1985/07 五月会だより No.26 | ホーム/主張目次/たより目次/前へ|次へ |
国会内外で大活躍 中曽根総理と党首会談 第102回国会
長かった第一〇二回国会も六月二十五日閉会となりました。江田議員の社民連代表就任後最初の国会だけに、その陣頭指揮ぶりが注目され、「なかなかやる」と好評です。
まず予算審議。他の野党と共同して与野党折衝に当たり、政策減税を約束させました。
文教委員会で質問
江田議員は、代表就任後もずっと文教委員を続けています。四月二十四日には、臨教審が「審議経過の概要(その二)」を発表。直ちに岡本会長らを呼んで委員会質問。
江田議員の質問を要約すれば、(1)概要発表により国民に問題提起したのだから、これから国民の議論を起こしてこれを聞かねばならないのに、六月下旬に第一次答申では急ぎすぎ、(2)改革すべき最大の問題は、落ちこぼれ、非行、暴力、いじめなどに現れている学校や社会の学力偏重のゆがみだが、ここに光が当てられていない審議のやり方は「壮大な少数意見無視の体系」だ、(3)国会とりわけ文教委員会と、委員会審議の形式にこだわらず、自由に語り合うべし、というもの。
その後六月七日には、(3)が実って、都内のホテルでお茶とお菓子で岡本会長らと一時間半にわたって懇談し、悩む親と子の立場を訴えました。自分自身が三児の父で子育てに悩む江旧議員の訴えは、さすがに説得力がありました。
この国会では女子差別撤廃条約の批准が承認され、男女平等新時代がスタートしました。江田議員は、外務・文教連合審査会で、家庭科共学(特に中学)などを質問。この分野では、常に自分でも言っているとおり、「当分は女性の味方に徹する」覚悟です。
中曽根総理に五点注文
国会の外でも、もち論大活躍。まず四月二十二日、江田議員は社民連代表として中曽根総理と党首会談を行いました。時間はわずか十五分。
その際、次の五点を注文しました。(1)世界の自由経済の発展のため率直誠実な努力を、(2)米ソ首脳会談を実現させよ、(3)SDl(スターウォーズ計画)加担は反対、(4)内需拡大へ国内経済政策を転換せよ、(5)被爆体験を尊重し被爆者援護法制定を、です。
これを受けて米ソ首脳会談実現の雰囲気が強くなってきたのは、うれしいことです。しかしボン・サミットで、中曽根総理が宇宙まで戦場にしかねないSDIに積極姿勢で臨んだことは、許せません。
党首としてNHK初登場
五月三十日には、党首としてNHK初体験。党首インタビューに登場して、十分足らずでしたが、若々しいイメージを存分に印象づけました。
江田議員は、連合時代を迎えてやっと政治が変わる時が来たことを強調し、(1)野党の腕組み、(2)政党の枠を越えた人のつながり、(3)政党外の市民層とのつながりを強調。田中角栄型政治に終止符を打つことを訴えました。
サラリーマン新党との勉強会の発足、全電通、電機労連商業労連などとの緊密な協議、生協や日青協との提携をはじめ、まさに縦横無尽の活躍です。
国会終盤には、外国人に対する指紋押捺制度の廃止を求めて超党派の連絡役を自ら買って出ました。スパイ防止法粉砕にも論陣を張り、ますます多忙です。
全国紙の二面に毎日、前日の行動が出ます。東京では「帰岡しすぎる」と、岡山では「もっと地元に顔を見せないと…」と叱られますが、暖かいご心配にただ感謝です。
今が正念場と、小柄な体をフル回転させ全力投球です。
アジア財団の招きで米国へ 江田代表ら若手ホープ七人
江田議員は、三月十七日から十l日間、アジア財団の招きでアメリカを訪ねました。代表就任後最初の外国訪問で超党派の若手議員ばかり七名の一行です。
春まだ浅く、有名なポトマック川の桜はまだでしたが、薄紫の木蓮が満開。遠くから見ると実にきれいです。
ブッシュ副大統領、ウォルフォビッツ国務次官補、アーミティジ国防次官補、ケネディー議員、ハート議員など多くの人々に会い、率直な議論をしてきました。
日米関係最大の懸念は貿易摩擦。今、世界経済の約三割を日米で占めていますが、その両国の間では、アメリカの対日貿易赤字三七〇億ドルといういびつさ。
これには、高金利、輸出努力の不足などアメリカ側の原因の方が大きく、経済優等生の日本の方が叱られるのは筋が通りません。日本の言い分を強く主張してきました。
しかし、例えば日本の経済や社会があまりにもお役所に頼りすぎているなど、日本にもこれから国際社会で生きていくために改めるべきところもあります。
ロン・ヤス関係に全て委ねるのでなく、言うべきことの言える日米の合理的関係を築くために、地歩を築くことができました。それにしても超多忙の旅行でした。
江田五月がんばれ! 代表就任・出版記念パーティー
五月二十六日、岡山市駅前町のホテルニューオカヤマで、江田五月氏の社民連代表就任並びに、出版記念パーティーが開かれました。
社民連は、ここ数年、党の存亡が危ぶまれていましたが今年二月、岡山の建部町で全国大会を開き、切札の江田五月氏を代表に立て、再生を期して懸命に新しい政治の構築のために頑張っているところです(前号参照)。その江田氏の代表就任と、最近同氏が、講談社新書より出版した「国会議員」という本の出版を祝って、支持者が、集まったという次第です。
当日は、主催者の予想を上まわった(?)七五〇名を超える人々が押しかけ、急拠、第二、第三会場をしつらえるという大繁盛、メイン会場の様子は、ビデオを使っての演出、情報化社会ならではのアイディアでした。
各界来賓の挨拶のあと、お礼に立った江田氏は「田中政治が終りつつある今日、新しい連合政治をつくり出す為に我々の果すべき役割は、増々大きくなった。初心を貫いて新しい政治の創造を必ずやりとげる。旧倍のご支援を!」と訴え、万来の拍手を受けていました。
このあと岡山社民連の大亀書記長は、来年七月の参議院岡山選挙区の問題に触れ、現在の社会党の候補選出過程に疑問を呈しつつ、参院の政党化に反対する立場から、それにふさわしい、若い、知性あふれた候補を超党派で考えていくことを明らかにし、会場の注目をあつめていました。
連合時代の政治を考えるシンポジウム
篠原、内田両教授を招いて
これに先立ち、同日、一時から同ホテルに於いて、「連合時代の政治を考える」と銘打ったシンポジウムが開かれた。テーマがやや専門的である為、出席者も少ないとみた主催者側が用意した椅子三〇〇は、たちまち満席になり、立ち席も含め、四〇〇名を大きく上まわる盛況でした。
日本の政治学者を代表する東大の篠原一教授、政治記者歴の長い元共同通信論説委員長で法政大の内田健三教授、それにわが江田五月氏が現職政治家の立場から発言しました。以下、三氏の主張を手短かにまとめてみました。
政策中心の連合を
篠原教授=一九七〇年の石油ショック以来先進国の政治構造が変って来ている。政党へ対する国民の意識が壊れやすくなっており、小さな政党がそれに対応しながら誕生している。ここ十年以上の自民党の過半数割れもその傾向の中でとらえなければならない。
連合政治は必然である。このの連合時代において考えなければならないことは、単なる政党の組み合せや数合せではだめで、きちっと政策を中心にすえ、しかも四・五年単位で政策のポイントを決め、そこに政党を集めて連合させていく、この役割を果し得るのが社民連であり、江田五月ではないだろうか。
社会・民社は和解を
内田教授=今日の発言順序は意味深い。一、健三、五月、一三五だ。
田中政治の終りで自民党はおもしがとれ無重力状態にある。この自民党に、公明、民社が各々の思惑をもちながら、吸い寄せられている感もあるが、やはり本筋は議会制民主主義に則り、政権交代の仕組をつくることだ。国民の側や労組の側から修正の動きも出ている。この中で、ニュー社会党が真の刷新をとげて公明・民社の呼び戻しをしなければならない。安保25年、民社25年、構造改革25年、まさに社会、民社の歴史的和解の時期である。この動きの中で社民連が自分の役回りをどう果せるかが試金石であろう。
政権交代の地ならしを
江田五月氏=現在の日本の政治は、耐用年数を過ぎた車が黒い煙りを出しながら公害をまきちらしているようなもの。政党の耐用年数は二〇年、新しい原理で、政党の作りかえをしなければならない。
政治は金、金は力、押して押して押しまくれという時代は、田中政治をもって終った。しっかりと未来を見つめ、政策を中心にすえ、日本のあるべき姿を掲げて政治を作って行くことが必要。今や、自民党の中では小数でも、国会に出せば多数派という政策中心の考え方は可能だ。私は、そういう動きを通して政界の再編と、政権交代の地ならしを続けていきたい。
「国会議員」再販へ
◎…江田議員の著書「国会議員」は、出版早々にベストセラー。同所が書店にお目見えして二カ月余り、三万部を軽く突破するほどの勢いで売れています。現在、版元の講談社では第二版の印刷にフル回転とか。
◎…国会議員の“本音”をさらりと披露した同書は、複雑に揺れる政治社会の側面を、江田議員自身をモデルに現代政治学を分かりやすく説明しているのが特徴。それだけに、政治に関心が薄い若い女性、学生さんらにも人気を集め、ベストセラーになりました。
◎…与野党関係者の、“玄人筋”にも好評。中には「続・国会議員」を望む声も聞かれ、反響の大きさに江田議員をはじめ、関係者は思わずニンマリ。
注文は江田五月会へ。
今年七月八月の大量登録がえを前に、外国人登録法に基づく指絞押捺問題が、連日のようにマスコミ等で報じられている。現在わが国に在住する外国人のうち、その在住が一年を超えるものについては、外国人登録をして、その際に指紋を押さなければならず、その押し方も、犯罪人と同じように、指の回りの指紋部分がすべてうつるように回転式という方式が取られていた。
しかし問題の本質は、実は外国人といっても、その大半をしめる在日朝鮮人、韓国人を中心とした、戦前から、日本に本人の意に反して連れてこられ、劣悪な労働条件下で働かされていた外国人と、その二世、三世について、その処遇をどうするかにある。
我々は三十九年前日本国憲法の前文において次の様に誓った。「われわれは全世界の国民が、恐怖と欠乏から免かれ平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
一体国民とは何か、日本列島という地球上の一地域に長期間生活し、構成員としての義務を負担し、同じ様に権利も享受する。そこには何の差別扱いもない。それが日本国憲法の目指す国民の姿だと思う。歴史的に言い知れぬ事情を背負わざるを得なかった在日朝鮮人、韓国人こそが、どの外国人よりも早く、日本国の構成員として、日本人と同様の扱いを受けなければならない。現在の外国人登録法は、彼等に恐怖と屈辱を与えている。我々日本人は、同じ地球に生活する市民として、彼等と共に在り、彼等と共に外登法の不正義を糾して行く義務を負うと考える。
江田五月の主張 代表に就任して四ヵ月
社民連の代表に就任して四か月余り経ちました。党首会談や党首インタビューも経験し、まだ勉強することばかりですが、多少周囲も見え始めたかな…というこの頃です。
それにしても、そろそろ日本の政治も大転換が必要です。自民党は、もう十年以上も投票率では過半数を割りっ放し。過去四回の総選挙は三回まで、当選者数でも過半数割れ。国民の中では、自民党即ち与党は少数派なのです。
それなのに国会の中では自民党が多数派というのは、なぜでしょうか。定数の不均衡など選挙のからくりも重大ですが、野党がばらばらで喧嘩ばかりなのも原因です。
選挙の時にも野党が悪口を言い合って足を引っ張り合い、図会の中でも自分の党のことしか頭になければ、国民は野党に政権を委ねようと思う筈がないではありませんか。
そこで、今何より大切なことは、野党の大きな腕組みをどう作るかです。
これは、単に野党の党首が会談して握手すればできるというものではありません。今は、喧嘩をするような構造になっているのです。野党は応援団に寄りかかる体質が強く、その応援団が喧嘩ばかりというのでは、腕組みができる筈がありません。
そこで私は、野党の腕組みのために次のことが大切だと思います。
まず政党が応援団から自立すること。労働組合はもち論重要な大衆組織だし、その動きが政治に大きな影響を与えるのは当然ですが、何組合は何党と支持関係が固定してしまうと、甘えやもたれあいが強くなります。自由で自立した関係になるべきです。
そのためには、政党は広く国民の誰からも支持されることをめざさなければなりません。この意味で、社会党が「国民政党」に脱皮しようというのは、大歓迎。できるかな…という不安もありますが、過去はあまり問わず、脱皮の努力に注目しましょう。
言葉だけではダメ。私たち社民連は、サラリーマン新党との関係を深めることにしました。サラ新党に限らず、一般庶民、市民との連携強化が何より大切です。
同時に応援団の方も、仲良くして欲しいものです。最近の全民労協の前進は注目すべきです。これに対する「唯我独尊派」は、政治を固定化する偏狭な考え方です。
全電通に続いて電機労連も、「社会・民社の和解」を主唱し始めました。この方は社民連も加えてです。私も賛成。連絡し合い心を合わせて頑張る決意です。
政党の和解も大切ですが、その政党がそろそろ耐用年数がきれて時代遅れになっています。自民党、社会党といってみても、何派、何系まで聞かないと色分けできません。派内・系内もさまざま。
これらの政党も、そろそろ分解再生すべき時期です。だから、政党の枠を越えた人々のつながりが大切なのです。
流動化から新しい勢力の創造へ、全力をつくします。
江田議員、続々とマスコミに登場
江田議員、マスコミに続々と登場―。党首としての貫禄が出てきたと関係者の間ではもっぱらの評判だが、それを裏付けるように各マスコミは江田議員をぴったりとマーク。特に各新聞社では“江田番”と称する政治部記者が昼夜を問わず取材を続けている。
政治が混迷しているだけに、江田議員を巡ってスクープ合戦に激しい火花を散らしている。江田議員は「私も体力には自信を持っているが、各社の記者さんも健康ですね」と感心することしきり。
このほか、雑誌、テレビも江田議員は今や、格好のターゲット。パーティーなどの公式の場をはじめ、あちらこちらで“フォーカス”、“フライデー”しようと熱心(?)なカメラマンが後を追う。江田さん別に気に止める様子はないのだが、国会議員としての立場からプライベートで素顔の江田議員を求めて今日もレンズが狙っている。
そこで、これまで報道された最近の例をご紹介すると。
夕刊オカニチ(4月29日付)、江田五月氏「国会議員」を出版。国会議員の本音をさらりと披露、現代政治学を紹介。
フォーカス(5月3日号)、革新は遠くなりにけり−歴代委員長の遺族に見る“社会党の今昔”。
OHK系のクイズ・ドレミファドンに出演(5月19日放映)、国会議員各党対抗で行われ、見事に優勝。
国会月報(6月号)「情熱とロマンの青年政治家。江田議員のプロフィールを紹介。
週刊読売(6月2日号)、芸能生活25周年、女優三田佳子さんのパーティーで三田さんに迫られ?照れまくる江田議員。
アサヒグラフ(6月7日号)著書「国会議員」(議談社現代新書)が好評の社会民主連合代表。著書の評判は同量議員の中で上々とか。
週刊現代(6月22日号)、いい汗!ドウ・スポーツ、古式泳法・神伝流で独立心と指導力、協調性を養う。ちなみに腕前は神伝流七段、免許皆伝、―など多種多彩。様々な角度から取材を受けている。
「江田さん、これからもよろしく」とはマスコミ各社一同。
江田氏の仲間が増える
江田五月会は「どこの市町村にも最低一名の議員をつくる。そして新しい政治の波を巻起こす」ことを目標としています。一月〜五月にかけて行われた市町村選挙と、その成績はつぎのとおりです。◆ 倉敷市
当 金谷光夫 三三八二 公認
◆ 山陽町
当 生本二三雄 無投票 推薦
◆ 赤坂町
当 尾崎嘉彦 二○五 推薦
当 黒沢光男 一一六 推薦
◆ 旭 町
当 山本喜代利 一六八 応援
次 石井忠直 一二六 応援
◆ 御津町
当 野崎東香 無投票 推薦
当 立古芳明 無投票 推薦
◆ 和気町
当 大森正史 三五七 推薦
◆ 湯原町
当 渡辺嘉泰 二二七 応援
当 渋谷弘史 一七四 応援
この他にも美作町長選挙が行われましたが、社民連推薦の古田稲城(現)は五六四八票で見事当選しました。
いじめ再考
「いじめ」が大変な問題になっています。原因はいろいろだと思いますが、親達も(私も含めて)その中の大きな部分を占めていると思います。
学校の成績、性格、体格、親の職業、これらがいじめの対象に使われているようです。私達親も、他人の子供のこれらのことについてうわさをしたり、優越感を持ったり、劣等感に打ち砕かれたりしています。
私自身、長男が公立の良い学校に入れなかった時、友人に問われることをうとましく思い、子供を恥ずかしく思ったものでした。でも、よく考えてみると、誰の子供がどこの学校へ行ってもよろしいではありませんか。自分の子供がどういう子供であろうと卑下することはないではありませんか。みなそれぞれが自分の個性を持って成長し、それぞれの人生を歩めばいいのです。人それぞれを、お互いが認めていない、自分自身をしっかりみつめていない、こんな大人の気持ちがそのまま感じやすい時期の子供に反映しているのではないでしょうか。
大人の世界の「いじめ」の構造が、そのまま子供の世界に現われているのではないでしょうか。
子供達の未来を明るく照らしてやる責任を、私達はもっと真剣に、深刻に受けとめ、大人達が日々の生き方を考え直す必要のあることを感じます。(K)
スポットニュース
江田五月を支える 地方議員の会が発足
このほど岡山県下の市・町・村議員(岡山二区を含む)約30人が集まり、明日の地方自治を積極的に話し合った。会の名称は、まだ付いていないが、「明日のふるさと作りをめざす地方議員集団“緑の会”」 という長い、長い名称はいかが!
和気、長船両町の五月会が交流親ぼく会
岡山県下各地に続々と五月会が結成されているが、とりわけ活発な和気五月会と長船五月会のメンバーが、このほど和気町で親ぼく会を開いた。和気町と長船町は隣接していないし、郡も別々。
しかし、江田五月を応援する気持ちは同じ。「皆さんの町、学区で、五月会を結成して下さい」というのが事務局の一番のお願い。
アゼリア会(女性の会) 万葉集を楽しむ
アゼリア会の有志が岡山大学の渡辺譲先生を講師に迎え、このほど「万葉集」にチャレンジした。
「楽しくて、ゆかいで、あっという間に時間が立ちました」と会員らは、若いハンサムな先生にすっかり魅了された様子。
この日ばかりは、万葉女性になりきった女性の皆さんは古典調で家族に迫ったとか?。
アゼリア会の有志 韓国ヘ
アゼリア会の有志18人が6月27日から四日間の日程で韓国を訪問。土産話は次号に、乞うご期待。
岡山大学の大型コンピュータを見学
江田議員ら7人が、このほど岡山大学総合情報処理センターを訪問。光ファイバーケーブルで津島キャンパスの各学部、鹿田キャンパス(医、歯学部)が結ばれている。しかし、全国に誇れるシステムも外部との結び付きが完全に自由というわけにはいかず、まだ法による規制がある。
高度情報化社会の到来を自前に法の整備が必要だ。技術革新が全国民の利益になるよう、ガンバレ江田五月。
指紋押捺(おうなつ)の問題を勉強
講師を迎えて、このほど指紋押捺の勉強会が開かれた。水谷賢弁護士は現在、押捺を拒否して告発を受けている在日韓国人の青年の弁護を行っている。
在日韓国、朝鮮人は67万人に上り、多くは戦争中に日本人として炭鉱などで強制労働に従事させられ、戦後、日本国籍からはずされた。
ある韓国籍青年は「これまで、韓国人だということを隠して生きてきた。そうすることが日本で生活する手段だった。しかし、日本で生きていく韓国人としての誇りもあり、押捺を拒否した」と話す。
江田議員の報告では法務省、警察当局は、かなり頭が固いとのこと。国際交流を必要とする現在の日本。「指絞押捺は、やはり、やり過ぎだ。当局は早急に考え直すべし」との結論が勉強会に参加した全員の意見。
新秘書に西信男君
岡山大学教育学部を今年三月卒業。江田議員の秘書採用試験で十九倍の難関を突破。性格はおおらかで頑張り屋。血液型はO型。なかなかの勉強家。二十三歳。
玉川秘書退職
三ヶ年にわたって江田議員の秘書として活躍した玉川宗永氏が退職することになりました。
集会でのマイクを持った姿を見ることが出来なくなりました。長い間、ごくろう様でした。今後は、(株)ループシステムを経営します。
編集後記
男女雇用機会均等法が五月の国会で成立。六十一年四月から施行されます。この法律は募集、採用、配置、昇進について男女の差別禁止を“努力義務”とすることで女性の就職条件を前進させました。
岡山市では、この法律の成立に伴い、今秋からの市職員採用試験で男女別枠方法から男女一本化にするため、現在、具体的な作業を進めています。いわば、江田議員が長年、唱えてきた法案が実践されるわけです。
さて、政治の世界は、ますます、混迷を深めてきました。参院岡山選挙区では、社会党候補の擁立問題、衆院二区の大物代議士の引退と後継者問題などの成り行きが注目されています。こうした中で気掛りなのが社民連の動き。場合によっては、キャスティングボートの役割りを果すことも考えられ、江田議員の動向に与野党とも熱い眼差をし。政治の“夏の陣”がやってきました。(K)
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