1994/05 No.73 | ホーム/主張目次/たより目次/前へ|次へ |
新たな出発を前に 江田五月
久かたの 光のどけき春の日に…
昨年末細川首相に、大牟田カルタ館の百人一首展に出品をお願いしたら、紀友則の歌を書いてくれました。下の句は「しづ心なく花のちるらむ。」その後の顛末を暗示しています。まさに激動の時代ですね。
社民連の課題は三つありました。第一は野党の結集による政権交代、第二は政界再編成、第三は市民政治の前進。昨夏の細川政権の成立により、第一の課題一応達成できました。そこで社会党改革のための同党との続一会派に区切りをつけ、第二、第三の課題をめざして、通常国会冒頭から、日本新党と新党さきがけが作っている統一会派「さきがけ日本新党」に社民連のまま参加しました。
ところが4月8日、細川さんの突然の辞意表明で、政界は大暴風雨。 統一会派「改革」や渡辺ミッチー騒ぎ(私はこれは実のない手品みたいなものだと思います)まであって、次期首相選びと政策協議は大荒れ。
「改革」は、日本新党が新党さきがけと別れて会派を作り、ここに連立与党全ての参加を呼びかけるというもの。連立与党がまとまりを強めるために大統一会派を作ること自体は前向きの提案ですし、社民連だけに戻るのは後向きですから、私はとっさの判断で、阿部昭吾さんと共にこれに参加しました。
これは良かったと思います。八方手を尽くして、新生、公明両党の「改革」への先行参加と日本新党の大分裂という事態をくい止めることが、一応できたからです。
そして4月25日の羽田孜さんの首相指名。大変なすったもんだがありましたが、政策合意も十分機能するものになっているし、これで第二次連立政権は堂々前進の筈でした。ところが激震はまだ収まりません。
統一会派「改新」がつまづきの石でした。大統一会派自体はいいのですが、各党の了解を得ておらず、しかも協議に加わっていない急造政党まで滑りこんでいるというので、社会党の逆燐に触れ、同党は連立離脱。社会党には大変非礼なことであり、同党の憤怒もわかります。私は日本新党の会議にオブザーバーで出席し、日本新党が主導権をとって「改新」の即時無条件撤回をすべとし主張しました。
28日最終的に、連立政権は社会党の欠けたところを新生、公明両党で補う大改造となって、不本意なスタートとなり、私は内閣から離れることとなりました。
激動はまだまだ続くと思います。現在の状態で敵味方を固定化させて、あとは非難合戦というのは、決して賢明ではありません。次の展開を考えなければなりません。
瀬を早み 岩にせかるる滝川の…
細川内閣は、新しい歴史の出発点として政権交代時代をスタートさせました。侵略戦争発言はまさに画期的でした。ウルグアイ・ラウンドや政治改革法の成功は、これまでどうしてもできなかったことです。
しかし、もともと「政治改革政権」としての出発だったので、その後は求心力をどう作るか、むつかしいことになリました。
私としては、歴史的政権に閣僚として名を連ねさせて項き、大変光栄でした。科学技術行政では、国の内外を問わず、21世紀に向けた骨太の方向を示しました。
科学技術を、福祉や教育と並んで、低成長時代の経済や社会の柱とするのです。また、平和に徹して築き上げた高度な科学技術力で、世界に貢献し、特に非核兵器国として、世界のシビリアンコントロールの担い手になるのです。科学技術に国境は要りません。
森亘先生、有馬朗人先生をはじめ、自然科学界の再重鎮の先生方に高い評価を頂いたことも、身に余る光栄です。
これからは内閣を離れたから、行動が自由になります。政界は今、袋小路に入りこんでいます。出口が見えません。このような時は、原点に戻ってみること。今大切なのは、保守、革新をのりこえ、21世紀への確かなビジョンをもった新しい党を作り、連立政権を真にしっかりと支えることです。
まず羽田政権との関係。昨年夏の総選挙での国民の答は、自民党政治に代え連立政権を作れというものですから、不本意な形ですが、とりあえず与党内に留まリ、国民の声を必死に聞きながら、社会党の復帰や新しい連立の模索をします。
総選挙で国民は、これまでの政党や政治家と全く異質の、「政治家総とっかえ」を訴えた日本新党を登場させました。これは、既成政治にあきたらない国民の政治に対する期待や願望が、具体的な形となったものです。日本新党は、国民が作った国民のものなのです。
社民連も同じ事を考え、訴えてきました。冒頭に書いた社民連の第二、第三の課題がそれです。残念ながら社民連だけでこれを達成できる状況ではありません。日本新党も、政権という身の丈をはずれた重責を担ったためもあって、足腰が弱っています。
そこで、これから先のことを考え、まず日本新党と社民連の合併を実現したいと思います。こんな重要な時に、日本新党や社民連が消えてしまっては、国民はお先まっくら。そんなことは断じて認められません。困難な時ですが、踏んばりどころ。私の役割を自覚する時だと思います。日本新党の皆さんにもぜひ理解して欲しいと思います。
そしてそこから、社会党、民社党、新党さきがけその他の市民派、民主派の総結集を図っていくのです。独断と強腕だけでは、連立政権は支えられる筈がありません。対話と信頼で、改革と民主主義の政治を進める勢力が不可欠です。
この勢力結集は、急がなければなりません。これができて初めて、次の総選挙の後に、真に国民の期待に応えられる連立政権を作ることができるようになるからです。
まさに「われても末にあはむとぞ思ふ。」がんばります。
原点に還り、日本新党を核に、国民の期待に.応えられる新党の結成をめざします。
社会民主連合は、考えてみれば奇妙な政党だった。政党というものは議席を増やすことに最も熱心なものである。ところが社民連は、自らの勢力を拡大することより、「野党の接着剤たらん」ことを最大の課題に掲げ続けてきた。「党」ではなく「連合」。「党員」ではなく「会員」。そして恐らく唯一の、党員の除名規定を持たぬ政党。硬直したイデオロギーに縛られるのではなく、大胆に野党の再編をめざす姿は、心ある人たちから暖かい拍手をもって迎えられた。
しかし、繰り返すが政党とは、自らの勢力拡張を最大の目的とする集団である。そして、そこに求心力が生まれる。野党結集に精力を傾注し続けた社民連は「解散するために存在する政治」だったとも言える。
作者も詳細も忘れたが、「たった一人の貧しい男が…」という詩がある。たった一人の貧しい男が神の国の到来を告げ、愛しあう貴さを訴えた。男は友からも見放され、みじめな最期を遂げた。しかし、その男のメッセージは生き続け、やがて世界中の多くの人々の心を動かすに至った―という内容だ。
理念がすばらしければ自ずと大勢力になる、というほど政治の世界は単純ではない。むしろ逆の場合が多いかも知れない。しかし、最終的には確固たる理念、行動が時代を動かす、そう信じて前進してゆきたい。(K)
江田五月会会員に緊急アンケート
保守・革新を乗り越えた新党を 江田五月は政界再編の旗振り役に
激動する政局の中、江田五月はどう行動すべきか? 江田五月会の中心メンバー約100人にアンケートを依頼した(有効回答数84)。その結果、大多数の人が「保守・革新を乗り越えた新党の結成」を望んでおり、また、江田五月には閣僚という拘束の多い立場を離れ、政界再編・新党結成の旗振り役として活躍するよう期待していることがはっきりと示された。
「大新党」と「社民リベラル」が桔抗
一・一ラインには根強い抵抗感
まず、『あなたはどんな新党を望みますか?』 という問いに対しては、「連立与党が一つにまとまった新党」と「社会・民社・日本新党・さきがけを中心とした新党」という回答がほぼ拮抗した。
また、「小沢一郎ぬきの新党はできないものか?」「政党の組み合せではなく、本当に国民のために行動する議員を結集した新党」などの意見もあったた。
「新生・公明を中心とした新党」を望む人はゼロ。いわゆる 「一、一ライン」に対して根強い反発があることがうかがわれる。
次に『あなたが望む新党の理念・性格は』という問いに対しては、圧倒的多数(4人に3人)が「保守・革新を乗り越えた新党」を望むと回答した。
Q1:あなたはどんな新党を望みますか?
(1)連立与党が一つにまとまった新党……37.9%
(2)新生・公明を中心とした新党……0.0%
(3)社会・民社・日本新党・新党さきがけを中心とした新党……43.1%
(4)その他……19.0%
Q2:あなが望む新党の理念・性格は?
(1)社会民主主義的な新しい革新政党……8.6%
(2)「清潔な」新しい保守新党……13.8%
(3)保守・革新を乗り越えた新しい理念の新党……75.9%
(4)その他……1.7%
国際貢献・福祉ビジョン…
課題山積 政治改革はまだ始まったばかり
国際貢献のありかたについては、「非軍事面を中心に積極的に国際貢献を」という回答が約7割を占めた。しかし2割以上の人は「軍事的役割も含めた国際貢献」を是としている。
福祉政策については、「自助努力を応分の負担で補う中福祉国家」を望む人が約7割。次いで「自由競争・自助責任国家」が約17%。北欧型の高負担・高福祉国家を望む人は8.6%に過ぎない。
多くの国民は、現行の社会福祉システムの枠内で、内容をより充実させていく方向を望んでいることがうかがわれる。逆に言えば福祉予算をどんどん増やすことが「よい政治」ではなく、限られた財源をいかに有効に活用するか、その「知恵」 が政治家に求められていると言えよう。
さらに、第2次連立内閣が取り組むべき課題について、複数回答で聞いたところ、最も多かったのは 「腐敗防止の徹底を含む政治改革」。次いで景気対策、税制改革、行政改革の順である。
細川内閣は政治改革4法案を成立させた。しかし政治改革はまだ緒についたばかりである。新選挙制度下での総選挙を行い、政治資金の透明性を高め、法改正も含めた腐敗防止のための努力を今後とも積み重ねていく必要がある。
Q3:国際貢献については?
(1)軍手的役割も含む貢献……22.4%
(2)非軍事・積極貢献……0.7%
(3)経済援助に限定……3.5%
(4)その他……3.5%
Q4:福祉のありかたについて?
(1)高負担・高福祉……8.6%
(2)低負担・自助努力重視……17.2%
(3)中負担で自助努力を補う……67.2%
(4)その他‥‥‥6.9%
Q5:重視すべき政策課題は?
(1)税制改革……15.5%
(2)政治改革……33.6%
(3)規制緩和・往政改革……13.8%
(4)景気対策‥‥‥25.9%
※以下省略
7割以上が「再編の旗手」に期待
「混乱の中、埋没しそう」と心配する声も
さて、最後に「江田五月は何をなすべきか」と質問してみた。このアンケートを依頼する時点では、まだ羽田内閣は正式に発足しておらず、江田議員が閣僚として内閣に留まるかどうかは決していなかった。
五月会中心メンバーの答えは圧倒的(71.9%)に「閣僚の立場にこだわらず、むしろ大臣を辞めて自由な立場で政界再編・新党結成のために活躍してほしい」というもの。
こうした支持者の意向を受け、江田議員自身もかなり早い段階から「あえて閣僚に留まろうとはしない」と決断していた。
いよいよ身軽になり、日本新党という新しい活躍の揚を得た江田議員が、今後どのように行動し、どのような道を切り拓いていくのか―。まさに正念場である。
Q6:江田五月はどう行動すべきか?
(1)政界再編・新党結成の旗手……71.9%
(2)閣僚として連立政権を支える……17.5%
(3)その他……10.5%
アンケー卜に添えられた江田五月へのメッセージから
●江田五月は、混迷する政局の中で埋没しているようで姿が見えてこない。新しい理念を持つ新党の旗手としてこそ存在感が発揮できると思う。
●個人的な評価があれば、いつの時も出番があると思うので、自らの信念に基づいて行動する清潔な政治家であってほしい。
●今の時流に迎合するようではダメ。常に自分を客観的に見る余裕を失わずに頑張ってください。
●国民、特に庶民の生の声に耳を傾け、それを政治に反映させてください。
●国民そっちのけの利権・権力型政治に荷担することなく、市民、学者、文化人などを幅広く結集したリベラルな『市民党』を再編されることを願います。
●私たち主婦にシラケと諦めを味わせないようにがんばってください。
新・連立政権構想を打ち出すべき 岡山社民連書記長 大亀幸雄
もう自民党と社会党に代表される55年政治体制は終わった。「資本主義か社会主義か」「保守か革新か」と言った争点も、政治の中心とはなりえない。これから1〜2年の間は、政界再編成・新党結成の嵐が吹きまくることは確実。いよいよ政界再編成の第二幕の始動である。「自・社大連立政権」は100%ない。自民党が政権に復帰する道も絶望的だ。否、そうしたいと思う。
国民がもとめる政権像は何か、それは「新・連立政権」だと思う。「新」とは何か、それは何人も明確には言えないが、その輪郭は 自民党も社会党も分裂し民主・進歩・改革派が結集すること。一、一ラインの横暴がチェックされ、政治手法が民主化され、政策決定過程がガラス張りになること―などが重要である。
新党結成は緊急の課題である。連立政権に参加するすべての党派が一つの政党に結集する「連立新党」も一つの方法であるが、現実は穏健な多党制の選択になると思う。世界と日本の激しい変化を考えれば、新しい保守政党論も、新しい革新政党論も、時代遅れだ。
新党は古いイデオロギーである保守・革新論を乗り越えた、新しい時代にふさわしい、新しい政治理念の政党でなければいけない。
具体的には社会党も民社党も変化する、自民党は分裂する、日本新党も新党さきがけも参加する新政党がよい。しかもさらに、政治から一歩離れている学者、文化人、青年婦人、市民派も総参加する新党が理想的である。時代は大きな夢を要求している。
いつかは共に… 衆議院議員 石田美栄
原稿締切は4月28日だった。政局の状況からしてとても書けなくて、とうとう28日まで待ったら、益々書けなくなった。つまり、第2次連立内閣、羽田内閣が難産の末、少数与党でいびつな姿で成立した日になってしまった。細川総理大臣が辞意を表明してから3週間、政争の中で、「一寸先は闇」を何度か実感しつつ、それでもより理想に添うようにと念じ、微力を尽くしながら。
こんな結果に虚脱状態で帰岡して、今日は29日。余りにもすさまじい政治の現実に、今、江田さんから「世のため人のためじゃ、決心せられえ」と迫られた時の初心を想い起し、『シリウス』を読み返してみている。
いつかは江田さんといっしょにやれるようになることを期待しつつ、別々の党派で頑張って9か月、やっと同じ会派になったかとおもえば、それが問題の「改新」であった。
大臣職の大任ご苦労様でした。これからは一議員に戻って、混乱期の政界再編中で、日本の政治の方向を誤らせないよう、引っぱっていただきたい。
社民連、17年の歴史に幕
全国代表者会議で解散・日本新党との合流を決定
5月22日、東京、都市センターホテルにおいて、全国22府県、約90人の代議員が参加して社民連全国代表者会議が開催された。13時5分、倉持総務局長が開会を宣言、議長三上隆・京都社民連代表を選出し、議事に入った。
まず江田五月代表が、社会民主連合解散にあたっての挨拶を述べた。この中で江田代表は、「社民連の目標は3つあった。1つは野党結集による政権交代、第2は政界再編、第3は市民政治の結集」であり、第1の課題である政権交代は曲がりなりにも達成されたとした上で、第2第3の課題に大胆に進路を切り開くために日本新党との合併を決意した、と述べた。
また、「日本新党は、既成政治に飽きたらない国民が新しい市民政治の手法に期待をかけて生み出したものであり、これを消滅させたのでは市民政治の展望は開けない」とし、社民連と新党の理念を共有する日本新党との合併により、社民連のめざしてきた政治を継承・発展させて行く決意を強調した。
さらに、今回の合併は終着駅ではなく、国民の期待に応える、保守・革新を乗り越えた新党結城のための第一歩であり、「政党が、小さくても歴史に確かな役割を果たし、次の展望を示しながら自ら解散を決定できることを誇りに思う。胸を張り、希望に燃えて、未来の夢に向かって堂々と前進しよう」と結んだ。
続いて阿部昭吾書記長より経過と現状の報告、財務報告、合併合意書と共同アピールの説明が行われ、合併が提案された。
また、日本新党に合流せず、当面社会党会派に留まることにしている楢崎弥之助顧問から、現在の政治状況および、今後の展望についての説明が行われた。楢崎氏は、「登る道は幾つもあるが、頂上は一つ」と述べ、遠くない将来の大合流を示唆した。
続いて行われた質疑応答では、滋賀や大阪の代表らから合併と社民連解散に対して異論が出た。
これに対し江田代表は、「確かに日本新党の現状は決して楽観できるものではないが、今この時、じっと様子を見ているのでは政治家として失格。リスクは覚悟の上で政治生命をかけた決断。ぜひ理解して欲しい」と訴えた。
最終的に、合併案は圧倒的賛成多数で可決。社会市民連合結成から数えて17年めの江田三郎の命日、社民連はその歴史を終えた。
なお、各地方組織の合併については、地域の事情にあわせ、今後個別に話し合いが進められることになる。岡山社民連と日本新党岡山の統一のための第一回めの話し合いは、5月30日に行われる。
江田五月の東京通信
8ヶ月の在任期間でしたが、科学技術庁長官として、それなりに成果を残せたのではないかと思っています。
「自画自賛」は気が引けるので、3月13日付・東京新聞に掲載された江橋崇(えばし・たかし)法政大学教授の「私の注文(紙面批評)」という文章を一部引用させていただきます。−細川内閣になっても役所が少しも良くなっていないというなかで、科学技術庁の変わりかたを評価する人が多い。私もそう思う。
政権発足直後に、ロシアの核廃棄物日本海投棄に対応して素早く海洋投棄禁止に方針を変えたこと、原子力情報の公開を進めたこと、原子力開発利用長期計画の見直しに際して国民の声を直後に聞いたことなど、行政が市民の常識に近付いてきた。(以下略)
5月16日早朝、羽田総理大臣とお会いしました。
目的は会派「改新」の解消を羽田総理から提案してもらうこと。それで社会党がすんなりと連立政権に復帰するかどうかは別として、とにかく今の政治状況をなんとか変えたいという思いからの行動です。
先日行われた日本新党の議員総会にオブザーバーとして出席した時も、「日本新党が率先して『改新』の解消を提唱すべきだ」と意見を述べました。「お客様」の身分としてはかなり突っ込んだ発言でしたが、多くの人が賛同してくれたようです。
その効果もあってか、5月12日、日本新党は「会派改新を解消すべき」との方針を常任幹事会で決定しました。
まさに政局は「一寸先は闇」。今は無理をせずに様子を見たらというご意見もありますが今の不正常な連立与党の状態を正常な形に戻す、そして本当に国民の望む新党を作るために、リスクは覚悟の上で、全力で行動すべき時だと考えています。
連立与党岡山連絡会議の経緯について
岡山県社会民主連合書記長 大亀幸雄
約40年続いた自民党独裁政権がたおれて、昨年8月に細川連立政権が誕生した。この連立政権を岡山県内において支えるために、社会・民社・社民連・公明・日本新党、それに新生党・改革連合が参加して、2月25日に「連立与党岡山県連絡会議を結成した。
第一回会談(1月29日)
5党の代表が集まり「連立与党連絡会議」を発足させる方向を確認。次回の会議には新生党・改革連合にも参加を呼びかけることを決定。
第二回会議(2月25日)
新生党をふくむ6党が集まりつぎの3点を決定。
- 細川連立政権を地域で支え、県民の声を国政に反映させるために6党による「連立与党岡山県連絡会議」を設置する。
- 衆議院選挙については、連立与党対自民党の「1対1」の対決選挙となるように、統一候補の実現に努力する。
- 来春の統一地方選挙(特に県会議員)をはじめあらゆる選挙について、統一候補の実現に努力する。
以上の諸点について各党は、次回の6党会談までに、それぞれの党機関において正式に決定してくること。
第三回会談(4月15日)
各党代表から前回の宿題についていずれも賛同するとの報告があり、正式に「連立与党岡山県連絡会議が発足。次の3点を確認した。
- 県連絡会議は各党書記長を以て構成するが、テーマによっては政策・選挙担当者が参加することもある。
- 県会議員選挙の候補者については、各党は出来る限り早く、希望候補者を提出する。
- 県連絡会議の当面の連絡担当者は藤森繁・社会党書記長とする。
第四回会談ではこれらの諸問題の解決方法が議論の中心となると思う。
(その後、突如として細川総理は辞任、社会党は連立政権から離脱、羽田孜総理による少数与党政権が発足。政局は難問山積、ますます激動となる)
羽場、太田、若井の公認を決定
岡山県社会民主連合と江田五月会は5月7日、合同の運営委員会・五役会議を開き、来年4月に行われる岡山市議会議員選挙に、現職の羽場頼三郎、新人の太田正孝、若井たつ子の3名を公認候補として擁立することを決定した。
羽場頼三郎(はば・よりさぶろう)1949(昭和24)年生まれ/早稲田大学法学部を卒業後、東京社会市民連合の結成に参加/1987(昭和62)年、帰岡し江田五月秘書に/1991(平成3)年4月、岡山市議会議員に当選。現在、議会総務委員会副委員長。岡山社民連副書記長。
太田正孝(おおた・まさたか)
1964(昭和39)年生まれ/岡山市立吉備小学校、吉備中学校、県立大安寺高校を経て1984(昭和59)年、慶応大学理工学部に入学/1987(昭和63)年、同大学卒業後、ヤマハ発動機に入社/1991(平成3)年より江田五月秘書。岡山市第1開票区を担当。
若井たつ子(わかい・たつこ)
1952(昭和27)年生まれ/大阪府立阿倍野高校を経て1972(昭和47)年、帝塚山学院大学文学部に入学/1976(昭和51)年、同大学卒業/大阪府立病院医局秘書、地方自治研究所勤務を経て1988(昭和63)年より江田五月秘書。岡山市第3開票区を相当。
恒例・一宮桃の花見
毎年好評、参加者が増える一宮桃の花見会。今年は4月17日に開催。
「一回目は散った後、2回目は花はまだ、3回目にしてようやくめぐり会えた」という河原昭文五月会会長の挨拶でなごやかにはじまった。今回は場所を本当の桃の木の下の斜面に移して桃花繚乱の元で乾杯。
宴たけなわの頃、江田五月議員も駆けつけ、風雲急を告げる政界再編への決意を語り、高梁市議候補藤田秘書の応援へ。
今年は、一宮五月会の方針で各五月会にご協力頂いていたおむすびはなく、そのかわりソーメンを主食に。米騒動の教訓として出した冷たいソーメンは書い中大好評だった。今回も場所を提供頂いた板野日出男さん、絹枝さんありがとうございました。
「藤田高梁市議」誕生
5月22日投票の高梁市議会選挙で、社民連公認の藤田清久氏(江田五月秘書)が、499票を獲得し、見事初陣を飾った。
おりしも投票当日は故江田三郎氏の命日、そして東京では全国社民連の解散大会が開催されていた。
「最後の公認候補」の当選で、社民連は有終の美を飾ることとなった。
岡山市で国会報告会
細川さんの首相辞任劇で政局は大揺れ。超多忙の間隙をぬって江田五月は地元岡山での連続国会報告会に望んだ。混乱する政局の動きをリアルタイムで伝えようという意気込みのあらわれだ。4月9日・労金ビル、10日・教弘会館、16日・西大寺観音院、17日・成田屋栄宝殿と岡山市内四ヵ所。入閣以来はじめての国会報告会ということもあり、いずれの会場とも江田議員の生の声を聞きのがすまいとする聴衆で埋まった。
「政治の世界は一寸先は闇」。とはよく使われる言葉だが、まさに当時は闇の真っ只中。江田議員の話にも苦渋がにじむ。
最終17日は、渡辺さんの自民離党発言が飛び出した直後。連立組み替え・渡辺首班か、と緊張感が走る中、江田議員は「連立の枠組みをこわしてはならない」と一・一ラインの動きを批判。会半ばで飛び出し、東京行き最終新幹線の人となった。
アゼリア会3月例会
アゼリア会3月例会は、科学技術庁政務秘書官(当時)湯川憲比古さんを迎え、科学技術庁長官(当時)江田五月さんの仕事ぶりや政局を語ってもらおうというもの。
春の陽気がする当日は、大きな体の湯川さんは、時々ハンカチで汗を拭いながら、エネルギー、予防医学、若者の科学離れへの対応などや、日本新党と会派を組んだ意義などを語った。江田さんは科技庁始まって以来の優秀な長官と官僚達に噂されているとか。
科技庁を再認識しながら、多忙中出席された石田美栄さんも一緒に中華料理を囲んでの楽しい一時となつた。
編集後記
これほど政治状況が目まぐるしく変化すると、隔月発行の「五月会だより」の編集は至難の業になります。この新聞が読者の皆さんのおてもとに届く頃は、いったい日本の政治はどうなっているのか? いや、むしろどう変えていくのか。能動的な行動が、江田五月に求められています。(K)
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