1991/07 五月会だより No.57 | ホーム/主張目次/たより目次/前へ|次へ |
どうなる?選挙制度・PKO・etc…
風雲急! 国会からの報告海部首相は八月上旬の臨時国会開会をめざして、選挙制度の改革法案と国連平和維持活動(PKO)法案の取りまとめに懸命です。秋の自民党総裁選はどうなるのか、社会党の改革は、ダブル選挙はあるのか、五つのポイントから、風雲急を告げる国会報告をします。
小選挙区並立制は
六月二五日、政府の選挙制度審議会から小選挙区の区割り案が発表されました。それによると、岡山県は五つの小選挙区(一人区)に分割されることになります。
この区割り案は、不見識にも歪んだ自民党案を下敷きにしているため、初めから一票の格差が二倍を越えています。はっきり言ってこの法案は、全野党の反対、自民党内の混乱もあって成立しないと思います。
ただし、選挙制度の改革は必要と言うのが江田五月議員の立場。よりよい案(併用制)を作ります。もちろん金のかからない政治を実現するためには、金権選挙の禁止や、政治資金規制法違反の議員は二度と立候補させないなど、席敗防止の規定が緊急に必要なのは言うまでもありません。
国際貢献のPKO法案は成立するか
これは成立しそうです。しかし、このような重要法案を自民・公明・民社の三党だけで決めてしまうのはよくありません。一方、昨年の国連平和協力法廃案の時の三党合意で、自らカヤの外に出てしまった社会党の態度もよくありません。議論に加わらなければ、歯止めをかけることも出来ないからです。野党第一党の現実化が求められる理由が、ここにもあります。
自民党の総理総裁は誰になるか
六月二九日に自民党の小沢前幹事長が狭心症の発作で入院しました。政局はますます不確実性を強めています。
五月末に橋本蔵相の名前が出てから、竹下元総理の再登板説、海部総理の続投説などが次々と出ました。世代交代は進むか、本格政権ができるのか。それは政治改革・選挙制度の改革のゆくえとも深くからんでいます。
いずれにしても、自民党の中だけで政権がたらい廻しされるのでは、本当の政治改革はできません。自民党にかわる『もう一つの政権政党』を作ることが何よりも大切です。
来年七月の衆・参同時選挙はあるか
裁判所から憲法違反と判断された定数不均衡をそのままにして、解散・総選挙(衆議院選挙)はできないのが常識。しかし、何としても参議院の与野党逆転を解消したいというのが、自民党の本音。
選挙制度の改革に野党が対案も出さず、ただ反対するだけとなった時に「選挙制度の改革を国民に問う」という形で、解散・タブル選挙も考えられない訳ではありません。「備えあれば憂いなし」です。
江田五月議員はどうするか
江田五月議員は、六月二八日、NHKテレビの政治改革についての特別番組に出演しました。その番組の中で行われた視聴者の世論調査では、選挙制度改革やるべし、との回答が、圧倒的多数を占めました。しかし同時に、政治改革はできそうもない、とも答えています。
江田五月議員は新しい政治をめざして、新党結成・選挙制度改革の実現に向け、全力投球します。皆さんのご支援を、心から期待しています。
政界再編・新党結成のゆくえを江田五月に聞く
政界再編・新党結成がにわかに現実味を帯びてきました。社会党は、統一地方選挙惨敗で、党改革論議のまっ最中 土井委員長辞任でどこへいくのか。自民党からも色々な声が―。持論を実らせるために、これからどう行動するのか、江田五月さんに直撃インタピユー。
――社会党は、ついに土井委員長が辞任されましたが
四年九ヶ月、よく頑張られました。今まで、これくらい茶の間に入り込んだ政治家はいません。また、女性の政治参加に大きな道を開かれたことは、日本の政治に全体にとって大きな功績です。出処進退も立派でしたね。
問題は、土井さんに寄せられた市民・生活者・女性の支持を、誰が引き継いで行けるかですが、今の社会党では無理。様々な個性がそれぞれ生かされる、『サラダホール』のような新しい党が必要です。
――後任人事は?
焦点ががすぐそこへ行ってしまうから、土井さんも辞められなかったのですよ。私は『誰か?』より『どう変わるか?』が重要だと思います。
社会党をそのままにしておいて、背広やネクタイだけを変えてもダメ。『社会党改革』でなく『再編・新党結成』でないとネ
――なるほど。誰が委員長になっても『社会党』のままでは土井さんの後を引き継げない、と。では、社民連はどうしますか。どうです、いっそのこと、社会党に乗り込んでいっては?
ハハハ。いや、本当に貴重なご意見だと思っています。しかし、結局大きなところに戻っていった。新自由クラブと一緒だ、というのでは、社民連が今まで訴えてきたことの意味がなくなります。
そこで、社会党が新党に生まれ変われば、社民連も加わる覚悟で、社会党との話し合いをしました。『社会民主主義勢力結集のための両党協議会』を作り、五月一七日から書記長同士の全体会議を二回、政審会長同士の専門会議を三回行いました。私たちの方は、会議のたびに打ち合わせをし、意見を書面で用意し、と真剣でした。
――具体的には?
焦点の一つは、外交防衛政策です。
ポスト冷戦と言われる歴史的大転換が起き、日本も世界有数の経済力を持つ国になったのですから、世界の出来事を傍観するのではなく、自ら当事者として関わっていかなければなりません。どの国も、この地球上にある限り、世界によって生かされているのですから、その国にふさわしいやり方で世界の重荷(先日私はこれを世界の3Kと言いました。キツイ・キタナイ・キケンですネ)を肩に背負うのは当然です。
――だけど、ペルシャ湾の機雷除去の例でもわかるように、『3K 』のキケンに関わる能力は、自衛隊にしかないのでは? 海外被災地の救援にしても、国際緊急援助対策では今一つのように思いますが
ええ。そこで二つの問題が出る。一つは自衛隊に憲法的な根拠のないこと。もう一つは、自衛隊を海外に派遣してよいか、です。
――そこで『自衛隊合憲論』ですが。合憲という言葉が刺激的で、内容そっちのけの批判も多いようなので、説明を
自分の国を自分で守る権利(自衛権)は独立固有のものですから、日本も当然持っています。しかし、憲法九条は『国権の発動たる戦争』等は、『国際紛争を解決する手段としては』放棄し、その『目的を達するため』、『戦力』は持たないと決めています。そこで、九条に違反せず自衛権を発動させる方法が、問題となります。
――なぜ問題なのですか。自衛権は、他国が侵略してきた時のものでしょう。今、どこの国が日本に攻めて来るというのですか
う〜ん。そこを突かれると弱いんですが、今後フセインのような人が現れる心配は、皆無と言えるでしょうか?
最悪、他国の攻撃を受けた場合でも、ゼネストとかゲりラとか、自衛権行使の手段は確かにあります。が、私は、節度ある訓練された武装部隊を志願制で作るのは、許容範囲だと思うのです。ただし北方領土や貿易摩擦など、国際問題解決のためにこれを使ってはいけないし、そのような能力を持てないのは言うまでもありません。
――自民党の合憲論との違いが明確でない気がしますが
九条は侵略を目的とする戦力保持を禁じているだけ。自衛目的ならどんな戦力でも持てる、というのが自民党の考え。私のは『自衛』にふさわしいものだけ。だから今の自衛隊についても、例えば空中給油は不要では?とか、組識に機密が多すぎるのでは?とか、憲法疑義はあります。
――そこで『防衛基本法』なのですね
自衛権行使のための部隊の保持は、憲法に明文の根拠がありません。歴代政府は解釈でこれを認め、膨らませてきました。そんな中で国民の多くは、憲法も自衛隊も認める、となってきた。これは健全な状態とは言えません。
そこで、準憲法的法律として防衛基本法を制定し、自衛隊を憲法体系の中に位置付け、同時に任務をを領域保全に限定し、徴兵制禁止や非核三面則もこの法律に組み込むのです。
――ところで海外派兵は?
自衛隊をそのまま海外に出すのは反対です。日本の国権発動を担う部隊が万一攻撃されるとなると、戦争の端緒になり危険だし、アジアの人々の気持ちも逆なでします。
そこで、別個に国連平和維持活動(PKO)の非軍事部門を担当する部隊を作り、志願者に移っていただいて、海外で活躍してもらいます。
――しかし、本当は地球上に武力のないのが理想では?
もちろん。国連の活動に参加することで国連を強め、日本の発言力も増し、国連中心で徹底軍縮を進め、武器なき世界を作るのです。冷戦終結により、憲法の理念を具体的政策で実現させられる時代になってきたのです。
――社会党の反応は?
協議では、外交防衛政策の他にも、選挙制度(併用制)や生活者の政治、新党名などを提案しました。その答が、あの党改革なのでしょう。積極面も沢山あるのですが、守旧派の抵抗も強く、今は改革案の成り行きを見守っているところです。
――見通しは?
労働組合の皆さんは、かなり苛立っています。世論も厳しいし、選挙制度のこともありますから、今回不発でも、このままでは収まらないでしょう。新党近し、でしょう。
今、岡山市議会では定例議会が開かれている。
今議会の焦点はチボリ問題だ。
安宅市長は「見底し再検討」を公約して当選した。そして公約通り、再検討の具体的な方策として、一万人の市民意識調査、市内十ヶ所での市民との「語る会」を開催し、その結果を六月二十七日の議会開会の冒頭明らかにした。
チボリ公園誘致事業はこのまま進めなさいという市民は33%、進めても良いが市が土地を取得すべきでないが10%、これを合わせてもチボリ推進論は43%と微妙な数字である。二割近くの「分らない」層があるのだから、推進反対も30%強と、これも決定的ではない。安宅市長も仲々難しい決断を強いられそうだ。
ここで考えておかなければいけないことは、収益の基本となる入り込み客数の試算だ。チボリジャパン社は年間400万人と読んでいるが、同じ方法で、東京の豊島園を計算すると900万人が入ることになるが、現実には350万人しか入っていないという点だ。これらの事が分っていて、市が土地を取得して、土地をチボリ側に貸すということが、どんな意味をもつのか?単純に地主としての立場だけをつらぬけるとは考えられない。
いずれにしても、安宅市長は、選挙を通じて「何事も市民の皆さんと相談しながら市政を進める」と公約した訳だから、この議会を通じ、市民の代表たる議会とじっくり討論をし、「天の声」に叶った結論に導いてほしいものだ。市民は今、注目している。
江田五月の資産(?)公開
4月30日、恒例となった社民連所属国会議員の『資産』公開。そこで、資産表から見えてくる、江田五月議員の暮らしをご紹介します。
2173万円
江田議員の昨年度の所得です。このうち議員の給与である歳費は、1821万円。残りが弁護士顧問料などの雑収入。皆さんが買って下さる「五月株」などの収人は、政治活動の資金だから別会計。江田議員の懐には一銭も入らないのです。
「それにしたって、二千万円とは結構いい収入だ」と思われるかも知れませんが、これが全部、江田議員のものになる訳ではないのです。収入は一度、全額江田事務所に入れられ、その中から、毎月一定額が江田一家の『生活費』として渡される仕組み。それがどのくらいかは、プライバシーに関することなのであえて公表しませんが、江田議員のお小遣いは月に○万円と開いた時、筆者が『へぇ、私とたいして変わらないや』と思ったことで、ご想像頂けるのでは。
35万円の車って一体…
一方資産は、自宅(土地を含む取得価格約三九〇〇万円。ただしローンの残りが二四〇〇円)と、長野県の山林(一〇〇坪)。これは自然保護のために買ったもので、松茸も材木も取れません。従って資産価他はほとんどゼロ。預貯金が八四七万円(ちなみに一世帯あたりの貯蓄額は、全国平均で約一千万円)。
ところで、乗用車の購入価格は三五万円。そりゃ、中古車屋さんを丹念に探せば、こんな値段の車もあるでしょう。しかし幾ら何でも……。と思っていましたが、実物を見て納得。
社民連が提唱する『生活者の政治』は、江田議員の『普通の暮らし』から生まれるのかな、と妙に関心してしまいました。
江田グループ・地方議員団の結成を!
統一地方選挙の結果、江田五月グループは躍進して、地方の議員も増えました。江田五月を支え、地方政治の発展に力を尽くす仲間がふえるのは良いとして、今後は、相互の連絡をスムーズにすることが大切になります。
そこで、これからの難しい政局に積極的に対応し、連携を密にして情報を交換し、政策の研究を積み重ねて、議員活動の質を高めようと、地方議員団の会を結成する運びとなりました。
会は仮称「すばるの会」で、江田グループの議員およびその経験者と、議員をめざすもので構成されます。発会は八月三日。同時に記念講演も予定しています。現在、参加希望者を募集中。興味をお持ちの方は江田事務所までご連絡ください。年会費は一万円の予定。
五月会ふるさと便り
日本全国はもとより、海外も飛び回る江田五月議員。でも帰るたびに、岡山の良さが身にしみるとか。さて、日頃から江田議員を支え、暖かく迎えてくれる、県内各町村の『五月会』からのお便りを紹介するこのコーナー。第一回は、和気町・大原町・新庄村の巻です。
和気町 藤と清麻呂さんと五月さん 中村力夫
わが町のセールスポイントは和気清麻呂公。平安京を創建し、民部卿として卓越した政治を行った。彼こそ平安の革新政治家であり、日本を創る政治家像は、江田さんとピッタリ一致する。
和気神社の外庭には、全国の藤を集めて作った日本一の藤公園があり、花滴る五月には観光客でにぎわう。町長の藤本さんは「全国の藤の里から首長さんをお呼びして、藤サミットを開きたい」と語る。
さて、和気五月会はもう七歳。仲間は三百人。当面の仕事は、五月会だよりの購読者を五百人にすること。メイン行事は、江田さんを囲む講演会や親睦会の開催と、九の日に三々五々集まることだ。専用の事務所を設けて約二年。街の中心にあり、食堂を備えた冷暖房完備の館で、一般にも開放している。ここで江田グループの弁護士さんにお願いして、月例法律相談会を開くのが、目下、最大の望みである。
大原町 山芋の思い出 中尾正義
戦後間もない頃のこと。三メートルも積もった雪道を押して、江田三郎先生がわが家に来られたことがある。
私と父が山の仕事から戻ってみると、母はカチカチに凍った先生のズボンを、囲炉裏で乾かしていた。父も私もびっくりして、母にもてなしの準備を命じたが、何しろ物資不足の時代、おまけに急なことで、何もない。
そこで私は前の畑に行き、雪に埋もれた山芋を堀り出してトロロにした。囲炉裏を囲み、父と先生と三人で酒を飲み、大きなどんぶりに入れたトロロをズーズーとすすって肴にしながら語りあった。
先生が参議院に当選された翌年の昭和二六年、家内と結婚した。出席出来ず残念だが、と下さった色紙には『強い心がなくては生きて行けない。暖かい心がなくては幸せはえられない』とあった。
今は、五月先生に同じ言葉を軸に書いてもらい、床に飾っている。そして私は、割に合わない趣味とし肥料の山芋を作り続けている。
新庄村 誕生、新庄五月会 久保田義治
六月一六日、人口千二百余の小さな過疎の村に、大きな夢を託して『新庄村五月会』が誕生しました。
昨年九月、故・三郎先生からの支持者や五月先生のファン、『隠れ五月』と自称する人々が集まり、先生を囲んで語り合いました。その日は村の三社祭で、夜にはカラオケ大会が開かれており、会場を訪れた先生は気軽に飛び入り、自慢の喉を披露。会場からは「おい、あれは本物か」と感動のどよめきすら起きました。祭の慰労会でも歓迎の握手攻め。ほんの一部ですが、先年の人柄が好意をもって迎えられたのです。
これを機に、五月会結成の機運が盛り上がり、ついに先日の発会となった訳です。これからも先年の活躍を願い、微力ながら頑張り続けたいと思います。
五月会山中温泉の旅
六月二十二日早朝、梅雨空の中を出発。新聞は土井委員長の辞任を告げていた。目指すは北陸・山中温泉。
旅行中の食事はどこもおいしく、なかなかのもてなしだった。甘海老は頭の中まで食べるものだとか。松葉ガニは「ずわい」と名を変えてデビュー。主役のコシヒカリは、さぞや!と期待しましたが、いま一つ。やはり備前赤磐米が日本一。
旅のもうひとつの楽しみは、土地の人とのふれ合い。だが「雲仙の噴火は、人ごととは思えない。最近雪が少ないのは、異変の前触れでは」との言葉に、過疎と原発の不安は人を臆病にするのかな、と少し悲しくなる。そう言えば北陸地方では、農村の荒廃が特に目につくような気がした。
加賀のユートピア見学は、この種の情報にうとい私のド肝を抜いた。日本一大きい観音様が「本当のユートピアに住みたい」とささやかれた。もちろん私も「同感です」とお答えしてお別れした。
何はともあれ、二日間、とても楽しかった。皆さんありがとう。K・T
全国野鳥保護のつどい
五月十二日、御津郡たけべの森において、第四五回、「全国野鳥保護のつどい」が盛大に開催されました。
“鳥の声 緑の光 わがまちに”をメインテーマに全国から多数の愛鳥家が参加。江田議員も日本鳥類保護連盟の理事として、野鳥への愛着は人一倍強くもっています。そして、今回は地元建部町での全国大会開催と合って大ハッスル。この日も、式典に続いて、記念放鳥、探鳥とまさに鳥一色。
これを契機に、野鳥と人間、そして自然環境とのかかわり、また、自然保護のあり方について私たちも真剣に考える必要があるようです。
江田議員、田植えを初体験
六月十六日、久米郡久米町の山田誠さん(町議)の水田で、江田五月議員が、生まれて初めて田植えに挑みました。
これは「農業問題を語るには、農作業を体験することも大切。私の田んばで苗を植えてみませんか」という、山田さんのご好意で実現したもの。
体力には自信のある江田議員ですが、泥の中で腰を低くしての手植えは、さすがに重労働。わずか畳二枚分植えただけでクタクタ。でも「なかなかの腰つき」「江田さん、頑張って!」など、近所の方々の声援に、思わずニッコり。「秋にはぜひ、自分で植えた稲を収穫したいですね」と満足そうでした。
育児休業法をPR
駅頭で、育児休暇制の定着と普及を訴える
「男女が共に生きる社会の必然性が『男も取れる育児休暇』を生んだ」と訴えたのが、社民連はじめ各党の代表と職場の代表。
連合岡山が繰り広げている「トーク・トーク・トーク」という育児休業法についてのキャンペーン。岡山駅頭では橘民義県議が、倉敷駅前では羽場頼三郎市議がマイクを握った。
社民連など野党が一致して求めていたこの法律は、育児のため休暇を取るのは労働者の権利であり、これは男女を問わないこと、休んだあとの職場復帰を認め、休暇が取れない場合は勤務時間短縮が認められるなど、進んだ内容となっている。
だが、その間の賃金が保障されない、認めない企業に罰則がない。三〇人以下の企業には適用されないなど、まだまだ改善の余地はあるが、野党と連合の協力でこの制度が導入された意義は大きい。
新人秘書です。よろしく!
羽場頼三郎氏の市議会議員転出にともない欠員となっていた、江田五月秘書の募集が行われ、試験の結果、以下の二名が採用されました。
佐田 俊彦
七月一日づけで、江田事務所でお世話になることになりました。
大阪出身、妻有り子供一人、牡羊座の三十三歳。縁あって島根から一念発起して岡山に。江田総理実現の理想を胸に、政治変革のために頑張ります。
よろしくお願いします。
太田 正孝
私は岡山市撫川出身で、慶応大学理工学部を卒業、六月まで約三ケ年、静岡のヤマハ発動機に勤務しておりました。現在二十六歳です。
私の夢は、市民本位の政治を実践し、誰もが豊かさを共有でき、同時に心の潤いのある社会を構築することです。
何卒よろしくお願いします。
編集後記
暑中お見舞い申し上げます。一面トップに「風雲急をつげる国会報告」を取り上げました。政治改革は、選挙制度改革はどうなるのか、またPKOをめぐって自衛隊はどうなるのかなど大問題が目白押しです。
まさに今夏はホットな夏になりそうです。
1991/07 五月会だより No.57 | ホーム/主張目次/たより目次/前へ|次へ |