いです。

 それを参考に、旭町の梅のような、年々根をはる大きな木に育て、花を咲かせる、旭町五月会にしたいと願っています。


盛り上がった新春パーティー
 恒例の「江田五月会・新春パーティー」が、岡山市内のホテルで開かれました(一月六日)。当日は約三百五十人の老若男女が県内各地から集まり、新春の底冷えにもかかわらず会場は熱気でムンムン。

 今回のパーティーは趣向をこらし、参加者の男女を紅白に分けてアトラクション合戦で宴を盛り上げました。手品、ヨガ、体操、コーラスなどに混って紅組の江田議員がバイオリンの演奏を披露。

 パーティーは、六十年の飛躍を誓う場― として大成功でした。


編集後記
 新聞、テレビなどのアフリカ飢餓報道に接するにつけ、私は一人の坊やを思い出します。名前は「ルク」。ヨチヨチ歩きの赤ちゃんでした。
 私事で恐縮ですが、六年前あるテレビ番組の取材のために、ケニア・トルカナ地方の家族を訪ねました。
 その家族の中に、大きな目が印象的な、とてもかわいい「ルク」がいました。私になつき、おぼつかない足取りで私を追い、そして、ダッコをねだります。
 「ルク」が暮しているトルカナ地方は、四年続きの大旱魃のため、水と食料が極端に不足しています。
 今、世界中でアフリカを救う活動が繰り広げられています。同じ地球人として、共に生きるため、ますますの援助を必要としています。
 元気でいますか「ルク」(K)


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