1988/10 五月会だより No.42 | ホーム/主張目次/たより目次/前へ|次へ |
消費税はやっぱりNO!
政府・自民党は「税制改革=消費税導入」を強引に押し進めようとしています。これに対して、野党や国民の中からは、批判や疑問が噴出しています。本当に税金の不公平はなくなるのか。本当に消費税がいるのか。消費税には危険性はないのか。行財政の改革はどうなっているのか。本当に財源がないのか。などなど疑問は山ほどあります。
税制改革は生活を守る立場から
税制を考えることは特別に難しい事ではありません。税制改革の出発点は私達の生活のなかにある税金についての不平・不満の解決から取り上げればいいのです。
今の税金が軽いと思っている人は殆どいないでしょう。重税感が国民の中にある一方で、土地や株で大儲けをしている人がいるのも事実です。その良い例が「リクルート」です。未公開の株を譲り受けた政治家は僅かの期間で何千万円、何億円と儲けましたが、払った税金はゼロ。江副前会長は百二十億円の利益を手にしましたが、税金を払ったのはほんの少しだけ。取るべき所からはしっかり取ってもらいたい、所得税は軽減してもらいたい、これが国民の素直な気持ちではないのでしょうか。
不公平是正がなによりも先
今、国民に「税」という言葉ををなげかけたら、「不公平」という返事が返って来ます。税制の歪みはもう放置できないところにきています。政府・自民党の主張は不公平の是正より「消費税の導入」の方に力点が置かれているようです。消費税(新型間接税)導入をめぐっては、議論が必要です。問題が多すぎるからです。
リクルート疑惑を解明せよ
竹下首相、安倍幹事長、中曽根前首相、元大臣など与党の大物はリクルートの未公開株で何千万円、何億円という大金を手にいれました。これによって江副氏は政府税調の特別委員に任命されたのではないかという疑いが持たれています。教育課程審議会や大学審議会の委員にも。その任命とお金とが結び付いているとすれば「贈収賄事件」にもなりかねません。それらを、「それは秘書や家族がやったことだ」と言って済ませられるのでしょうか。楢崎弥之助代議士への買収工作でも明らかなように、本人に金が流れたと見るのが自然ではないでしょうか。この疑惑の解明を求めるのは国民の声であり、国会の義務でもあります。
あぶない消費税 空気以外はすべてに税金
政府・自民党の考えている「消費税」は、国民の消費(商品・サービス)のすべてに税金をかけるということなので、非課税の物品はほとんどありません。税率は三パーセントと低いようですが、歯止めがないので将来不安があります。一パーセントあげても二兆円の増税になります。
外国の例を見ても税率が次第に高くなっているのが実情で、極端に言えば、「打ちでの小槌」を政府に与えるようなものです。
選挙公約を忘れてはいませんか
国民生活に重大な影響をおよぼす「税制改革」は、国民的合意が前提となるべきです。この前の選挙で「大型間接税の導入はしません」という公約で当選した議員が、これに違反しても良いのでしょうか。どうしてもと言うのなら、まず国会を解散して選挙をやりなおすのが筋というものです。
税制改革は「国民的合意」が前提
四十年前に作られた税制に問題がないわけではありません。直接税と間接税との比率の見直しも必要かもしれません。所得・消費・資産の三分野からバランスよく税金を集めるのが望ましいかもしれません。また、高齢化社会や、国際化社会への対応のため、多額のお金が必要というのも理由が無いわけではありません。でも、それならそれで、どのくらいの国民負担が必要なのか、将来のビジョンも提出して、その上で議論すべきでしょう。「はじめに消費税ありき」でなく、不公平税制の是正などから出発すべきでしょう。
政権交代のできる新しい政治勢力の結集
自民党は戦後ずっと政権を握り続けてきました。金権政治、税の不公平はその結果です。ここらで政権交代をして新しい政治をする必要があります。今こそ、国民の信託に応えうる新しい政治勢力の結集を実現しなければなりません。江田五月はそのために全力をつくします。
88夏の中国 若者たちの旅
「岡山青年訪中団'88」は高校生と大学生の男女二十一名が主役。団長江田五月、副団長橘民義(県議)のバトンタッチ引率で八月十九日から二十九日まで中国を訪れた。
北京では万里の長城、明の十三陵、映画「ラストエンペラー」の舞台となった故宮とスケールの大きい観光地を見学。中国の歴史の厚み、文化の深みを味わった。南京の「大虐殺記念館」は衝撃的だ。一般市民が旧日本軍によって大量無差別に殺されていった記録がはっきりと残っている。無錫では農家に泊めていただき中国人の実際の生活を味わった。上海では中国の青年と座談会が開かれた。
普通の観光旅行ではできない多くの体験をし、二十一人の若者にとっては忘れられない夏休みとなった。
私を変えた言葉 有道祐子
南京大虐殺記念館を見学してきた私達に、旅行中ずっと行動を共にしてくれた孫さんという中国人添乗員の方が言いました。
「中国には、『昔のことは忘れずに、これからのことを考えよう』という言葉があります。私は大学で日本語を選んだけれど、その理由は自分でもずっとわからなかった。でも、仕事を始めて、多くの日本人とふれあううちに、日中両方の気持ちが分かり、自分のやりたいこと、やるべきことがみえてきた。今は、これからの日中友好に、自分が少しでも役に立てればいいと思う」と。
見学後の、言いようのない怒りや悲しみから立直らせてくれたのも、中国語科に進んだことを後悔ばかりしてきた私を変えてくれたのも、およそ私の中国人へのイメージに程遠い、二十四才、現代っ子の彼のこの言葉でした。
この言葉と、彼に出会えたおかげで、もう一度彼に会うこと。将来彼と同じ気持ちで働くこと。そして、いつも自分の得た感動を他の人にも分けてあげることが、私の夢になりました。
大盛況 ビールパーティー
房り梅雨が去り、ようやく夏らしくなった八月九日、百五十人余りで満員のチサンホテルのホールは生ビールの大ジョッキが走り回り、飲み放題、食べ放題を楽しんだ。お馴染みの人、はじめての人、入り乱れての政治談義、世間話に花が咲いた。
つづいてビール早飲み競争、豆拾い競争、缶ビールの銘柄当てゲームと続き、ホールは笑いの渦。空路帰岡した江田五月議員が到着したところで抽選会。
ビールパーティーを終えて街は秋の気配、夏は足早に去って行った。
芸術論で夏の夜は更けて…
政治家が、政治が趣味になったらダメである。という事を耳にする。花を見て美しいと感じ、秋の夕暮れにふと足を止めてみる――これらは人間にとって大切な姿勢。
八月のある土曜日、江田議員は、芸術分野の教師と懇談会をもった。昆虫竹細工を指導する数学の先生。機械科の先生は仏像をつくる。書道、絵画はもちろんのこと、多種多様の先生方と、生徒指導から、人生問題、芸術論まで激論をかわす。飛び入りでギター教室の先生が「禁じられた遊び」を奏でる。そこはもうスペインの居酒屋に早がわり。
ビールを持つ手も軽く、一同夜が更けるのを忘れたかのような、素晴しい夏の夜の夢になった―かな?
「ニイハオ」から始めています。中国語の勉強会
津山事務所に続いて、岡山でも「中国語講座」が始まりました。
ほとんどの人が全くの初めて。口の開き方や簡単な会話など、初歩からやってます。国際親善に寄与したい人、そんな難しいことはわからんけど何となく面白そうだからという人、いつか中国に行きたい人、どうぞおいでください。
講師は「曹 雅玲」さん。岡山大学の大学院で日本文学を専攻している留学生です。岡山市番町の「番町文庫」で日曜日の午後四時からやっています。
同じ市民派の土俵で! 青年司法書士と語る会
七月二十三日、県青年館に江田五月氏を招いて懇談会を開いた。不動産取引などの司法書士の実情を知ってもらい、法律家でもある氏に弁護士業務との境界や司法試験改正問題などについてざっくばらんに語ってもらった。
主に登記の申請代理を通して市民の権利の保全に寄与してきた私達は、現行登記制度の不備や不公平については、市民の立場に立って発言をしていかねばならない。政治家としてやはり市民の立場に立つ江田五月氏とは共通点も多く、有意義だった。岡山県青年司法書土協議会
会長 姫井由美子
編集後記
何か新しい事をはじめる時には、絶えず不安がつきもの。当の本人が開きなおって“ええい、どうにでもなれ” は、時と場合によっては許される行為でもある。しかし、国の政を治める者がこれでは国民はたまったものではない。
まず、税の不公平感をとり除く努力をおこなうことが第一。政府、自民党は手順を誤っている。一般社会では自民党のやり方は通用しない。これも永田町の論理なのか。私たちは、しっかりと政府を監視し、決して傍観者になってはならない。私は民主主義は、多くの国民の意志を反映させる手段である、と思っている。 (ノブ)
中央ではリクルートコスモス社がわが社民連の楢崎弥之助代議士に、予算委員会での追及に手心を加えてくれる様にと、五〇〇万円を持ってきた。
時を同じくして、岡山市では、中央競馬会の馬主理事である日隅(ひのくま)が経営する(株)日隅が、場外馬券場設置反対の先頭に立っている社会党の市議に対して、反対運動をとめてくれる様にと、四三〇万円を差し出した。
中央でも、地方でも、金に物を言わせて政治を左右しようという風潮が、未だ絶えない。前者は、国権の最高機関である国会の重要な機能である国政調査権を金の力で買収しようという事であるから、あいたロがふさがらない。
後者にしても、岡山市議会は、豊成への場外馬券場設置は好ましくないとして、昨年末、反対決議をしているのであるから、その構成員である反対運動の中心議員への金品の提供は、市議会への挑戦であり、民主政治への重大な挑戦であるといえる。
昨今、あらゆる場面で、殆んどの日本人は、物と金の時代から人と心の時代へと、時は移らなければならないと主張している。しかし、金と力にものを言わせて己の主張を押し通そうとする習性が依然見え隠れする。
今回の様にはっきりした場合には、その背後まで含めて徹底的に求明し、国会の、そして市議会の権威を回復し、失なわれつつある政治への信頼を回復してもらいたいものだ。小さな政党ではあるが、社民連への期待は大きい。
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